第430話 南部巡幸(Ⅰ)

 巡幸と言ってもただの物見遊山の旅ではない。王宮の奥深くにいては見えてこない民情をその目で観察し、地方がうまく治まっているか確認するのが目的となる。

 ということから通常ならば多くの官吏が随伴するが、有斗は今回、大内記や史生などの僅かばかりの書記官以外の文官は南部へ同道させなかった。三公以下に留守の政治を任せることにしたのである。これは近々に王の裁可を仰がねばならない急務の事柄が少ないということもあったが、巡幸の予算を少なくするには仕方のないことであった。

 家族で同行を許されたのはセルウィリアだけである。まだ幼い子供たちは長旅に耐えられぬであろうと判断し、王都に残ることとなった。

 同じく同行を許されなかったウェスタが不満を示した。

「陛下、私は?」

「梨壺よ、そなたは今は大切な身の上、こたびの同行は遠慮せよ」

 この時、ウェスタは妊娠しており、産み月を間近に控えていた。

「ですが・・・」

 現在と違って旅には何よりも体力が必要な時代だ。身重の身にとっては危険が大きいことは百も承知であるが、セルウィリアが同道を許されているのに、自分だけが王都で留守居役を命じられることが口惜しいのであろう。旅の間、有斗をセルウィリアに独り占めされることに対しても嫉妬がないわけではない。

 そう察した有斗は慰めを口にした。

「巡幸はこの一度ではない。河東に向かう時には必ずやそなたを同道するであろうよ」

「まぁ!」

 そうなれば貴妃として、また王子の母として、諸侯たちに頭を下げさせて大威張りできるというものだ。故郷に錦を飾ることになるし、大いなる誉れとなろう。有斗の言葉に気をよくしたウェスタは目を輝かせた。

「父王様、わたくしも、わたくしも!」

 すると言葉を覚えてかわいい盛りの、もっともウェスタに言わせれば生意気盛りのオフィーリアも有斗の袖を掴んで、いつものようにおねだりした。

「もう少し大きくなったら連れて行こう。外の世界を見ておくのも、いい経験になるだろう」

「約束?」

 今回でないことに不満があると頬を膨らませて主張する可愛い娘の頭を有斗は優しく撫でてあやした。

「約束だ」

 そう言うとオフィーリアを膝の上に抱きかかえた。

「いずれは関西にも行かねばならぬ。北辺へ行ってザラルセンの顔を久しぶりに見てもみたい。忙しくなるな」

 有斗はよほど機嫌がいいのか、珍しく饒舌だった。

 それがセルウィリアには嬉しい反面、一方では近年、崩すことが多い有斗の体調が気がかりになった。廷臣には隠していたが、多忙を極める有斗は体調を崩すことも多く、一度など執務中に人事不省に陥ったこともあったのだ。長旅に耐えられるであろうか。


 ここまではそう問題とは思われなかったが、その後に有斗が同行させる兵員を公にするや朝野に緊張が走った。

 王の巡幸に羽林の兵が行動を共にするのは当然であるが、その数が多すぎた。しかも、それに加えて更に王師第一軍の兵を半師も連れて行く予定が組まれているのである。

 かれこれ七千もの大兵力である。ちょっとした遠征軍だ。通常の王の行脚あんぎゃにしては過剰ともいうべき数であるし、予算のために文官を減らしたという前後の話と辻褄が合わない。

 これだけの兵力が必要になる理由があると考えねばならない。

 これは巡幸のついでに南部諸侯を平らにしておこうという考えではなかろうか、朝臣たちはそうささやきあった。

 その対象となるのは先の事件で蟄居を命じられたまま処分を解かれていない、プロイティデスとベルビオがまず第一に頭に浮かぶ。

 彼らに正式な処分を下しておくのが、王や朝廷の威信というものをないがしろにされないためには必要であるという理屈はもっともらしく聞こえる。しかも南京南海府の周辺域で王領と諸侯領とが複雑な境界線を描いている現状は、土地の境界線争いや水争い、あるいは罪人が逃亡することを許すなど統治上、うまくいっていないことが多くある。王はそういった諸問題を、この機会に二伯爵を処分することで一度に解決するとお考えになったのではないか。だからこそ多くの文官を連れて行かなかったのではないか。そういった噂がさも本当のことであるかの如く独り歩きしていた。

