第434話 遺命(Ⅱ)

 セルウィリアがそう思ったのは、病が重篤になり、今の有斗が正常な判断が下せない状態になっているのではないかという疑念を内心で抱いていたからだった。

 それもそうであろう。生まれて間もないアレクシオスは後回しになっても仕方が無いにしても、子の中で一番大切な、王を継ぐウァレリウスの相手を決めずに、ステファノスやオフィーリアの相手を先んじて決めるなど、おかしな話ではないか。

「陛下、陛下のお怒りの大きさは重々承知しておりますが、中書令はこれまで国家に多大な功績を残してまいりました。どうかそれに免じて一命だけはお許しくださるよう、わたくしからもお願いいたします」

 まずはラヴィーニアの命だけでも救うことである。命さえあれば取り返しはいくらでもつくのだ。不謹慎な話ではあるが、恩赦は目の前にあるのである。

 一方、自らの命について論じられてるにもかかわらず、ラヴィーニアは実に平然としたもので、いつものような、いや、いつも以上に冷然とした面をセルウィリアに向けた。

「セルウィリア様、ご安心を。陛下は考えておられと言いました。過去の話、今はその気はないってことです」

「その通りだ。でなければわざわざそなたを内府に任命し、大切な我が子の太傅たいふを頼んだりはせぬ」

「ですよね」

 いつにも増して愛想のかけらもないラヴィーニアの返答に、有斗は苦笑した。

「厳しいな。それほどまでに中書令を外されたことが不満か」

「正直申せば、多少は。もともと中書令や尚書令に比べれば、三公の仕事なんて児戯に等しい。しかも、今のあたしが果たしている役割は尋常の中書令とは異なります。王命ですからお受けは致しますが、せめてわけを聞きたく存じます」

「それも道理だな」

 有斗は瞑目すると、大きく深呼吸をした。

「余は以前はアリアボネと、その後はそなたラヴィーニアと・・・二人の中書令と共に二人三脚で執務を取っていた。つらつら思い返すに、余の政策のどこが余の発案で、どこからが中書令の発案か分からなくなることがあるほどだ。いや、余の政策などあったのかと、たまに自問自答する時さえある」

「・・・・・・・・・」

「だがそれは明らかに、あるべき朝廷の姿とは言えぬ。王と中書令とで政治を動かす今の形は、阻害されたと感じた朝臣と王の間に間隙を作らぬともかぎらぬし、中書令が第二の王とも見て取れるような危険な姿だ。中書と尚書が並び立ち、公卿の下にある、あるべき姿に正さねばならぬ。余とアリアボネ、あるいは余とそなただから、しかも戦国末世の危急のときという非常時だから許され、また支障なく政治を行えたといえども、後の世までこの形を残すわけにはいかぬ。野心家が王を飾り物にして中書令として権勢を握る・・・・・・あるいは王にとって代わる野心を抱くやも。この危険性に思い至らぬ中書令そなたではあるまい」

「それに関してはあたしも同感です。ですが幼君が至尊の座にすわろうというこの時もまた、危急のときとは言えませんか。あたしのような優れた才能は自在に手腕を振るえるような立場に置くことこそ天下のために必要なことなのでは?」

「そうではあるが、そなたのような創業の功臣は余でないと使いこなせぬし、用が済んだからといって、やすやすと罷免も叶うまい。セルウィリアやウァレリウスでは無理であろうよ。辞めさせるのならば今、この時でないとな」

「ならば内府などでなく、尚書令にでも横滑りさせていただきたい。それもよりによって御子の教育係という、どう見ても不向きな役職を与えようとなさる陛下の意図が分かりませぬ」

「そうは思わぬ。余はこの世界に来たときは政治も軍事も何一つ知らぬ、赤子のような存在であったのだ。余は敵と戦うことで、あるいは支えてくれた者からこれを学び、成長した。特に政治に関してはそなたから教えられることが多かったように思う。こうして余が立派な王に育ったとあらば、我が子を教えるのに不足はあるまい」

