第431話 南部巡幸(Ⅱ)

 翌日、巡幸の列は予定通りに南京南海府に入城した。

 今も南京南海府が南部の中心都市という地位にあることは議論の余地が無い。

 だが乱世が治まったことで戦国以前の繁栄を取り戻すのではという南部商人の期待とは裏腹に、復興再建に沸き、王都としての存在感を急速に増していく東京龍緑府とは真逆の侘しい景況であった。

 その理由は戦国以前と異なり、東京龍緑府へ集積される西国からの物資は西国街道を、東国からの物資は大河を使って運ばれるようになり、そのどちらの流通ルートからも外れた南京南海府は、単なる南部の中心都市にすぎなくなったからである。長年のあるじで、経済に深い理解のあったダルタロス家の移封という不幸な要因もあった。

 結果として南京南海府から東京龍緑府へと多くの商人が鞍替えすることとなり、街中もどことなく廃れたという感覚は否めなった。ダルタロスの治世を知る者には寂しさを感じさせたものである。

 だが、その日の南京南海府はアエティウスの統治下にあった頃のように、いやそれ以上に街路に人が溢れ、賑わいを見せていた。

 それは王が南部に来ると知った民衆が、一目その姿を見ようと周辺近郊からこぞって来たということであり、また有斗がかつて自分と共に北伐に参加し、その後何らかの理由があって地元に帰った者や、その家族を王命をもって呼び寄せたからでもある。


 前にも説明したが、南京南海府の城は南向きの高台の段丘を利用した、幾重もの階段状に作られた宮殿である。

 その一段目は城壁を挟んで市街地と接し、兵の駐屯あるいは閲兵式に使われることもあるため石畳を敷き詰めた広大な広場になっており、その日は有斗が今回の巡幸のために呼び寄せた兵士や元兵士とその家族の為に万を数える宴席が設けられていた。

 そして一段目と二段目の間は幅の広い長大で高い階段となっており、二段目の宮殿の前に皆を見下ろす形で有斗とセルウィリアの席が設けられている。

 冒頭で有斗が軽く挨拶を行い、酒宴は始まった。

 主客であるプロイティデスやベルビオに始まって、ダルタロス移封後もこの地に留まった有力者や村長といった面々から順次挨拶を受け、それに対して有斗は機嫌よく応対した。

「久しぶりに顔を見れて嬉しい。そちは四師の乱の後、アエティウスらと行動を別にして南部へ戻ったと聞いたが、その後はいかが暮らしておる? 達者か?」

「陛下の御威光を持ちまして」

「それは結構なことだ」

 事件が起きたのは、その最中にである。

「冗談じゃねぇ!!!!」

 そう大声で叫ぶと、末席の方で座ったまま両手を使って男がにじり出た。

 晴れの場に水を差すような男の行動に近くの者は慌てて男の身体を掴んで止めようとし、遠くの者は何事が起きたのかと好奇の視線を男に集中させた。

「見ろ、俺の身体を!」

 そう声を荒げて裾をめくった男の足は両膝から下が失われており、よく見ると裾を掴んだ両手の指も何本か欠けていた。

「何が結構なことだ! あの凄惨な堅田城のいくさで俺は戦傷を負った。戦場でどんな敵にもひるまずに戦った俺が、今じゃ村の者から蔑みの目を向けられ施しを受けて何とか暮らすしかない、それのどこが結構なことか!?」

 明確に王の言葉に異議を唱えるかのような男の言葉に驚いた者たちは男の口を塞ごうとした。酒の場とはいえ、許されることと許されないことがある。

「よせ!」

「陛下の御前だ。騒いでどうする。命が惜しいのか!?」

 だが男は周囲の者の忠告を耳に入れず、ますます感情を高ぶらせ暴れ続けた。

「うるさい! そういうお前だって弟が死んだんだろうが!? お前だって従兄が河東で討ち死にした! それだけじゃない。生活苦で首を括った家族を・・・娼婦に身を落とした娘を見なかったというのか!? それでも黙っていろというのか!?」

「下がれ! 陛下に無礼だぞ!!」

 大きな影が音もなく忍び寄り、暴れる男の襟首を掴み乱暴に席に引き戻した。そんなことが可能なのは限られた一握りの人間しかいない。ベルビオである。

 ベルビオの名誉の為に言っておくが、これは王への非礼を咎めたという一面もあるが、その場で手打ちにされないように頭を冷やさせようと引きはがしたのである。仲間想いの男であった。