 不穏な気配に包まれて、有斗の南部巡行は始まった。


 少し冷たくなった秋風に吹かれて、一面の田畑に稲穂がなび長閑のどかな風景の中、巡幸の一行は南京南海府に向けて粛々と進んだ。

 順路を大きく逸脱することから鼓関こそ訪れなかったものの、鹿沢城や青野ヶ原、コルペティオンなどの道々にある古戦場を有斗は訪れ、敵味方を問わず戦没者をとむらった。

 それを終え、予定通りモノウで一泊することになった有斗は、ここで二通の書状をしたため、早馬を飛ばした。

『久しく会ってないので顔を出すように』

 他愛無い内容であったが、送る相手がプロイティデスとベルビオだけということならば、噂通り両者の処分をこの機会に言い渡すつもりなのであろうかと疑いたくもなる。

「これだけでよろしいのですか?」

 今はこうなってしまったとはいえ、元々ふたりとは君臣の間に留まらない親しい関係と言って良かったはずだ。このようなそっけない書状はどこかおかしい。やはり有斗はあの後宮での事件を心の奥底では許してないのだろうか、と当事者でもあるセルウィリアは心が痛んだ。

「よい」

 有斗はセルウィリアに背を向けて言った。

「これでよいのだ」


 モノウから南京南海府への途中、進行方向に土煙が現れ、少しづつ広がった。先団から煌びやかな鎧を着た羽林が伝令として走って来、有斗の車前にひざまずいた。

「ルシュニア伯とドゥガティ伯が参ったようです」

 巡幸の一行が一団を認めるのと真逆に、王旗の姿を認識したベルビオとプロイティデスは下馬をし地面に平伏し、有斗を来るのを待った。ベルビオの顔には珍しく戦場でも見せたことのない緊張の色が浮かんでいた。

「陛下は俺らをどうする気だと思う?」

「俺に聞くな。それは陛下しかわからぬ」

「思うんだが、陛下は俺らを縛り首にするために呼び出したんじゃねぇかな」

 ベルビオは地面の砂をその大きな両の掌で握りしめた。

「ならばいっそ一太刀叶わぬまでも・・・」

 怒りで震えるベルビオの手首をプロイティデスが掴んだ。

「よせ」

「こんなことを黙ってられるか!? 王を今の地位まで伸し上げたのは俺らダルタロスの人間が血を流したからだ! こんな仕打ちを受けて我慢できるか!?」

 感情的になっているベルビオとは対照的に、プロイティデスは落ち着き払った低い声で応えた。

「そんなことをしてどうなる? 若やお嬢の死を無駄にするつもりか?」

 成否に関わらず、かつての部下が王殺害を企てたとあってはアエティウスやアエネアスの名声も地に墜ちることになるであろう。

 しかも成功したら成功したで空恐ろしいことになるのは火を見るより明らかであった。

 叛乱での王の急な死は、未だ各地にいる豺狼どもの野心を揺り動かし、戦国乱世が再び始まるきっかけとなろう。アエティウスやアエネアスの犠牲の上で成し遂げた天下一統は歴史の一瞬の輝きとして記されるだけで、露と消えるのである。

 プロイティデスの言わんとしていることを察したベルビオはがっくりと肩を落とした。プロイティデスはベルビオの拳から急速に力が抜けていくのを感じた。

「それでいい。例え俺やお前がここで死んでも、若やお嬢のしたことは残る」

 プロイティデスとベルビオの遥か前で巡幸の列は止まった。


 緊張が走った。全員が有斗の一挙手一投足を見守った。

 有斗が下す次の命令こそが、二人をどういう用向きで呼び出したかを表すことになるであろう。

 次に有斗が取った行動は、プロイティデスやベルビオだけでなく、そこにいる全ての者の想像を大きく裏切るものだった。

 有斗は何も命令を下さなかった。馬車を飛び出し、セルウィリアや羽林の兵の制止の声も聞かずに真っすぐに二人に向かって駆けだした。

 不意を突かれ初動が遅れた羽林の兵が、その後を慌てて追った。

 戦時に着ていた軽装と違って、今の王の服は古式に則ったゆかしいものであったが、決して動きやすい服装とは言いかねるものである。有斗は何度も足元を取られ、体勢を崩しながら飛び込むように二人に駆け寄った。

