第422話 北辺の地の伝説

 待望の世嗣の誕生に、朝廷は満場一致をもって恩赦を奏上し、有斗はそれを許した。ヘヴェリウスが罪を許されて自由の身になったのは、この時である。


 さていよいよ後宮某重大事件かと身構えたところに水を差すような形になって申し訳ない話だが、その前に有斗と戦場を共に馳せた将軍たちの現在の姿について少し話をしたい。

 そのうちの幾人かは後宮某重大事件に直接かかわることになるし、その時に名前の出ない将軍について、どうしていないのかということをそこで書くと話の腰を折る形になってしまうからである。

 もう少し前に書くべき話だったのだが、端的に言うと書き忘れていたのだ。


 教団との戦いに臨んだ時点で存命だった王師の高名な将軍を書き出してみると、


 羽林将軍 アエネアス

 第一軍 プロイティデス

 第二軍 エテオクロス

 第三軍 ヒュベル

 第四軍 リュケネ

 第五軍 ザラルセン

 第六軍 ステロベ

 第七軍 ベルビオ

 第八軍 アクトール

 第九軍 エレクトライ

 第十軍 ガニメデ


 の十一人となる。


 この中で、アエネアスとガニメデは教団との戦いの中で命を落とした。

 だが残る九人中、今も将軍の地位にあるのはベルビオただ一人であった。

「長く軍中に留めては将軍と兵士の間柄が親密になり、王師が将軍の私兵となりかねません。乱の元です」といったラヴィーニアの意見に有斗が耳を傾けたというエピソードが後世に広く伝わっているが、本当の理由は建国の元勲である彼らに強く酬いておくべきだと、有斗がこぞって官位を上げて公卿にしたからである。

 出世人の筆頭はステロベである。相変わらずの一言居士であって、時には有斗でも煙たいと思うこともあったが、血筋の良さと政治の才を持ち合わせていることから三公の一人、内府に抜擢された。

 もっともこれにはセルウィリアが強く推したということも影響している。自身の後ろ盾となる存在になってくれることを望んだのだ。

 もちろんそれだけではなく、関西閥の老臣が立て続けに死んで崩れた朝廷のバランスをならしておこうと有斗が政治的な判断から異例の抜擢をしたという事情もある。だが実績や実力、あるいは教養や血筋といったものを兼ね備えていたことから特に大きな反対の声は上がらなかった。

 エテオクロスとリュケネは黄門侍郎こうもんじろうへと順当に出世している。だが南部の教団反乱の後始末、上州擾乱の後始末、その後は西京鷹徳府さいけいけいとくふを治める鎮西将軍といった肩書こそ立派だが、難しく誰も好き好んではやらない地方の仕事ばかりを割り振られているリュケネは、兵部尚書、工部尚書という要職を歴任したエテオクロスに比べると貧乏くじを引いたかもしれない。

 とはいえ有斗にしてみれば、民政と兵事の双方の才を必要とするため誰にでも任せることのできない難しい仕事なので適任のリュケネに白羽の矢を立てただけなのである。

 この二人を越階おっかいして大議に一足飛びに出世したのがプロイティデスである。

 これには同じく越階された官吏たちだけでなく、同僚の将軍たちや兵士たちまで驚いた。

 プロイティデスは王師の要たる第一軍を率いて、有斗と共に数多の戦場を戦い抜いた。それは誰しもが認める事実であり功績である。

 しかし第一軍という立場上、軍の中央、王の前面に布陣して羽林と共に王を守護する役割が求められる。よって最精鋭の軍ではあるが、他の軍に比べて進退の自由度が低く、派手な手柄を立てる機会というものが少なかった。

 その指揮官であるプロイティデスも第一軍と同じく堅実でなくてはならぬ存在であったが、前任者のアエティウスや他の将軍と比べると地味で目立たない存在であった。

 言ってみればエテオクロスやリュケネよりも一段下の将軍であると見られていた。実績だけでなく元がアエティウスの家臣、すなわち陪臣の出であったことも一段下に見られる原因でもあった。この時代の身分に対する観念は戦国という下剋上の世界においても根深いものがあるのだ。

 だから抜擢には反対意見が少なくなかったが、有斗はそれらの意見に耳を貸さなかった。

 アエティウス死後に動揺する王師内のダルタロス勢をまとめたこと、有斗の意向を受けて河北のニケーア伯を処断するなど目には見えない裏仕事をしてくれたことに感謝して賞したつもりであった。

