第418話 後嗣問題(Ⅴ)

 セルウィリアとウェスタの仲の悪さは有斗にとって頭の痛い問題となったが、それはあくまで個人的な問題だ。もっと国家的に重大な問題も別に存在した。

 それはウェスタも懐妊の兆しが見られないことである。いくら有斗たちが若いとはいえ、いつまでも後嗣がいないとあっては臣民は不安である。有斗の没後を巡って陰謀が企まれて権勢争いが活発になり、民のための本来の政治が疎かにされてしまったり、場合によっては戦乱の世に逆戻りになることもありうる。

 二人入れたのなら三人も同じであると、他の女人を後宮に入れるべきだと朝臣たちは口々に献言した。特に自分の娘を後宮に送り込みたい野心家の公卿たちは熱心にそのことを薦めた。

 だが有斗は乗り気にならなかった。

 不仲は問題であったが、セルウィリアとウェスタ二人とも有斗は好きで満足していたのだ。

 それに新しい女人が加わった時にセルウィリアとウェウタの双方と仲良くできるとは限らない。場合によっては両方といさかいを起こすことだって考えられる。というか二人の気の強さと譲らなさを考えると、その可能性が高い。これ以上厄介ごとが増えるのは御免だった。

 それにセルウィリアだけでなくウェスタも妊娠しないとなれば、問題があるとすれば有斗のほうにあると考えるのがごく自然な流れである。新しい女性を後宮に向け入れたとしても結果は同じではないだろうか。有斗はそうも思うのである。

 だからたびたびの諫言にもかかわらず、有斗は聞く耳を持たなかった。


「あ~~~~~~今日も疲れたなぁ・・・」

 有斗は執務室を退いて自室に戻り、窮屈な靴を脱ぎ棄て裸足になると行儀悪く大の字になって寝台に倒れ込んだ。

 表では言葉遣いなども改め、すっかり王らしくなったと何かと普段は口うるさい老臣たちからもお褒めの言葉を頂くほど王様業がすっかり板についた有斗だったが、素に戻れば以前と対して代わりばえしない。

 そこを陛下は裏では相変わらず子供っぽいなどとウェスタにからかわれたりもするが有斗はたいして気にも留めなかった。プライベートな空間でくらい素の自分でいたいのだ。

「ウェスタどうしたの。こっちに来なよ」

 いつもと異なり、入り口近くで澄ました顔で直立したままのウェスタに、有斗は横の布団を叩いて傍にくるように促した。

 有斗はとっととすることをして早く眠りたいのである。といってもウェスタはセルウィリアと違って、なかなか素直に眠らしてくれないのだが。

「その前に今日は陛下にお話ししたいことがあります」

 ウェスタはいつものように襲い掛かるのではなく、寝台の有斗の横に正座して座り、ことさらかしこまった。

「何? また誰か新しい女官として後宮にいれたいの?」

 ウェスタは女御であるから、公的私的な面でサポートを行うための女御付きの女官というものが存在する。だがウェスタはこういった性格であるから、真面目で気位の高い後宮の女官たちとは基本的に折り合いが悪く、結果として精神を病んでしまったり、あるいは衝突したりして職を辞してたびたび欠員になってしまうのだ。やむなく代わりとしてウェスタの家人を女官に任じて後宮に入れ、欠員補充としたという過去の経緯がある。

 この間、ウェスタ付きの女官が一人、またしても気の病で(ようするに鬱になってしまったのだ)宿下がりしたため有斗はこう言ったのだ。

「今回はお願いではございませぬ。それよりももっと重要なことです」

 だがどうやらその有斗の思い付きは外れていたようだった。ウェスタは有斗の好意に謝して頭を下げた。いつもと異なるウェスタの神妙な態度に有斗は身体がむずがゆくなった。

「思わせぶりだなぁ・・・・・・何?」

「確かなことが分かるまではと、言い出さずにいたのですが・・・私、確信いたしました」

「うんうん。何を?」

「私、身籠ったみたいです」

「身籠った? ウェスタが?」

 有斗はそれが何を意味するのかがとっさには理解できなかったため、ウェスタに思わず問い返した。

「はい」

 ウェスタが特に興奮するでも嬉しそうにするでもなく返したため、有斗も言葉の持つ意味にさして注意を向けることなく、ただその言葉をありのままに受け入れただけだった。有斗はとにかく眠かったのである。

「ふぅん、ウェスタは身籠ったんだ」

「はい」

 まだピンと来ない様子の鈍感な有斗にもウェスタは怒ることなく、辛抱強く理解してくれるのを待った。

 やがて有斗はその言葉の持つ意味を悟ると寝台から飛び上がった。

「え、身籠ったって・・・それは、つまり子供を身籠ったってこと?」

「はい!」

「ウェスタが身籠ったって・・・・・・え!? ホント!? 僕の子供!?」

 口には出さなかったが子供ができることを半ば諦めていたこともあって、有斗は聞きようによっては侮辱ともとれる言葉を思わず口にした。

「あたりまえです」

「ほんとにほんと!?」

「はい。ですから陛下も寂しいとはお思いですが、しばらくは私とは夜の営みを我慢してください」

「それは願ったりかなった・・・」

 決して嫌いなわけではないのだが、二日に一遍であっても性豪ウェスタの相手をするのは楽しいを通り越して疲れるのである。隔日だが、これからは独身時代のようにのびのびと惰眠を貪ることができると喜び、有斗は思わず本音を吐露した。