 あまりもの無防備な行動にセルウィリアや羽林の兵だけでなく、プロイティデスやベルビオも困惑した。

「陛下・・・どうして?」 

「そなたらの顔を見たらな。居ても立っても居られなくなったのだ」

 二人の困惑をよそに有斗は屈託なく笑った。

「元気にしていたか」

「陛下の御威光を持ちまして」

 と、模範的な回答を返したプロイティデスに対してベルビオは微妙な顔をした。今の逼塞生活を命じたのは王である有斗ではないかと言わんばかりだった。

 その素直な反応を有斗はかえって好ましく思い、もう一度笑った。

「許せ。そなたらを全く咎めだてしないとあっては、官吏に対して余の顔が立たなかったのだ」

 二人と会話する間に羽林将軍デケネウが駆け寄り、ちらりとプロイティデスとベルビオに目礼した後、有斗の前でひざまずき、地面になにやら差し出した。

「陛下、これを」

 靴である。

「おお」

 片足を上げて確認すると、確かに今の有斗は靴を履いておらず、高級な絹の足袋はすっかり土と砂で汚れてしまっていた。

「うっかり履くことを忘れていた。どうりで足の裏が痛いわけだ」

 有斗ははにかみながら靴を履いた。 

 自分たちと一刻でも早く会いたいと思うばかりに靴を履くことすら忘れてしまったのだと気付いたベルビオは体が震え、有斗の面前で身体を丸め、額に砂が付くほど平伏した。

「すみません、陛下!」

「何がだ」

「陛下のお気持ちも知らずに、顔を潰すようなことをしちまって・・・俺は・・・! 俺は!!」

 有斗はベルビオの肩を叩いた。まるで昔のように、昔と何も変わらないとばかりに。

「そのことは言うな。もういいのだ」

 有斗が二人を公式に許した瞬間である。


 有斗は二人を連れて馬車に戻ると、プロイティデスに馬車に同乗するように、ベルビオには馬に乗って近侍するよう命じた。これは官位などで二人を差別したためではなく、単純にベルビオの身体が大きすぎて窮屈になるし、乗れば馬車が傾いてしまうからである。

「朝廷の重鎮たる亜相に御者を、王師一の勇者に盾持ちを命じるのは余と言えども少々僭越かな?」

 この言葉では大したことのない役目であるかの如く感じるかもしれないが、あくまで一種の諧謔かいぎゃくである。御者も近侍も王の命を預かる仕事であるから、信頼のおける人物にしか頼めない極めて重い役割である。

「お戯れを」

「喜んでやりまさぁ!」

 前にプロイティデスを御者にして、左手にベルビオを従え、巡幸の列は再び南京南海府に向けて動き出した。

「昔を思い出すではないか。親征の時はこうして、そなたらとよく行動を共にしたものだ」

 とはいえ後の方になればプロイティデスもベルビオも全線で兵を率いる立場になったから、宿営の時を除いては傍になかなか揃うものでは無かった。移動の時、有斗の傍にいたのはアエティウス、アエネアス、アリアボネ、ヘシオネたちであった。

 そのことをベルビオも思い出したのか、「若やお嬢がここにいてくれれば・・・」と思わず呟いた。

「よせ、ベルビオ」

 それを口にすればセルウィリアの立場が無いとプロイティデスは咎めたが、有斗は気にした様子もなくベルビオの逞しく盛り上がった肩を二回強く叩いた。

「気付かぬか、ベルビオよ」

「へ? 何をですかい?」

 不思議顔のベルビオに向かって有斗は胸の、心臓のあるあたりを指さした。

「彼らの魂はここに。こうして余と共に今、南部へ還っているのだ。彼らだけでなく、共に南部を出て戦場に散っていった全ての魂と共にな」

「陛下・・・!!」

 ベルビオは巨躯に似合わぬ涙を隠そうと、腕で顔を幾度も擦った。

『そうか、そういうことだったのか』

 その時、プロイティデスは気付いた。よくよく見れば、周りにいる羽林の兵も、王師の兵も皆見知った顔である。

 誰もかれもが、かつて有斗の檄に応えて挙兵に加わった南部出身の者たちばかりであった。

 今回の巡幸に南部を選んだこと、巡幸に羽林の兵や第一軍の兵を同行させたのは同じ理由から来るものであったのだ。有斗の為に戦った多くの者に対して、王はその労苦を忘れていないということを示すためであるに違いない。

 陛下は我々のことを忘れたわけでは無かった。陛下は南部を出た時から変わらず、今も我らの陛下であるのだ。

 プロイティデスだけでなく、そこにいる全ての者が同じ思いを抱き、誇らしげに胸を大きく張った。

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