 だが乱暴に地面にたたきつけられても男は正気に戻ることなく暴れ続け、ベルビオのその隠れた好意を台無しにした。周囲の者が慌てて取り押さえにかかる。

「よい、手を離してやれ。その者の言うことももっともである」

 いつの間にか近づいていた有斗が至近距離から声をかけた。周囲の者も王を間近にして手を放し、平伏した。王に話しかけられたことで、その男もようやく落ち着きを取り戻したのか暴れるのをやめた。

「よくぞ話した」

「・・・・・・・・・」

「すまぬ。辛い思いをさせていた。余に手落ちがあった」

 有斗は親しみを表すようにわざわざ肩に手を当て、言い聞かせた。

「そなたに二町の公田を給付しよう。人を雇って耕させ、その収穫で暮らしていくがよい。また生涯、免租を約定しよう。村の者はこれまで同様、この者を助けてやって欲しい。この者は国を救った英雄の一人なのだ」

「良かったな」

「陛下にご感謝を申し上げろ」

 周囲の者たちが口々に慰めると、そこまで無理をして意地を張っていたのであろう、男は口を真一文字に結んで言葉にならない呻き声のような嗚咽を漏らし、地に突っ伏した。

 有斗はその男から視線を外し見回すと、集まった全ての者に聞こえるように大声を出した。

「皆に言いたいことがある。余は最近、ふとしたことで考えることがあった。こうして余は美しい妻を得、子宝にも恵まれ、玉座に収まって何一つ文句のつけようのない暮らしをしているが、余の志に応えて共に南部を出、数多の戦場を駆けた者たちは今、どう暮らしているのであろうか、と」

 皆が皆、有斗が何を言い出すのであろうかと固唾をのんで見守った。

「確かに余の周囲には今も多くの南部の者がいる。その者たちは朝廷、あるいは羽林や王師の兵として立派に立身出世を遂げている。だがここにいない者はどうしているのだろうか。余が美衣を着、美食に囲まれている時に、寒い屋外で凍えた身体を震わせ、一椀の粥にすらありつけぬ、そんな暮らしをしてはおらぬだろうか」

 そう言うと有斗は突っ伏したまま泣いている先ほどの男に視線を落とした。

「あるいはこうも思った。アエティウスやアエネアスのように志半ばで命を落とした者も大勢いる。大事な者を失った、その者たちの家族は悲嘆のうちに暮らしていないだろうか」

 有斗がアエティウスやアエネアスの名前を口にした時、僅かに声を震わせたことに明敏に気付いた、ごく少数の者は釣られて涙ぐんだ。彼らにとってその二人が特別な存在であったというだけでなく、王がまだ二人のことを忘れていないことが嬉しかったのだ。

「余は天下統一を志したのは善人が理由なく悲劇に見舞われる、荒んだ乱世を終わらせるためだ。決して余が今の生活をするためでは無い。それを考えれば、余はその者たちになにかしら償いをせねばならぬと思う」

 そう言って有斗が彼らに提示したものは、まさにこの時代において破格の待遇だった。

「だからこの者だけではなく、余と共に南部を出て戦った者全てに暮らしが成り立つよう、朝廷から給田を行い、生涯、租税を免除することとする。また戦死した者に配偶者、親、あるいは子が残されていれば、その者の代わりに同じ特典を与えよう」

 有斗がラヴィーニアや三公の反対を押し切って、巨額の予算を捻出したのはこのためだったのだ。そもそもが単なる南部の巡幸だけであったなら、三公全てが反対することもなかったであろう。

 その言葉を聞き、その場は驚きのため一瞬の静寂に包まれたが、間もなく地響きのような歓声に沸いた。

「ありがとうございます!」

「本当に陛下は慈悲深いお方だ」

「陛下、ありがとうございます!」

 感謝の声が降り注ぐ中、有斗は階段を登って自席に戻り座ると、改めて民に向き直った。

「他に何か余に言いたいことは無いか。もちろん、余とて全てを叶えられるとは限らぬが、言いたいことがあれば言うが好い。南部の民は、こういう時でもないと余に陳情もできぬであろう。余もこの機会に民の声を直に聴きたい」

 この言葉に同行している数少ない官吏たちは苦虫をかみつぶしたような顔になった。

 こういうものは前もって官吏に内意を伝えておき、実現可能な案を持ち寄って諮った上で決定された事項を、これまたあらかじめ決められた民衆の代表の口から言わすというのが習わしである。