「・・・太傅たいふは名誉はあれど職域も狭く、あたしの吏務の才を生かす場がなくなります」

「だからこそ、そなたを内府にも任じたのだ。確かに吏務の才を存分にふるうという立場ではないが、官吏全体に目配せを行う重い役職でもある。そなたに見張られてると思えば官吏たちも手を抜くまい。それにこたびの太傅は名誉だけの仕事ではない。王朝が安定するか否かは王朝の開祖ではなく、後を継ぐ者、特に二代目にかかっていると言っても過言ではない。初代は天下を制したという威をもって官吏や諸侯を威圧でき、使役できる。二代目にはそれがないのだ。地獄の悪鬼さえたじろいだ戦国の世を生き抜いた豺狼さいろうのような諸侯と、先王の世より仕えた朝廷の古狸ふるだぬきをなだめすかし、時には脅して政治を執らねばならぬ。これは並大抵の才覚では勤まらぬ。ウァレリウスを一人前の王に育てることは、その王一代限りのことではなく、王朝そのものを永続させる、乱世を終わらせるに等しい大業なのだ。誰にでも頼めるものではない。そなたはそれでも受けたくないと我儘わがままを申すか」

 有斗の言葉に何かを悟った表情を浮かべたラヴィーニアは、速やかに裾を払って跪拝した。

「ご下命、謹んでお受けいたします」

「それで良い。これで余も安心してける」

 ラヴィーニアは、ゆっくりと立ち上がると、裾についた埃を払い、一人納得した表情を浮かべた。

「なるほど・・・わかりました。陛下があたしに死を命じるべきか悩んだというのは・・・・・・陛下は後世の為に、あたしという存在を中書令の地位から除く必要があることに気付き、あたしに死を命じることで、それを実現しようと考えたからというわけですか」

「・・・そうではない。そなたは内心、ずっと悔しく思っていることがあるであろう? 余が気付かぬと思っておったか?」

 有斗の謎かけにラヴィーニアは軽く首を傾げた。

「あたしが・・・? 何をですか?」

「このままではそなたは後世、アリアボネの評価に決して及ばぬことにだ」

「・・・!!」

「そなたとアリアボネとでは才覚と功績に単純に優劣はつけられぬ。それは両者に接した余が一番よく理解しておる」

「そいつはどうも」

 珍しく有斗が褒めたのに、ラヴィーニアは軽く肩をすくめただけで、感激した様子を見せるどころか、それがどうしたといった横柄な態度だった。

「だが同じ科挙でアリアボネは榜眼で、そなたは探花だ。しかもそなたには一度は余を君主失格として放逐したという事実がある。もちろん、その背景には余の不明があったわけだが、民はそこまでは見ようとはせぬ。徒手空拳の余を助けたアリアボネの行動のほうが首尾一貫していて民衆には分かりやすかろう。しかもアリアボネの生涯は志半ばで夭折ようせつするという、大衆の琴線に触れる物語性がある。さらに言えば創業の功は見えやすくわかりやすいが、守勢の功は見えにくく気付きにくい。そなたは偃武えんぶ後も余を支えて優れた政治を行っているが、それが正当に評価されることはおそらくあるまい。世人はどうしてもアリアボネの下にそなたを見るであろう」

 有斗の言葉はいちいち全てがもっともで、褒めてやりたいほどであり、ラヴィーニアとしても理解できることではあるが、そもそものラヴィーニアの問いに対する答えとしては十分とは言えなかった。

「それはおっしゃる通りですが、それと死を命ずることに一体何の関係が?」

「だが・・・だが、もし、もしもだ。余が死ぬ間際にそなたに死罪を命じたとしたらどうであろうか?」

「・・・!」

 有斗の言葉で全てを略解した表情を見せたラヴィーニアと違って、セルウィリアにはいまいちピンとくるものが無かった。

「どういうことですか?」

 いぶかしがるセルウィリアに有斗は詳しく説明してみせた。

「王は死ぬ間際まで謀臣を酷使したのに、不必要になったと見るや、弊履へいりのように使い捨てた・・・・・・その惨い扱いは世人の大きな同情を買うであろう。民は幸運な成功者は羨み、称賛はするが愛しはしない。報われぬ悲運の人物こそを愛するのだ。後世、その名は再びアリアボネと並び、称されることとなるだろう。名は竹帛ちくはくに垂れ、庶民から文士に至るまで膾炙かいしゃされることとなろう」

