第412話 落日の別れ

 罪一等を減じられたアリスディアは遠流となり、畿内から三十舎の追放が命じられ流刑地として関西箕湾中に浮かぶ大島が選ばれた。南からの海流で年中温暖で過ごしやすく住民も温和であり、流罪地としては破格の厚遇である。更には怪我が癒えないアリスディアは王の別命をもって通常は課せられる徒罪を特別に免れることとなった。

 罪人は板敷の監車で送られるのが決まりであるが有斗の意向が入り、普通の馬車で、なおかつ顔見知りのダルタロス出身の羽林の兵をもって護送されることとなった。

 外から中を窺えぬように目隠しをされて王城を出た馬車は人目を避けるように裏路地を進み、ひっそりと東京龍緑府を後にした。

 郊外に出た馬車はしばらく進むと突然止まり、それまで目隠しとして窓に打ち付けられていた板戸が剥がされる。

 何らかの故障が馬車に起きたのか、あるいはここで自分が始末されるのかと身構えたアリスディアだったが、扉が開いて見知った顔の羽林の兵が無造作に馬車に入って来ただけだった。

 そして同時に入って来た陽光の眩しさにアリスディアは目を細めた。そしてアリスディアは今が夕刻であることをはじめて知った。陽の光を見たのは実に一か月ぶりのことである。

「アリスディア殿、ごらんなされよ。夕日が沈む壮大な景色がご覧になれますぞ」

「わたくしは罪人です。お気遣いなきように、お願いいたします」

 好意から出た言葉とは分かってはいたが、罪人に便宜を図ったと見做されては先々迷惑をかけることになると思ってアリスディアは頭を下げて断った。

「そう言わず、御覧なされよ。そうそう見れる景色ではありませぬぞ」

 だがその羽林の兵は幾度もしつこいくらいにアリスディアに外を見るように勧める。気乗りはしなかったが、相手の立場を立てて仕方がなく促されるままアリスディアは扉から顔を出した。

 そこは街道から少し離れた小高い丘の上だった。人気もなく、確かに羽林の兵の言う通り、朱龍山脈にまさに落ちなんとしている夕日が、周囲一帯を赤く染めあげて絵画のような景色が広がっていた。

 だがアリスディアはそこにいるはずのない影を見つけて思わず息をのむ。

「これは、まさか・・・陛下!?」

 王城にいるはずの有斗が、昔と変わらない困ったような嬉しいような曖昧な笑みを浮かべて草むらの向こうに立っていた。

 いくら天下を統一したとはいえ、食い詰めた元傭兵や浪人、野盗や流賊がアメイジア各地に出没しており治安は安定したとは言い難い。教団の残党だっている。王がこのようなところにいるはずがない。見間違いかと思ったが、見ればもう一台、馬車がある。馬車の暗がりの中からこちらを覗くセルウィリアとグラウケネの顔があった。

 それだけでなく、目立たぬように周囲には羽林の兵があちこち立っていることにアリスディアは気付いた。ということは目の前の人物は紛れもなく王そのものである。

 アリスディアは慌てて馬車から降りて平伏しようとしたが、怪我をしている足に力が入らない。体のバランスを崩して馬車から転げ落ちそうになり、慌てて駆け寄った有斗と側にいた羽林の兵とに支えられた。

「へ、陛下、これは失礼を・・・!」

 有斗に抱きかかえられるように支えてもらったことにアリスディアは大いに恐縮するていを取ると同時に頬を赤らめた。

「いいから、アリスディアは座っていて」

 アエネアスに毎朝稽古をつけてもらっていたから以前よりは遥かに力強くなっているはずなのだが、アリスディアを抱え上げて馬車に戻そうとするも、足がふらついて今度は羽林の兵が有斗を支えるはめになる。

