第417話 後嗣問題(Ⅳ)

 有斗の部屋から摘まみ出されたウェスタは、あまりの汚なさに耐えかねた清潔好きな女官たちによって強制的に風呂に入れられた。

 身体をしっかりと洗ったのちに清潔な服に着替えて、ウェスタはようやく食事にありつくことができた。

 三日三晩不眠不休で食事も満足にとっていなかったということもあり、ウェスタは十人前以上の食事をいともたやすく平らげ、女官たちは驚きで目を丸くする。

 陣中にあって鎧に身を包んでもなお、匂い立つような色気を醸し出すウェスタは女日照りの兵士たちにとって目の毒で戦いには邪魔だなどと、かつてはアエネアスに何かというとケチをつけられていたものだ。

 そのウェスタが旅塵を払って女官服に身を包むと、そこに得も言われぬ妖艶な美女が現れ、有斗は思わず生唾を飲み込む。

 幾度も話したことだが、後宮に勤める女官たちは総じてレベルが高い。正直言えばウェスタよりも美人が何人もいるのだが、その彼女達には一切感じないいかがわしい感情が沸いてくるのだから不思議なものだった。わざと着崩して殊更胸を強調したり、太ももを露わにしたりしているせいかもしれない。

 ウェスタを食事後にすぐに呼びだしたのは、来て早々に夜伽を命じるためではなく、単にセルウィリアとの関係等、後宮に入るにあたって必要な、これからの心づもりを話しておくつもりだったのだが、ウェスタは有斗の言葉を待とうともせずに襲い掛かって来た。言葉よりも行動の女なのである。

 有斗は主導権を握ろうと必死の抵抗を試みたが、餓えた虎より獰猛な獣と化したウェスタの前にはなすすべが無かった。

「ウェスタ、待ってってば! まずは落ち着いて話をしようよ!」

「問答無用! お話なら後でじっくりとうかがいます! さぁ、行動あるのみ!!」

 有斗の言葉など一切無視して、ウェスタは鼻息を荒くして有斗の着物を剥ぎ取った。

「なにもそんないきなり・・・心の準備ってものがあるよ!」

「心の準備が何ですか! 一国の王たる者がおぼこのような言葉をおっしゃっるなど、情けないとは思いませぬか! 男なら体の準備さえできていればいいんです!!」

 ウェスタは抗え切れない怪力で有斗を組み敷くと、目に淫蕩の色を浮かべて笑った。

「さぁ! 今夜は寝させませんよ! 朝になるまでむつみあいましょう!!」


 翌朝、長旅の疲れで寝台で突っ伏したまま死んだように眠りこけて微動だにしないウェスタを、有斗は羽林の兵に命じて自室から運び出させた。

 その一連の作業をセルウィリアは遠目から呆れた表情で見守った。

 こうしてウェスタは有斗の後宮に住まう人となったわけだが、女御になるためには正式な手続きを踏まなければならない。

 そこで問題となるのはセルウィリアの時と同じく賜う部屋ということになる。

 皇后を差し置いて弘徽殿こきでん麗景殿れいけいでん承香殿しょうきょうでんといった格式ある部屋に入れるわけにはいかなかったし、そもそもこれらの部屋が傷んでいて使い物にならないのは二年前と同じである。この二年で朝廷はかなりゆとりを取り戻していたが、まだ使いもしない後宮整備に回すほど予算が潤沢なわけではなかった。

 そこで有斗は様々なことを考えてウェスタを清涼殿から離れている昭陽舎に入れることにした。

 比較的、建物がきれいに残っており、大規模な補修が要らないというのが表向きの理由であったが、後涼殿に比べても大きくないためセルウィリアの面子を(すなわち関西閥の面子を)潰さないですむといった理由が大きかった。

 また性格がかなり異なる二人なので、なるべく生活圏が被らないほうがお互いのためにいいだろうといった配慮もしたのだ。

 昭陽舎は庭に梨の木が植えられていることから別名を梨壺と言い、これ以降、ウェスタは梨壺の女御と呼ばれることとなる。


 さて、ここまではまずは順調に進んだのだが、ウェスタを後宮に入れたことで想像していなかった新たな問題が持ち上がった。

 それは一言でいえば、かみ合わせが悪いとでも言うべきか、つまりはセルウィリアとウェスタの仲が良くないことである。

 よくよく考えれば想像できたことであったが、うかつなことに有斗はそこに思い至らなかったのである。

 当初は双方ともに相手の出方を手探りで窺う、いわば武装中立状態だったのだが、日々が立つにつれ警戒度が上がっていき、最後には明確に戦闘状態にはならないものの冷戦状態に至った。

