第413話 平時の王

 さて、こうして物語を彩った主なキャラクターたちが退場し、有斗とセルウィリアが結婚したことで一区切りがついた以上、ここでこの物語の本質的な意味の半分が失われたに等しい。

 だが後醍醐天皇や豊臣秀吉、あるいは隋王朝を見るまでもなく、天下を手中にすることと戦乱の世を終わらせることとは別義であることを考えれば、全てが終わったと感じている有斗の気持ちとは別に大望はまだ道半ばと言ってよい。

 そこで蛇足かもしれないが、もう少しだけ話を続けたいと思う。読者諸兄にはもうしばらく付き合っていただきたい。

 

 こうして始まった王としての有斗の治世であるが、同時代の資料を見ても後世の資料を見ても概して評判が良い。

 だがそれをもって有斗が政治の達人であると決めつけるのは早計である。

 民衆の多くは戦国の世が終わって真っ当に生きていくことができるようになっただけで満足していたということを忘れてはならない。

 つぶさに資料を精読していくとわかることだが有斗王の治世下で、政治や経済が躍進し、民衆の暮らしが一足飛びに豊かになったという記録はないのだ。

 それはアメイジアでは有斗の次の王の時代まで待たなければならなかった。

 だが有斗がこの時代で果たした政治的な役割は大きい。

 神格化されたサキノーフが定めたがゆえに手が加えられることのなかった時代遅れの祖法と官職を一新し、時代に適した形に再構成した。法律は時代に合ったものになり、多くの王の長年の悲願であった多数の冗官がここにようやく整理統合されたのである。

 それができたのはこういう時に反対しがちである頭の固い高官たちが、四師の乱、パウリドの変、アドメトスの変という三度の政変によってことごとくいなくなっていたということが大きかった。煩いのはラヴィーニアくらいのものである。

 また、どの省庁も人が圧倒的に足らず、今の職を廃されても官吏が職を失う心配はなかった為、抵抗が少なかったのだ。

 さらに言えば、人が足りないということはどの官吏も忙しく、現状を変えなければいけないという認識をひとりひとりが強く抱いていたということでもある。その上、王の政治に口を出す巨大な派閥も一切存在しないという好条件も重なった。

 法は民を縛るものというだけでなく、諸侯や官吏を監察するものともなった。結果として巨大な権限が集まることとなった大理だったが、ラヴィーニアの献言により諸侯監察の外台、官吏監察の粛政台へと分けられ、司法は祖法通りに刑部が与るものとして分割再編された。一人の人間、一個の役職に権限が集まることをあらかじめ防ぐことで、飛び抜けた権力を持った臣下が現れないようにしたのだ。

 これをしたからといって人民の暮らしが目に見えて良くなるといったことがないので軽視されがちだが、官吏の不正を減らし、諸侯の反乱の芽を摘んだということで歴史学者からの評価が極めて高い政策である。


 もちろん法律の不備を突いて悪事を働くものが世の中から絶えることは無い。有斗王の治世でも数々の難題が降りかかってきた。

 もちろん有斗はその難題にことごとく正面から向きあい、必要があれば法令を定めて対処した。

 そんな有斗王の治世下で起きた事件で特に有名なものを三つ上げるとするならば、メレアグロスの変、上州擾乱、そして後宮某重大事件ということになろう。

 まずメレアグロスの変であるが、メレアグロスは南部出身の男である。両親ともに流民で食い詰めた結果、教団に入信したという。ただ両親ともに早くに死別し、教団の中で幼少期を過ごしたらしい。本人も教団の反乱に加わったという証言もあるが、確証は得られていない。とにかく親と同じく教団に属してはいたが、記録に残るほどの大物ではなかった言うことだけは確かである。

 そんな男であったが口がうまく、また好男子で第一印象として魅力的に映る男であった。何よりも教団六柱の一人、イロスに若干似ていた。

 その男をガルバの部下の一人だったアルガイオが目をつけた。この男は大物ではなく、ガルバの数多い手下の一人に過ぎなかったが、教団解体の混乱の中、ガルバの資金の一部を持ち逃げすることに成功し、朝廷の執拗な探索の手を潜り抜けて地下へと姿を消した男である。

 メレアグロスをイロスにしたてあげ、各地に散った教団の強硬派と連絡を取ると同時に布教活動を行い、食い詰め浪人や犯罪者などの不満分子を吸収して組織の拡大を図った。

 政権に対する不満分子はいつの時代もいるとはいえ、万の信徒を集めたというのだからメレアグロスにも生まれ持った才があったのであろう。それを良い方向に使わなかったのが彼にとっての悲劇となった。

