第414話 後嗣問題(Ⅰ)
なんども言うが血統をもって権力の正当性を担保する王朝という政治体制において、王に後継ぎがいないというのは国家の根幹を揺るがす大問題である。
通常ならば兄弟、少なくとも遠い親戚がいるので子供がいなくても何とかなるのであるが、それでも没後に政治が混乱するばかりでなく、最悪、権力の座を巡って戦が起こりうるのである。アメイジアでも東西に王朝が分かれたきっかけは王家に嗣子がいなかったことであることを忘れてはならない。
しかも御存じのとおり、有斗は異世界から転生してきたため、その類の係累を有していない。
有斗に子供がいないということは国家にとって非常事態であると言っても、まず過言ではない。
さて、セルウィリアが妊娠しない原因であるが、有斗とセルウィリアとの関係に隙間ができたということではない。
セルウィリアは結婚後も変わらず、有斗にひた向きな慕情を向けてくれ、傷ついた有斗の心を癒してくれた。また王としての教育を受け、王配としての地位も得たからには政治に口を出してもおかしくは無いのだが、有斗から特に諮問が無いかぎりはあえて口だすこともなく、セルウィリアの王としての資質に疑問を抱いていた官吏、特に東朝の官吏たちからは「存外にわきまえておられる」と安堵の声が聞かれたほど王配としては申し分なかった。
そんなセルウィリアであるから有斗は以前よりも愛情が増しているくらいである。
だがどんなに愛情があっても子が生まれるかどうかは、それはまた生物学的な問題であるから別なのであった。
こうなると下世話な言い方をすれば、種が悪いのか畑が悪いのかといった問題になる。かといって王である有斗以外の子を後嗣とするわけにもいかない以上、なにかする余地があるとすればセルウィリアとは別の女人との間で子を作れるか試すしかない。
そもそもアメイジアにおいて後宮があることからも分かる通り、王の配偶者が一人であることのほうが珍しい。セルウィリアという貴人が王配であるだけに官吏の口からは側室の話を言い出しにくかっただけである。
朝臣たちは協議の結果、折に触れて有斗に他の女人の入内を薦めるか、あるいは既に後宮にいる女官から選ぶように進言することで一致した。
とはいえ有斗がセルウィリアに何ら不足を覚えていない様子なので、これを誰かが説得する必要がある。
とはいえその役目は極めて難しく、しかも最悪の事態を覚悟しないといけない。セルウィリアから敵意を向けられ、王の不興をも買ってアメイジアに居場所がなくなるという最悪の事態を。
ということでこの役目の重大さは理解しつつも、右府マフェイをはじめとして全ての官吏が尻込みした。
こういった時に難しい仕事を押し付けられるのは決まってラヴィーニアである。
といっても本人は仕事を選ぶにあたって、難しいか難しくないかではなく、やらなければいけないか、しなくてもいいかという基準で判断するので「いいよ」と安請け合いしただけであった。
傲岸で知られるラヴィーニアだったがさすがに王の私的な部分にもかかわることなので一応は配慮した。いつも王の傍に控えているセルウィリアに別な用事を押し付けて、いなくなった隙を見計らって有斗に言上したのだ。
「陛下、王ともあろうものが後宮に女人一人というわけには参りますまい。特に今のように子宝に恵まれぬとあっては尚更です。誰か気に入った女性とかはおられませぬか」
「なんか昔もそんなこと言ってたよね。でも、もう僕にはセルウィリアがいるし、別に無理して他の女の人を後宮に入れなくてもいいじゃないか」
セルウィリアが入内する前、有斗がまだ独り身であった頃、ラヴィーニアは盛んにアエネアスでもセルウィリアでもアリスディアでも誰でもいいから妻にしろと言っていたものだ。なんなら全員、後宮に入れてしまえなどと有斗にしてみればとてつもない暴論さえ言っていたくらいだった。
だが有斗にしてみればセルウィリアという文句のつけようのない素晴らしい妻をこうして迎えたのだから、そんなことをする必要はないのではないかという立場なのである。有斗はセルウィリアに十分満足していた。
そもそも気に入った女性と気軽に言ってくれるが、そう簡単に思い当たる適任な女性がいない。もう皆いなくなってしまったのだ。
「皇后様と陛下との間柄が睦まじいのは臣民にとってまことに喜ばしい限りですが、ただ王朝のつつがない存続という観点から見れば王位を継ぐ者がいないこの現状は極めて危険な状況です。皇后様との間にお子がおられぬ以上、急いで他の女性との間に子を作られるべきです」
皇后とはもちろんセルウィリアのことである。既定路線であったが、セルウィリアは入内後、正式に立后され女御から皇后となった。