 もっとも、有斗は命を落としたアエティウスやアリアボネやアエネアスの代わりとして、プロイティデスを贔屓ひいきして引き立てているのではないかとセルウィリアなどは口に出さないまでも思っていた。

 アクトールとエレクトライは宰相に昇った。公はともかく、一介の地方伯が宰相に昇るのは武帝の御代より例のないことである。とはいえエレクトライは先年、惜しくも鬼籍に入ってしまい、幽明境を異にしていた。

 ヒュベルも宰相に昇り、合わせて兵部侍郎を任じられて宮廷人の仲間入りをしている。もっともそういった政界での活躍よりも、後宮の女官や公卿の娘とたびたび浮名を流すことで話題になるような伊達男なのは相変わらずである。

 上記の面々と異なり、ベルビオだけが現役の将軍のままであるのは本人の希望である。

「公卿なんてガラでもねぇです」と言うベルビオの言葉は有斗にも共感できるものだったので、位階だけ正四位下にまで上り詰めたが、ベルビオは第一軍の指揮官として今も現役の将軍であった。

 今や生ける伝説でもあるベルビオは、全軍の兵士から尊敬の眼差しで見上げられる存在であったから、とても勤まりそうにない官吏よりはベルビオの為にも将軍のままでいるのが幸せであっただろう。


 さて勘のいい読者なら、将軍に残りもせず、公卿になりもせず、死んでもいない男で触れられていない男が一人残っていることに気が付くであろう。

 そう、ザラルセンである。

 実はザラルセンは有斗がセルウィリアと結婚し、アリスディアに恩赦を下した頃に官を辞して野に下っていて、もう王都にすらいなかったのだ。

 

「何故だ」

 将軍の地位を捨てて北辺の地へ帰ると言いだしたザラルセンに、多少感情を抑えきれない声で有斗は問いただした。やっと全てが終わったこの時にいきなり下野するなどと言われては、自分が見捨てられるような気がして有斗は心外な思いだった。

 有斗はこの時、ガニメデやアエネアスを戦いの中で失ったばかりということもあっていつもよりもセンチメンタルだったのだ。

「陛下は宿願の天下一統を成し遂げた。陛下を助けるという俺の役目は終わったのさ。もう天下にはカトレウスもテイレシアもいない───俺が戦うべき相手はもうこの世にはいないじゃねえか」

「戦いは終わったかもしれないけど、それがザラルセンが去ってしまう理由にはならないよ。できれば僕はザラルセンにここにいて欲しい」

「そうは言うが・・・どうもここは窮屈でいけねぇ。王都の空は北辺の広大な野天に比べると狭くて低い。何をするにも窮屈でいけねぇや」

 言われてみれば戦場ではあれほど生き生きとしているザラルセンだが、王都においては存在感が全くと言っていいほど消え失せている。身体が大きいからという物理的な意味で無く、心理的な意味でザラルセンにとって宮中は狭いのかもしれない。

「宮廷勤めが嫌だっていうなら、どこかの伯に任じよう。伯は領土内では王様みたいなものさ。誰からも指図を受けることはない。無理して宮中に出てこなくたっていい。そうすれば自由に暮らせるんじゃないか?」

「俺にエレクトライの奴みたいに椅子にかしこまって偉ぶって暮らせっていうのか? 貴族なんてものになれば、土地に縛られ、家臣に縛られ、法に縛られ、民に縛られる。気苦労ばかり多くていけねぇや。陛下には悪いが、俺は何にも縛られずに広大なお天道様の下で暮らすのが性に合ってる」

「でも王師をやめてこれからどうするんだよ? 伯になれば生活は困らないよ」

「そんなこたぁ、陛下が気にすることじゃねぇ。俺には父母からもらったこの強靭な体と無敵の八尺の大弓、そして愛するマエサがいる。それだけで十分だ」

「・・・・・・そうか」

 愛するひとという言葉に有斗の心は締め付けられるようだった。有斗は配偶者としてセルウィリアを選んでいたものの、この時点では本当に愛しているかと問われれば即答できかねないというのが本音だったのだ。


 とはいえザラルセンほどの働きに何一つ褒章もなしでは有斗の気が済まないし、朝廷の信賞というものに臣民が疑いの目が向けることにもなりかねない。

 そこで有斗はザラルセンを連れて宝物庫や、倉庫と化している後宮の部屋部屋を巡り、何か欲しいものはないかと尋ねた。

 まずは朝廷秘蔵の伝来の武具などに興味を示したザラルセンだったが、軽く触ってみた結果、どうもしっくりこなかったらしくすぐに興味を失くした。どうやら見栄え重視で作られているために実用的ではないところが気に入らないようだった。

