第428話 後宮某重大事件(Ⅵ)

 プロイティデスやベルビオが厳しい立場に立たされたことに対して、共に馬のくつわを並べて戦った将軍たちが、ここまで何の動きも起こさなかったのは不思議である。

 実を言うと彼らは決して元同僚を完全に見捨てたわけでは無かった。

「プロイティデスやべルビオを救わなくてよろしいのですか?」

 そうエテオクロスに尋ねたのはヒュベルである。元王師の将軍として一致して動くとするならば、その頭となるのはステロベあるいはエテオクロスということになるであろう。だがステロベは剛毅な性格ではあるが、孤高を好み柔軟さに欠ける。将軍仲間という情よりも王の判断を是として動かない可能性が高いと思われた。エテオクロスを選ぶのは順当であろう。

 エテオクロスは問いかけたヒュベルから視線を逸らすと思慮顔で言葉を選びつつ言った。

「高位の女官に死を命じるなど、今回の陛下の怒りはよくよくのことであると見た。今、我らが口を挟んでも無駄に終わるだけでなく、ベルビオの二の舞になるだけだ。こういう時は嵐が過ぎ去るのをじっと待つに限る」

「なるほど。ですが、このまま彼らを見捨てるのは情において忍びないものがありますが・・・・・・」

「救わないと言っているわけでは無い。この件に関してはプロイティデスやベルビオらの関与は薄い。処分が下ったとしても命までは取るまいよ。陛下はそこまで愚かではない。そして例え一庶人に落とされたとしても、高位高官に戻ることも諸侯に復すことも不可能ではない。怒りが収まり、冷静に考えられる状況下になれば、陛下も一時の過ちより、我々の数々の軍功を思い出してくれるさ」

「なるほど」

 ヒュベルは得心したとばかりに膝を叩き、小気味よい音を鳴らした。

「その時こそ我らの出番というわけですか」

「そういうことだな」

 その言葉にヒュベルは納得し、ひとまずエテオクロスの潜みに倣うことにした。

 女性との浮いた話ばかり話題になる男だったが、こうみえても魑魅魍魎が蠢く宮廷の住人の一人なのである。



 悲嘆の中で暮らしていたセルウィリアに三週間ぶりに有斗からお召がかかった。

 歓喜と不安の気持ちが入り混じる中、セルウィリアは精一杯着飾って清涼殿へと向かった。自身の運命はもはや王に握られている。ここでじたばたしても仕方がない。

 と、弘徽殿の向こうからも同じように艶やかな一団が清涼殿に向けて来るのが目に入った。

 相手も気付いたらしく、先頭の女性がセルウィリアに頭を下げた。

「これは皇后さま、ご機嫌麗しゅう」

 珍しく殊勝な態度のウェスタに驚きつつ、セルウィリアも軽く頭を下げた。

「梨壺も変わらずの様子、安心いたしました」

 だが言葉とは裏腹に双方とも内心の不安が隠せない面持ちだった。

 そしてその顔を見たことで、自分と同じようにウェスタもこの間、有斗に会っていないということと、いよいよ有斗は今度の一件の決着をつけるために両者を呼び出したのだとセルウィリアは悟った。


 清涼殿で待ち構えていた有斗は険しい表情をしてはいたが、前回と違って心から怒っているわけではないようで、それだけがセルウィリアの救いだった。

 有斗は両者を座らせると人払いを行い、挨拶もそこそこに本題に入った。

「そなたらを呼び出したのは他でもない。今回の一件はファウスティナ、カロイエ両人の犯行であることは判明したが、両人を監督する立場にある以上、そなたらの罪も決して軽くはない。わかるな」

 いきなり本題に、しかも重い話題から入られて、セルウィリアもウェスタも心が芯から冷え切るようであった。

「お許しください」

「心より反省しております。寛大なご処置をお願い申し上げます」

 セルウィリアだけでなくウェスタまでもが、いつもの態度とは打って変わって神妙に、か細い声で慈悲を乞うて有斗に額づいた。

 その姿を見た有斗は僅かにため息をついた。

「よってそなたらには贖銅を科すと同時に化粧料も減らし、その分を死んだ二人の女官の家族に給することとする。故なく娘を失った哀れな家族に対して生涯に渡って償うこととせよ」

