第426話 後宮某重大事件(Ⅳ)
調査を続けたが、この事件にセルウィリアとウェスタが関与したという証拠はどこにも見当たらなかった。
「皇后陛下と梨壺女御様はこの度の一件には何ら関与しておらぬと断言いたします」
羽林大将デケネウのその喜ばしい報告を有斗は素直に受け入れた。
信じたかったから単純に信じたというわけではない。この事件にセルウィリアやウェスタが絡んだということであれば、もう少し多くの人数が関わることになるだろう。多人数が関われば、事が露呈した場合、首謀者の名前も漏れ聞こえるものだ。
何より、多人数の頭があったならば、もっとまともな策を立てるであろう。この計画は個人の頭から出たとしか考えられない幼稚な策で、言ってみれば杜撰すぎるのである。
とはいえ二人を関わりが無かったとして無罪放免とするかは、またそれとは別問題だ。
罪を犯した者は共に二人の側近中の側近だ。監督責任は免れない。もちろん、それは有斗も同罪ではあるのだが、王は無謬性を持つがゆえに王である以上、有斗が自分自身を罰するわけにはいかないのである。
だが、それだけならば二人には
問題はここからである。
背後関係や共犯者を探るために後涼殿、梨壺双方から念のために持って来させた大量の書簡の中から、見過ごすことができないものが発見されたのである。
『事があるときには相違なく味方する』
『今後、いかなることがあろうとも決して見限らない』
小難しい文字が並べてあったが、つまるところそういった内容の血判が押された大量の誓紙だった。
後涼殿は関西出身の官吏や諸侯のものが、梨壺では河東の諸侯のものが多かった。すなわちそれぞれ仕える王子の母親に縁がある者たちである。
この度の暗殺未遂ならびに女官殺害といった事件も、そういった下地があったからと考えると、カロイエやファウスティナが今回の突飛な行動を取った理由が全て納得できるのである。
彼女らは相手に後ろ盾があることを過剰に恐れて、短慮な行動を起こしたに違いない。
だが問題はそこではない。
誓紙を保管していたのはカロイエやファウスティナであったが、今回の事件と異なり、こちらはセルウィリアやウェスタの了解なしに行われたとは考えにくい。
いくら側近とはいえ、所詮は一介の女官に過ぎないカロイエやファウスティナに対して高官や諸侯といった大物がそう易々と誓紙を出すなどあり得ないことである。こちらは両者の関与は確実と言ってよい状況だった。
セルウィリアとウェスタは、将来を見据えて裏で与党を募っていたのだ。
有斗は心から震撼した。
有斗が掲げた理想に殉じた多くの者の命と引き換えにして、ようやく手に入れた天下一統の世界は、知らぬ間に大きく二つに分かれていたのだ。それも有斗が愛し、信じていた二人の女人によって。
とりわけ有斗を戦慄させたのは、
『梨壺様と二の宮様がいかなる状況に陥ろうとも見限らず、変わらず忠誠を誓う』
『若君にどのようなことが起こっても、最後まで皇后陛下に合力する』
といった数々の文言だった。
なかには『王が崩御された時』といった過激な文言が含まれている文さえもあった。
これでは有斗が死んだ時に、新しい王にではなく王になれなかった方に忠誠を誓う一定の勢力が出現するということになる。
その勢力は王と利害が対立した時、いったいいかなる行動を取るつもりなのだろうか。王を何らかの手段で排除し、自身の奉戴する王子を王に就け、その功績で裏で権勢を握ろうと企てるのではないだろうか。
もちろん極めて文言に気を付かっているから直接そこまで触れられてはいないが、忠誠の対象が有斗にでは無くて王子であるならば、場合によっては有斗が健在の今でも、王子を旗頭にして反乱を起こす可能性が有ると読めなくはない。
もちろん今すぐにどうこうと言うことは無いであろうが、もし有斗が突然人事不省に陥り、政務や政治判断が行えないような状況になったとしたら話は変わってくる。
野心家たちがこれ幸いと動き出し、再び戦乱の世に逆戻りするのではないだろうか。有斗はそれを何よりも恐れた。
有斗はすぐさまセルウィリアとウェスタを呼び出した。
久方ぶりの自分の
有斗は机の上に山と積まれた書簡を無造作に掴むと、二人の足元に投げつけた。
「この者たちはそなたら、あるいは我が息子に忠誠を誓うと血判までしておる。このような大事、そなたらの知らぬことではあるまい。申せ」
セルウィリアとウェスタは無言で目を合わせた。
セルウィリアはどう
「・・・・・・・・・はい」
とはいっても余計な言質を取られぬように返答は言葉少なだった。
一方、時ここに至っても自分が悪いことをしたとは微塵も気付いていないウェスタは、セルウィリアと異なり有斗を好きではあるが深く理解しようとはしない、お気楽な性格であることもあって、ペラペラと全てを白状した。