 だが先ほどの言葉にも怒りを表に出さなかったウェスタが今度ばかりはきつい視線を向けたことで、有斗は思わず口籠った。

「・・・・・・なんでもない」

「何が願いなのですか? そこのところを詳しく聞きたいものですね、陛下?」

 有斗の言葉にウェスタは何やら琴線に触れるものがあったらしく寝台上でにじり寄った。

「ささ、いつまでもそんなところに立っていては体が冷えるよ。もう一人だけの体じゃないんだから、とにかく身体を気遣って大事にね」

 有斗はウェスタを寝台まで連れていき無理やり寝かすと、優しい言葉と布団をかけてあげて機嫌を取り、とりあえずその場を取り繕った。

 有斗も布団をめくりあげてウェスタの横に潜り込む。

 やがて話疲れたウェスタが寝たのを確認すると、有斗はしばし天井を見つめて考え込んだ。

「・・・・・・これはどう話すかが難しいな・・・」

「いかがいたしました陛下?」

 頭の中で考えこんでいただけのつもりだったのだが、どうやら有斗は思わず口に出してしまっていたらしい。有斗の言葉を聞いて不思議に思ったウェスタが有斗の目を覗き込んでいた。まだ眠っていなかったらしい。

「いや・・・なんでもないよ」

 そう言ってウェスタに微笑むとウェスタも有斗に微笑みを返した。

 だが有斗の心の中は嵐のように感情が渦巻き暴れ、微笑んでなどいられない状況だった。

 まだ生まれる前であるが、有斗だけでなく臣民も待望の子供であるからにはウェスタの懐妊は確かに喜ぶべきことである。

 だがセルウィリアとウェスタの不仲はもはや後宮外にも知れ渡るほどだ。

 そうでなくてもセルウィリアは口さがない王都の庶民たちからは素腹の后などといった不名誉な陰口を叩かれている。ウェスタに先を越されたとあっては正妃として更に面目を失うこととなる。きっと傷つくことだろう。

 セルウィリアにどう話すべきなのか、それはとても難しい問題のように思えた。


 だが黙っていても、いずれは誰かの口から耳に入ることである。ならば気が進まないが、有斗の口から直接伝えたほうがセルウィリアもまだ救われるであろう。

 恐る恐る慎重に言葉を選んでウェスタが懐妊したことを告げた。

「梨壺が陛下のお子を!?」

 まずは驚きを顔に浮かべるセルウィリアを見て、次にさぞや落胆するか悔しがるか悲嘆にくれることであろうと思って有斗は身構えた。

「う、うん」

 だが想像と違って、セルウィリアは高揚して血を頭に上らせて顔を赤らめた。

「まぁ・・・まぁ! なんということでしょう! 素晴らしいことですわ! 梨壺のお手柄です!! それでお腹の中の子は女の子ですか男の子ですか!?」

「それはまだ分からないよ」

 有斗はセルウィリアの気の早さに呆れた。エコー検査の無いこの時代では、産まれてくるまで性別の判定は無理というものだ。

 だがセルウィリアの中では確信に近い何かがあるようだった。

「わたくしには分かります。男の子に決まってますわ。国中が世継ぎを切望しておりますもの。その望みを天が叶えてくださったのです。ええ、きっと男の子です!」

 セルウィリアがあまりにも喜ぶものだから、有斗はその感情にあえて水を差すこともないと思って返答を濁す。

「それは産まれてくるまでのお楽しみってことさ」

 セルウィリアがウェスタの妊娠に喜んでくれたことは率直に有り難かったが、アメイジアでは乳幼児死亡率も高いが流産や死産の確立も高いのである。あまり期待を膨らませすぎても駄目だった場合、落差から失望も大きくなる。

「陛下、わたくし、国母としてその子を立派に育て上げて見せます!」

 自分が子供を産めなかった悔しさもあろう。それが仲の良くないウェスタであれば悔しさもなおさらである。

 だがそれを一切、表に見せずにセルウィリアは気丈に前向きに今回の出来事を捉えようとしているように感じた。

 子供ができてもウェスタやその子だけに愛情を偏らせるのではなく、これまで以上にセルウィリアも大事にしようと固く心に誓った。


 翌日からセルウィリアは女官たちをも巻き込んで、さっそく行動を開始した。生まれてくる子供のために服を嬉々として縫ったり、妊婦に良いとされる食材を関西から取り寄せたりと大張り切りである。次々と贈り物をウェスタの部屋に送り届けた。