 組織が急拡大するとどこからか情報が洩れるものである。存続を許されていた教団自体がこの動きに危険を感じて密告したとも伝わるが、真実は定かではない。

「政府転覆の企みあり」

 その知らせを聞いた朝廷はすわ教団の反乱の再来かと仰天し、すぐさま謀反と断じて行動を起こした。教団が起こしたあの戦は結果としては短期間で平定されたものの、その規模や被害は決して小さなものではなかった。百官の頭にもその記憶がこびりついていたのである。

 王都の治安維持を司る京兆府だけでなく、軍をも投入した大規模な捕り物が行われたが、アルガイオがこういった時のために飼っていた無頼の徒らの抵抗にあって捕縛し損ね、メレアグロスやアルガイオら目ぼしい者を取り逃がしてしまった。

 事態の長期化、他への波及を恐れて朝廷は震撼した。

 そんな時だった。生存する唯一の六柱の一人、アリスディアからメレアグロスが演じているイロスは真っ赤な偽物であるという文が信者に届けられたことで昔からの信者が動揺し、メレアグロスらの潜伏先が朝廷に漏れ聞こえた。

 二度も失態は犯せないと今度は幾重にも包囲して潜伏先を急襲した。メレアグロスらは抵抗の後、捕縛を嫌って自刃して果て、事件は終結した。

 だが、それによってアルガイオらが何を考えていたのかも闇に葬り去られることとなった。本当に密告通りにイロスやガルバの意志を継いで政府の転覆を狙っていたのか、それとも単に宗教という名の隠れ蓑を使って金儲けを企んでいただけなのか。全ては歴史の闇の中である。

 だが真実はともあれ、大規模反乱の芽は摘むことができたのだ。朝廷はほっと胸を撫で下ろした。

 さて、ここで大きな役割を果たしたアリスディアの手紙なるものが本当にアリスディアが書いたものであるかは史家の見解の分かれるところである。筆跡鑑定をしようにも現物が一つとして残っていないからだ。

 有斗もしくはその意を受けたものがアリスディアに書かせたという可能性に言及する者もいるが、ラヴィーニアがでっちあげた偽物という説にも一定の説得力があるのである。この事件に関してはこのこともまた闇の中であり、歴史家たちの好奇心の的になっている。


 次の上州擾乱というのは、またぞろいつもの上州諸侯の悪い癖が出た事件である。

 上州諸侯は有史以来、押さえつけられると手を取り合って外敵に対して共闘するが、押さえつけられる者がいなくなると仲間内で争いを始めるという悪い癖を持っている。これはもう病気と言ってよい。よく言えば独立独歩、悪く言えば我儘わがままで自我が強く、大局を見る力が無いのだ。

 ささいな隣村の森林の境界争いに始まったこの事件は、その村を領する伯家同士の争いとなり、双方が縁戚関係に助力を頼んだ結果、平野で一合戦行われ、勝利者側は敗者側の土地を寇略したと知って朝廷を仰天させた。

 もう戦国の世は終わったのだ。実力で領土を切り取る時代ではない。

 マシニッサでも分かっているこの道理を上州諸侯だけは分かっていなかったのだ。

惣無事令そうぶじれいを踏みにじる暴挙に出るとは、なんたる不心得者どもめ!」

「この際である、上州諸侯に厳しくお灸をすえることによって、全諸侯に朝廷の威信の何たるかを知らしめるべきではないか。王師をもって上州諸侯どもを一掃してしまえばよかろう」

 朝廷を軽んじられることは、朝廷を支えている自分たちがあなどられていることに等しいと考えている朝臣たちは怒りを見せ、中には普段の理知的な姿とは打って変わって急進的な意見を述べるものも出る始末だ。

 もちろん軽々に動いては却って朝廷もかなえの軽重を問われることにもなりかねないと慎重になるように釘をさす意見も出る。

「それは早急に過ぎる。諸侯には諸侯の矜持きょうじがある。朝廷から居丈高いたけだかに押さえつけられていると感じれば、反感を覚える諸侯もおおかろう。戦国の気風が冷めやらぬ昨今、他でも乱を起こす者もあるやもしれぬ。このような下らぬことで天下の大乱を招くのは下策ではないか」

