第三話

 夜も遅いというのに、男の天幕へと子供を抱えて駆け込んで来た美しい栗毛の娘、チェシカと、その腕に抱かれた燃えるような赤毛の少女、アルラーナの姉妹に、ガルドは十年程前の冬の日の幻影を見た様な気がして目を瞬かせた。


 あの頃よりチェシカはグッと娘らしくなり、アルラーナは赤子と呼べないほど健やかに育ち、大きくなった。


 そんな二人の姿にガルドは時間の経過は早いな、等という妙な感慨を覚えたものの、チェシカの青褪めた顔を見てそんな思考を追い払い、二人を天幕へと招き入れた。


 「一体、何があった」


 時は深夜である。年頃の娘が、子供を連れているとはいえ連れ合いでもない男の部屋に押し掛けるなど、あまりにも褒められない行いであるが、チェシカはその様な短慮を起こす様な娘ではない。


 旅団の中でもずば抜けて聡く賢く、それでいて勇敢な娘である彼女が、顔を青くして飛び込んで来たのである。


 ーー起こった事は一目瞭然だった。


 「ガルドさん、宴の時に起こった異常の事を聞かせて欲しくて、来たのです。……何も異常はなかったのですよね?」


 普段はまろく柔らかな緑の瞳が、酷く真剣な色を宿してガルドを射抜く。その瞳の鋭さにやや気圧されながら、ガルドはひとつ頷いた。


 「ライと共に野営地の周辺を見て回ったが、特に何も異変はなかった」


 「……そうですか。周辺という事は、宵闇の巨大樹イガ・ウェラージャの方へは行っていないのですね」


 「あ、ああ。此処から宵闇の巨大樹イガ・ウェラージャの方までは半刻程掛かるからな。そこまで離れてしまえば、滅多な事は起こらないだろう」


 チェシカは長い睫毛を伏せて、息を一つ吐き、意を決したようにガルドを再び見つめた。


 「ラーナが、知らない声が聞こえると泣くのです」


 ガルドはハッと息を飲み込んだ。アルラーナは稀有な娘で、精霊ドラグ・エラ達のその精霊ドラグ・エラがどの属性を持っているか感じ取る能力を持っている。


 故に、ラーナが聞いた知らない声と言うものはラーナにとって出会った事のない属性の精霊ドラグ・エラか、という事になる。


 そしてここは様々な属性の精霊憑きドラグ・ララの集まった旅団である。ラーナの出会った事のない属性の精霊ドラグ・エラはあまりに少なく、消去法で、可能性は後者の災厄である方が高い。


 「精霊ドラグ・エラ達の声を聞き分けられるようになって数年、この様な事はありませんでした。私は不思議に思いラーナに話を聞きました。そして、ガルドさんにお話する必要があると思ってここまで来たのです……ラーナ、声のお話をガルドさんにも聞かせてあげて」


 「う、うん」


 事の重大さに、常より更にと厳しい顔になったガルドに怯みながらもラーナは必死に言葉を紡ぐ。


 「あ、あのね、聞いたことのない黒い声がね、してるの。……えっと、宵闇の巨大樹イガ・ウェラージャの下に、があいて、宵の子ウェーラ・エ・ララ??っていうのがね、いるんだって。黒い声ね、ずっと、助けてって泣いてるの。精霊憑きドラグ・ララが死んじゃうって、泣いてるの。」


 「……なんと言う事だ。ライとイビをたたき起こして宵闇の巨大樹イガ・ウェラージャへ向かわなければ」


 事は急を要するようだった。懸念していた災厄ではなくであるが、ーー死とは穏やかではない。急ぐ必要がある。


「アルラーナ、教えてくれてありがとう。とても助かった」


 「えへへ」


 褒められて嬉しそうなラーナを抱え直して、チェシカは一つ頭をさげて邪魔にならぬよう自らの天幕へと帰って行った。


 ーー本当に、賢い娘だ。


 ガルドはチェシカの消えた方へ視線をやって、宵闇の巨大樹イガ・ウェラージャへ向かう用意を始めた。

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