第四話


「これは……すごいな」


 ガルド、ライ、イビの三人は目の前の光景の美しさに、思わず言葉を失った。


 野営地を発って半刻。黒々とした宵闇の木ウェラージャの茂る森の中に抱え込まれるようにある、ぽっかりと開けた場所。精霊の遊び場ドラグ・エラ・エ・ニシュカと呼ばれるその場の中央にある、天へと伸びる一際大きな巨大樹、宵闇の巨大樹イガ・ウェラージャ


 昼の日の下で見るこの場も、素晴らしい美しさではあるが、ウェーラの闇とサーラナの明かりの下で見るとより一層の清廉さを感じさせる。そして何よりも、この場を美しく見せているのは、


 「宵の精霊ウェーラ・ドラグ・エラが、こんなに、たくさん……」


 「一匹見る事すら稀だって言うのにな。…爺婆が見たら腰抜かすじゃすまないぜ」


 六属性の精霊の中でも、滅多に人前に姿を表す事の無い宵の精霊ウェーラ・ドラグ・エラ。その稀なる精霊が、宵闇の巨大樹イガ・ウェラージャの根元に群がるかの様に飛び回っている。


 まるで、精霊神話ドラグリアの一幕の様なその美しい光景。いつまでも眺めていたくなってしまうが、そうもいかない。珍しい宵の精霊ウェーラ・ドラグ・エラが群れるように飛び回っているということは、知らない声がする、と言ったラーナの耳が正しかった事を意味するのだから。


 「イビ、力は使えるな」


 ガルドに声を掛けられた、イビと呼ばれた金髪の少年が、ハッとした様に両手に白い光を灯した。


 「……うん、夜だし、ウェーラの力が強い場所だから……ちょっと弱いけど。多分大丈夫だよ、ガルド兄」


 明の精霊憑きアーネ・ドラグ・ララであるイビは、治癒能力を持っているが、その力は珍しいがあまり強いものではなく、アーネと対のウェーラの時ではやや効力を失ってしまう。


 しかし、ウェーラの時とはいえ、数刻もすればアーネが訪れるからだろうか。問題はなさそうなイビの様子を確認して、三人は宵闇の巨大樹イガ・ウェラージャの根元へと歩みを進める。


 ーー根元には精霊ドラグ・エラに守られる様にして、血に塗れた子供が倒れていた。


 ガルドは慌てて駆け寄り、子供を抱き起こす。ライは脈をとり、ホッと息を吐いた。


 「息はまだある……死んじゃいねえ」


 「イビ、いけるな。」


 「うん!」


 子供の背には刃物で切られたような大きな傷があり、その傷を撫でるようにそっと、イビは光を灯した手を翳して優しく治療してゆく。


 「……随分と大きな傷だが、よく持ったものだ」


 「集まっている宵の精霊ウェーラ・ドラグ・エラ達の一体が、多分この子に憑いたんだと思う。傷は大きいけど、思ったより血も出てないから。……でも、チェシカ姉の報告が少しでも遅かったら……多分間に合わなかった」


 イビが光を当てた所から、じわりじわりと傷が修復されてゆく。喋りながらも集中しているのか、イビの額には汗が滲んでいた。


 「ガルドの所に飛び込んだチェシカも中々の行動力だが、ラーナのチビも大したもんだぜ。半刻も掛かる距離の精霊ドラグ・エラの声を正確に聞き取っちまうんだからな……しっかしまた、宵の子ウェーラ・エ・ララとは珍しいな」


 どこか困ったような苦い笑みを滲ませ、ライはガルドの腕で眠る子供を見下ろす。治癒を終えたイビも、似たような表情を浮かべていた。


 「ルド兄に聞いた伝承だと、多分五百年振りぐらいだと思うけど。……本当に実在したんだね」


 「……どちらにせよ我等の同胞だ。子供がそう望むのならば、流浪の旅団ミーネレ・エラは他の精霊憑きドラグ・ララ達と同じように保護するだけだ」


 子供を上着で包み、抱え直したガルドの言葉にライとイビは目を見開く。


 「……ガルド兄、本気なの?僕の時とは訳が違うんだよ?……ただの宵の精霊憑きウェーラ・ドラグ・ララだって、いるというだけで精霊ドラグ・エラを信仰する人たちが血眼になって欲しがるっていうのに」


 「……宵の精霊憑きウェーラ・ドラグ・ララよりも更に珍しい宵の子ウェーラ・エ・ララだ。イガリアに知れたらどんな手を使ってでもしにかかるだろうし、聖エイネのクソ共に見つかればもっと最悪だ。……奴等この子供ガキを殺しに来るぞ。……こいつは、戦争の火種になる」

 

 「だからこそ、だ。ウェーラによってこっちに引きずり込まれて、少し毛色の変わった精霊ドラグ・エラに好かれているだけだ。我等と何ら変わらぬ精霊憑きドラグ・ララだ。絶対に火種になどさせない。……精霊憑きドラグ・ララが争いの道具にされる事など、あってはならない」


 驚き、慌てる二人を諌めるようにガルドは静かな声で告げた。二人はぐっと押し黙った。


 暫しの沈黙の後、口を開いたのはイビであった。


 「そう、だよね。そもそも精霊憑きドラグ・ララなんて、精霊の祝福を受けているだけで、個人差はあっても使える力なんて些細なものだもの。……稀だって言われてる宵の精霊憑きウェーラ・ドラグ・ララなんて、普通の精霊憑きドラグ・ララよりも弱いって言われてるらしいし。……精霊憑きドラグ・ララだというだけで、同胞同士で身を寄せ合わなければ身を守れない僕等が、なんて理由だけで切り捨てるのは……よくないよね」


 イビはガルドに抱かれている、自身よりも少しだけ小さな子供を見つめた。異形の化物でもなんでもない、少しだけ珍しい髪の色をした、小さな子供。イビが治療しなければ、死んでしまいそうだった、自分達と何ら変わりはしない……同じ人間だ。


 「……幸いというかなんというかな。こいつの存在に気づいたのは俺達だけで、隠蔽はしやすいってか。髪の色は何とでもなるしな……俺達がたまたま近くにいた事といい、ラーナの耳があった事といい……こいつは随分と運の強い子供ガキだ」


 ハーッと大きくため息を吐いて、仕方ねぇな、と笑ってライは子供の頭をそっとなでた。幾分か落ち着き、本来の様子を取り戻した二人の様子に、ガルドは言葉を重ねた。


 「見つかってしまえば大事になるだろうが、これから向かうのは幸か不幸かイガリアだ。ウェーラを厚く信仰するかの国ならば、他では手に入らない宵の精霊憑きウェーラ・ドラグ・ララの情報も集める事も容易い。……詳細は戻ってから詰める。今は、そうだな。この小さな同胞を早く暖かい場所で休ませてやらねばならない」


 子供を抱いたまま帰路を歩き始めたガルドの背を追うようにライとイビが続き、三人は道なき森の間に消えてゆく。


 人が去り、静まり返った精霊の遊び場ドラグ・エラ・エ・ニシュカには、宵の精霊ウェーラ・ドラグ・エラ達だけが残り、その踊るように飛ぶ様をサーラナ宵闇の巨大樹イガ・ウェラージャが見おろしていた。


 凪いだ水面のような、そんな静かで美しい夜の事だった。


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