 王の不可謬ふかびゅう性を守るためには口に出したことを必ず実現する必要があり、根回しを行って物事を進めなければならないのである。

 本当に最近の王の気まぐれにも困ったものだ。

 といっても随伴の官吏は卑官ひかんが多く、おいそれと王に諫言かんげんするような勇気のある者は現れなかった。

 と同時に、後難を恐れてか王に対して軽々に願いを口に出す民も現れなかったのである。

「おらぬのか? 些細なことでもよいぞ。祝いの場である。何を言ったとしても、それをもって咎めたりはせぬ」

 有斗がそう言って促したこともあったせいか、長老たちが顔を見合わせ小声で話した結果、一人の老人が進み出てぬかづいた。

「ダルタロス家がこの地より去って十年が経ちます。できますれば新しい御領主様を任じていただけないものでしょうか」

 悪い役人がいて罷免してほしいだとか、道を直してほしいだとか、農業水路を作って欲しい、あるいは単純に先ほどの傷痍兵しょういへいのように暮らしが苦しいといった、個々の生活に直結するような要望が来るのではなく、意外な言葉が口から出たことに有斗は少し驚いた。

 しかも周囲の反応を見る限り、その古老の願い出たことは、どうもその古老一人だけの想いと言ったものでは無さそうだった。

 有斗がすぐに返答をしなかったことを、その願いを聞き遂げるのが難しいからであると官吏たちは勘違いした。

「南京南海府を王領にしたのは陛下の御深慮あってのことだ。ご政道に対して批判するのも同じことである。下がれ」

 そういって声を荒げたのは右少史である。諸侯の任免は功績や地域のパワーバランスなど複雑な事情を総合的に判断して朝廷が行う大権である。民の願いをいちいち聞くなど以ての外であるということも思ったのだ。

「よい」

 だが有斗は気分を害した様子を見せず、かえって右少史の方を制して、直々に問い質した。

「王領のほうが租税が安く、暮らしが楽であろう、それでも諸侯の支配を受けて暮らしたいのか。詳しく理由を聞かせよ」

 真実である。ごく一部の諸侯を除いて王領のほうが租税率は低い。これは税率を高くして逃散や反乱を起こされては朝廷の面目が丸つぶれになるということや、広大な土地を支配する朝廷が諸侯に比べて小回りが利かず、税率を時々に合わせて細かく調整できないといったことが理由として挙げられる。

「我らは先祖代々ダルタロス家の庇護を受け生きてきました。正月にはお城にお招きいただき、ご挨拶いたすなど、累代の領主様からは家族のように扱っていただいたものです。しかるに王領になってからは、数年おきに中央からお偉い官吏の方が来ますが、顔も見ることもございませぬ。また何かの機会にせっかく親しくなったとしても、すぐに任期とやらでいなくなってしまいます。寂しいことです」

「確かにそうかもしれぬが、暮らし向きは今より大変になるかもしれぬぞ」

 諸侯も良い人間ばかりではないし、領主も慈善事業をやっているのではないのだ。例えアエティウスのような良い領主であっても飢饉や災害の時には心を鬼にして税を取り立てることもあるだろう。

「かまいませぬ。我ら南部に産まれた者は心の結びつきを大事にしたいのです」

 その答えに有斗は感心し、何度も頷いた。

「いかにも情の篤い南部の者の言葉である。殊勝な心掛け、褒めて使わす」

「有り難きお言葉、一生の誉れといたします」

 今にも言質を与えそうな流れを見て、官吏たちは狼狽うろたえた。

「南京南海府を王領に組み込むのは天下安定の一方策としての陛下のお考えだったはず。ぜひお考え直し下さい」

「それについて余は忘れたわけでは無い。安心いたせ」

「どういうことでございましょう。ぜひ私たちにも陛下のお考えをお話しください」

「南京南海府は三都の一角で、これは諸侯に渡すことは許されぬ。だが元来のダルタロス領ともなれば話は別だ。王領にしなけねばならない特段の事情があるわけでは無い」

 官吏たちが困ってる様を見て、セルウィリアが助け舟を出そうと口を挟んだ。

「ですがダルタロス領と言うことになれば公・・・あるいは伯であっても、それなりの大きさになりましょう。軽々に功無き者を封じるわけには参りますまい。陛下は、どこかの諸侯の移封をお考えでしょうか?」

 旧ダルタロス領から南京南海府一帯を除き、ベルビオやプロイティデスらに封じた土地を更に除いたとしても、残った土地は広大で、これに新たな領主を封じた場合は既存の他の諸侯らを納得させるだけの材料が無いと議論が巻き起こることは必至だ。

