第424話 後宮某重大事件(Ⅱ)

「死んだ・・・? あの女官がか・・・?」

 内裏封鎖の実務責任者である羽林中郎将から報告を受けた有斗は、事態が急転直下したことに呆然とした。

「・・・・・・・・・」

「己の犯した罪の大きさに、今更ながらに恐れを抱いて自決したのではないでしょうか」

 羽林中郎将のその見解に有斗は同意しかねるものを感じ、首を軽くひねった。

「だが、あの女官は最後まで無実の罪だと主張していた。無実の罪なら首をくくる道理が無いし、真犯人だったとしたも、そのような神妙な考えに及ぶとは思えないが」

「それは背後であの女官を操っていた何者かを恐れはばかって、その場は取り繕うとしたのではないでしょうか。陛下直々の査問にいつまでも隠しきれるものではないと悟り、その者に火の粉がかかる前に死んで口を閉ざすしかないと考えたのやもしれませぬ」

「・・・辻褄つじつまはあっているが・・・・・・」

 有斗はしばらく机上に置かれたすずりを指の腹で擦りつつ考え込んでいたが、ふと思い当たって、その手慰みを止めて羽林中郎将に振り返った。

「とすると羽林中郎将は背後には大物の黒幕がいると言いたいわけか? それは皇后のことを指しておるのか?」

 羽林中郎将にしてみれば誰と明確に名指ししたわけでなく、可能性の話を軽く言っただけのつもりだっただけに、有斗がセルウィリアを名指ししたことに大層驚き慌てた。

「そ、そこまでは申しておりませぬ!」

 羽林中郎将が皇后を黒幕であると王に告げ口したなどいうことが漏れ聞こえたら、それが真実であるか否かに関係なく、多くの人間を敵に回すことになるのは目に見えている。

 同じく羽林中郎将であったアエネアスとは大いに異なり、感情のままに生きているわけでもなく、相手が何者であろうとも己を曲げないような胴性骨どしょうぼねの太さもない今の羽林中郎将は、己が命にかかわるとばかりに明確に否定してみせた。とはいえ身分の差を考えると、それがごく普通の反応というものである。


 なおも有斗が女官が自殺すると考えるに足るだけの十分な理由があるかどうか考え込んでいると、その場に更にもう一人、羽林将軍の一人であるデケネウが血相を変えて入ってきた。

 デケネウは四師の乱後にアエティウスが有斗を守るために羽林に入れた兵の一人、つまりダルタロス出身者である。

 アエネアスの下で常に近侍して戦場に出ていたこともあって、有斗とも随分と顔馴染みだ。

 とはいえ、そのことが理由で出世したかというとそうではない。それだけなら他に何人もいるのである。

 折衝の才があり、ダルタロス出身者だけでなく関東の元々の羽林の兵にも人望があることから羽林将軍にまで異例中の異例の出世を遂げた男である。

 北辺の地の伝説の回でプロイティデスの越階について述べたが、プロイティデスは陪臣といえどもダルタロス家中では大物中の大物といって良い。それに比べればデケネウはダルタロス家中ではその他大勢の名もなき一家臣に過ぎない。

 それが武挙も経ずに、従四位下である羽林将軍という花形ポストについたということを考えると、アエネアスやプロイティデス以上の出世頭であるとも言える。

 ただ、今は羽林将軍はアエネアスが一人で羽林の全てを取り仕切っていた時と異なり、往時の王朝のしきたりに従って正、ごんの二名が任じられている。

 ちなみにデケネウが任じられているのは権のほうである。

 職務分担も進み、儀礼式典の時を除いたら有斗の警護などを実際に行うことは無く、羽林大将軍の補佐をして組織運営を行うのが主任務であった。今は事態が事態なのでデケネウは内裏封鎖の総責任者として後宮に詰めている。