 それにはもちろん理由がある。


 有斗は創業の王には珍しく、大業を為したのちも質素で倹約家であったと後世の歴史家に例外なく褒められている。天下人になると大かれ少なかれ、若い時の自制心を失くして放埓ほうらつに、驕奢きょうしゃになるものであるが、有斗にはそういった側面が最後まで見られなかった。

 それは有斗の気質がもともとそうであったからというわけではなく、短期間で全土を平定するために催した軍旅の費用を借金で賄ったことで、そのつけが戦後の時代にも圧し掛かって来たために自然と生活も質素になったというだけなのである。

 王というものは後世からは質素や倹約を美徳として求められるものだが、だからといって狭い部屋でみすぼらしく暮らしていては目にした者が王に対して権威や神聖を感じにくくなり、結果として王が軽んじられて威令が行われなくなる可能性が有る。

 見かけや外見で人を判断する風潮は現代社会の比ではないのだ。

 そこで予算が限られる中でも少しでも王の威厳を増そうと、歴代の王が残した美術工芸品などで王宮を飾り付け、西朝で受け継がれていた古式ゆかしい年中行事を復興するなど朝廷は苦心していた。

 セルウィリアは後宮の主として、美的センスや教養に欠けている有斗になり代わり、そういった仕事を一手に引き受けていた。

 有斗の執務室前に、謁見のための控えの間を作るといった話が持ち上がっていたため、セルウィリアはその日、飾り付けるのに相応しい美術品を探しに物置となっている承香殿の奥の殿舎へと向かっていた。


「あら・・・あれは何かしら」

 仁寿殿の向こう側から来る人影を見たセルウィリアは不思議な感覚にとらわれ、ふと足を止める。

 三、四人の盛装した女官の一団、その先頭の一人に目を奪われた。

 春の陽がそのまま髪になったような橙色の髪をなびかせ、高位の象徴たる紫の衣服に身を包み、涼やかな表情を浮かべて、まるで主のように堂々と威厳たる足取りで渡り廊下を他の三人の女官を引き連れて彼女は歩いていた。髪の色、服の好み、歩き方から立ち居振る舞い、果ては化粧まで、その姿はどこからどう見てもセルウィリアそのものである。

 セルウィリアは三度、まばたきをした。

 人はもう一人の自分に出会ったら死ぬという、子供のころ寝物語に聞いたおとぎ話を思い出す。

「わたくし・・・死ぬのかしら」

 現実ともうつつとも判別できぬ出来事に呆然とするセルウィリアに、その女性は近づくと笑みを浮かべ腰を折ると優雅に一礼して挨拶した。

「ごきげんよう、皇后さま」

 その聞き覚えがある声で、セルウィリアは今目の前で起きていることが何であるか全てを理解し、一瞬にして怒りで顔を真っ赤にした。

 しかもさらに腹が立つことに横をすり抜けたその女性は、セルウィリアの表情を横目で見て楽しそうに笑ったではないか。

 後ろについてきた女官たちは心底申し訳なさそうにセルウィリアに頭を下げ、逃げるようにその場を立ち去ろうとする。

 この事態を到底見過ごせなくなったセルウィリアは声をかけて足止めした。

「待ちなさい、梨壺の・・・

「なんでしょうか、皇后さま?」 

 呼び止められたセルウィリアによく似た女官、いやセルウィリアの扮装をしたウェスタは、振り返って悪戯っぽく笑みを浮かべた。

 セルウィリアよりウェスタは背が高いし、大柄でスタイルも大きく違う。関西の宝玉とも崑崙の白百合とも例えられた他を圧する美貌であるセルウィリアの容貌とは、ウェスタは同じ美人ではあるが顔の系統は明らかに違う。そういったぱっと見の外見だけでなく、言葉遣いから所作に至るまで育ちの違う二人は元々まるで似たところが無い。

 それなのにセルウィリア自身が思わず見間違えるほど、ウェスタは完璧に変装してみせた。

 かもじ(ウィッグ)をし、化粧もしてセルウィリアに似せるだけでなく、日頃の無作法さが嘘であるかのように、歩き方から小さな所作まで皇女のように美しく、完璧にコピーして見せた。空恐ろしいくらい似せてみせた。

 だがセルウィリアはウェスタのこの行為に、何らかの悪意を感じずにはいられなかった。

「梨壺女御、これはいったい何の真似ですか?」

「あら、これですか?」

 ウェスタは袖を広げると、大仰にその場で一回りしてセルウィリアに己の仮装を見せつけた。

「どうでございましょう、似ておりますでしょう? お気に召しましたか?」

 その動きと表情が更にセルウィリアの気に障る。

「むしろその逆です。実に不快です」

 セルウィリアには珍しく、明確な不快の意を表情に浮かべたにもかかわらず、それを目にしてもウェスタはひとつも臆するところが無かった。

「でしょうね」

「・・・・・・・・・!」

「ですが御勘弁くださいまし。これは陛下たってのご希望なのです」

「陛下の!?」

 有斗がウェスタに命じたとは俄かには信じきれない話だ。だが王命を偽れば死罪である。多少頭の足りないウェスタ(セルウィリアはそうウェスタを見くびっているのだ)でも、そこまで愚かではないはずだ。問いたださずにはいられなかった。

「ええ」

「陛下が梨壺にわたくしの真似をしろとおっしゃったのですか?」

 もし万が一にもそう言ったのならば考えられるところは、それはおそらくセルウィリアのおしとやかさだとか理性的な態度とかを真似ろといったという可能性くらいである。このようにセルウィリアの猿真似をしろということは決してありえないはずだった。

「陛下がそうおっしゃったのだとしても、それは・・・梨壺の早とちりではないですか? つまりもう少し分別をもって行動しろということで、わたくしの外見の真似をしろとおっしゃったのではないのでは?」

 相変わらず思慮の足りない下品な女だとセルウィリアはウェスタをますます嫌いになった。

「少し違います。戦に負けた敗戦国の美しい王女を、臣民の助命と引き換えに無理やりいうことを聞かせて奴隷にし、無理やりに犯すという陛下の欲望を満たすための扮装をいたしたのです。つまりこれは今宵の夜伽のための役作りなのです!」

 夜の営みのことについて明け透けに話題に出されたことに、しかもウェスタが口にした『敗戦国の美しい王女』というのが要するに自分のことであることに気付いて、セルウィリアはまた顔を赤くした。

「陛下はそのようなことは決して希望されません! 紳士でいらっしゃいますもの!!」

「皇后さま、それは女の浅はかな考えというもの。陛下と言えども男ですもの、そういった欲望を抱くのはいたしかたがないことなのです」

「嘘です! 陛下はわたくしに対して、一度もそのようなことをおっしゃったことはありません!」

「陛下は何事にも慈悲深いお方、皇后さまに対して非道な真似はいたさなかっただけでなく、口にも出さなかったのでしょう。ですが寝所では陛下は私に対してだけは胸襟きょうきんを開いて本当の心を見せてくださいます」

「嘘です、嘘です! 陛下は決してそのようなことを望んではいません!! 梨壺の作り話です!!」

「さぁ・・・・・・いかがでございますかね? 私の早とちりということであればよろしいですけれども。おほほほほほほほほほほほ!!」

 勝ち誇ったようにウェスタが高笑いし、セルウィリアは今度は屈辱で顔を更に真っ赤にした。


 頭に血が上ったセルウィリアは美術品を選ぶという本来の用事をすっかり忘れ、きびすを返してすぐに清涼殿に足早に向かい、入るなり挨拶もせずに執務中の有斗に怒りをぶつけた。

「いったいどういうことですか!」

 それは来るなり怒鳴りつけられた有斗のほうが言いたいセリフであったが、だが口にでもしようものならば物事が更にこじれることは請け合いなので素直に事情を聴くことにした。有斗は家庭でも平和主義者なのである。

「何があったか知らないけど、何を怒ってるの?」

「何をじゃありません! 全てに怒っているんです!!」

 怒りが収まらないのかセルウィリアは有斗の問いに返答にならない返答をしてくるばかりである。

「そう言われても・・・何に対して怒っているのか言ってくれないと僕だってどうしたらいいのか分からないよ」

 どう考えても正論である。しかもできる限り優しい口調で会話をしたつもりだったのだが、セルウィリアはそんな有斗にも眉を吊り上げて上目遣いで睨むだけだった。

「・・・・・・梨壺に聞きました」

 梨壺と言うことは、またウェスタと何か揉めたのかと悟った有斗は、自分が原因でないと思って気が少し楽になった。

 といってもセルウィリアとウェスタのいざこざに巻き込まれるのは、これが初めてではないのでまたかと内心げんなりして若干、疲労を感じたりもした。

「ウェスタに? 何を?」

「口に出すのも汚らわしいようなことをです!」

「・・・?」

「梨壺女御はわたくしの扮装をして、それを・・・それを陛下が・・・!」

 何かを思い出したのかセルウィリアは言葉を発しながら、わなわなと震えだした。

「僕が? 僕が何?」

「わたくしの恰好に扮装した梨壺に、いやがる敗戦国の王女の役をさせ、それを陛下が無理やり手籠めになさる。そのような破廉恥な行為を陛下がお望みになったとか!! 梨壺はかように申しておりました!!!」

 羽林の兵も女官もその場にはいるのである。セルウィリアの言葉は事実かそうでないかに関わらず王の権威というものを一瞬で砕きかねないとんでもない言葉だ。

 そもそも有斗はそんなことをウェスタに望みとして話した記憶はまったくなかった。慌ててすぐさま打ち消しにかかる。

「ないない! そんなこと言った覚えはな────────」

 そこまで口にした有斗だったが、ふとあることが脳裏に浮かび焦りだした。

「んん? いやまさか・・・でも・・・あ~~~~あれ? ひょっとしてあれかぁ・・・?」

「やっぱりあるんじゃございませんか!!」

「いやいや、ないない!」

 有斗は慌てて、もう一度否定した。

 なぜならそもそも──────


 有斗は『マメで公平なことに』と尚侍グラウケネの日記に記されたことで不本意ながらも後世にまで知られることになったように、セルウィリアとウェスタとを夜ごと交互に寝所に呼ぶことにしていた。

 その日はウェスタの番である。

「陛下、セルウィリア様って絶世の美女だとお思いになられませんか?」

 やることをやったので寝る準備を始めた有斗に、寝台にその美しい裸体を惜しげもなくさらして横になったウェスタがそう訊ねた。

「同性から見てもやっぱりそう見えるんだ?」

「それはもう。正直申し上げると妬ましいくらいです。容姿だけでなく性格も素直でかわいらしく完璧ですもの」

「そうだよね。僕も西京鷹徳府で初めてセルウィリアを目にした時には、こんな絵から抜け出てきたような絶世の美女が現実に本当に存在するんだってびっくりしたよ。セルウィリアは僕の知る限り一番の美女だと思うよ」

 よくよく考えればアリアボネも同じくらいの美女だったのだが、何も知らなかった有斗に様々なことを教えてくれる教師のような存在だったといったこともあり、有斗が美女として真っ先に思いつく存在はまずはセルウィリアである。

「まぁ憎たらしい!」

 自分から振った話にもかかわらず、有斗がセルウィリアのことをべた褒めするものだから、嫉妬したウェスタが有斗の肘を軽くつねった。

「痛い痛い! ・・・・・・ごめんごめん。ウェスタも十分、セルウィリアに匹敵する美女だよ」

「とってつけたようなお言葉ですが、陛下だからお許しします」

 いつもの大仰な演技じみたウェスタの言葉に、思わず有斗も引き込まれて笑った。

「それはありがとう」

「・・・で、どう思われました?」

「どうって?」

「絶世の美女を捕虜とりこにしたのです。陛下の夜の玩具・・・性の奴隷にしたいとは思わなかったのですか?」

「そんなことしないよ! セルウィリアが当時、僕のことを好きかどうかは分からなかったし。それにあの当時、強制的にそんなことをしたら僕の悪評がアメイジア中に広がって、天下一統に大きく影響したと思う」

「嫌がる女を組み敷いて無理やり犯し、快楽で虜にするっていうのが男の快楽ではございませんか! 屈しない心とは裏腹に抑えきれぬ喘ぎ声・・・そして反応してしまう身体! やがて壊れて服従していく心・・・! 気高く美しい存在ほど汚してみたいと思うものです!」

 なんだそのAVかエロゲかエロ漫画に出てきそうなシチュエーションは。なんか若干、ウェスタって発想がおっさんっぽい気がする。

「無理にそんなことはしないよ」

 先ほど口にしたように政治的に問題が生じる。それにそんなことをすればアリスディアやアリアボネから白い目で見られて有斗がいたたまれなくなったことだろう。何よりもあの赤い女が現れて邪魔をし、未遂に終わることは請け合いだった。試みるだけ無駄だったのである。

「でも考えるくらいはいたしたのでしょう?」

「まぁ・・・思わなかったと言えば嘘になるかなぁ」

 あの当時の有斗は十代だったのである。あんな美人に傍に来られていやらしい気持ちにならないわけがない。セルウィリアは露出こそ少なかったがボディラインが分かる服を好んで来ていたし。

 それに有斗がセルウィリアに対して、そういったスケベ心を出したことで白鷹の乱でアエティウスは命を落とした。あの当時は感情と理性とでは明らかに感情が上回っていた。若いということと現代世界から来たということで危機感というものが無かったのだ。

 そういった事情も考慮すれば有斗はそう返答を得ざるを得なかった。

 ウェスタは有斗のその言葉に何故か満面の笑みを浮かべた。また何か悪戯を思いついたに違いない。

「そうですよね。陛下も人の子、男の子ですものね~」

 有斗は若干嫌な予感はしたのだが、その時は睡魔に襲われていたため、それ以上深く考えることはせずに布団に潜り込むと、すやすやと眠りの世界の住人となったのである。


 そのことを思い出していたことが有斗の顔に出ていたらしい。

「やはり心当たりがございますのね!?」

 完全に心当たりが浮かんでいた有斗だったが、ここで肯定しても何もいいことは無い。ここは最後までしらを切りとおすことにした。

「いや、ない! ないったらないよ!!」

「本当にぃ?」

 セルウィリアは疑わし気にジト目で有斗を凝視した。

「本当だよ!」

「わたくしで感じた劣情を他の女に向けるなんて・・・女としてこれ以上の屈辱はありません! それもよりによって梨壺に向けるなんて! わたくしに抱いた劣情があるのでしたら、わたくしに向けてください!!」

「ご、ごめん。悪かったよ」

 有斗が頭を下げたことで少しは憤激が宥められたのか、セルウィリアはふくれっ面をしながらもこの件をこれ以上蒸し返すことは無かった。


 だがこれ以降もウェスタは手を変え品を変えてセルウィリアをからかった。 

 このままでは後宮全体の雰囲気が悪くなるし、何より最終的にそのとばっちりは全て有斗にくるのである。放置しておけない。

 有斗はウェスタにセルウィリアをこれ以上刺激しないよう頼みこんでみたが、ウェスタの口から色よい返事はもらえなかった。

「それは陛下の御頼みであっても難しいことです」

「どうして?」

「悔しいじゃないですか。あの方はあんなに美しいだけでなく血筋も高貴で、皇后として朝廷の内外から尊敬の念を抱かれており、公でも陛下のお役に立っているのですもの。とてもかないっこありません。同じ女として悔しすぎます。少しはからかいでもしないと私、うさが晴れません」

「そこを我慢して、なんとか仲良くやってよ」

「それは難しいですね。だって私の悪戯にいちいち大きく反応してくださいますから、からかいがいがあるんですもの。あんな楽しいこと辞められるわけありません」

 ウェスタはそう楽しそうに笑うだけで、一向に己の態度を改めようとはしなかった。

 つまり、その後も何かあるとセルウィリアが有斗のところに怒鳴り込んで来て、怒りをぶつけるという負のサイクルが再生され続けたのである。

 

 天下一統まではこうではなかった、と有斗はふと思い出した。

 ウェスタの悪戯癖は当時からあったが、ウェスタが何かしようものなら犬並みの嗅覚でアエネアスがどこからともなくかけつけ、即座に有斗の側からウェスタを排除して、それ以上の問題には発展させなかった。

「いつも寝てるか食べてるか遊びまわっているかの印象だったけど、結構役に立っていたんだなぁ」

 有斗はアエネアスの有用性を今更ながらに思い知ると同時に懐かしくも感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る