第425話 後宮某重大事件(Ⅲ)

 有斗はその四人を暴室へと一人一人別々に隔離し、取り調べをさせた。

 これに対して「女官たちは疑いがかけられているだけで犯人であると決まったわけではありません。やりすぎです」とセルウィリアから抗議の声が再び上がったが、これ以上の不測の事態が起きるのを防ぐためと主張して有斗はその声を退けた。

 これ以上、関係者の口を塞ぐための殺人などあってはならないことだったし、四人別々にすることで口裏を合わせられないようにしたのである。

 暴室に入れられたというショックからか、命惜しさからなのか、女官の一人が早々に口を割った。後宮での足の引っ張り合いには慣れているが、こういった荒事には存外弱いのが女官なのである。

「新大典侍様のお言いつけで四人がかりで女官の首を絞め、天井に吊るしました。今思えば可愛そうなことをいたしました」と言って泣き出した。

 一人が関与を認めたことを知らせると残された女官たちもあっけなく口を割った。

「わたしも皆と一緒になって女官を殺害しました」

「皇后さまの寵の厚い新大典侍様の頼みを断ると出世や命にかかわると思い、心ならずも加担いたしました」

「お許しください。とても断れる雰囲気ではなかったのです」

 女官たちの話に特に矛盾は見られなかった。まとめると新大典侍カロイエが首謀して女官殺害を実行したらしい。

 当初は黙秘を続けていたカロイエだったが、やがて他の全ての女官が自白したことを知ると、最後は逃れられぬと観念して口を開いた。

「あの女官は二の宮君にのみやぎみに毒を盛るという不敬を働き、皇后陛下のお立場を悪くした。その罪は万死に値します。私は正しいと思ったことをしただけです」

 とカロイエは堂々と悪びれる様子もなく言い放った。

 だが女官を殺したことは認めたものの、毒に関しては自分は関わり合いが無いという立場は頑として崩さなかった。

 これ以上のことはデケネウではつかめなかった。むしろ全くの素人がここまで事実を解明できたことを褒めるべきかもしれない。

 一方で梨壺から聞こえるセルウィリアを責める声は大きくなるばかりだった。

「新大典侍は罪を末端の女官に擦り付け口を封じました。その後ろには恐れ多きお方がいるに決まっています」

 とはいえセルウィリアが関与していたという証拠はどこにもないし、有斗もそうとまでは思っていなかった。だがここで捜査を打ち切って確証のないままセルウィリアを無罪放免とすれば、後宮が真っ二つに割れて機能不全に陥るのは目に見えている。

 有斗は前にも後ろにも進めなくなってしまった。


 この間、後宮含む内裏は封鎖が行われ、官吏たちは数日間に渡って王の顔を見ていない。

 それは稀代の智嚢と呼ばれる有斗の右腕とも言える存在であっても例外では無かった。

「陛下、中書令がお目通りを願っておりますが、いかがいたしましょう?」

「あの女がか」

 有斗は不機嫌そうにつぶやくと黙り込み、すぐには許可を与えなかった。

 天下一統においてラヴィーニアが果たした役割は大きい。華やかな戦場での活躍こそ無かったが、謀略や輜重などの裏方での活躍は有斗も一目置くところである。

 それだけでなく、一統後の治世においても数々の政策立案、あるいは助言で有斗を助けてくれた。

 だから感謝の念は当然あるのだが、ラヴィーニアは例えばアリアボネなどと異なり、王であろうとも一切、遠慮しない性格である。有斗の気分を害することは一度や二度では無かった。

 今回も何か苦言を言いに来たに違いない。

 その働きぶりに対して感謝もあるしその才覚を認めてはいるものの、この不愉快な事態の今、更に不機嫌になりたくはなかった。

 だが有斗はさんざん迷った挙句、結局はラヴィーニアに大内裏に入る許可を与えた。

 あの女に不機嫌にされるのはこれが初めてというわけでもないし、これが最後というわけでもないだろう。それにここまで事が大きく複雑になっては、あの女の知恵が必要になるかもしれぬ、そう考えたのだ。

「陛下、お話ししたき議がございます」

 いつものように容儀だけは神妙に頭を下げたラヴィーニアに、有斗は不機嫌さを隠しもせずに挨拶を返した。

「らしいな」

「死んだ後涼殿の女官は犯人ではありません。毒を盛ったりなどしていない。嵌められたのです」

 原理原則主義なところがあるラヴィーニアのことだから、大理や霜台そうたいを飛び越えて、羽林に捜査という越権行為をさせていることに対して文句を言うのだと思っていたので有斗は内心、驚いた。