 となれば同じくらいの諸侯を移封させるのが考えとしては手っ取り早い。だが同じくらいの諸侯と言ってもそうそういないものである。しかも移封には何かと金がかかる。首を簡単には縦に振らないであろう。

 そこの調整が必要で、一筋縄ではいかないであろうことをセルウィリアは不安に思ったのだ。

「懸念いたすな。それに関しては余に以前から腹案がある」

「どのような?」

「余は先年、三の宮を得た。その子は余に似ず男前でな。その子の顔を見た時、余はアエティウスやアエネアスの顔を思い出した。彼らが生まれ変わって余の下に戻ってきたような思いを・・・偶然とは思えぬ運命を感じたのだ。その子が長じたら必ずやダルタロスの領主として任じよう。これでどうだ?」

 この一言で反対意見を持つ者は霧散した。

 普通の場合なら大封を与えるのには誰の目にでも分かる大功、すなわちアエティウスやヘシオネのような、が必要だが、王の子ということになれば話は別だ。誰からも反対される理由はない。

 特に我が子が諸侯に封じられることになったセルウィリアは人一倍喜びを見せた。

「陛下、ありがとうございます」

「ベルビオ、プロイティデス、その時はその子を補佐してくれよ」

 これは二人が将来的に王の直臣ではなく、新しく任命されるダルタロス公家に組み込まれることを意味し、諸侯としては格が下がることになる。

 普通ならば無条件には受け入れかねぬ提案である。

 だが二人は有斗の背後に潜むダルタロスへの深い想いというものを感じ、断らなかった。

「陛下の御期待に沿えるよう、努力いたします」

「俺に任せてください!」

 二人の返答に有斗は笑みを浮かべると高々と盃を掲げた。


 有斗は一旦中断された挨拶を全て終えると、並べられた料理に口をつけたが、ふと箸を止めた。

「あれはないのか。こういう祝い事にはつきものだと聞いていたが」

「あれとは・・・何でございましょう?」

「これくらいの・・・」と有斗は両手で握るような仕草を見せ、ピンポン玉ぐらいの球を作って見せた。

「丸い餅で、南部だと祝い事には必ずつきものの餅があっただろう? あれはないのか? たしか南部餅とか言ったか」

 有斗は薄らいだ記憶の中から、一度だけ聞いた目的の名前を探り出した。

「南部餅・・・あることにはありますが」

 ないわけではない。祝い事と言うことで子供たちに出すために準備はしていた。だがもとより質より量といった類の食べ物であるし、王の料理ではないので給仕係では無く、南海府の役人や民の手伝いで作られたため、とても王に出せるような料理では無い。

 給仕長の困惑を他所に、有斗は満面の笑みを浮かべて命じた。

「やはりあるのか! 持ってくるがよい」

 そう口に出された以上、命令であるから拒否することはできない。王の口にとんでもないものを入れたということで給仕長は文字通り首が飛ぶことまで覚悟しつつ、腹を括って王の前に高々と餅を積み上げた杯を置いた。

 給仕長のひやひや顔を他所に、有斗は小鉢に移された餅を一つ、無造作に口に入れた。

「うむ、うまい」

 その言葉に給仕係は内心、腰が砕けんばかりに安堵した。

「ではわたくしも一ついただきます」

 有斗があまりにもおいしそうに食べるものだから、興味をそそられたセルウィリアも箸で餅を摘まむと口に運んだ。

「う・・・・・・?」

 セルウィリアは口で噛むのをやめ眉を僅かに動かした。南部餅は民間の祭りで出される素朴な餅であり、いつもセルウィリアが口にするような、もち米で作られた上品な餅では無く、当然砂糖なども不使用で、甘みもあるが、どちらかというと原材料に由来する苦さがはっきりと感じられる複雑な味がする食べ物である。はっきり言えばセルウィリアの口には全く合わなかった。

「陛下、これはその・・・なんといいますか・・・一風変わった趣のある味でございますね」

 口にする言葉を苦心して選び出しているセルウィリアを横目に見ながら、有斗は餅をもう一つ口に入れた。

「そうだな」

 セルウィリアは手元でこっそりと残りの餅を皿の隅に押しやると有斗の耳に近づき、小声で尋ねてみた。

「陛下陛下」

「?」

「陛下は本当にこれが本当においしいとお思いでおっしゃっているのでしょうか・・・?」

「口に合わなかったか。そうであろうな。本音を言えば、そう美味くはない。だが皆がこれを楽しみにしているのだ。余がそう口に出して言うわけにはいくまい」

 アメイジアに来たばかりの頃は味が足らないなどと陰で文句を言っていた有斗も、すっかり舌が宮廷の味付けに慣れてしまっていて、南部餅などという食い物はすっかり舌に合わなくなっていた。