 デケネウは執務室の扉を閉じると有斗の側まで耳元までにじり寄り、小さな声で本題を告げた。

「陛下、どうも事情が異なって参ったようですぞ」

 有斗はわずかに頭を上げてデケネウに視線を向けた。

「なんだ?」

「例の女官ですが、他殺の疑いが濃くなりました」

「なんだって!?」

 有斗はここ最近では珍しく、臣下の前にも関わらず驚きの色を表に出した。それだけ驚くに値する出来事だった。

「あの女官は何者かに殺害され、自殺したかのように偽装されたに相違ありません」

 しばらく口を開くことができなかった有斗だが、ようやくのことで喉の奥から声を絞り出した。

「羽林将軍、それが真実ならばこれは容易ならざる事態だぞ」

「と申しますと」

 有斗はその問いには答えず、脇に控える羽林中郎将に逆に問いただした。

「・・・中郎将よ。昨夜、後涼殿には何者の出入りも許さなかったであろうな」

「も、もちろんです」

 予想通りの羽林中郎将の言葉を聞いて有斗は深く息を吐きだし、デケネウの問いに今度は答える。

「つまり後涼殿の中に犯人がいるということになる」

 今まではあの女官の言うことが真実である可能性は無かったわけでは無いのだが、口を塞ぐための他殺ともなれば、真の首謀者が他にいることになる。それはすなわち死んだ女官と殺した人物、すなわち後涼殿にいる二人以上の複数人が犯行にかかわっていたという線が色濃くなったのだ。

 真実を知られたくないがゆえに女官の口を塞いだ何者かが後涼殿の中にいる。

 そして後涼殿の中の女官は全てセルウィリアの息がかかっているといっても過言ではない。

 当然、セルウィリアの関与も一段と疑われることとなる。


 だがまだセルウィリアが確実に犯行にかかわったとまでは言い切れない。

 有斗は気を取り直して顔色を元に戻すと、デケネウに真偽を問いただした。

「だがそれは真か? 羽林将軍が他殺だと思う根拠を述べよ」

 デケネウは南部の男らしく実直な男で、嘘偽りを言うとは思わなかったが、それでも有斗は納得できるだけの理由を尋ねざるを得なかった。

「身体のあちこちに争った跡があります。首の絞痕も天井に吊るされた紐と一致しません」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 有斗は険しい顔をして黙り込んだ。

「陛下、これは何者かに首を絞められ殺害された後、自殺を偽装するために天井のはりに吊るされたということです」

「・・・分かってる」

「陛下、ご決断を」

 躊躇ためらう様子を見せる有斗に羽林将軍は決断を促した。動くならば少しでも早い方が犯人を捕まえる可能性が高くなる。

 だがそれは後涼殿という聖域に手を突っ込むことであり、セルウィリアや女官たちを犯罪者とみなすに等しく、反感を買う行為である。羽林ごときでは鼻であしらわれるだけであろう。どうあっても背後に王の意向というものが必要なのだ。

 もちろん王がこれ以上、真実を知りたくない、犯人を捕まえたくないと思えば別であるが。

「わかった。必ず犯人を見つけ出せ。相手が誰であろうとも遠慮会釈はいらぬ。余が許す」

 デケネウらは王が情に囚われて真実を隠蔽いんぺいすることなく、正義を貫こうと判断を下したことに安堵すると同時に、自らが戦うべき相手の大きさに気を引き締めた。

「はっ!!!」

「それでは早急に!」

 すぐにも清涼殿を出ていこうとした二人を有斗はなぜか制止した。

「待て」

 デケネウらは足を止め、困惑した顔を見合わせた。有斗が気が変わったのかと思ったのである。

 だがそれは杞憂きゆうであった。有斗は王服をひらめかせると立ち上がった。

「余も行かねばなるまい。先導せよ」

「はっ!!!」

 セルウィリアの身体を羽林の兵に触れさせるわけにはいかないし、かといってセルウィリアを取り調べの対象から外す訳にもいかないからである。

 それに羽林の幹部である二人の前では口に出さなかったが、大規模な陰謀であるなら、あるいは羽林の兵にも手を貸したものがいるかもしれぬ、と有斗は心の中で思っていた。

 羽林の兵ならば人目につかないよう怪しまれずに後涼殿に入ることができる。

 とにかく何者が関与しているか分からない以上、揉み消されることのないように、有斗が現場で目を光らせておく必要がある。


 とても王自らが見聞するようなものではないとデケネウらは止めたが、有斗はまず、己の目で他殺かどうかを確認するために死んだ女官の部屋に向かった。

 死体は既に床に下され寝かされていたが、天井には帯か細長ででもあろうか鮮やかな布が梁に結ばれ垂れ下がっており、ここで起こったことを無言で物語っていた。

 顔に掛けられた布をめくると、女官の顔は生前の美貌が分からぬほど変色し、他の女官にはとても見せられない痛ましい姿だった。

 とはいえ戦場で見た幾多の死体に比べればなんということはない。有斗は臆することなく傍に近づき、首の絞殺痕と梁に吊るされていた絹布とを比べ、太さや痕跡に相違があることを確認した。