「・・・・・・どうしてそう思う? 嫌疑をかけられた途端に自害するなど、犯行を認めたようなものではないか」

 有斗は事実でないことをさも事実でもあるかのように、わざと口にした。

 後涼殿の女官が毒を所持し、そして変死したことまではラヴィーニアをはじめ公卿の主だったものには伝えてはいたが、他殺であること、新大典侍ら女官らがその容疑者と目されていることなどは、まだ有斗やデケネウら僅かな人数しか知らぬことなのである。

 有斗はまだそれを外に漏らす気はなかった。

「陛下はおかしいとは思われませぬか? ひとつ、もし毒を盛ったのが女官だとしたしましょう。それができたのは後涼殿の廊下ですれ違った時だと誰もが口をそろえて言いますが、そのような人目につくところで毒など盛りましょうか? しかも誰もが毒を盛ったその瞬間を見た者がいない。特に死んだ女官は毒を目の前で入れられているのに全く気付くことが無かったということになります。これはおかしなことです。ふたつ、使った毒を捨てるなりなんなりして証拠を隠滅することもしなかった。つまり女官は、もしこの女官が犯人だとすればですが、このようなことが起きたのに自分の身に捜索の手が及ぶとの想像すらできなかったということです。そのような者がかような大事を思いつきましょうか?」

「ほう、そなたが皇后に代わって関わり合いの無い女官の弁護を行おうとはな。珍しく義侠心にでもかられたか? 明日、雨が降らぬとよいが」

 有斗は視線をそらすと、わざと大仰に窓の外に目を向けた。

「茶化さないでいただきたい。真面目な話です」

「では真面目な話をしよう。その者が愚かであろうとも、裏で絵を描いた者がいないとは限らぬ。皇后か周辺の者がやらせた可能性はないとは言えまい?」

「そこがおかしいというのです。もし陛下が誰かを暗殺したいと考えたとして、そのような者にやらせますか?」

 あくまでたとえ話であったが、それを聞いた有斗は憤慨して見せた。

「余は暗殺など卑劣な手段は、今まで一度も取ったことが無いぞ」

「陛下の御気性は臣もよくよく存じております。ですから、これは仮定の話です。もし陛下がどうしても抹殺したい者がいた時、可能な限り内密にことを収めたい時に、そのような胡乱うろんな人物にかような大事を頼むのが適切かどうかお考えください」

「そうだな例えば・・・・・・・・・」

 ラヴィーニアへの反発から抗弁を試みた有斗だったが、思考を四方に巡らすうちに論理的に判断する方向へ考えを変えた。

「・・・それはないな」

 有斗が暗殺という非常手段に訴えるとするならば、抜かりが無いようにラヴィーニアかアエティウスのような切れ者に依頼するだろう。例えばアリスディアやアエネアスのようなそれに不向きな人物には頼もうとも思いもしない。もし信頼できる人物の中に抜け目のない人物がいなかった場合でも、例え依頼するにしろ、事が終わり次第、証拠が残らないように毒など捨ててしまううに最低限、指示はするはずだ。

 そう考えるとおかしな話だ。

「何よりもおかしなことがもうひとつあります」

 ラヴィーニアは有斗にそっと耳打ちした。


 一刻後、昭陽舎の周囲を囲んでいた羽林の兵影が幾分と厚みを増した。

 兵たちは無言のまま、挨拶もなしに次々と殿舎に上がり込んだ。不意の闖入者ちんにゅうしゃに梨壺の女官たちはそこかしこで悲鳴を上げた。

「無礼な! ここは陛下の覚え目出度き梨壺様の殿舎ですよ! 女一の宮様も二の宮様もおられるのです! 羽林ごときが誰の許しあってかような狼藉ろうぜきを働くのか!?」

 逃げ惑う者も多かったが、勇気ある一部の女官たちは前に立ちふさがって羽林の非礼をとがめた。

 美貌と才知で選抜された者だけが女官になれる。よって元からしてエリート意識の高い女性が多い。さらには王の傍らに近侍していることで多くが特権意識を強く持つことになる。言ってみれば羽林の一兵士風情など、路傍の石のごとく何ほどにも思っていないのだ。