 そのセルウィリアの動きをいったい何の企みがあるのか、あるいは宮廷人特有の遠まわしな嫌味かと思ってウェスタは警戒した。

 それはそうだろう。ウェスタはセルウィリアに対していい感情を抱いていないし、女性特有の勘からセルウィリアもそのことを知っていて同様にいい感情を抱いていないと感じている。

 ウェスタの懐妊を素直に祝ってくれるとはとても思えなかった。

 さすがに皇后から公的に贈られた物を拒否するわけにはいかずに受け取ったものの、決してそれに手を触れることは無かった。

 毒が入っていることも考えられる。歴史を見れば正妃の嫉妬を買い毒殺された寵姫や子供は数知れないのだ。

 しかしそれまで一度も部屋を訪れたことのないセルウィリアに日参され、手を握って輝いた眼で見つめられ、「今や梨壺の体は梨壺一人のものではありません。お腹の御子・・・いいえ、全ての臣民の希望なのです。くれぐれも御身を大切にするのですよ」などと言われて背筋がむずがゆくなり、反応にも困るのである。

 どうやらセルウィリアは心からウェスタの懐妊を祝福してくれているらしい。ウェスタはようやくそのことに気付いた。

 今度は困惑するのはウェスタのほうだった。


 ウェスタの懐妊はまもなく、安定期に入ったことを見計らって公表された。

 といってもその頃にはセルウィリアの大々的な動きや、噂好きの女官たちによって朝廷内ではもう既知の事実として受け止められていた。

 喜んだのはそういった情報には縁のない王都の臣民である。

 これで有斗の後も王朝のつつがない存続が約束され、戦国乱世にもどることはないのである。政治には縁遠い民衆たちもそこはずっと気がかりであったのだ。

 臣民一体となって固唾をのみ、有斗の子が無事に誕生する時を待った。


 誕生が楽しみなのは有斗ももちろん同じである。暇を見つけてはウェスタの下を訪れてお腹が大きくなるのを見守った。これにはウェスタも大層大喜びである。

 だが有斗は部屋に積まれたセルウィリアからの贈り物を見て困惑を浮かべざるを得なかった。玩具から服まで全部が男物だったのである。

「壮観だな。だが皇后は女の子だったらどうするつもりなのか」

 王服の両袖を後ろ手にして少し呆れ気味につぶやいた有斗をウェスタは笑った。

「きっと若子わこ(男の子)に相違ありません。私もその点は皇后さまと考えを同じくしております」

「ほう。梨壺はずいぶんと自信があると見える。して、その根拠はどういうものからくるのだ?」

 ウェスタはそっとお腹に手のひらを当てて嬉しそうに笑った。

「最近はお腹の中にて大層暴れます。元気な男の子に相違ありますまい」

「それはどうかな。女の子であっても梨壺に似ればお転婆に違いない。梨壺はそこらあたりの男など蹴散らしてしまうであろう?」

「まぁ、憎らしい!」

 有斗が軽くからかうと、ウェスタはふくれっ面になって有斗の頬を力いっぱいつねった。

「痛い痛い・・・ウェスタ痛いってば!」

 有斗が思わず素に戻ったことにウェスタだけでなく傍に控えていた女官たちも笑った。頬の痛みは消えなかったが有斗はなぜか幸せな気持ちで包まれた。


 全ての準備は整えられウェスタは産み月を迎えた。幸いなことにここまでは母子共に無事に健やかである。

 だが父親としては、産まれてくるまでは気が気でない。

 最近では仕事が手につかず、時間を見つけては執務室を抜け出して梨壺にウェスタの様子を見に行くので、ラヴィーニアから小言を喰らう毎日である。

 そんな中、運命の日は突然やってきた。

「梨壺女御殿が産気づいた模様です」

 有斗は女官に早朝にたたき起こされた。

 寝不足にもかかわらず有斗は一気に目が覚め、服を着ると早々に梨壺へ向かったが、未だ出産にはいたらないとのことで近くの紫宸殿でその時が来るのを待つ。

 早くも同じ一報を聞いたセルウィリアも女官を引き連れてその場にまもなく駆けつける。

「梨壺が産気づいたと聞きました。ど、ど、ど、どうしましょう!? 男の子ですか? 男の子に決まっておりますわね!?」

 有斗もいろいろと頭がいっぱいになってしまっていたのだが、先にセルウィリアにここまでテンパられては、有斗にしてみれば却って頭も冷静になろうというものだ。

「まだ産まれてもおらぬ。そもそも産むのは梨壺であって皇后ではないぞ。そなたが狼狽してどうする」

「でも・・・でも、気になります! 元気な男の子であってくれればいいのですけど!」

 セルウィリアのその言葉にかぶせるようにして、突如として元気な赤子の泣き声が内裏中に響き渡った。

「生まれたか!?」

 有斗は産所に向かって駆けだし、慌ててセルウィリアが後を追った。

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