 これまでの有斗の怒りぶりを考えれば、下した罰は思いのほか軽い。二人は本心から喜んだ。

「謹んで承ります」

「このこと、決して忘れませぬ」

 安堵の表情が浮かんだ二人に対して、有斗はまだ苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「思えば、そなたらの我儘を許していた余にも責任がある」

 と言うと有斗はセルウィリアに分かるくらい大仰に顔を向け語りかけた。

「セルウィリアよ」

「あ、はい」

「梨壺はオフィーリアとステファノス、二人の我が子の母であり、また東国ににらみを利かすベルメットの領主でもある。むやみに敵対しても国家に利は無い。仲良くせよ」

「・・・・・・承りました」

 その言葉を聞いて得意顔をするウェスタに、有斗は次いで顔を向けた。

「梨壺よ、そなたもだ。皇后は国母であり、その子ウァレリウスは皇儲こうちょである。そなたもステファノスも張り合ってはならぬ。敬意をもって接せ」

「・・・・・・」

 皇儲とは東宮と同義であり、つまりは次代の王を指している。有斗の口から正式にウァレリウスが後継であると宣言されたのはこの日が初めてであった。驚きと嬉しさで顔を上げたセルウィリアと対照的に、ウェスタは悔しそうに口を閉じた。

「分かったか?」

「・・・承りました」

「そなたらに対して今回は多くのことを不問に処したが、もし、もう一度似たようなことが起きれば、それがそなたらであろうとも、あるいは我が子であろうとも、必ずや重罰を科す。二度とこのようなことを起こすな」

 有斗は二度とこのようなことが起きないように、場合によっては自身だけでなく子にまで罪が及ぶと口にすることで二人に脅しをかけた。

「神明に誓って」

「お言葉、違えませぬ」

 セルウィリアとウェスタの言葉を聞いた有斗は満足げに頷いた。

「分かればよい。両人とも大儀であった。下がれ」

 セルウィリアとウェスタは再度、有斗に向かってぬかづいた。


 セルウィリアとウェスタに処分を下すと同時に、後宮の女官たちも禁足令を解かれた。少しでも関わりのあった者は早い段階で残らず放逐したため、残っている女官たちを解放しても害はないと判断したのだ。

 今回の事件で貴妃に誓紙を差し出していたとして蟄居を命じられていた官吏は全て正式に官職を解かれ、王領からの所払いを命じられた。

「この度の一連の不祥事に対して罰すべき者は罰した。これ以上の処分はない」

 これをもって有斗は、この一件に関して決着がついたことを公式に宣言した。

 軽々しく派閥を形成した主だった者は朝廷も後宮からも追放して権力を振るう手段を絶ったし、セルウィリアとウェスタも大いに反省している態であったからだ。何より首謀者二人が死んでいる。

 この決断は政治の安定という観点からも、おおむね好評をもって迎えられた。

 放逐された女官や官吏には多くの家族がいるだけでなく、残された女官や官吏たちも彼らとは大いに接点があった。大逆罪として裁けば彼らとて無傷ではすまされない。

 とはいえ有斗が下した決断は下した時期と相手に対して罪への関与が同じ程度であっても量刑に重い軽いがあることから、公正さを欠いていると考える向きもあった。

 謹慎が明けたばかりにも関わらず、左府マフェイがさっそく有斗に上申した。己が仕える有斗が偉大な王であると思っているがゆえに、このような瑣事さじで歴史的な評価を落とすのが残念でならなかったのだ。意外と骨がある男なのである。

「先の第一軍の将軍のことでございますが・・・」

 処分をも覚悟して行ったマフェイの諫言に対して、有斗から返ってきた言葉は案外と明朗だった。

「刑が軽すぎるというのか?」

「御意」

 ベルビオに対してはプロイティデスと同様に、解官げかんの上、自領での謹慎を申し渡したのだが、これは言ってみればベルビオの取った行動を追認したに過ぎず、犯した罪の重さも考えれば更なる厳罰を下すべきであるとマフェイは暗に言ったのである。