 逆に羽林の兵は逆に女官を雲の上の存在だと思っている。手荒なこともできずに立ち往生した。

 すると羽林の兵の向こう、夜闇の中から三回りほども小さい影が足音も立てずに前に出た。

「羽林では不足かい? ならあたしではどうか?」

 現れた貌を見て、女官たちは一様に嫌な顔をした。

「中書令ッ・・・!?」

 羽林と比べればラヴィーニアが従三位下という高位、中書令と言う政権の要とも言える相手だから嫌な顔をしたわけでは無い。

 ウェスタの虎の威を借りて増長気味の梨壺の女官は、三公であろうとも内心では歯牙にもかけず、皇后であるセルウィリアや尚侍グラウケネですら最近では軽んじている。従三位や中書令と言った肩書は彼女らにとってなんに意味もない。

 だがそんな彼女達であっても恐れはばるのが、このラヴィーニアである。

 普通ならば、美貌や教養と言ったもので心理的に上に立つことも可能なのだが、ラヴィーニアには同性なのにそれが一切通用しない。依って立つものが違うのだ。苦手というか気持ちが悪いのである。

 動揺する女官たちにラヴィーニアは殊更見せつけるように人の悪い笑みを浮かべた。余人では思いつかないような、他人をめることを目的とした、とんでもなく性質の悪い策略を考えついた時だけに浮かべる、ここ最近では見せたことのない顔である。

「ちゅ、中書令がなんだと言うのですか! 中書令と言えども梨壺様に無礼を働いてよい道理はない!」

「そうです! 宮廷ならばいざ知らず、後宮のことは三公であろうとも口出し無用!! ましてや中書令の分際で口を差し挟むとは身分というものをわきまえなさい!! 誰の許可を得てこのような暴挙に出たのですか!?」

 女官たちが口々にその問いに答えたのはラヴィーニアでは無かった。

「余だ」

 ラヴィーニアのさらに向こうの暗がりから有斗が顔を出した。

「陛下!?」

「余の命に文句があるというならば名乗り出るがよい」

 王の威に打たれた女官たちは慌ててその場に平伏した。声で有斗が来たと知ったウェスタも内殿より顔を出す。

 有斗は困惑した表情のウェスタに目を合わせた。

「梨壺よ、ゆえあって女官たちの部屋を検めさせてもらう。異存はないな」

「陛下の御命令とあらば否やはありませんが・・・しかし・・・」

 有斗の言葉にウェスタは一度は頭を下げたが、顔を上げて真っすぐに有斗と視線を合わせた。不承不承であるのは見るも明らかである。なぜ突然、被害者であるはずの自分たちが取り調べを受けなければならないのか理解不能だったのだ。

「そなたに何ら後ろ暗いところが無いのならば問題はあるまい」

 有斗の言葉にウェスタは押し黙った。


 昭陽舎の女官の部屋を捜査すると有斗は言ったものの、有斗と羽林の兵は道々にある部屋を次々と無視してまっすぐに奥へと進んだため、ウェスタは不思議に思った。

 最初から目的が決まっているようである。

 ウェスタにはやましいところは微塵もなかったが、それでも奥の自分の部屋に向かって一直線に歩かれると、いい気はしなかった。

 一行の足はとある一室の前で止まった。

 そこはウェスタの居室ではなかった。ファウスティナという名前の女官の部屋である。奥側の、ウェスタに近い部屋を拝領していることからも推察できるように、梨壺においては決して軽く見ていい存在ではない。

 ファウスティナはツァブダットの出である。というよりはツァブダット家に代々仕える上級家臣の娘である。勝手の知らぬ後宮であるから心細いという、ウェスタのたっての願いで後宮に入り、今では梨壺の一切の実務を取り仕切る、言ってみれば家宰のような役目を果たしている。

 セルウィリアにとってのカロイエ、あるいは有斗にとってのグラウケネとラヴィーニア両方の役割を果たしていると書けば、その存在の重みが分かっていただけようか。

「ここか」

「はい」

 有斗を先頭にして羽林将軍デケネウとラヴィーニアが部屋に押し入った。続いて入ろうとしたウェスタや女官たちを羽林の兵が押しとどめる。

「室内の探索が終わるまではご容赦を」

 