 言い終わると、有斗はもう一度、ラヴィーニアに振り返る。

「余に考え付いたことだ。そのことをそなたが一度でも考えなかったと言い切れるか? そなたも内心のどこか奥底ではそういう最期を望んでいたのではないか? だからこそ天下平定後も致仕ちしをいたさず、今の今まで余に仕え続けていたのではないのか?」

 ラヴィーニアは肯定こそしなかったが、明確に否定もしなかった。ただ有斗が話している間、口を挟まず黙っていただけである。

「余はそなたに死を命じることこそが、長年のそなたの労苦に酬いる、何よりもの褒美ではないかと思い悩んだ。だが余は考えた末に、そなたに死を命じることはやめた。何故なら───」

「なぜなら?」

 そこで大きく息をついた有斗をせかすようにラヴィーニアが口をはさんだ。その声は僅かに震えていた。

「何故なら余が呼び出されたのは、善良な民が故なく命を落とすような世界を救って欲しいという純粋無垢な願いを受けてのことだ。そしてそなたもその救うべき民の一人なのだ」

 有斗は目を丸くして絶句したラヴィーニアからセルウィリアへと視線を移した。

「セルウィリアよ」

「あ、はい」

「そなたにアメイジアとラヴィーニアを遺す。この者の才は天下に卓越する。きっとそなたやウァレリウスの一助となろう。何かと横着なところのある女だから腹の立つこともあるだろうが、我慢してやって欲しい。余はこの者を刑場でなく、寝台の上で安らかな最期を迎えさせてやりたいのだ」

「陛下」

 その言葉を聞くやラヴィーニアは、崩れ落ちるように寝台の傍にひざまずくと、寝具の上の有斗の手を振るえる両手で包み込み、そっと自分の頬に愛おし気に押し当てた。その顔はまるであどけない童女のようであった。頬を一筋の涙が流れ落ちた。

「才子は得やすく、名君は求め難しと申します。あたしはずっと、明主に出会えぬ我が身の不運を嘆いておりました。こうして陛下のような名君にお会いできたことだけでも、まさに千載一合せんざいいちごうの奇跡。お仕えが叶い、お役に立つことができて心から幸せでした。現世での評価や死後の名声など必要ありませぬ・・・あたしはこうして陛下のお側近くにお仕えできるだけで十分なのです」

『この女は』とセルウィリアは目の前の少女の顔をした小さな陰謀家に、初めて女の影を見た。そして二人の間に、自分にはない愛憎相まみえる特別な絆があることに嫉妬した。

 そして気付いた。

 この女は、陛下を女として愛しているのだ。だからずっと仕え続けていたのだ。

 謀略家という仮面の下にずっと隠されていたから見えなかったけど。


 こうしてラヴィーニアは死を賜ることを避けえれたが、そのことをもってしてアリアボネのように後世の民から悲劇の主人公としてうたわれ、慕われることは無かったのである。

 だが、有斗との臨終間際に交わしたこの会話が後世漏れ伝えられたことにより、ひとたび君主と認めた後は全身全霊をもって仕え、直諫を行ったラヴィーニアと、天下の為に個人的な怨恨を許し、その才を発揮させる場を与え、むことなく意見を聞いた有斗とは、君臣としての一つの理想の形として語り継がれることとなる。

 アリアボネとは違う形でラヴィーニアの名は再び光り輝くこととなり、後世仰ぎ見られることとなった。


 手を掴み跪いたまま動かないラヴィーニアに、有斗は語り掛けた。

「皇后と内々のことを話しておく必要がある。そなたも退出いたせ」

 ラヴィーニアは一瞬、躊躇ためらう素振りを見せたが、名残惜しそうに手をほどくと肩を落として部屋を後にした。

 セルウィリアはその後姿を消えるまで目で追った。

「陛下」

「なんだ?」

「陛下、わたくし、中書令が羨ましくございます。中書令は陛下との間に他の誰にもない特別な絆を持っているのですね」

 思ったままの感情を口に出したセルウィリアを見て、有斗はため息をついた。

「・・・・・・思った通りだ。やはり、そなたにも言っておかねばならぬことがあるようだ」

「どのようなことでございましょうか?」

「・・・皇后よ、そなたはラヴィーニアと争って勝つことができるか?」

 先ほどまで眼前で繰り広げられていた君臣の仲睦まじげな光景と違う有斗の問いは、あまりにもセルウィリアの不意を突いたものだったため、即答することができず、口ごもった。