 しかも確かに手や足には何かにぶつけたような複数のあざが見られる。

 他に有斗の目を惹いたのは首にできた無数の引っかき傷の痕である。

 それは首に巻き付いた何物かを解こうと抵抗を試みた痕跡だった。覚悟の自殺なら、そんな傷がつく理由が無いし、そもそも首が締まれば早々に意識を失ってしまう。

 ・・・ということを日本にいたころ、テレビドラマで見たことを有斗は思い出したのだ。

 これらのことを総合すると、デケネウの言葉は真実に違いない。これは他殺だ。


「陛下がおいでとお聞きしました、是非とも御目文字いたしとうございます」

 後涼殿中に鈴の音にもたとえられる美しい声が響き渡る。有斗が後涼殿に足を運んだと知ってセルウィリアが訪れたものらしい。

 だが声はすれども姿は現れない。

「皇后さま、ここより先はご容赦を」

 羽林の兵が廊下に立ち塞がって、セルウィリアらの足を留めたのだ。

「わたくしは国母ですよ! 何故、止めるのですか!!」

「皇后さまになんたる無礼を働くのです! 痴れ者ッ!」

 セルウィリアやお付きの女官たちが抗議をするが、羽林の兵たちは聞こうとはしなかった。

 有斗はセルウィリアでさえも後涼殿からの出入りを禁じた。いかなセルウィリアとはいえ有斗の禁足令のほうが優先される。

「皇后さま、陛下の御命令なのです。お許しください」

 とはいえ女官ですらも一羽林の身の上では普段なら相手にもされない高位の存在である。セルウィリアならばなおさらであろう。有斗の命があるとはいえ、難しい立場に立たされ羽林の兵の言葉には苦衷の色が滲む。

「陛下、いかがなさいますか? ここまで来たにもかかわらず、皇后さまに会わないというのも差し障りがあるのではないでしょうか? 急いで場を作りましょうか?」

 デケネウはセルウィリアらと羽林の兵らの双方に気を利かして、有斗にセルウィリアと会うか尋ねた。

「よい」

 そう言うと、有斗はセルウィリアらに間違って中が見えないよう注意深く扉を開けて部屋を出る。有斗と違って、こういったことには疎い彼女らにとっては刺激が強すぎるであろう。失神されても迷惑なだけである。

「皇后か。苦労をかける。何か不自由なことは無いか」

 有斗が出てきて普段と変わることなく声をかけたことに、セルウィリアは喜びで顔を輝かせた。

「陛下、この度はご心配をおかけしました。ですが信じてください。これは何かの間違いです。わたくしの女官が二ノ宮君にのみやぎみに毒を盛るなど、決して致すはずがございませんもの!」