 ザラルセンはしばらく朝廷伝来の値段が付けられないほどの宝物を見て回った。特に興味を惹かれるものが無く選びあぐねていたようだったが、最後に女ものの宝冠を無造作に選んだ。

「これでいい。これを貰う」

「それ一つ? もっと持って行ってもいいんだよ?」

「これで充分さ。妃や姫御子の髪を飾っていた一品だとでも言やあ、あいつも喜ぶだろう」

 言葉からするとザラルセンは自分の為というよりは女のために選んだようだった。有斗の面子を立てるために、それほど欲しくもないものを選んだのであろう。

 

 ザラルセンが言う女と言うのは、ザラルセンに影のように付き従っていた背の高い女だった。名前までは知らなかったが、有人も幾たびも戦場で見た覚えがある。

 その女、マエサは私にこんなものが似合うのかなと恥ずかしがりながらも嬉しそうに宝冠を被った。

「似合わねぇな。お前の髪には野にある花でも挿していたほうが似合ってる」

「馬鹿」

 ザラルセンにはそうけなされたものの、マエサは気に入ったらしく高価な宝冠をうっとりと眺め、幾度もかぶり直してははにかんだ。


 正式に王師から除籍されるとザラルセンとマエサは二人、馬上の人となった。

 栄誉や権力に背を向けて、ただ愛する人と共に荒野へと去り行くザラルセンを有斗は半ば羨望の眼差しで見送った。


 一部の朝臣たちの中には、ザラルセンのような一代の傑物はマシニッサと同じで、朝廷という権威の檻の中で飼っておくから安心で役に立つのであり、この行為は虎を野に放つような真似であると後顧を憂う者もあった。

 だがその者たちの懸念をよそに、ザラルセンは北辺の地に溶け込んで、その一切の形跡を消し去ってしまう。

 ザラルセンは気がむくままに無秩序に暴れまわっていたように見えるが、ザラルセンにはザラルセンの正義があった。

 荒野に屍を晒す流民を見て涙を流し、欲望のままに奪い続ける流賊に怒り、戦いに明け暮れているだけの朝廷や諸侯に嫌気をさし、この腐った世の中で己を立てるために戦っていたのだ。

 戦国の世で自分が何者であるかを探し続けていた、その自己表現の形が戦いであったといってよい。

 テイレシアと戦い、有斗と戦い、カトレウスと戦い、そして有斗に協力して天下統一を成し遂げたことで、そういった感情を全て吐き出してしまったのであろう。

 ザラルセンは歴史から一切の痕跡を残さず消えた。

 もし北辺の地では恒例行事である反乱でもあれば、首魁として祭り上げられるか、あるいは朝廷の先駆として乱を鎮めるかでもして、ザラルセンにも再び歴史に浮上する場があったのだろうが、戦乱が終わり交易が再開されたことで北辺の地は安定したのか、しばらくは平穏に治まった。

 史書にも「ザラルセンは王の厚恩と褒美に感謝しつつも、その全てを断り、下野した」とだけ書かれている。

 現実はただそれだけで、劇的なことなど何一つなく、実にあっけないものである。


 だが後世の人々はそうは思わなかった。

 望んだとしても誰にでも成し遂げることができるわけではない偉業を為したのに、本来得れるはずの莫大な栄誉や報酬から背を向けて去る無欲な人間がこの世にいることがなかなか信じられなかったのだ。

 数々の大功を立てたにも関わらず、領土も官位もただ一人貰わずに下野したことでいろいろな憶測を呼んだ。

 その合理的な解釈を求めて人々は口々にザラルセンの名を膾炙かいしゃし、やがてひとつの伝説が生まれることになる。


 いわゆる『北辺の地の伝説』である。

 

 教団との戦が終わると生き残った者は将軍から兵士に至るまで、首を長くして王が報奨してくれるのを待った。

 だが王はガニメデとアエネアスを厚葬で送ると、次いで自分を賞するがごとくセルウィリアと結婚し、ようやく王のために文字通り血を流した者たちを賞し始めたが、まずはプロイティデスやベルビオら王と近しいものから賞したものだから、不満を持つものが多く表れた。