「だって皇后さまがお味方を募っていると漏れ聞こえましたもの。私といたしましても身の安全のためには力になってくれる者を探さないといけなかったのです。そこのところをご理解ください」
「そなたらは軽い気持ちであっても、声をかけられた者がどうとらえるかは別問題だ。そのようなことも考えられぬか! それにたとえそなたらの片方がもう片方を害そうとしても、そのようなことは余が決して許さぬ。余を信じておらぬのか!?」
「いえ、決して! 陛下の聡明さをわたくしは信じておりますわ!」
「私も陛下を深~く信愛しております。ですが陛下が身罷られたのちはいかが相成りましょうか?」
ウェスタはいつものように悪戯っぽく微笑み、目をキラキラさせて有斗に媚を売ったが、いつもは通用していたその技が今回ばかりは全く効き目がなかった。
「黙れ! そのようなことはそなたらが考えることではなく、余が考えることだ!!」
「・・・・・・」
「そなたらが互いに疑念を抱いているのはよく分かった」
有斗は二人に背を向けると清涼殿の高い天井を見上げた。
「追って沙汰をする。そなたらは各自、部屋に戻って謹慎せよ」
それは二人に何らかの処罰を行うという明確な意思表示だった。
「陛下!」
セルウィリアは慈悲を求めて有斗に訴えかけたが、有斗は顔を見ることもしなかった。
「聞かぬぞ。余は下がれと言ったはずだ」
誰もいなくなり、静まり返った一人きりの執務室で有斗は一人、考え込んだ。
母として自分の子の将来を憂えてのことだと理解はできるが、王として有斗はそれを許しておくわけにはいかない。もしこの平和が
有斗は矢継ぎ早に処分を下した。
今回の女官殺しにかかわった者や、セルウィリアやウェスタの内意を受けて官吏や諸侯に働きかけを行った全ての女官を流罪とした。特に首魁の一人、カロイエには白絹を送って自殺を命じた上で、改めてカロイエとファウスティナの二人の死人から位階を剥奪して罪人の身に落とし、親族も王都から追放処分となった。
またこれが大本の原因であると考えた有斗は、一件に一切関与していなくとも、セルウィリアやウェスタの口利きで女官になったものを、ことごとく後宮から追い出した。
男は女に甘いものであるし、王のお側近くに勤めることもあって、女官が罪を犯してもぬるい処分で済ますことが多い。これは歴史的に見ても極めて稀な重い処分である。これだけでも有斗が事態を重く見たことが思い知られる。
その次にセルウィリアとウェスタに誓紙を差し出した官吏をその内実を計ることなく一旦罷免し、蟄居を申し渡した。
この処分でセルウィリアに
一度に大量の官吏と女官を失った朝廷や後宮は、一人当たりの仕事の量が増えて、実務が回らずに大混乱に陥った。しかもこの時点で、正確な事件の全体像を有斗は臣下に、あのラヴィーニアですらも一切知らせてなかったから、臣下たちの困惑は一層深まった。
今回の事件に無関係な官吏や女官たちがたまりかねて左府マフェイの下に集まり、話し合った結果、一同の総意として王に言上することと相成った。
マフェイは穏健で知られるその性格さながらに、王を責めたり否定したりするのではなく、寛恕を求めるという穏当な手法を取った。
「罷免された者は陛下のご勘気に触れる過ちを犯したかも知れませぬが、 このように一度に大量の官吏を失っては治世はままなりませぬ。どうか陛下のご寛恕を持ちまして微罪の者は宥免を請い願い奉ります」
有斗は慈悲や信義といった、戦国の世とはかけ離れた徳目を掲げて天下を統一した王であったし、耳の痛い言葉であっても臣下の言をよく聞き入れることで知られていたから、受け入れられると全員がそう思っていた。そう、有斗以外は。
「聞き入れられぬ。あの者たちは徒党を組んで派閥を作り、天下の転覆を企んだ不届き者だ。そなたらは再び戦乱の世になってもよいというのか。左府ともあろう者が見識を疑うぞ」
「しかしこう官吏が減っては満足な政治が行われず、人民が苦労することに相成ります」
「そこを遅滞なく政治を行うのが三公たる者の力量というものだ。人が足りぬと泣き言をいうような大臣は余には必要ない」
有斗は面談をすぐさま打ち切っただけでなく、しばらくの間、マフェイにも謹慎を命じた。
臣民の最高位であり、有斗との仲も良好であった左府が説得に失敗したことで、今回ばかり王は一切譲ることはなさそうだと官吏たちは顔を曇らせた。
聡明を謳われた東宮が、帝位についたとたんに打って変わって暴虐になった過去の歴史を思い出し、有斗もそうなってしまわれたのかと、これからの未来を暗く思い描いた。