「しかし! それでは礼を失します!」

「王なんてものは王城深くに籠って人前には出てこないものさ。こんなところにいるはずがない。ここにいるのは君の友人の有斗なんだよ。だから礼など不要さ」

 この人はアメイジアに来てから大きく変わられた。王として立派に成長した。だけどこういう偉ぶらないところだけは、ちっとも変わっていないとアリスディアは嬉しくなった。

「アリスディア、少し話がしたいんだ。いいかな?」

「はい」

「教団のこと、そしてアリスディアのこと。僕はもっと深く知りたい。いや、知っておかなくちゃいけないと思うんだ」

「わかりました。ですがその前に陛下に一言お詫びを。アエネアスのこと、教団の一柱として幾重にもお詫び申し上げます」

 有斗は直接その謝辞に答えることはなく、ただ寂しげに笑っただけだった。

「それとご結婚、おめでとうございます。セルウィリア様もおめでとうございます。天下にとってもこれ以上、喜ばしい知らせはありますまい」

 アリスディアはまず有斗に、次いでセルウィリアに笑顔で拱手した。だけど言葉とは裏腹に、その笑顔はどこかしら寂しそうであった。


 次の瞬間、アリスディアは真顔になって有斗に尋ねる。

「陛下、南部から戻ってこられた時の舞踏会のこと覚えておられますか?」

 教団のことや自身のことをを話すのだとばかりに考えていた有斗はアリスディアから出てきた言葉に少々面食らったが、何かそれがアリスディアにとって重大な意味を持つのであろうと察した。と同時に、あの頃はアエネアスだけでなくアエティウスもアリアボネもいた、と有斗は物悲しい気分になった。

「・・・・・・・・・舞踏会を抜け出して、君と月を見ていたことがあったね」

 今も苦手だが、あの当時は更に踊りや華やかな場が苦手で、居場所が見つからずにそっと庭に抜け出したのだ。

「ええ」

「確か、君は月を見て、自分の人生にも月のように輝く何かが訪れるのではないかと子供のころに思った、と言ったよね」

「嬉しい・・・覚えていてくださった」

「そして君はそれを見つけたと言った・・・それは・・・もしかして?」

 有斗の問いにアリスディアは悲しげに答えた。

「ええ、教団です」

 アリスディアは訥々とつとつと教団のことについて話し始めた。それは自らの過去を話すことでもあった。

「わたくしが生まれた村は関東の端の端、東北の寒村でした。貧しい生活、でも平和な村でした。でも・・・カヒとオーギューガの戦いは拡大し、やがてその村も戦場に・・・そこでどのような惨劇があったかは、わたくしの口からはとても申せません・・・闇の奥底に沈みこむ日々・・・わたくしには明日は無かった。あるのは今日、その一瞬だけ。その一瞬を生き延びることだけがわたくしにできる全てのことでした」

 その頃のことを思い出したのか、アリスディアの顔には深い陰鬱な影が姿を表していた。

 始めて見るアリスディアのその顔に、有斗はアリスディアが心の奥底にずっと隠していた孤独に触れた思いだった。

「そのわたくしに光を与えてくれたのは、奴隷商から私を買い上げてくださったのは、教団でした。もう残飯を漁ったり雨水をすすったりする生活から逃れられたのは嬉しかったですね。食事だけでなく、仕事をしなくても叩かれることもない。教育まで受けられたのです。わたくしは教団に感謝しました。なんとしても教団の役に立ちたかった。そしてそんなわたくしを教団は選んだのです」

「何に?」

「国家中枢に潜り込むための人員の一人として」

「何故・・・教団はそんなことを・・・?」

「教団がこの世界の全ての権力を掌握するためにです」

「僕にはそこが分からない。南部で信者のおばあさんから聞いたソラリア教の教義には権力を得ようとか、国家と敵対しようと言った危険な思想は見られなかった・・・何故、教団はそんなことを考えたんだい?」

「相互扶助、救世を基本理念とする教義は広く受け入れられましたが、打ち続く戦乱の前には教団は無力でした。貧民を無くそう、教義を持って人の心を教化し、兵乱を静めようと活動しているのに、戦国はむしろ激しくなり貧民は増える一方でした」

「でも確か・・・教団は広く支持されていて、豪族も入信するほどだったんじゃ?」

 豪族にまで影響力を及ぼしているのならば、その主である諸侯にも影響を及ぼすことが出来るはずだ。諸侯とて配下の豪族の協力抜きには兵を催すことなど出来ないのだから。

 ならば、豪族を通じて諸侯に圧力をかけ、無益な戦を少しでも減らす。そうすれば戦国は終わらなくても、少しだけましな世の中にすることができるのではないかと有斗などは思うのだ。

「それは確実に徴税できる対象として私たちを利用しただけ。あるいは信徒を戦場に駆りだす為の方便。私たちの教義に感銘を受けたわけではありません。それが証拠に入信した豪族同士で相打つことも珍しくなく、この戦乱は終る気配がなかった」