 有斗は叱責は行わなかったが、首を横に振ってマフェイの献言を受け入れないことを示した。

「余は十分に罰を受けた。左府はこれ以上、余に傷つけと言うのか?」

 マフェイはその言葉で悟った。王がこの事件で本当に罰したのは寵姫や女官や官吏ではなく、ご自身であられたのだ。

 マフェイは無言で頭を下げた。


 これで公式に後宮某重大事件は片が付いた、と誰もがひとまず胸を撫で下ろした。

 だが有斗だけはそうは思っていなかった。全ての幕を下ろす前に、まだ一人の男には釘をさしておく必要があると感じていた。

 その男に処分を下さなかったのは関与が薄かったからではない。罪はプロイティデスらと比べても決して軽くはなかったのだが、全てを知っていたであろうファウスティナが死んだ今、その男を罪に問うには材料が足らない。かといってベルビオのように無邪気な男ではないので、無罪放免にしておくには後々禍根を残すことになりかねない。

 有斗は坂東に勅使を派遣し、その男に王都に上るように命じた。

 その男、コンツェ公(正確には息子のマッシヴァがコンツェ公なのだが、この世界の誰もが真のコンツェ公はマシニッサであると思っている以上、ここではマシニッサをコンツェ公としておく)マシニッサが上洛したのは、事件が解決してからひと月も後のことである。

 有斗は玉座に前のめりの形で座り、澄ました顔で眼前に控えるマシニッサを怖い顔で睨みつけた。

「マシニッサよ、そなたを呼び出したのには理由がある。このたび女官どもがちょっとした騒ぎを起こしたのだ」

 有斗の持って回った言い回しには多少の毒が感じられたが、マシニッサは平然と普段通りの表情で軽口を返した。

「話は聞きました。残念なことです。ですが気落ちなさることはございませぬぞ。後宮でこのようなことはいつの世でも起こることです。決して陛下に聖徳が無いわけではありません」

 意図せずか故意かは分からないが、マシニッサは余計な一言を付け加え、有斗を腐らせた。

「ぬかしたな、マシニッサ。ところでレイジンソウという草を知っておるか? 坂東で、とりわけコンツェではよく見られる草だそうだな」

「知っております」

「根を乾燥させたものは毒にもなるそうだ。ファウスティナがこの毒を隠し持っておった。そなたがファウスティナに渡したのではないのか?」

「確かにレイジンソウはコンツェでよく見られる草ではございますが、コンツェに限らず河東では特に珍しくはございませぬ。ベルメットの地でも自生しておりましょう」

「あくまでも、そなたが渡したのではないと申すのだな」

「御意。与り知らぬことでございます」

 マシニッサはプロイティデスのように正直に口を割る相手だとは思ってはいなかったが、こうも堂々としらを切られるとそれはそれで腹が立つものである。

「では話を変えようマシニッサよ。そなたはどんなことがあろうとも命を賭して我が子ステファノスに仕えると梨壺に対して神盟したと聞いたが真か?」

 それもまた事実である。しかも書面にしたのは全体のほんの一部に過ぎず、ウェスタやファウスティナとはもっと生臭いことも共謀していた。有斗が聞いたら、マシニッサだけでなくウェスタも首が飛ぶようなこともである。だが肝心なことは証拠に残るような愚かな真似はマシニッサはしない。