 厨子ずしから手箱の隅々まで、捜索は大人数で行ったので終わるまで小一時間も必要としなかった。

「出たか」

 兵たちは一様に首を横に振って否定する。ウェスタは何も出なかったことに安堵した。

「何をお探しかは存じませぬが、これで私の疑いは晴れましたでしょうか?」

 少し得意げなファウスティナに対して、ラヴィーニアは少し目を伏せた。

「とは思っていたさ」

「中書令よ、証はどこにある?」

「陛下、その女に乗せられてはなりませぬ。私は何も致しておりませぬ。潔白です」

「言うねぇ。そなたが膳に毒を入れて同僚を殺害し、その罪を後涼殿の女官に擦り付けたのは分かっている」

「覚えがありませぬ。何故、私が犯人だと断定できます?」

「後涼殿の女官が持っていたのは麻痺系の毒だが、死んだ女官の症状は呼吸器系の毒だ。持っていない毒を膳に入れることは誰にもできまい?」

「・・・お言葉ではありますが、それは私が犯人だという証拠とはなりますまい」

「そうだね。でも証拠はもう一つあるのさ」

「いったいどのような?」

「それを直接知るのはあたしじゃない」

 ラヴィーニアは顎を上げて振り返ると、ウェスタの後ろの奥に控えている大人しく目立たない女官に目を合わせた。

「膳に毒を注ぐ姿をこの目でしかと見ております。毒はその日の夜半に床下に投げ捨たのです」

 女官は無感情な冷たい声でこともなげに言い放った。

「そなた、ファウスティナを貶めるような言を吐くとは、いったいどういうつもりですか!? 裏切ったのですか!?」

 怒ったウェスタが詰め寄り頬をはたこうとしたが、女官は体を入れ替え、その手は空を切った。体力や運動神経ではそこいらの女には負けぬ自負があっただけに、ウェスタは後宮に詰めるような一女官にあっけなくかわされたことに呆然とした。

「何!? どういうこと!?」

 その女官は何ら感情を表に現さず無表情のままだった。

「・・・・・・・・・」

「悪いね。その者はあたしの手の者だ。こんなこともあろうかと後宮に何人か送り込んでいるのさ」

 ラヴィーニアのその言葉にウェスタがまた怒った。この女官が自分を監視するために付けられたとすれば、有斗がウェスタを全く信用していないということになる。

「陛下!!!!」

「梨壺よ、怒るな。そなたを監視するためではないのだ。そなたや子供の安全を考えてのことである」

 そう言われてもウェスタは納得できなかった。

「陛下、このことは後でとくとお話しせねばなりませぬ!!」

 ウェスタは有斗に多少感情的に噛み付いた。


 だが一女官の証言程度で容易く罪を認めるほど、ファウスティナは諦めのよい女ではない。

「なぜそこまで言い切れる!?」

「床下に潜んで全てを見聞きしておりましたゆえ。事実を話しているにすぎませぬ」

「陛下、でっちあげです! この者の言葉を聞いてはなりませぬ!! このような下賤の輩の申すことなど信用に足るものですか!」

 とあくまで自分は無実であるとファウスティナは主張した。

「そなたよりはな。この者は中書令の命令で幾度も河東に使いし、諸侯の切り崩しを謀るなど命を賭して戦場いくさばで働いてくれた。その功は後宮で安穏と暮らしているそなたの比ではないぞ」

 だが有斗は女官の証言の方に全面的な信頼を置いているようである。ファウスティナは焦った。王が罪有りと認めれば、例えその者が冤罪であったとしても刑が執行されるのである。焦ろうものである。