 だがアリスディアの話によると、やはり有斗の考えのように上手くはいかないようだった。

「関東の宮廷も、関西の王も権勢争いにその力を使い果たし、民衆の労苦はかえりみられませんでした。そんな中、教団を教徒以外にも広めて、王も諸侯も飲み込んで教義の下に置けばいいという考えが教団の中で考え出されました。『教国思想』です。最初は純粋な運動だったと思います。既存の権力者に愛想をつかした以上、教団を拡大して国家そのものになり、戦乱を治め、万民平等の世を体現せしめようとしたのです。だけど教団が大きくなれば、人が集まり、金が集まり、序列が生まれます。元は清廉潔白な士も、金や地位や権力といったものに毒されました。またそれらに引かれて教団に入り込む不逞ふていの輩も増えていきました。彼らは、より多くの財貨、より高い地位、より大きな権力を求めました。その彼らには『教国思想』こそ己の欲を満たせる大義名分に思えたのです」

 アリスディアが話した教団が変質して行く過程は十分に理解できる話だった。もっとも、だからと言ってそれを受け入れるわけには行かないとんでもない話しでもあったが。

「良識のある人はいなかったの? そんなに腐っているのなら、教団なんて解散して無くしてしまえばよかったのに」

 少なくともそんなところはアリスディアのような純粋な人がいるに相応しい場所じゃない、と有斗は思った。

「教団を支えるために大勢の教団幹部がいます。彼らはこの教団の内以外に居場所がないのです。教団が解散したら彼らはどこへ行けばいいのです? 土地も金も職も持たない彼らが生き延びるすべは全土を制圧し、教国を創るしかなかったのです」

「流民が定着できるようにと作った屯田法がある。あれを頼ればよかったじゃないか。別にあれは流民に限ったものではないし」

「ですが、互いに助け合って生きていくという教団の中のようには楽にいかないでしょう。それまで寄り添って生きてきた者たちも離れ離れとなり、きっと厳しい生活になります。若いうちは労苦も我慢できます。いつかこの状態から抜け出し、豊かな暮らしができるという希望さえあればどのような困窮にも耐えれるものなのです。ですが年老いたものはそうはいかない。困窮の末にようやく掴んだ今の生活をみすみす手放すことなどできなかった。・・・だから反対するものなどいなかった」

「・・・アリスディアも、そう思ったの?」

「わたくしは・・・」

 そう言ったきりアリスディアは押し黙った。アリスディアの複雑な心境を推し量って有斗も思わず押し黙った。

 しばらく沈黙がその場を支配したが、たまりかねて有斗が口を開く。

「・・・・・・・・・・・・アリスディアはどう思ったのか、率直なところを聞かせてほしい」

「わたくしは・・・そうは思いませんでした。新たな王が誕生し、その治世が喜ぶべきものであるならば、我らはそれに感謝してその支配を受け入れるべきだと・・・そう思いました。平和な世界を求めて教国を作ろうと志したのです。教国を作るために平和な世にあえて乱を起こす必要などどこにもないではありませんか」

「ならばどうして、教徒たちをそのように導こうとしなかったの? 話によればアリスディアは教団幹部の中で一番、信徒からの信望も篤かったと聞いたよ。例え他の幹部どもが悪い考えを持っても、信徒たちが付いていかなければ今度のような大事にはならなかったんじゃないかな?」

 アリスディアは悲しそうに目を閉じて首を横に振る。

「衝突を回避するべく努力はしました。少しでも陛下の邪魔をしないように彼らを誘導し、陛下の身に危害が及ばぬように尽力はいたしました。陛下が彼らの魔手を逃れて天下を統一さえすれば、彼らもその不逞ふていな野心を諦めざるを得ない、そう思っていたのですが・・・」

「・・・違ったんだ・・・?」

「ええ。陛下が乱世を収束させても彼らはその野心を諦めなかった。諦め切れなかった・・・」

「説得が難しいならいっそのこと、そんな教団など裏切って僕に言ってしまえばよかったのに」

「裏切るには・・・わたくしは少しばかり教団に関わりすぎていたのです。確かに教団の幹部は腐敗し、財貨を蓄えるとか、隙あらば他人を貶めることだけを考える輩ばかり。彼らは口を開けば末端の信徒には綺麗ごとを口にし、アメイジアの未来を正しく導くとは言うものの、そこにあるのは人の欲と業。人の心の薄汚れた一番汚い部分だけです。ですが・・・! 教団の理念そのものは間違っていなかったはず・・・! 戦国乱世の世の中では朝廷も諸侯も商人も・・・誰も、わたくしたちのような貧民もたざるものなど救ってくれない。救おうとすら考えない! 利用するだけ利用し、利用価値が無くなったら捨てられるだけの存在にすぎない! あの頃のわたくしを救ってくれたのは教団だけ。教団だけが貧しきものでも弱きものでも救おうという意思を持っていたのです。わたくしを救ってくださった今は亡き司祭様のことを思えば、わたくしが教団を裏切ることなどできるはずがないではありませんか・・・!」