「そんな大げさな。第一、セルウィリアじゃなくて僕に問題があるかもしれないよ。他の女性でも同じかもしれない」
アメイジアに比べれば医術が雲泥の差で発展している日本でも不妊治療を行っても子供に恵まれない夫婦はいるのである。もしそういったケースに当てはまっていた場合、有斗はこの世界では子供を授かることが無理な話ということになるだろう。
「もしそうだとしても、まずは試してみなければわからないではありませんか」
「セルウィリアと僕の間にまだ子が生まれないと決まったわけじゃない。試してみるというのなら、そっちを試してみるべきだと思うんだけど? まだたった二年じゃないか」
「もう二年です。それにこれまで一度でもそういった兆候があったというなら臣も無理にとは言いません。ですが皇后様に妊娠の兆候は見られません。ここで
「それはラヴィーニアのいつもの取り越し苦労だよ。気長に行こうよ。そんなに急がなくてもいいじゃないか」
有斗の呑気さにラヴィーニアは呆れ果てた。
アメイジアでは十代で後継ぎを儲けることは珍しくない。
早くに子供を作るのには理由がある。子供でも王位は継げるが、政治的な判断を行うのは難しいので、先君が死んだときになるべくなら後嗣は大人であるのが望ましいからである。幼君が国を継ぐと奸臣や外戚が現れて、国を乱すもととなる。
だから二十代も後半になって子がいなければ、重臣たちと親族が集まって後継ぎをどうするか深刻な話し合いがもたれるものだが、有斗はまだ日本の感覚が残っているので、二十代はセルウィリアといちゃいちゃして過ごして、三十代で子供を作ればいいやくらいの感覚である。だからラヴィーニアとは話がかみ合わなかった。
「王ともあろうものがそのような悠長なことでどういたしますか。陛下に子が生まれることは臣民の等しき願いであります。皇后様もそう願われているはずです。なんの遠慮がございますか」
とラヴィーニアはお得意の粘りを見せたが、
「まぁ中書令の言いたいことは分かったけど、もう少し様子を見ようよ」
と有斗は聞く耳を持たなかった。
有斗としてはこの日のラヴィーニアの建言を毎度のお小言かくらいで流して聞いていたから、これですべてが解決したつもりだったのだが、有斗が思うよりもこれは重要な案件だったのでラヴィーニアはもとより官吏たちも一度退けられたくらいで諦めたわけではなかった。
これが野心家たちの心に灯をともす結果ともなった。天下国家のためならばセルウィリアといえども遠慮することは無いというわけである。
王の意向や後宮の動静を探ろうとした動きが影で活発化した。
だがその動きは密かに漏れ聞こえることとなり、セルウィリアの胸を痛ませることとなる。
この頃には世情もかなり戦後の混乱から落ち着きを取り戻していた。まだまだ人手不足ではあったが朝廷も戦後処理が終わり、組織の立て直しに成功したことで通常の政務の範囲内ならば滞りなく政治が行われるようになり、有斗もぐんと楽になって昔のように夜半まで仕事をすることがほとんど無くなった。
その日も緊急の案件が無かった有斗は昼過ぎには政務を終えることができ、午後の時間はセルウィリアや女官たちと他愛無いおしゃべりをして夕食を取ると寝所に退いて、いつものようにセルウィリアを呼び出した。
ほどなくして有斗の下に参上したセルウィリアはいつもに比べて深刻な顔をしていた。
「どうしたの? なんか顔が暗いけど。何かあった?」
二人きりの気楽さゆえに行儀悪く寝台の上で胡坐をかいていた有斗に対して、セルウィリアは殊更改まって居住まいを正すと頭を深々と下げた。
「陛下、大事なお話がございます」
「なぁに? セルウィリア」
人に見られては落ち着いてできやしないと有斗が強硬に主張したので、慣例と違って寝所においてはセルウィリアと二人きりである。
ということもあいまって世間話から王としては軽々に口に出せない愚痴だとか、果ては国事に関わることまで何でも、臣下の目を気にせずに話し合うのが常であった。寝物語というには多少、色気に欠くきらいはあるが家臣とは違った立場と視点を持つセルウィリアの意見は有斗にとって大変貴重なものである。
であるから、セルウィリアのお話というのもいつもの話であろうと高を括って、有斗は気の抜けた返事をした。
「わたくし、本日をもって陛下のお
お褥を辞退するとは夜の営みを行わないということである。セルウィリアからそんな言葉が出てきたことに有斗は驚いて寝台から飛び上がった。
「え!? なんで?」