「・・・・・・」

 窮地に追いやられたもののファウスティナは頭の中で目まぐるしく考えた。例えその者に王の信頼があったとしても、自分にだってウェスタの深い信頼がある。

 そしてこの女官よりはウェスタのほうが王に近しい。

 ウェスタが自分をかばってくれさえいれば、曾母投杼そうぼとうちょのことわざもある、いずれは王もウェスタの言葉を信じるに違いない。

 自白も無く、物証も無いとなればこのまま押し通せるのではないか。

 だがラヴィーニアの冷酷な言葉が思考の世界よりファウスティナを現実に引き戻した。

「ファウスティナ、毒は土に染みたとはいえ消え去ったわけじゃ無い。検出できぬわけでは無い。それでもこのまま白を切るか」

「・・・・・・!」

 下唇を噛んでラヴィーニアを睨みつけたファウスティナは目を巡らし、険しい有斗の表情を見、次いで助けを求めるようにウェスタと目を合わせた。

 ウェスタはゆっくりとまぶたを閉じて視線を閉ざす。ファウスティナの顔から血の気が引いた。

 次の瞬間、ファウスティナはすぐ傍にいた羽林の兵に飛びついた。

「こら! 何をする!?」

 王とウェスタ両人の御前であり、めったなことはするまいという油断があった。遥かに非力な女官であっても急にとびかかられては、手際よく取り押さえることができなかった。

 振りほどこうとしただけで、ファウスティナがしようとしていることに対して有効な対策を打たなかった。

 瞬時にファウスティナが何をしようとしているのか理解したのはラヴィーニアだけである。

「押さえろ!! 死なしてはならぬ!」

 だが周囲の羽林の兵が取りつくよりも前に、ファウスティナは羽林の兵の腰にある鞘から剣を僅かに抜き、刃を首筋に押し当てた。

 襟元から鮮血が滝のようにほとばしり、そしてファウスティナは末期の息を吐きだすと、ゆっくりと腰を落として後ろに倒れた。血が一面に広がり床を赤く染める。

 ウェスタが口から悲鳴を上げ、女官たちはその場で卒倒した。

「陛下、こと切れております」

 羽林将軍デケネウが駆け寄る僅かな時の間にファウスティナの目から光が失われていた。


 喧騒に包まれた昭陽舎に有斗は秩序を取り戻させようと命を下した。

「女官たちを自分の部屋に戻すように手を貸してやれ」

「分かりました」

 羽林の兵たちは気を失ったり、腰を抜かして歩くこともままならない女官たちに手を貸して自室へと引き取らせる。

 有斗は背後のウェスタを振り返った。女丈夫のウェスタも右腕とも頼んでいたファウスティナが犯人だったことにか、あるいは目の前で死んだためかは分からないが、とにかく顔面を蒼白にして呆然と焦点の合わない目をして立ちすくんでいた。

「ウェスタも戻るがよい、疲れたであろう」

 有斗の言葉にもウェスタは直ぐには応じられなかった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」

 放心状態のウェスタに有斗は再び優しく声をかけた。

「梨壺よ、すまないがもうしばらく不自由をかける」

 ウェスタは頭を下げて、ふらふらと廊下を泳ぐようになんとか歩いた。

 戦場にも出たことのあるウェスタではあるが、平和になって後宮暮らしをして久しい。昔のような血生臭いことにはショックなのであろう。

 それに対して一方、と有斗は思った。

「それにしても、そなたらはよく平然としていられるな」

 羽林の兵すら動顛どうてんしている中、その場に残った二人の女、ラヴィーニアと名前すらも知らない女官はまるで何もなかったかのように落ち着き払って立っていた。

「慣れておりますゆえ」

 その返答に有斗は鼻を鳴らした。

「可愛げのない」


 一通りの後始末をすると有斗はデケネウと清涼殿へと戻った。

「陛下、良かったですね」

「何がだ?」

 デケネウはまだ有斗が浮かぬ表情のままであることを不思議に思った。

「これで皇后陛下の御疑いは晴れたということになるではないですか」

「デケネウよ、忘れるな。後涼殿で起きた女官殺しにファウスティナは関与しておらぬ。それは確実だ。羽林の兵が封鎖する中、梨壺の者が出入りすることは叶わぬし、カロイエとファウスティナは仲が良いわけでは無い。全てがこの女の頭から出でたわけでは無い」

「あ・・・さようでした」

「デケネウ、後涼殿と梨壺にある全ての書簡を一枚残らず余の下に持って参れ。精査する必要がありそうだ」

 カロイエの背後にセルウィリアが、ファウスティナの背後にウェスタが関係していないかどうか調べておくべきだと有斗は思った。



 結論から言えば、セルウィリアもウェスタもこの一件に何ら関与はしていなかった。

 その後の調査で結果として見えてきた事件の全容はこうである。

 後涼殿と梨壺との女の戦いは、王の第一子を上げるまでは断然、ウェスタのほうが分があったのだが、継嗣を産むという一番大事な戦いにウェスタは正妃であるセルウィリアに一歩も二歩も後れを取った。

 ウェスタやステファノスの未来のために、この後れを挽回しておく必要があると考えた。それがファウスティナ自身の身の浮沈にも関わってくるのだから必死にもなろうというものだ。