「・・・」

「ですから委ねたのです、天に。本当に天に神様がいるのなら、きっと最後に正しきように導いてくださるのではないか、と」

 有斗はしがらみの中で、身動きが取れなくなったアリスディアの苦衷くちゅうを察することができる。その選択もしかたが無かったのではないかとも思えた。

「しかし・・・宗教団体がアメイジアの統一という理想を考え出すことは不思議じゃない。だけどそれを実行に打つそうなどと思ったのは何故? 東西の朝廷さえ手を焼いていた戦国乱世の統一は、諸侯はもとより単なる一宗教団体には荷が重い理想だと思うんだけど」

「簡単なことです。教団が出来て七十余年、ソラリアの地で僅か三人の信徒で始まった教団も、組織の根は各地に広がり、信者は数十万に達し、信徒から寄進されるお布施や、商売や荘園などの事業から生み出される金銭は合計すれば年間五十万貫をも超えました。あの頃の教団にはどの諸候よりも強大な武力や財力をも有していました。関西の女王や関東の朝廷よりも、ね」

 ちなみに今年の朝廷の収入は二百万貫だが、人件費を除くと予算規模は十五万貫でしかない。しかもその大半は軍票の支払いに当てられ消えてしまう。

 幹部の生活に使われて消える金銭もあるとはいえ、朝廷と違って末端の構成員である信徒に支払う人件費がないことを考えると、その予算規模は超国家レベルのものであろう。

「・・・だからそれを使うことなく平和裏に解散させることなど、もはや誰にもできませんでした。教団が陛下と戦うことになるのは、召喚の儀の時にはもう避けられない未来だったのです。もし、もっと早く・・・いいえ、もう少しだけ早く陛下が現れて下されば・・・と今でも思います。言っても詮無いこととはわかっておりますけれど」

 アリスディアの述懐に有斗もまた押し黙り、沈黙のときが辺りを支配する。


 しばしのときが過ぎる。沈黙を作り出したのもアリスディアならば、その沈黙を破ったのも、またアリスディアだった。

「陛下」

「・・・?」

「おしたいしておりました。ずっと」

「へ・・・?」

 突然のアリスディアの告白に有斗は大いに戸惑った。

「この乱世を終わらせるために苦闘するお姿に、覇道では無く、王道を・・・あえて苦難の道を選ばれるその気高き精神に、挫折を乗り越えるたびに強くなるそのお心に。わたくしが見上げる陛下はいつも眩く輝いていました。そう、まるで夜を照らす月光のように」

 アリスディアはそう言うと有斗を見て眩しげに目を細める。それは有斗の後ろに沈み行く夕日があったという理由だけでは無かっただろう。

「もし陛下がもっと前に・・・わたくしたちがこの世界に絶望する前に現れたなら、きっと・・・!」

「・・・・・・」

 有斗は返す言葉が無かった。それはアメイジアの覇王となった有斗にしてもどうにもできないもの。有斗には返事の仕様が無かったのだ。

「・・・これも言っても詮無きことでしたね。陛下、わたくしたちには間に合いませんでしたけど、大勢の人たちを導いてください。このアメイジアの光となってください。この世に平和をもたらしてください」