 そういった大義名分論だけでなく、朝廷がずっと抱えている、ある現実的な問題から戸部尚書などは出兵に反対意見を述べた。

「それに出兵ともなれば金が要る。今の朝廷のどこにそんな金があるというのだ」

「また金の話か」

「そうは申すが、朝廷がすべきことは山ほどある。要らぬ出費ならば無いほうがいいのは当たり前のことだ」

「圧力をかけて譲歩を引き出すのが良策と心得る」

「いや、それでは朝廷が弱腰だと侮られることになる」

 どういった方策でこの事態に挑むか朝議は紛糾したが、少しでもこの事態を許しておいては朝廷の威信に係わるという危機感だけは全ての官吏たちが一致して持っていた。

 そこで群臣を代表して、右府マフェイが早急な対策が必要であると王に奏上した。

 マフェイに対して有斗が返答した言葉は明確で短いものだった。

「問責使を送ろう」

 有斗はテイレシアの時と同じ手続きを踏むこととした。

 だがただ問責使を送るだけではなかった。有斗は王師三軍を河東の堅田廃城に移動させ、越と河東、ならびに坂東の諸侯に出兵の可能性が有りと告げることで同時に有形の圧力をかけた。

と言っても絶対に何が何でも軍事行動を起こすという気は無かった。そこまでのことにはならないだろうというのが有斗の考えである。あくまでもポーズなのだ。

 幸いにしてというか、当然の成り行きというか、上州諸侯にはテイレシアほどの気骨のある諸侯は皆無だったので、その知らせを聞くや震え上がって有斗に泣きついてきた。

 無理もない。上州諸侯は言ってしまえば王師一軍であってもひねりつぶすのは容易なほどの小身の諸侯ばかりで、かつてのカトレウスやテイレシアのように後ろ盾になってくれる大諸侯が無い今、朝廷と正面から事を構えるなど考えられないのである。

 もめ事を起こした村人を罪に問い、当事者の両諸侯は減封の上、移封。騒乱に加わった諸侯には贖銅を科した。

 空いた土地には騒乱を防ぐという名目で、王直轄の上州代官領を新たに設定した。

 これは飛び地となり、王領を中央に集中するという当初の有斗の方針からは逸脱する形となるのだが、何かと問題の残る東国を監視するために王の耳目となる代官を置いておいたほうが据わりがよいであろうというラヴィーニアの進言を入れたのである。

 後始末のためにリュケネと共に王師一軍が派遣されるといったことはあったので、上州騒乱は戦国最後の出兵記録として残りはしたが、まずは穏当な結末となった。


 さて残る一つは処罰から何かがあったことは確認できるが、正規の史書から記述が除かれていることから有斗王の御世で召喚の儀に次いで最大の謎と言われる後宮某重大事件である。

 だが、これについては後程、詳細に物語る必要があると思うので、ここではそう言った事件があったということだけ覚えておいていただきたい。


 もうひとつ、有斗が戦国の世を鎮めたこと、そして祖法と官制を改革したこと以外で最大の功績と呼ばれる水道事業についても触れておかねばならないであろう。

 古来、医術が未熟な中世において恐れられていたものは流行病である。

 特に官民で人が集中する形のアメイジアの王都においては、いったん発生すれば爆発的に流行し、酷い時には五割近い死者を出すこともあったのだ。

 ゆえに東京龍緑府で流行病が発生すると、南京南海府に行幸と言って逃げ出す王もいたくらいである。

 有斗はこの原因の一つが王都内の水質の悪さから来ていると見た。

 三京ともに川なり堀など人工水路が巡らされており、井戸なども掘られてはあったのだが、上下水道が分離していないこともあって、その水質はお世辞にもいいものとは言えなかった。

 王城を抜け出して買い食いをしていた時に、その衛生状況の悪さだけは我慢ができなかったものである。

 そこで兵事がなくなり手持無沙汰の王師を使って有斗は東京龍緑府に都合三本の上水道を引くことを計画する。水源地から王都内に清潔な水を引いて万民に使えるようにしようというのである。

 衛生という観念が理解できないことや予算不足もあって、ほぼ全ての官吏がこの事業には反対した。ラヴィーニアすら反対したというから、どれだけの官吏がこの事業に理解を示さなかったということが分かるというものである。

 だが有斗は何度か官吏たちの反対にあっても予算から水道建設費を減らすことは無く、建設は続けられていくことになる。

 後に十万都市を超えた東京龍力府だったが、これが完成することによって流行病の発生記録は逆に減るのである。

 もちろん天然痘のように公衆衛生に関係なく流行るものはどうしようもないが、それでも多くの流行病の発生を防げたということであろう。

 だが残念なことに、自身が命じて建設が開始されたこの水道事業の完成を有斗は見ることはできなかったのである。


 以上のように、有斗は平時の王としてもまずまずの裁量を示して見せたのだが、官民からそろって懸念に思われる事項については一向に改善の様子が見られなかった。

 それは言わずと知れた後嗣のことである。

 結婚から二年経ったが、セルウィリアが妊娠する兆候は一度も見られなかった。

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