 常日頃からファウスティナは失地回復を狙っていた、そんな時である。


 毒身をして死んだ梨壺の女官とカロイエらに自殺を装って殺された後涼殿の女官は同郷と言うこともあって仲が良かった。

 いざという時のために毒を両親に持たされたということも何かの拍子に話したということがあったのだろう。

 その話を偶然耳にしたか、梨壺の女官が話のついでに口を滑らせたかは今となっては分からないが、これを知ったファウスティナは利用できると思った。

 梨壺で毒殺騒ぎがあれば、疑いの目は真っ先にセルウィリアに向けられるし、女官が毒を所持していたとあれば、冤罪であっても言い逃れは苦しくはなる。有罪は固い。

 お付きの女官が対立関係にある立場の人物を殺そうとしたとあっては、知らぬことであってもセルウィリアの立場は悪くなる。有斗の覚えも目出度くなくなるであろう。自然と足は遠くなる。

 もしかしたらセルウィリアにその罪を被せて後宮から追放させるという不遜な考えさえ抱いたかもしれないが、今となってはそれは分からない。

 ただ問題はそれが自作自演と発覚しては意味が無いということである。ということは狂言でなく本当に毒を使わなければならない。

 しかもセルウィリアが毒殺を企むとしたらその対象は一般の女官ということはありえない。ウェスタかステファノスということになるのが頭の痛いところだった。その二人の口には絶対に毒を入れるわけにはいかない。

 だが幸いにして、その二人にはお毒見役がいる。

 お毒見役は運が悪ければ死ぬかもしれない。いや、信憑性を上げるためにはむしろ死ぬことの方が望ましい。それに毒が少量で効きが遅かったなら、ウェスタやステファノスが膳に箸をつけることがあるかもしれない。

 膳を運んだものが毒見役をそのまま務めるが、その多くは誰あろうファウスティナ本人であった。さすがに自分が死んでは本末転倒である。

 そこでファウスティナが生贄がいないか周囲を見渡すと、先ほど毒の話をした女官が目に留まった。

 その女官とはあまり親しい関係では無かったから、死んだとしてもそれほど心が痛まなかったし、そもそもその女官が同郷のよしみとやらで後涼殿の女官と往来を重ねていたことが気に食わなかったのだ。

 裏で後涼殿に通じていることがあるかもしれない。ならば早めに排除しておいた方がウェスタの為でもあると、ファウスティナは殺人という罪を犯すことに関して自己正当化をした。

 あらかじめ用意しておいた致死量の毒を、隙を見てステファノスの膳に入れた。そして毒見をした女官は死んだ。

 ここまでがファウスティナの犯行であった。そして事件はファウスティナの企み通りに進んでいき、セルウィリアの立場は危ういものとなった。

 それに対して過剰反応を示したのは典侍カロイエだ。

 彼女はこの事件でなんら主導的に悪を働こうとしたことは無く、全てにおいて受動的に自分が正しいと思ったことを実行したに過ぎなかった。ただ結果として最悪な形になっただけである。

 カロイエはファウスティナの策略であるとは気づかず、ただ後涼殿の女官が梨壺に対して毒を盛ったと信じ込んだ。

 セルウィリアが窮地に立たされたことに嘆き、自身の監督不行き届きを責め、そんな大事を相談もせずに実行した女官を憎んだ

 そして思った。そんな行動を行うのは見かけによらず並外れた野心を持っているからではないか。すなわち、これを功績としてカロイエの地位にとって代わり、あるいはセルウィリアさえ追い落としてその席に座ることを企んでいるのではないかと震えた。

 そんな危険な女をこのまま後涼殿に置いていては、いずれは自身やセルウィリアにもっと酷い災いが降りかかってくる。すぐにでも除いておいたほうが良い。

 責任を取って自殺したとすれば世間にたいして格好もつくだろうと考え、親しい者を語らって女官を殺して自殺を偽装したのである。

 独善であり、浅知恵でもあった。

 このように二人の高位の女官がそれぞれ別々の思惑をもって動いたことで、事件は複雑化し、二人の犠牲者を出す後味の悪い事件となった。



 まだ後始末は残るものの、とりあえず犯行の全体像は判明し、事件は解決を見た。

 ここまでであれば、この事件は殺された二人の女官とその家族にとっては悲劇ではあるが、よくある後宮の寵姫やその取り巻きによる足の引っ張り合いとして史書の一ページには記述されるであろうが、歴史に詳しい人が知っている程度の些細な事件として時と共に忘却される運命にあったであろう。

 だが、この事件はここから意味合いを変えて変転するのである。

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