「・・・・・・・・・陛下、わたくしの覚悟を御信じください。もし中書令がどんなよからぬことを企てようとも、この身を挺してウァレリウスを守り通して見せます!」

「気概だけは立派だが、そなたでは無理だ。ラヴィーニアの謀略の前では、そなたなど赤子の手を捻るようなものだ」

「確かにわたくしひとりでは相対あいたいすることは難しいかもしれませんが、他の朝臣たちの力を借りれば、いかな中書令といえども立ち向かうのは難しいのではありませんか?」

「いかに朝臣たちを味方につけたとしても、あの者ならばそなたの気づかぬうちに切り崩して与党を形成し、万全の体制を敷いたうえでそなたを倒そうとするであろうよ。かつて余に対して行ったようにな。深窓の姫君だったそなたでは、はなから相手にならぬ」

「・・・・・・はい」

「だが逆に味方にすればこれほど心強い者はいない、それも分かるな? あの者は出世や金銭に興味を持たぬ。そなたが道を過たぬ限りは味方をしてくれるはずだ」

「ひょっとして・・・陛下は何かあったときにウァレリウスに味方させるために、中書令を太傅に任じたということをおっしゃりたいのですか?」

「そうだ。さらに言えば、朝臣たちが何か企むときに中書令を味方に引き入れないようにするのが目的でもある。ラヴィーニアを中書令から外し、朝廷から少し遠ざければ、朝臣たちはラヴィーニアが政務から離れたと感じる一方、同時にそなたやウァレリウスの側に取り込まれたとみるだろう。仲間に引き込もうとは思わぬし、警戒して迂闊に動こうとはせぬ。それは梨壺も同じだ。ラヴィーニアが企てに加わらぬ限り、どのようなことを企もうとも成功することはあるまい」

「陛下・・・病床の中でも遺されるわたくしたちのことをお考えになってくださっていたのですね」

 セルウィリアは有斗の深慮遠謀に感心すると同時に、感動した。

 有斗は己が死んだ後も、セルウィリアと我が子を守ろうとしているのだ。

「全てはそなたとウァレリウス・・・そして何よりもアメイジアのためである」

「陛下は中書令を本当に信頼なされているのですね。素晴らしい君臣関係です。・・・そして羨ましい」

「皇后よ、そなたは何か思い違いをしているようだな」

 有斗は強い意志を宿した目をセルウィリアに向けた。

「余は一度たりとも中書令を信頼したことはない」

 おおよそ有斗にふさわしくない言葉が突然飛び出したことでセルウィリアは飛び上がらんばかりに仰天した。

 だってそうではないか。有斗はアエティウスやアリアボネ、アリスディアやアエネアスやヘシオネ、そしてラヴィーニアやセルウィリアと、その時々によって異なりはしたものの臣下と友の間くらいの近しい者たちを信頼し、一緒になって政治をしてきたというふうにセルウィリアは見ていた。

 ラヴィーニアだけがその例外であるとは思えない。ならば自分も信頼されたことがないのであろうかと思うのも当然である。

「何を不思議に思うことがある。王は他人を使役することはあっても、他人に頼ってはならぬのだ」

 確かに昔の有斗はそうではなかった。それはまさに幸せな時代、美しい思い出である。

 だがこうも思うのだ。頼り切っていたが故、王として甘えていたが故に、彼らに過度の負担をかけてしまい、アリアボネやアエティウスやヘシオネは死んだのではないかと。あるいはアエネアスやアリスディアもそうであったのではないかと。

 有斗が立派な王であったら、彼らを誰一人失うことなどなかったのではないかと。

 王は誰にも頼らず、誰とも親しまない。

 本当の王というものはそういうものなのである。王は孤独なのだ。

 元来、王の一人称は孤であった。ゆえに孤独とは本来、王が置かれているその悲しい姿を現すための言葉なのだ。

「王位には正式につかぬとしても、ウァレリウスが成人するまでは、そなたは紛れもなく王なのだ。決して他人を信じて頼るな。だが用いるからには、信じて用いよ。信じて用いれば、中書令はそなたの期待に違わぬ働きをするであろう」

