第433話 遺命(Ⅰ)
有斗はセルウィリアとラヴィーニアとで話し合った末、正式に朝廷に不予であることと、行幸を中止して王都に帰還することを告げることにし、早馬を走らせた。
そしてすぐさま宿所を払って、逃げるようにモノウを後にした。
少しでも有斗の苦痛を和らげようと、セルウィリアは巡幸速度を緩めるよう幾たびも進言したが、有斗は頑として聞き入れず、一行はまるで軍旅であるかの如く一日一舎の距離を崩さなかった。
だがその無理がたたってか、有斗の症状は日一日悪化し、ついには病床で座位を取ることもできなくなっていた。
だがとにもかくにも命のあるうちに、東京龍緑府へとたどり着くという当初の目的は達成することはできたのである。
王の帰還とあらば、その行列は美々しく着飾られ、民に王の威信を見せつけるために堂々と羅城門より入り、朱雀通りを王城まで行進するものだが、わざと大回りをして西北の開遠門から入府し、ひっそりと人目を避けるように内裏へと姿を消した。
「陛下!」
王の帰還はすぐさま告げられ、心配した女官たちが駆けつけた。その中からウェスタが臥したまま運び込まれた有斗に近づき、心配そうな表情で覗き込んだ。
「おいたわしや」
起き上がりもしない有斗の、やつれた顔を見てウェスタは涙ぐんだ。
「そなたは大事ないか」
「はい、お腹の子も順調に育っております」
「それは
有斗はウェスタから目を逸らすと、
「亡くなる前に言い残しておきたいことがある。早急に百官を集めよ」
言い放った言葉の重さに近侍の者は慌てふためき、ウェスタは腰を抜かさんばかりに驚いた。
清涼殿の執務室に
三公以下、主だった官吏は地方にいる者を除き、非番の者も含めて全て呼び出され、その場に集められた。
本来ならば王が百官に引見するといった用途には紫宸殿が使用される。だが紫宸殿は外側はそれらしく見えるものの、有斗が来た時には既に荒廃が
もっとも例え紫宸殿が使えたとしても、動座もままならない有斗の体調を考えれば、紫宸殿で謁見を行うことはできなかったであろう。
が、有斗の執務室は紫宸殿と違い狭い。部屋に入れたのは殿上人のみで、ほとんどの者は廊下に溢れ出る格好となった。
とはいえ、今回、百官をわざわざ招集したのは有斗の言葉を一人でも多くの者に聞かせておくことが目的である。王の権威や官吏の面子といった面を考えれば、本来は好ましくはないが、王の体調を考えればやむを得ない仕儀であろう。
有斗は集まってきた高官たちの顔を一通り見回して目を合わせると、いきなり本題を切り出した。
「もはや余命
この場に集まるような者は有斗が
「そのような悲しいことをおっしゃいますな」
「遺命と言わず、陛下のお言葉であれば、何に代えましても必ずや果たします」
それが心からの言葉なのか追従かは分からない。幾分かは本心が混じっていればいいが、と有斗はまるで他人事のようにそう思った。
「余が
「承りました」
「なおウァレリウスは幼少ゆえ、成人するまでは皇后セルウィリアをもって後見役とす。セルウィリアは成長した後は、速やかに権をウァレリウスに返すべし」
セルウィリアは沈痛の面持ちで有斗に
「非才の身ですが、ご下命とあらば、お受けいたします」
「百官は幼少のウァレリウスと後見のセルウィリアに対しても余と同じように、表裏別心を抱かずに忠誠を誓って欲しい」
「承りました」
有斗は顔の向きを僅かに変え、ウェスタに目を合わせた。
「ステファノスはイェレナと婚約させよ」
「・・・・・・・・・?」
ウェスタは傍目にもわかるほど困惑した表情を浮かべた。彼女だけではない。聞きなれぬ名前にセルウィリアや三公以下、全ての官吏が戸惑い、場がさざめきあった。心当たりがないのだ。有斗がどういった考えから、名も知らぬ女を二の宮の婚約者としたのか様々な考えがその場を
「陛下、イェレナとはいったいどなたですか?」
「テイレシアの亡き兄には一女がいた。その孫に当たる娘だ」
ウェスタはそれだけではまだ合点がいかぬのか、僅かに首を
「オーギューガの血を引く娘と言うことですか?」
「そうだ。ステファノスは成人後にその娘と結婚させ、メデヴツァとキュスタンディルの地を与え、これに梨壺が領有するベルメットの地を加えて、もってオーギューガ公となす。王家の親藩として東国の鎮となれ。由緒あるオーギューガの祭祀を絶やしてはならぬ」