処分こそ言い渡されなかったが、「アリスディアは今の四分の一にも満たない女官で大過なく後宮を運営して見せた。二度とこのようなことを言わないように」と言われ、面目を失ったグラウケネは蒼白となった。
諸侯もその粛清の例外とはならなかった。多くの諸侯が王のけん責を受け、位階を落とされ、中には減封され移封された者も出た。
なかでも耳目を集めたのはザヤージ公エレウシスの扱いである。
ザヤージ公というと聞き覚えのない読者もおられようが、南部四衆の一人、ロドピア公エレウシスと言えば思い出すこともあろうかと思う。有斗に最初から最後まで味方し、今や関東の鎮守として重きをなす功臣である。
本人は同じ諸侯の
もっとも当人は年齢からここ数年は体調不調を訴え、ことあるごとに隠居を口にしていたから、これをよい機会と捉えただけかもしれなかった。
それに爵位はつつがなく息子に受け継がれ、諸侯中第五位という巨封も変わらずであったから、実害は何もなかったのである。
だが世間はそうは捉えない。エレウシスといえばどのような苦境にあっても有斗を見捨てずに助力した、諸侯ではアエティウスに次ぐ建国の元勲として知られている。それだけの功績があっても許されぬとあらば、他の者にはどんな厳罰が下るのであろうかと震え
それともう一つ、群臣を震え上がらせるに足る事があった。
「ウェスタのところにあった誓紙の中にプロイティデスのものがあった。間違いないか」
有斗はプロイティデスを呼び出し問い
プロイティデスはアエティウス亡き後の第一軍を率いて戦場を踏破し、今は朝廷で大議の職にある重臣だ。ダルタロス派の重鎮といってよく、言うまでもなく有斗股肱の臣の一人である。
そのプロイティデスがウェスタに誓紙を差し出していたのだ。
「相違ありませぬ」
「何か申し開きはあるか」
「・・・・・・」
プロイティデスにも言いたいことはある。
南部諸侯の陪臣の出という、一代の成り上がりものでは親子代々の官吏と違って凝った時に助けてくれる
そしてアエネアスがセルウィリアを嫌っていたという過去や、セルウィリアとウェスタとでは、どちらがプロイティデスに考え方や精神的なものが近いかということを考えれば、ウェスタを選ぶのはごく当然の成り行きであった。
だがそれは己の一身に関することであり、王に対して申し開きをすることではないというのが、何事も古風なプロイティデスの忠誠の表し方だった。
だから、
「ございませぬ」
「君がアエティウスやアエネアスの想いを踏みにじるようなことをしたことは、本当に残念だ」
有斗は二度三度と首を振り、最後にこう言い渡した。
「閉門を申し付ける」
有斗の高名な将軍の中から、初の処罰者が出たことは大きな衝撃をもって世人に受け止められた。
閉門蟄居とは門を固く閉ざして外出および来客を禁じることである。といってもそれは表向きで、命じられた当人だけが行えば、家人が市に買い物に行ったりすることは、よほど羽目を外して事件を起こしでもしなければ問題とされない。
だが来客は全面禁止であることは間違いない。
それにも関わらずに訪れたベルビオにプロイティデスは呆れた。
「相変わらず呑気だな、ベルビオは。閉門は王命だぞ。閉門を命じられたものだけでなく、訪れた者もその罪は逃れられぬ。お前も立場が悪くなる」
その親切心溢れる忠告もベルビオの心には届かないのか、一向に気にするところを見せなかった。
「なぁに気にすることはねぇ。友を訪れるのに王や国の許可がいってたまるものか。だいたい閉門を命じられた奴は百じゃきかねぇ。見張ろうにも官吏が足らねぇや」
違いないとプロイティデスは思った。この頃には有斗は羽林だけでなく霜台、果ては大理まで駆り出して誓紙を出した官吏や諸侯の関係者で何かしら奇妙な動きを取っていた者がいないか捜査させ、現業の末端の官吏にまで閉門を命じる例が出ていた。
閉門した者を監視する人員など、どこを探してもないに違いない。
「ところでなんで閉門なんて命じられなきゃいけなかったんだ?」
プロイティデスが閉門を命じられた理由をベルビオも知らなかったのである。
プロイティデスはウェスタに誓紙を差し出したという事実を、経緯も含めて今度は包み隠さず告げた。
「わかった。悪いのはあの女狐たちであって、プロイティデスは何も悪くねぇ。俺に任せてくれ」
「やめろ」
プロイティデスはベルビオの膝を手のひらで抑えて押しとどめようとしたが、ベルビオは苦も無く立ち上がって快笑した
「なぁに陛下と俺たちとの仲だ。話し合えばわかってくださるさ」
自信満々に笑みを浮かべるベルビオをプロイティデスは不安げに見上げた。
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