「よかった」

 自分の味覚が壊れていないことを再確認でき、安堵するセルウィリアを横目に、有斗は口中に残った、さして美味くもない餅を噛みながら昔を思い出した。

 あの女はこの餅の何が気に入って、あんなにおいしそうに食べていたのであろうか。

 あるいは、と同時に思った。

 あの女も存外、本音ではまずいと思いながらも、昔の幸せだった頃のことを思い出せるが故に食べていたのかもしれない。食べていたのは餅ではなく思い出だったのだ。今の有斗がまさにそうであるように。

 「うむ、うまい!」

 そう言うと、もうひとつ餅を口に入れる有斗を見て、セルウィリアは驚きで目を見開いた。


 有斗は更にもう一つ餅を口に入れようとしたが、大勢の子供たちの目が自分に向けられていることに気付き、苦笑して餅を小鉢の中に戻した。

「これは子供たちが楽しみにしていたものだったな。余が独り占めしてはならぬ。悪いことをした。良かろう。餅が欲しい者は並ぶがよい。余が授けよう」

 有斗が餅を食べる様子を見て、指をくわえるしかなかった子供たちは、その言葉に目を輝かせて、あっという間に群れを成した。

 子供であっても油断はできないと、警備の観点からしぶる羽林将軍デケネウらを説き伏せ、有斗は子供たちを階段に一列に並ばせると、手ずから餅を取り分けて子供たち一人ひとりに配った。

 王から餅を下賜されるという珍しい出来事を子供たちは生涯忘れず、よく酒の場などで自慢の種とした。



 その後も階段の下に来る人々から有斗とセルウィリアは順次、挨拶を受けていたが、合間にある空いた時間を見計らって羽林の兵が近づき、跪いて報告した。

「陛下、例のお探しの者についてですが」

 羽林のその言葉に有斗が少し食い気味に身を乗り出すのを見て、セルウィリアは興味をそそられた。

「見つかったか?」

 この旅の中で人を探している、そう言った話を何も聞いていないセルウィリアは誰のことであろうかと不思議に思った。

「いえ。山中の風向明媚ふうこうめいびいおりで自給自足の暮らしをしており、数年前までは麓の小さな村に酒を買いに来ることもあったそうですが、ここ最近は姿を見た者もいないそうです」

「そうか」

「人手を増やして山中に分け入らせ、探索を続けますか?」

「いや、そこまですることはあるまい。ご苦労だった」

 有斗はねぎらいの言葉をかけ、兵を下がらせた。

「どなたかを探させておいででしたのですか?」

「月鏡先生と言って、アエティウスやアリアボネらの師父だった老人だよ。年齢を考えればもう生きてはおらぬかもな」

「そうでしたか・・・ですがなぜお探しに? 陛下はお会いになったことはございますの?」

「少しばかりな。あれはかつて余が南部に落ち延びた時のことであった。余の過ちを直諫ちょっかんし、乱世を終わらせたいという余の願いに対して、どうすればそれが叶うかを教えてくださったのだ。今にして思えば、余はその老人の助言に従っただけに過ぎぬのかもしれぬ」

「お戯れを。ですが、それだけの見識の持ち主なのに・・・陛下にお仕えしようとはなさらなかったのですか?」

 同じようなセリフをアリスディアも言ったことを思い出し、有斗は懐かしさに笑みを浮かべた。

「人にはそれぞれ天命がある」

「はぁ・・・」

 突然、有斗から思いもよらぬ言葉が出てきたことにセルウィリアは戸惑った。

「余が天与の人として乱世を治めたのも、アエティウスやアリアボネが命を捧げて余を助けたのも、全ては天意に過ぎないのかもしれぬ。であるならば、あの老人は余に乱世を治めるための道標を印し、余の為に教え子を残すということが天意だったのであろう。実に見事ではないか。余に仕えるまでのことはあるまい」