「まぁ!!」
ウェスタは傍目にもわかるほど目に喜色を浮かべた。それもそうであろう。後の余にはバアルやガニメデのほうが武人として名高くなったが、この時代に生きる全ての部門の憧れはテイレシアとカトレウスである。ウェスタとて武人の端くれ、その縁に連なるなら光栄なことだ。
それにウェスタの所領は大きいとはいえ所詮は伯である。順当にいけばステファノスがその所領を継ぐ。セルウィリアの産んだ子はこの国の王なのに、腹を痛めた我が子が一地方伯では余りにも口惜しい。だが、これが公ともなれば王弟としての最低限の形はつく。少しは我が子が王になれなかった溜飲も晴れようというものだ。
「次にアレクシオスだが・・・これも成人後はダルタロスの地に封じ、王家の親藩として南部の鎮とせよ」
南京南海府でそのことをすでに耳にしていたセルウィリアは淡々とその言葉を受け入れた。
「承りました」
兄がオーギューガ公ならば弟はダルタロス公、ここまではまずは順当な遺言に思えた。だが、次いで有斗が続けた言葉に百官は驚きを隠せずに、場が再びざわめいた。
「オフィーリアだが・・・」
話の流れからオフィーリアもどこかの領主に任じるのであろうかと百官は驚いたのだ。ウェスタや、かつてアエネアスを封じようとしたように女性を封建する例は無い例ではないが、姫御子を封建するのは異例中の異例だ。なにしろ軍役や領民統治、時には汚れ仕事もやらねばならぬ諸侯というのは並大抵でない胆力が要求される。深窓の姫君には酷な仕事なのだ。
だがそれは杞憂であった。
「王都にいるアミュンタスという者を学友にし、ゆくゆくはその者に
「そのお方も存じ上げませぬが・・・どこぞの高名な一族の出でもありましょうか」
「
「吏部・・・・・・書生の子!?」
ウェスタは失望で口を半開きにした。正気かと思ったのだ。無理もない。書生ならば四等官ですらないし、官位も良くて正八位下、王の娘の相手としてはあまりにも身分が低すぎる。
もちろん本人の才覚が優れていて、先々の出世の見込みが望めるというのならば話は別だが、まだ幼いオフィーリアの相手ともなれば相手も若年で賢愚も定かではあるまい。
「本人の官位は低いが、実直で癖のない男だ。・・・しかも、先祖は西朝の懿王であり、セルウィリア、ウァレリウスに次ぐ関西王家の継承権を持つ。これ以上の相手はそうはおるまい」
再びウェスタは目を輝かせた。この婚約は三人の男の子に万が一の事態が起これば、オフィーリアに王位を継がせるための布石だと有斗の意図を正しく読み取ったのである。
すまわちオフィーリアはもとより、それより継承権の高いステファノスやお腹にいる子も含めて、ウェスタの血を引く者が王位を継承する可能性から一切省かれたのではないということを
ウェスタは言葉にならない喜びで頬と鼻孔を膨らませた。
たまらずにセルウィリアが有斗に問いただした。
「陛下、陛下、わたくしのウァレリウスやアレクシオスのお相手はどなたをお考えなのでしょうか? お考えをお聞かせくださいまし」
さぞかし名のある血筋の娘や建国の元勲の子女の名前が出てくると思ったのに、返ってきた有斗の返答はつれなく、セルウィリアを憤慨させるものだった。
「アレクシオスは産まれたばかりで相手がおらぬ。ウァレリウスに感じては、深く考えたのだが今は適切な者が見当たらぬ。皆の意見を聞きつつ、そなたの判断で決めるがよい」
ウェスタがどことなく勝ち誇った視線を向けてきたことに気付いたセルウィリアは、頭に血が上るのを感じた。
そのためにセルウィリアはしばらく言葉が耳に入らなかったらしい。有斗が話した言葉を少し聞き漏らした。
「皇后よ、聞いておるか」
有斗が自分に目線を向けていることに気付くと、慌てて容儀を正した。
「あ、はい」
「皇后は王の後見役となるが、王ではない。そこを忘れぬよう」
「心得ております」
「ウァレリウスが成人するまでは、もちろんそなたが政治の全権を持つことになるが、実際の政務はなるべく朝廷に任せ、朝廷が道を過とうとする時に管理監督するだけにせよ」
「承知いたしました」