「記憶にありませぬな。何者かの讒言ざんげんでございましょう。私を妬むものは宮中にも多うございますれば」

 マシニッサは王相手にも臆することなく、再びぬけぬけと嘘をついた。

「隠すな。血判書という動かぬ証拠が出たのだ。偽りを申すと為にならぬぞ」

「ほう! そんなものが出てまいりましたか!? おかしいですな。私の記憶にはありませぬが」

 マシニッサはもう一度しらばっくれた。これくらいで尻尾を出すような素直な玉ではないのである。

「知らぬと申すか?」

「初耳ですな」

「そうか。これを見てもそう言えるか。これ、この通りだ。そなたの花押まである」

 有斗は手紙を広げるとひらひらと宙を舞わせ、ことさらに証拠があることを見せつけた。

「覚えがありませぬな。その書状とやらをじっくりと拝見させていただきたい」

 マシニッサは真面目な顔を繕って頭を下げ、恭しく両手を差し出して書簡を受け取ろうとした。

 王相手でもどこまでもふてぶてしいのは元々の性格というものもあろうが、実を言えばマシニッサには秘策があったからである。

 マシニッサはこういうこともあろうかと、公文書に返答する花押とウェスタらに差し出した書簡の花押の筆致を巧妙に変えていたのだ。

 まずはウェスタに渡した書簡を偽物であると声高に断言し、そして公文書を取り寄せさせ、朝廷の祐筆たちに筆致の違いを認めさせるだけでマシニッサを有罪とする証拠はこの世から無くなるのである。

 それだけで一代で大諸侯に上り詰めたとはいえ、謀略にかけては意外とマメな男なのであった。

 だが次の瞬間、有斗が取った行動はマシニッサの予想を裏切るものだった。

「であろうな」

 有斗はそう言うと傍の火鉢にマシニッサの血判を丸めて投げ入れた。一拍置いて火が大きく燃え広がり、書簡は炭へ変わって消え去った。

 書簡が燃え尽きるまで炎を有斗はじっと見続けていた。

 一瞬、何が行われたか理解できず唖然としたマシニッサだったが、次に喜びが全身に満ち満ちてきた。これで朝廷が自分を断罪する根拠は永遠に失われたと思ったのである。

「分かっていただけましたか」

 やれやれ当面の危機は過ぎ去ったとマシニッサは内心安堵して頭を下げた。だが有斗はその油断した瞬間を見逃さず、即座に冷や水を浴びせた。

「余がマシニッサなら梨壺相手でも迂闊な書状は渡さぬ。何らかの小細工はしておくだろうな。そうだな、祐筆を変えて偽物を渡しておくとかな。策というのはそういうものではないかな?」

 マシニッサは背中を冷たいものが伝わるのを感じた。悟ったのである。有斗の先ほどの行動はマシニッサが今回の事件に関わりがあった証拠を消すためではなく、マシニッサに偽物であると弁明させる機会を永遠に奪うためだったのだ。

 全てが燃え尽きたことで朝廷は黒であると断定はできないかもしれないが、マシニッサも完全な潔白を勝ち取ることはできなくなった。

 アメイジアは厳密な意味での法治国家ではない。灰色であれば王の考え次第で処断できるのだ。

「マシニッサよ。余はそなたには功績に見合った大封を与えていると思っている。四万五千貫では不服か?」

 足らないな、とマシニッサは正直なところ思った。少なくとも今の倍は欲しいところだった。

 だが家人三人の時は十人は家来が欲しいものだと考え、家人が十人を越えたら領土の一円支配を願い、伯爵家を手に入れたときは公爵になりたいと思い、トゥエンクを手に入れた後はダルタロス家の勢力を羨んだ。常にそうなのである。おそらくアメイジア全てを手に入れても満足することは無いだろうことはマシニッサですら薄々理解していた。どこまでも欲深い男であった。

 とはいえそんな内心などおくびにも出さず、マシニッサは神妙に返答した。

「いえ、過分な恩賞を頂いていると感謝しております」

「殊勝な心掛けである。マシニッサよ、余は南部挙兵よりのそなたの数々の勲功を忘れてはおらぬ」

「光栄の至り」

 有斗は玉座に深く腰を下ろし、頬杖をついてマシニッサを見下ろした。

「その功績ある限り、多少のことがあっても目を瞑るつもりだ。だが余も人だ。今は忘れてはおらぬが、忘れることがあるやもしれん」

 有斗の声は大きくはなかったが強固な意志を感じる強さと冷えを感じさせ、マシニッサに返答を許さぬ構えだった。

「余に忘れさせぬように、くれぐれも怪しげな行動は慎むことだ。余は生涯、そなたと杞憂栄辱を共にすることを心から願っているぞ」

 マシニッサは何も言わずに有斗に頭を下げた。

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