有斗は健全な男だし、セルウィリアのことは好きだし、セルウィリアとの子供だって欲しいし、セックスを辞めたい理由はこれっぽっちもないのである。
それなのにセルウィリアの口からお褥辞退とか突然言われては有斗は自分が嫌われたのではないかと思ってしまった。
出産は母体に多大の負担をかけるから、特に身分の高い女性などは医術の発達していないこの時代、高齢になって母子ともに死ぬ危険を防ぐためにお褥を辞退するということがあるとは知ってはいたが、セルウィリアはまだ若いのだ。そういったケースにあたるとは思えない。
すなわちお褥を辞退する理由は体力的なことではなく、精神的なことに理由があると考えるのが一般的であると言える。
ひらたく言えば、有斗は何かをしでかしてセルウィリアに嫌われてしまったのではないかと思ったのだ。
表情から自分の言葉足らずが有斗に悲しい想いをさせてしまったと察し、セルウィリアは言葉を付け足した。
「陛下の御寵愛を一身に受けるこの身にもかかわらず、未だに子宝に恵まれぬこと、陛下にも、また臣民の皆様にも申し訳なく・・・・・・ただ申し訳なく・・・健康で若い女人に立場を譲るのが、陛下と共に国を支える皇后としての筋道ではないでしょうか」
セルウィリアは
「なんでそんなことを言うのさ。周りの言うことなど気にすることないよ。それとも僕のことが嫌いになった?」
「陛下のことを嫌いになるなどとんでもございません!」
叫びに近いセルウィリアの言葉に有斗は自分の懸念が杞憂だったことに気付き、顔に喜色を浮かべた。
「よかった。じゃあ今まで通りでいいじゃないか。他の女なんていらない」
「そういうわけには参りません! それではいつまで経っても世継ぎが得られぬではありませんか!!」
「・・・そうと決まったわけじゃない。それに僕が他の女と寝たとしても、セルウィリアは平気なの?」
有斗が逆の立場だったら、たぶん・・・いや絶対に嫌だ。有斗は寝取られ願望は無いのである。
そう思って聞いた言葉に対して、セルウィリアは内心に押し殺していた感情を発露させた。
「陛下が他の女人を抱いていると想像するだけで、わたくし心が張り裂けそうになります! わたくしの陛下に手を出すなど・・・!! そんな女など殺してしまいたい!!」
今、頭の中で想像しただけの架空の女性に対して、その殺害を口にするなど、セルウィリアはよほど気が動転しているな、と有斗は思った
「ですが、これは仕方のないことなんです! わたくしが陛下のお子を宿さぬ以上、他の方が陛下のお傍に
そう言うとその美しい顔をしわくちゃにし、両の目から大粒の涙を流して、わんわんと声を出して泣き出した。
有斗はセルウィリアを引き寄せると、泣き止むまで優しく抱きしめる。
ひとしきり泣くとセルウィリアは落ち着きを取り戻した。
「陛下、お願いがあります」
セルウィリアは有斗に身体を預けたまま、きらきらと潤んだ瞳で有斗を見上げた。
「・・・何、セルウィリア?」
「陛下、お褥を辞退いたしましても、こうしてたまには二人きりでお話をさせてくださいね。わたくし、それだけで十分幸せです」
慎ましいいじらしさに愛しさがこみ上げた有斗は、セルウィリアをまた抱きしめた。
「もちろんだよ。でも、お褥辞退のことはもうちょっと考えようよ。後宮に他の女人を入れ・・・・・・たとしてもセルウィリアがお褥から外れることはないじゃないか」
他の女人を入れると口にした刹那、セルウィリアの目つきが常にないほど鋭くなったことに有斗は思わず怯み、一瞬口籠った。
「それでは朝臣たちが納得いたしません」
「これは僕の私生活のことだ。朝廷なんかに口出しはさせやしないさ。セルウィリアが気に病むことは無いよ。僕の子はセルウィリアに産んで欲しい」
「陛下、嬉しいです」
その言葉にセルウィリアは顔を
「陛下、わたくしなりに考えたことがあるのですが聞いてくださいますか?」
「なんだい?」
「陛下の
なんとセルウィリアはこれが先ほどまで泣き崩れていた人と同じ人とは思えぬほど、嬉々として有斗に女人を紹介しはじめた。
「・・・・・・・・・まぁ、そのこともおいおい考えていくことにしようよ。急ぐことは無いよ」
先ほどは空想上の女性を殺すと口にするほど嫉妬して見せたのに、今度は一転して自分の友人を有斗に薦めてくるというセルウィリアの心の移り変わりの早さに、有斗は驚くと同時に若干引いた。
いったいセルウィリアの頭の中はどうなっているのだろうかと、全て理解しているとばかりに思っていたセルウィリアに隠された意外な側面があることに気付き、少し気味悪く思えた。
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