 互いの信頼関係から言っても、セルウィリアは有斗に直に話しさえすれば疑いが晴れ、今の状況から解放されると信じていた。

 それは分かる。有斗だって信じたい気持ちはやまやまだが、王としての立場というものがある。確証もなしにそう容易く無罪放免とするわけにはいかない。

「皇后らの言い分は後で聞こう。だがもう事態は予断を許さないところまできておる。後涼殿の全ての女官をあらためる。異存はないな」

「陛下、お言葉ながら、わたくし付きの女官にそのような不心得者がいるはずがございません。疑われるのは心外でございます」

「そうですわ、陛下!」

「私たちを御信じ下さい!!」

「梨壺あたりの策略に相違ありませぬ!」

 セルウィリアに合わせ、女官らが一斉に婉曲な拒否の大合唱を始めるが、その全てに対して有斗は耳を塞いだ。

いなやは許さぬ。セルウィリア、そなたも例外ではない。余があらためる」

「陛下!!」

「もしやましいところがないのならば、探られたところで問題はあるまい。そもそも無実を明らかにせねば、梨壺や世間は納得はすまい。これはそなたらの為でもあるのだ」

 有斗は懇々と諭したつもりだったが、セルウィリアは眉を吊り上げて抗議の意を表しただけだった。


 よほど怒ったのか、有斗が服をまくって指や腕を調べる間、セルウィリアは逆らいはしなかったものの一言も話さず、視線も合わせなかった。

 美しい腕や指には傷一つありはしなかった。

 有斗は内心でほっと胸を撫で下ろす。

 セルウィリアがそのような女性ではないと信じていたが、それでも状況証拠を考えると全く疑わないわけにもいかなかったからである。

 すっかり機嫌を損ねてしまったセルウィリアの側にいるのも居心地が悪いので、有斗は他の女官がどうだったか確認するために場を外した。

 結果は想像通りだった。

「陛下、明らかに昨日今日できた生傷がある者が四人おりました。本人たちは火鉢に当たった、あるいは転んだなどと申し、日常生活でついた傷であって、やましいところはないと口を揃えておりますが」

「怪しいと思うか?」

「はい」

 そしてデケネウは女官の名を立て続けに四人ばかり上げた。有斗はその四人の名を聞いて、大きな共通点が一つあることに気が付いた。

「・・・いずれも新大典侍しんおおすけに近い者たちだな」

 新大典侍とは次席典侍のことである。アリスディア時代の新大典侍が今の尚侍、グラウケネであったといえば、どういった立場であるか分かっていただけるであろうか。

 今の新大典侍はカロイエと言って、セルウィリア付きの女官の長である。客人となったセルウィリアにアリスディアが世話係として付けた女官で、当時は掌侍ないしのじょうだった。

 セルウィリアが皇后となった今もそのまま仕えることとなり、後涼殿の女官を取りまとめ、有斗とセルウィリアの間の伝達や、臣下のセルウィリアへの取次などを行う重要なポジションを任されている。

 尚侍グラウケネが有斗の秘書室長だとすれば、典侍カロイエはセルウィリアの秘書室長といって良い。

 四人いる典侍としての順位は次席に過ぎず、内侍司では第三位に当たるが、セルウィリアとの関係性からも後宮では実質、尚侍グラウケネに次ぐ地位にあると言われている女官である。

「はい。それともう一つ、新大典侍殿にも腕に軽い傷がございました」

「何!?」

「本人は猫に引っかかれたと申しておりますが、疑わしいところがあります、猫の爪にしては幅が広く、傷が浅いように見受けられます」

「わかった。尋問を続けよ」

「・・・お言葉ではありますが、こうなったからには羽林の手には余る事件であると愚考仕ります。監察の専門家である霜台そうたい、あるいは大理だいり、もしくは高位の公卿の方々に任せてはいかがでしょうか?」

 羽林がこの一件を預かることとなったのは、もちろん有斗が命じたからというのが第一の理由であるが、その後ろには事件か事故か定かでなく、物事をこれ以上大きくしない為に、王との心理的距離が近い羽林が選ばれたとデケネウは思っていた。

 羽林は王の第一の私兵ともいうべき信頼できる存在ではあるが、こと裁判や捜査となると素人の集まりに過ぎない。真実を暴くという点では王の役に十分に立てそうにない。

 何らかの陰謀があったことは誰がどう見ても明らかなのであるから、これから先は霜台や大理に任せるべきである。司直の手に余るというのならば、公卿の中から責任者を王が任じて事に当たるべきだというのがデケネウの考えであった。

 だが有斗には有斗の考えがある。

「それには及ばぬ。霜台や大理、公卿らとて一定の配慮を致さぬとは申せまい。そなたらの方が信用できる。場合によっては余、直々にただしても良い」

 後宮のことは王の私事であり、朝廷と言えども介入する前例を作るべきではないし、それにセルウィリアに遠慮して十分な捜査が行われずに事件が有耶無耶になる可能性を危惧したのだ。

 有斗の意志を十分に汲んで真実をつまびらかにするには素人であっても羽林の兵たちの方が適任である。

「はっ」

 王の意向を受け、デケネウはこれからとてつもない難題に直面することであろうと身構えた。

 緊張の面持ちのデケネウに有斗は一つのことに対して釘を刺した。

「それからデケネウ、分かっているとは思うが・・・」

「は?」

「真実を暴き出せば何をしても良いというわけでは無い。自白を引き出すために拷問を加えてはならぬ。アリスディアのようなことは許さぬ」

「心得ております」

 デケネウとてアリスディアのことは心を痛め憤慨した一人である。デケネウは深く叩頭した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る