 アリスディアの言葉ひとつひとつが有斗には重かった。その言葉全てがアリスディアの未来が有斗と共には無いということを表していたからだ。

「僕は大事なひとをまたなくしてしまったのか・・・」

 俯く有斗の両手をアリスディアはそっと握り返した。

「まだわたくしのような者を”大事”だと言って下さるのですね」

 アリスディアの目に涙が溜まり、やがて流れ落ちた。

「嬉しいです・・・陛下」

 だけど涙を流しつつも、アリスディアの顔は笑みが浮かんでいた。これ以上ないくらい幸せそうな笑みだった。

「陛下・・・! いつまでもお元気で! いつまでもお元気であられることを、このアリスディアは遠くの空で、ずっと・・・ずっと願っております!」

 そう言うとアリスディアは有斗の手を強く握った。


 別れを惜しむ時間は終わった。

 有斗が馬車を降りると羽林の兵が黙って馬車の扉を閉め、すぐさま出立の準備にかかる。

「それでは陛下! お元気で!」

 最後に一度、アリスディアは窓ぎりぎりまで近づいて有斗に向かって手を振った。すぐに視線を外し、前だけを向いたアリスディアを乗せた馬車は、一路西へと旅立っていった。

「陛下、そろそろ帰りましょうか。いつまでも王宮を留守にしておくわけには参りません。お身に万が一ということもございます」

 有斗はそう声をかける典侍グラウケネに拒絶するかのように手を突き出した。

「・・・見ていたいんだ」

「でも、お体に触ります」

「今日見なければ、この光景は二度と見ることが出来ないんだ。頼むよ」

 いつにない有斗の明確な意思表示に典侍は逆らうことができない見えない力を感じた。王としての、いや、人としての悲しみがそこにこめられているように感じられた。

「・・・・・・はい」

 有斗はアリスディアが乗った馬車の姿が夕日の中に消えていくまで、その目に焼き付けていた。


 どんなに季節が過ぎ去ろうとも、忘れない。きっと。

 今日を逃せば、もう二度とアリスディアがいる光景は見ることが叶わないのだから。

 遠く遠く・・影が小さくなり夕日に溶け込んで見えなくなるまで、ずっと有斗は地平線の彼方を凝視していた。


 アリスディアは窓から顔を出して有斗を振り返って見ようとはしなかった。もう一度、振り向いて、有斗を見ていたいという誘惑はあったが、アリスディアは強い意思でその誘惑を断ち切った。

 アリスディアの頬はしたたるる涙滴で濡れていた。その姿を有斗に見せたくなかったのだ。

「さようなら、陛下・・・天がわたくしたちに与えてくださった偉大なひと・・・そして、わたくしの愛したひと」


 周囲が闇に包まれはじめても有斗はまだ西を見続けていた。

「・・・みんな、いなくなった・・・・・・いなくなってしまった」

 有斗の胸にはセルノアを亡くした後に感じた、あの空虚な想いが再びふつふつと湧き上がってくるのを感じた。

 あの時もセルノアを失った喪失感はあった。でもセルノアの仇を取ろうという強い想いもあった。

 何よりも新たな出会いがあった。共に偉大なことを成し遂げようという仲間がいた。一つの部屋に集まり未来だけを見つめ続けた仲間は有斗にとってかけがえの無いものだった。そして偉大な王になり、平和をもたらすんだというプラスの希望に昇華させようとした高揚感が大きかったのだ。

 アエティウス、アリアボネ、アリスディア、アエネアス・・・そして有斗。

 夜が更けてもどうすれば戦いに勝てるか、どうやれば偉大な王になれるかを一つの部屋で論じていたあの日を思い出す。

 夢を語り合ったあの頃。

 この道が平和への道へ続いていると信じていた頃を。

 有斗には自分が、想像していたよりも偉大なことをなしとげたという自信がある。

 誰が何と言おうと関係ない。有斗は天与の人と呼ばれるに相応しいだけのことをしてみせたと胸を張って言い切れる。

 セルノアの想いに全身全力を持って応えたのだ。

 だけど・・・だけど、なんなんだろう・・・この空虚むなしさは。

 この喪失感はきっと何であっても埋めれやしない、と有斗は悲しく思う。

 どんな快楽も楽しみも褒詞も慰めも、この空虚すきまを埋めることなど出来やしないのだ。

 アエティウス、アリアボネ、アリスディア、アエネアス・・・もう有斗の傍に誰一人としていないのだ。

 二度と彼らに会うことは出来ないのだ。

 夕日に照らされた有斗の顔に浮かぶ悲しげな表情にたまりかねたセルウィリアが半歩有斗に近づいた。

「陛下」

「ん?」

 セルウィリアの問い掛けに有斗は振り返る。

「わたくしがおります、陛下。わたくしが生涯、お傍にお仕えいたします」

 真剣に見つめる表情に、有斗は自分がセルウィリアを心配させていたことに気付いた。

 有斗はまだ失くしてはならない大切なものが自分には残っているのだと思った。

「・・・・・・ありがとう。そうだね、君がいる。これからは二人で支えあって生きていこう」

 有斗が差し出した手をセルウィリアが掴んで握り返した。

「はい!」

 二つの影は一つの影のように重なり、長く長く、いつまでも長く伸びた。

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