「・・・・・・」

「そしてまだ思い違いをしているようだから、言っておく」

「なんでございましょう?」

「余がウァレリウスを世継ぎと決めたのは何故だと思う?」

「もちろん、王の最長子の男子であるからですわ。祖法で決められておりますもの」

「それはあくまで表向きの理由にすぎぬ」

「表向き?」

「余がウァレリウスを世継ぎとしたのは、余の長子であって祖法に適し、なおかつ正妃のであるそなたの子で、高祖の血も引くという誰の目から見ても文句のつけようのない後継者だからだ。余の子だから、あるいはそなたの子だからということで無条件に後継者になったわけではないぞ」

「同じことではございませぬか?」

「そなたは祖法に定められているから、と言った。余は一番争いの起こる可能性が少ないから世継ぎと定めたと申したのだ。アメイジアの生まれであるそなたには分らぬかもしれぬが、余は祖法を守るよりも、もっと大事なものがあると思う」

「陛下、それはなにでありましょうか?」

「この余を再び戦国の世に戻さぬことだ」

「それはわたくしにも分かっております」

「・・・・・・そうかな? 皇后よ、セルウィリアよ。これから話すことは決して他言無用だ。廷臣や女官だけでなく、ウァレリウスにもラヴィーニアにも未来永劫話してはならぬ。ひとたび耳にしたのちは、そなたの腹の底深くに沈めて、決して口外してはならぬ」

 そう言うと有斗は周囲をもう一度確認したうえで、セルウィリアを手招きした。

 よほど外に漏らしてはならぬことだろうと了解したセルウィリアは無言で頷くと、有斗の口側に耳を寄せた。

「もしウァレリウスが暗愚で、とても国政を任せきれぬ、このままでは乱世になると判断したならば、そなたの手でウァレリウスを殺し、ステファノスを王位につけよ」

 有斗の声は低く小さかったが、その内容は余りにも深く、そして衝撃的なものだった。

「・・・・・・!!!」

「もしステファノスも王にふさわしくないとあらば、これも除き、アレクシオスを王位につけよ。アレクシオスも同様である。アレクシオスも愚鈍とあらばこれを殺し、ウェスタの腹中の子が男子であればこれに継がせ、女子であればオフィーリアに継がせよ」

 絶句するセルウィリアを他所にして有斗は話を続ける。

「何よりも肝要なのはようやく手に入れた太平の世を戦国に戻さぬことである。それは我が子の命よりも重いことなのだ。もし我が子でなくても天下が平らかに治まるというのならば、王位を継ぐのは我が子でなくてもいいのだ。その道理は分かるな?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「返事はどうした?」

「・・・承りました」

「何も余もそういった未来を望んでいるわけではない。そうならぬようにくれぐれも王子たちの、特にウァレリウスの教育には気を払え。甘やかすことなく勉学にいそしませ、厳しくしつけよ。くれぐれも悪友を近づけてはならぬ。何事も天下のためである。戦乱の世に戻して民に迷惑をかけてはならぬ。今のアメイジアには少しでも長い平和な時が必要だ」

 セルウィリアは強く頷くことで有斗に同意を伝えようとした。

 その想いは伝わったのであろうか。有斗は目を閉じると深く長嘆息した。

「思えばあの子らも哀れである。余の子として生まれたばかりに、兄弟喧嘩一つまともにすることもできぬ」

 二人の喧嘩はセルウィリアやウェスタなど、その後ろにいる人々の様々な意図が絡んでくる。単なる子供の喧嘩であっても、前漢の呉楚七国の乱のように大きな反乱の遠因とならぬとは言い切れぬのである。

 その述懐には有斗の深い悲しみが込められているような気がした。

 だからセルウィリアは一瞬、心の底に浮かんだことを尋ねたいという強い衝動に駆られた。

「陛下・・・陛下は・・・・・・?」

 だがセルウィリアが全てを問いかけるより早く、有斗が別の言葉を発し、聞く機会を失った。

「一つ、伝えておきたいことを思い出した。悪いが中書令にもう一度来るように命じよ」

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