 その不満を持った人々の代表がザラルセンであった。

「なんで戦場でただ突っ立ってただけな連中が、誰よりも戦場を縦横無尽に走り回った俺より高く評価されなきゃならねぇんだ」

 ザラルセンは誇り高い、いわば自己評価の高い男であったから、誰よりも真っ先に自分が報奨されるものとばかりに決めつけ、王の行動に大いに文句をつけた。

「王を見損なったぜ。誰も俺を評価してくれやしねぇのさ」

 ザラルセンは長い脚で壁を数度蹴ってうっぷんを晴らした。

 そんなザラルセンの姿を見て、マエサは不思議そうに目を丸くする。

「どうした? 王のやることに不満があるというなら出ていけばいいじゃないか? お前らしくもない。なぜそれをしない?」

「・・・・・・」 

「王がどうしたって言うのさ。王は知らなくてもお前が何をしてきたかは、その弓が知っているじゃないか」

 ザラルセンは部屋の隅に置かれた、幾人もの敵を射殺した自慢の大弓に目をやった。使い込まれ、いくつもの刀傷が付いた弓はひっそりと文句ひとつ言わずに、ただそこにあった。

 まるで自分とは正反対だとザラルセンは思った。

「何より私も知っている。それだけでは不満か? 王に評価してほしいというが、文句を言うくせに、まだぐずぐずと王都に留まっているのは、他の者と同じく報奨が欲しいからではないのか? 私の愛したザラルセンという男はそんな小さな男だったのか」

 ザラルセンはマエサの言葉を聞き終わると呵呵と大笑して腿を手で叩いた。

「確かにお前の言う通りだ。俺もいつのまにか王都の連中みたいに考えが腐っちまったようだな。こんなところは俺たちのいるべき場所じゃねぇ。去ろう。戻ろう、北辺へ。王の褒美などいらねぇさ」

 すっかり迷いの消え去った、清々しい顔をしたザラルセンの言葉にマエサは満面の笑みで応えた。

「それでこそ私の愛した男だ」

 ザラルセンとマエサは誰の許しも得ることなく王都を抜け出し、北へと馬首を巡らした。


 現役の将軍が王の許しもなく職を離れるというのは一大事件である。いわば逃亡であり、許されることではない。

 王の、王師の、そして朝廷の威信を揺るがす事態だ。

 有斗は王師全軍に動員をかけ、ザラルセンを追った。

 大河を渡り、河北を越して、北辺の地も中ほどに来たとき、ようやく有斗はザラルセンに追いついた。

 陽光を隠さんばかりの砂煙に、ザラルセンも王師の接近に既に気付いていた。

 話し合いを求めた王師に対して、ザラルセンは一矢放って足止めを喰らわせた。

「来るな! それ以上来れば、本気で射るぞ! 俺は元のとおり自由に生きる!」

 そう言い放つと一切の話し合いを拒否し、再び背を向けたザラルセンは荒野に愛馬を走らせた。

 それは拒絶であり、同時に王師と王の権威に対する挑戦でもあった。

「ザラルセンの傲慢を許しておくわけにはいかない」

「陛下に矢を射かけるなど言語道断、万死に値する」

 追撃すべきであると将軍たちが口々に主張する中、有斗は終始無言であった。

 やがて有斗は馬車をゆっくりと降りた。

「思えばザラルセンほどの功臣をいつまでも賞さなかった余が悪い。ザラルセンに愛想をつかされるのは当然のことだ。余の不明であった」

 有斗は剣を抜くと地面に突き刺さった矢の手前に一本の線を引いた。

「ここから先の地はザラルセンに封じよう。あの馬が疲れて倒れるまでの天と地は全てザラルセンのものである。この線より先では朝廷の法では裁かれない。ザラルセンが矢を射たとしても何ら咎めるところではない」

 そう言って有斗はザラルセンを追うのを辞めて王都へ戻った、という伝説である。


 もちろんこれは単なる作り話である。

 王が国土を切り分けることなどあり得ないし、風よりも速く走ると称されたザラルセンの馬に王が乗った馬車が追いつくわけがない。

 だが民衆は無味乾燥な真実よりも心温まる作り話を信じた。


 後世の人々は乱世を終結させた王を敬慕した。

 だがそれ以上に大義のために命を落としたセルノアやアエティウスやアリアボネ、ヘシオネ、そしてガニメデやアエネアスの悲劇に涙を落とした。

 そしてそれらとは少し別な意味合いで、王ともカトレウスともテイレシアとも戦い生き残った稀有けうな男、ザラルセンの破天荒な生き方を愛したのである。

 特に北辺の地に生きる人々にとってザラルセンの名は特別なものとなった。彼らはこぞってザラルセンの子孫であると称し、そしてそのことを何よりもの誇りとした。

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