「得心いたしました。それで陛下はそのご老人にもう一度会いたいと思われ、お探しになったというわけですね」

「そうだ・・・だが、今にして思えば、それは過ちであった。なまじ人前に出て、余に会えば、余としては褒章を授けねばならぬし、王の手前、あの老人も受けねばならぬ。そうなれば、あの老人は褒美目当てに人を教えていた、そう事実と異なる陰口を叩く者が現れる。それはあの者の本意ではあるまい。王がわざわざその行く末を探したが、あの老人は見つからなかった。人々はいつまでも噂するであろう。あの老人は偉大な働きをしたのに褒章をもらえなかった、実に残念なことだと。この結末のほうがあの老人は喜ぶであろうよ。だからこれでいいのだ」

 王から褒章を受けるのは大きな実利もあろうが、そればかりが人の生き方ではない。違う権威の世界に生きるというのも、また一つの生き方である。違う世界から来た有斗にはそのことがよく分かっていた。

 有斗は心中に浮かんだ様々な事柄を飲み込むために、酒をあおった。


 さてこうして、有斗が南部に帰り、一番の苦境の時に助けてくれた南部の民に酬いたということが庶民にもわかりやすかったことが、今回の巡幸が後世にまで名高くなった要因である。特に子供や大衆向けの説話などでは、この後のことが朝廷の内内で済まされて外部に漏れなかったということもあって、ここをクライマックスとして終わることが多い。

 だがここではもう少し、この話を続けたいと思う。そこにこの物語の大きな主題が残されているからである。 

 それにしても、である。

 苦しい時に助けてくれる友こそ真の友というならば、成功を収めた後に、その友と富貴を分かち合うというのは物語としては美しいはずである。だが、これが歴史家の手にかかると醜悪な物語に変わるのである。

 いわく、王の天下一統の道筋で働いた者はダルタロスの、あるいは南部の者だけではない。多くの諸侯が、あるいは王師が血を流した結果、王は玉座でふんぞりかえっていられるのである。もし酬いるというのならばその者たちや家族にも同等に酬いなければ、片手落ちと言うものである。つまり結局のところ、有斗王と言う男は身近なダルタロス出身者と居心地のいい場所を作って、その中に籠り、彼らと彼ら以外とを区別していたのである。戦国乱世を終わらせたことは素晴らしいが、一国を統べるだけの大きな器量が無かったのだ。

 あるいは別の者はこう言う。そもそも租税と言うものは今を生きる民のため、未来に産まれる民の為に使うべきであって、王やその身近な一部の者の生活を豊かにする為に使うべきではない、もっと他にいい使い道があったはずだ。

 いやはや王と言うのは、どこまでも大変なものである。


 さて、宴会を終えた有斗だったが、最後までベルビオに付き合わされて飲んだおかげで足腰が定まらず、セルウィリアや女官の支えが必要なほどであった。

「ベルビオめ、あのうわばみめが。余はもう飲めぬと申したのに、無理をさせおって。余を酒で溺死させようという魂胆に違いあるまい」

 もちろん冗談である。周囲の者が止めるのも聞かずに、有斗が無謀にもベルビオと飲み比べを行ったことが原因である。つまり自業自得であった。

「陛下、お水をお持ちいたしましょうね」

「皇后であるそなたにそのようなことをさせて、すまないな」

「お戯れを。陛下のお世話とあらば、喜んでさせていただきます」

 有斗が昔のように屈託なく笑う様子を見て、セルウィリアは心から南部に来てよかったと思った。

「陛下がそのようにお笑いになる姿、久方ぶりに拝見いたしました。南部に来て本当にようございましたね」

「ああ、そうだな・・・・・・実にその通りだ」

 有斗は満足そうに椅子に深くもたれかかった。そして深く息を吐きだした。

『これで思い残すことは何もない』

 耳に入った言葉の重みにセルウィリアは思わず足を止めて振り返り、問わずにはいられなかった。

「陛下・・・今、なんと?」

 ところがである。有斗はまるで何もなかったかのように目を丸くして、セルウィリアに逆に問い返した。

「? 皇后よ、余が今、何か申したというか?」

 それは演技などではなく、心からそう思ったというような正直な顔だった。

 だからセルウィリアは思った。ただの空耳でもあろうかと。

「いえ・・・水を取って参りますね」

「すまないな」

 だがセルウィリアは後になってよくこの時のことを思い出した。そしていつも思い悩んだ末に同じ結論にたどり着くのである。有斗はやはり意識の外でこれから起こる全てのことを察していて、実際にこの言葉を口にしたのではないだろうか。


 翌朝、南京南海府を出て東に向かうはずの王の馬車は動かなかった。

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