「となれば朝廷の果たすべき役割は重要だ。三公が欠けていては舵取りも難しかろう。余の喪が明けた後に内府ステロベを右府に進め、開いた内府にはラヴィーニアを任じ、中書令には中書侍郎クティストをもって、その任に充てる」
その場にいた官吏でこれに驚かなかった者はいなかったと言ってよい。ラヴィーニアが数いる亜相を越えて内府に任じられたことにではない。およそ官吏に任じられた者でラヴィーニアが果たした功績とその実力を知らぬ者はいない。他の官吏全て合わせたものと比較しても、ラヴィーニアの功績と実力が上回ると言ってもよい。そのことは誇り高い官吏たちと言えども認めざるを得ない事実だった。
人心の最高位、左府マフェイをも一足飛びに越えて、
しかも有斗の御代において朝廷は王の諮問機関であり、政務の実行機関ではあるが、政策立案機関では無かった。それは王と僅かな側近で決められ、中書令を介して朝廷に命じられる形となっていた。言ってみればラヴィーニアが任じられていた中書令は官位こそ低いものの、三公の上に君臨する存在だったのだ。
そこから外し、官位こそ上がるものの朝廷という枠の中に組み込まれる形の今回の任命に、王の何らかの意図を感じないというのはむしろ鈍感に過ぎるであろう。
当の本人であるラヴィーニアも文句こそ言わなかったが、不満げな表情は隠せなかった。
「
今度の言葉は更に意味深長だった。
六尺の孤とは『可以託六尺之孤、可以寄百里之命。臨大節而不可奪也』という論語の一節である。
これは一体どの様な人物が君子であるかという問いに対して、曽子が答えたものである。
「死に望んで幼い遺児を預ける事ができ、国政を任せる事ができ、重大な時に臨んでも節を
すなわちラヴィーニアがそれほどの人物であり、後事を託すのに相応しいと評した言葉であった。
だが王子の教育係は名誉こそあるが実際の政治とは程遠いところにある。実験は無いに等しい。才能と実績のあるラヴィーニアを重職から外す、有斗の意図を探り切れないため、官吏たちは王の死後、政治がどういった方向に動こうとしているのか分からず、憂色を浮かべた。
官吏たちの憂いを余所に、有斗は最後に大臣二人に短い委託を残した。
「余の死後、動揺するであろう官吏の抑えは左府に、軍の抑えは内府に任せたい」
「御意」
「お任せください」
左府マフェイと内府ステロベはそれぞれ力強く
「百官は各々が職分を果たし、吏務に遅滞なきよう頼む。それから、少し葬儀のことについて話したき議がある。皇后と中書令は残れ。以上だ」
狭い場所がら、百官を退出させるのに小一時間もの時間が必要だった。その後、有斗はその場に残った女官たちも、尚侍グラウケネさえも含めて退出させると扉を閉じさせ、セルウィリアとラヴィーニアと三人だけになる。
「不満そうだな」
有斗はラヴィーニアの顔に不満の色を見て取ると目を閉じ、ため息をひとつついて、そう言った。
「別に」
「そなたとは少し話しておいたほうがよさそうだ」
有斗が葬儀の為と言ったのは題目に過ぎなかった。実は他に他人に聞かせたくないことで、話しておきたいことがあり、二人をこの場に残したのだ。
有斗は突然、話題を変えた。
「余は王都への帰路の間、ずっと悩み続けていたことがある」
「何をですか?」
「そなたに死を命じるか否かと言う難題にだ」
その言葉に反応したのはラヴィーニアではなくてセルウィリアだった。
「陛下!」
セルウィリアの声は半ば悲鳴のようだった。
「いけません! それだけはいけません!!」
何かと小うるさいラヴィーニアは王にとっては正直煙たい存在であろう。それはセルウィリアも感じることが多く、理解できる。
そして有斗の最初の想い人であるセルノアを失った原因はラヴィーニアが企んだ陰謀にある。その責を取らせるために死を賜うということに不思議はないという考え方もできよう。
だがラヴィーニアは乱世を終わらすにあたって大きな役割を果たした。国家にとって大恩人でもあるのだ。
王が賞罰を行うには時と場合というものがあろう。これほどの功績を立てたのに今になって、ことさら過去の
セルウィリアは有斗を絶対に止めなければならないと思い、声を上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます