第415話 後嗣問題(Ⅱ)

 そういった寝物語があったにもかかわらず、有斗はセルウィリアと細かい話を詰めようとはせず、また彼女らの関係者に接触を図った様子も見られなかった。

 有斗の考えが奈辺にあるのか分からず、セルウィリアは当惑した。

 有斗の考えが分からなくなった者はセルウィリアだけではない。ラヴィーニアが諫言した後も処罰されない様子を見た多くの廷臣が、有斗に後宮に別の女性を入れるよう進言したが、有斗は言葉を濁すだけで意見に対して良しとも否とも確たる返事を行わなかった。

 王の思惑が掴めなければ、廷臣たちは一致した方向性を見出せない。

 良識ある朝臣は王室に継嗣がいないことに心を痛め、野心家たちは己の係累を有斗の閨房けいぼうに送り込んで将来の布石と為さんと策謀をたくましくした。

 この曖昧な状況は朝廷内に疑念や疑惑を生み、政治を不安定にさせる要因となりうるとラヴィーニアは危機感を持った。

 これならば自分の考えとは異なるが、後宮に新たな女人を入れないと有斗が宣言したほうがまだマシだとさえ言える。もちろん、それも朝廷にとって良くない状況であることには違いないのだが。

 そこで再度、有斗のもとを訪れて改めて真意を問いただすことにした。

「ご不興をこうむることを覚悟の上で、申し上げたきことがあります。これは国家の根幹に関わることですので是非ともお聞きください」

 ラヴィーニアの言葉に有斗はいつまでたっても下手なまま進歩が見られない筆を動かす手を止めて、しぶしぶといった表情を表に出しつつ顔を上げる。

「・・・・・・」

「国家に継嗣がおらぬことは万民が心配いたすところであります。後宮に新たに女人を迎えるよう、臣や皇后様が進言いたしたこと、今や廷臣で知らぬものなどおりません。ですがそれに対して陛下から明確なご返事がいただけず、廷臣たちが困惑しております。早急に何らかの結論を下すべきです。このままでは良からぬ策謀を企むものが出ないとも限りません」

 昔から幾度も口を酸っぱくして献言しているが、とにかくこの手の話題になると有斗の優柔不断ぶりはあきれ返るほどでり、今回も半ば無駄であろうとラヴィーニアは本心では諦めていた。それでも小言を言わずにはいられないのが、ラヴィーニアという女である。

 ラヴィーニアは有斗を威圧するようにねめつけた。

「その件に関しては、もう既に手は打ってあるよ。ラヴィーニアが心配することじゃない」

 ところがラヴィーニアの想像と違って明朗な返答が有斗の口から返って来た。しかもいつもの遁辞や誤魔化しではなく、有斗にしては珍しく、大いに含蓄のある言葉であることに気付いたラヴィーニアは目を丸くした。次いで大きく揖の礼を行うと、ひとまずその場を後にした。

「陛下がそうまで言うのであれば、お手並み拝見と行こうじゃないか」

 あてが外れたラヴィーニアは少し当惑した表情でそう呟いた。


 こうしてラヴィーニアは引き下がったものの、そのような会話があったことさえ知らぬセルウィリアにしてみれば自分が持ち出した話だけに、その後の進展がどうなったか心配でならない。

 そこで普段のたわいのない会話に紛れ込ませて真意を知ろうとした。

「陛下、この間のお話ですけれど・・・」

「なに? セルウィリア」

「例の・・・ほら、ええと・・・この間の夜にお話しした・・・そ、そのわたくしの友人の件ですけれど、その後どうなったかと思いまして」

 さすがに人目のあるところで側妾の話を持ち出すのは気品にかけると思ったセルウィリアは言葉を濁しつつも、有斗でも気が付きそうなキーワードを並べて問いただそうとした。

 この世界に来たときは鈍感そのものな学生で、随分とアエネアスあたりにあきれられていた有斗も王様業をやってかれこれもう長くなる。今やセルウィリアの言おうとしていることくらいはすぐに察することができる。

「ああ、あれね。あれなんだけど、もう手は打ってあって─────────」

 セルウィリアが心配することは何もないよと言おうとした有斗の目の前の執務机の上に突然、天井から黒い塊が巨大な音とともに落ちてきて、有斗は驚きで口が利けなくなった。

 アエネアスやアリスディアがいた頃なら彼女らが即座に反応もしたであろうが、太平に慣れた今の女官たちや羽林たちでは有斗と同じく不意の出来事に固まるばかりで口を開くものさえいなかった。

「く、曲者ッ!!?」

 しばらくして辛うじて声を発したのは尚侍グラウケネだけである。

 グラウケネの声にようやく我に返った羽林の兵たちが不審者を排除しようと動き始めた。

 だが有斗は闖入者から逃げたり、距離をとったり、背中に飾ってある剣を抜き構えることもなく、むしろ親しげに話しかけた。

「やぁ、あいかわらず神出鬼没だねぇ。昔と変わらずに元気そうで何よりだ」

 有斗には大いにその人物に心当たりがあったのだ。

 それもそのはず、その人物をわざわざ王都に呼び寄せたのは他でもない有斗自身である。

 もちろんだからといって、このような面会手法を許したつもりは毛頭ないのだが、その人物ならばこういった登場の仕方をしてもおかしくはないと納得できるものは内心あった。

 その人物とは誰あろう、ベルメット伯ウェスタである。

 机の上に片膝を立てて王を上から見下ろすという大胆不敵な行動をとったウェスタだったが、どういうわけかまるで流民かと見違えるほど汚れており、ずいぶんと有斗の見知っているウェスタの姿からはかけ離れていた。

 とはいえ何よりもその見覚えのある迫力満点な胸は間違いなくウェスタであるに違いない。

 有人の声にウェスタはらんらんと眼を光らせ、これまた元気いっぱいの大きな声を放った。

「元気と体力と色気だけは、いかなる女人にも負けません!」

 平和になり、戦場に出ることがなくなった有斗は、最近はデスクワーク専業になったせいでか、腹部に脂肪がついてきただけでなく体力の衰えも感じて仕方がないのだが、ウェスタは以前と変わらずの様子で羨ましい限りだった。

「それはよかった。でもやけに早かったね。僕が手紙を出したのはつい先日だよ。二週間前くらいじゃなかったかな」

 越の中奥にあるベルメットには普通に旅行で行くのなら半月程度の日程になる。有斗は個人的に親しいダルタロス出身の羽林の兵に密命を与えてベルメットへと送り出したから、騎乗の旅になり旅程は短縮されるであろうが、それでも往復を考えると計算に少し合わないところがあり疑問に思った。

 そんな有斗の素朴な疑問にウェスタは血走った目で答えた。

「陛下からお召の手紙をいただくと直ぐに一人で馬に飛び乗って、急いで身一つで王都まで参りました!」

「そこまで急がなくていいのに・・・」

 いくら平和になったとはいえ、旅に危険はつきものである。ましてや女の一人旅、どんな危険が潜んでいるか知れたもんじゃない。

 立派な諸侯の一人なんだからそれなりの手続きを踏んで上洛すればいいのである。

 それに突然、主君が目の前から蒸発したら臣下たちは肝を冷やしたであろう。特にウェスタは未婚で後継ぎがいないのだ。跡継ぎのいない有斗が言えた義理はないかもしれないが。

「家臣なんかと一緒では到着が遅くなってしまいます! その間に陛下のお気が変わったらどうするのですか!」

 王が一諸侯を非公式とはいえ呼び出したのである。そう簡単に気が変わったとかいって用事を取り消したりできるはずがない。有斗もそういったことも含めて、よくよく考えてウェスタを選んだのだ。気が変わったなどとはそう思ったとしても言えるわけがないのではあるが。

「でも、その姿はどうしたんだい?」

 有人はどうしても姿が気になって尋ねてみた。ウェスタはあの輝くばかりの美貌はどこへやらといった風体で、服も顔も髪も砂と泥と埃にまみれていた。

 ウェスタは越に大領を有する立派とした諸侯の一人である。王に会うには、それなりの姿というものがあろう。だが今ウェスタが着ている服は三日前は立派な狩衣でもあったであろうが、もはや見る影もなく、とても王の御前に侍るに相応しい姿ではなかった。

 確かに過去の話を言えば、故国をカトレウスに攻め滅ぼされたウェスタが王都にたどり着いたときには、まるで困窮を極めた流民のような姿であった。だがあれは傭兵や流賊がうろつく街道を若い女が身を守るために変装しただけであって、治安の良くなった今現在、そこまで身をやつしてまで旅をする必要性はない。

 ウェスタだって年頃の女人だ。こんな姿を望んでしているわけじゃないだろう。

「急いだと申したではありませんか! 三日三晩不眠不休で宿にも泊まらず、風呂にも入らず、着替える時間どころか食事をする時間をも惜しんで陛下の下へ馳せ参じたのです!!」

 嘘っぽい話であるが、それは決して誇張ではなく事実だった。

 後でわかったことだが、有斗が出した、後宮に入る気は無いかどうか婉曲に訊ねる手紙を受け取ったウェスタは、それを読むや頭のてっぺんから発したかと思われるほど甲高い、それでいて誰にも解読不能な声を上げたかと思うと、手紙を持って来た羽林の兵と応対をしていたベルメット伯家の家臣たちの目の前から一瞬のうちに消え失せ、一同を慌てさせた。

 ウェスタは厩に行って三頭の馬を持ち出し、家来にも告げずに本当に一睡もせずに馬を乗り潰して、王都までたったの三日で駆け通したのことであった。

 有人にしてみれば嬉しい反面、そこまで急いで来いと言った覚えはないのにと複雑な心境だった。

「陛下とお会いした時から、運命的なものを・・・強い絆を感じておりました! 必ずやこのような時が来ることを確信していました!」

「そ、そうなんだ」

「さぁ、子作りしましょう! すぐしましょう!! 今、しましょう!!! 今すぐに!!!!」

 鼻息も荒くウェスタが有斗に詰め寄ったが、セルウィリアが鼻を摘まみながら二人の間に割って入った。

「ベルメット伯、せめて旅の汚れを落としてからになさい。獣のようなにおいがしますよ。陛下に対して大変失礼です」

 恋路を邪魔されたと思ったか、ウェスタは血走った野獣の目を向けてセルウィリアをたじろがせる。

「獣臭い? 結構ではありませんか! 王や諸侯と言えど、所詮は男や女、一対の雄と雌に過ぎません! さぁ! 獣のように激しく!! 本能のままにまぐわいましょう!!!」

 正式に伯位を授与されたウェスタは、もはやアメイジアでも高名な中堅諸侯の一人なのだが、中身は相変わらずの肉食系女子のままであるようだ。礼儀も作法もあったものじゃない。

「まぁ何はともあれ、まずは旅の疲れを癒したほうがいい」

 こんなところで女といちゃついているところを臣下に見られたら、王の権威というものが(有斗にそんなものがあればという話になるが)完全に失われてしまうだろう。

「そんな悠長なことを!! 何のためにわざわざ私を越の地からお召になったのですか!? 陛下の世継ぎを産むためではありませんか!? 今宵、種付けしてくだされば、このウェスタ、明日にでも子供を産んでみせます!」

「それは無理じゃないかな」

 ウェスタの言葉に有斗は冷静に突っ込んだ。確かにウェスタは並みの人間よりも生殖能力が旺盛な気はするが、人間である以上、可能であることと不可能であることがあるはずである。

 多産の象徴である同じ哺乳類のネズミだって交尾の翌朝に産むのは無理だ。そんなことが可能なのは、単細胞生物の類だけであろう。

 だがウェスタはやる気に満ち溢れていた。

「やってみなければわかりません!」

「ウェスタの気持ちは十分わかったから、まずはセルウィリアの言う通り、風呂にでも入ってゆっくりと旅の疲れを落とすといいよ。これからどうなるにせよ、物事には手順というものがあるし、それに僕は王としてまだ今日やるべきことが残ってるから」

 有斗は羽林の兵と女官たちでウェスタを羽交い絞めにし、とにかく部屋から追い出して、風呂と食事と衣服を与えるよう命じた。


「まったく、あいかわらずだなぁ」

 最近はすっかり王としての生活になじんだ有斗は礼儀も作法もへったくれもないウェスタの行動に疲労感を感じながらも、昔のような喧騒が王宮に戻ってきたことに少しだけ喜びを感じた。

 だが有斗が小さな幸福感に包まれていられる時間はそう長くは続かなかった。

「さて、陛下」

 セルウィリアに背中から声をかけられ有斗は振り返る。

「重大なお話があります。ほんとうにじゅうだいな、こんごにかかわるおはなしが!!!!!」

「セルウィリア、怖いよ。目が血走ってる」

 目に仄暗い影を宿して詰め寄る、見たこともないくらい怖い顔をしたセルウィリアに、有斗は思わずたじろいだ。

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