第411話 大赦

 有斗はセルウィリアの同意を取り付けたことで、すぐに内外にこのことを布告して婚姻の儀を執り行う準備を始めさせた。

 この知らせを、自分の娘を有斗のきさきにしようと目論んでいた一部の野心家を除いて、朝廷の官吏たちはおおむね好意的に受け止めた。

 この王朝には目下のところ継嗣がいない。血統をもって権威を確立する王朝という社会制度にとっては極めて重大な社会的な不安定事項である。有斗は戦国を鎮めた偉大な王であるが、一向に妻を娶ろうとしないことだけは王としての自覚が足らないと官吏たちはずっと苦々しく思っていた。

 もちろんできちゃった婚ではないので(有斗にそんな甲斐性があったならば、官吏たちはこれほど心配する必要は無かった)、一足飛びに継嗣が得られたというわけではないのだが、とにかくまずはきさきを娶って、やることをやらなければ子供が生まれてくることはないことを考えれば、大いなる一歩といってよい。

 特に関西朝廷に属していた官吏たちは大喜びだった。有斗とセルウィリアの間に子供が生まれ、その子が帝位を継げば関西王朝の血脈は母系を通じて残るというものである。

 庶民も同じである。せっかく異世界から良い王様が来てくれて平和にしてくれたというのに、後継ぎがいないのでは戦国の世に逆行しかねない事態である。これは実に喜ぶべき慶事であった。

 それに信心深い庶民たちにしてみれば、高祖神帝サキノーフの血を引くセルウィリアと天与の人である有斗が結ばれるのはごく当然の流れであると思っていた。

              

 だがこの知らせに大いに心を痛めた者たちもいた。その者たちは別に有斗を嫌っていたり憎んでいたりしたわけではない。いや、むしろその他大勢の者たちよりも有斗を愛していたといってもよい。

 その彼らとは羽林や王師中軍の兵ら、ダルタロス出身の者たちである。

 彼らはこれまでの行きがかり上、アエネアスこそが王配になるものだと思って疑いもしなかった。だがアエネアスはもうこの世にいない。いない以上、抗議するわけにもいかない。セルウィリアが王配になるというのは仕方がないと受け止めるしかなかった。

「お嬢が生きていたら・・・いや、なんでもねぇです。陛下、おめでとうございます」

 あの巨体を見たことが無いくらい小さくし、しょげかえっているベルビオを、有斗も悲しげに見つめるしかなかった。


 アリスディアに対して、恩赦をもって罪一等を減じ流罪となったことを、本来ならば有斗の口から告げたいところではあるが、王が配慮したという色を少しでも薄めておいたほうが良いと言うセルウィリアの忠告を受けて、グラウケネの口からそのことを告げてもらった。アリスディアはそれをただ淡々と感情を表さずに聞いていたらしい。もとより死は覚悟の上だったのではないかとはグラウケネの言である。

 何も言わなかったアリスディアだったがただ一つ、感情を表すような行動を取った。恩赦について聞いたのち、有斗がいるであろう清涼殿の方角に向き直ると深々と頭を下げた。それだけであるが有斗はその行動にアリスディアの全てが詰まっているように感じられた。


 さて有斗はセルウィリアと婚儀の準備に入ることと恩赦の手続きを開始するように同時にラヴィーニアに命じたが、いつもなら用事が終わればそそくさと立ち去るラヴィーニアがいつまでも机の前に立ち続けていることに気付き、苦笑した。

 まだ有斗に対して用件が残っているということである。

「わかっている。ヘヴェリウスらのことだろう?」

「御意」

「恩赦はアメイジア全ての者たちに下すべきだと言いたいのだろう? 当然だね。ヘヴェリウスをはじめ、大理の者たちも罪一等を減じて遠流と処す。これでいい?」

「ご寛恕を賜り、ヘヴェリウスたちに成り代わり感謝申し上げます」

 ラヴィーニアは珍しく有斗に向かって神妙に頭を下げたが、有斗はもうすでに仕事に集中しており、ラヴィーニアのことなど一顧だにしなかった。

 ここでヘヴェリウスのその後についてもう少し話しておきたい。

 減刑され遠流になったヘヴェリウスだが、数年後もう一度大赦が行われ晴れて自由の身となった。その時にもラヴィーニアは有斗にその処遇に関して尋ねたと記録にある。

「ヘヴェリウスのことですが・・・」

「なんだ」

 ラヴィーニアは有斗から返って来た言葉が、明瞭かつ特段の悪感情が込められていないことにまずは安心して会話を続けた。

「遠流は解かれましたが、官職からの除籍処分が解かれておりませぬ。ヘヴェリウスは良吏です。あれほどの男を世に朽ちさせておくのは天下の損失であると申し上げましょう。陛下のお怒りは重々承知しておりますが、どうにかして官吏に戻すことはできないものでしょうか」

「それはならぬ。死に値する重罪を犯しても恩赦などで数年で復職叶うとあらば、官吏は余を侮り法令を守らぬ恐れがある。ヘヴェリウスの復職は叶わぬものと心得よ」

 平和に慣れ、地位に思い上がり増長した官吏たちがその頃の有斗にとっての最大の敵であった。彼らに警告を与える意味でもヘヴェリウスを朝廷に戻す訳にはいかなかったのである。

 王の怒りは根深いものがある。ラヴィーニアは嘆息すると、もう一つ尋ねた。

「では諸侯が召し抱えるのも禁じられますか」

「余が命じたのは除籍であり、朝廷からの追放処分である。諸侯の内情に関しては余の与り知るところではない。召し抱えたいものあらば召し抱えるが好かろう」

 ラヴィーニアは王の言葉に我が意を得たりと深々と拝礼した。

「ご賢察です」

「この件はそれで終わりだ。中書令は忙しい身の上のはずだ。余も同様に忙しい。一私人の身の上にかまっている暇などないはずだがな」

 少し嫌味を言って有斗は話を打ち切ると仕事に戻った。

 この話を聞いた諸侯たちは先を争ってヘヴェリウスを召し抱えようとした。当代屈指の才子であるヘヴェリウスほどの人物は諸侯が得ようとしても得れるものではない。ヘヴェリウスの下には諸侯の使者が大挙押し寄せ、日参した。

 悩んだ末にヘヴェリウスが選んだのは、なんとコンチェ公マシニッサであった。

 これに驚かなかった者は皆無といっていいだろう。

「あのような主殺しさえやってのける大胆な男の下で働くなど、命がいくらあっても足らない。他にいくらでも仕官先はあるではないか。やめたほうが良い」

 といって決断を翻すよう説得する友人もいたが、

「大胆な行動を起こすということは、決断力に富むということでもある。諸侯の日々の政務などでは我が才は生かされまい。常識を否定し改革を行う人物の下でこそ、わが才が生かされるというものだ」とヘヴェリウスは取り合わなかった。

 マシニッサの示した条件は破格だったし、また一代で急速に拡大したマシニッサには主人さえはばかるような譜代のうるさい重臣がおらず、マシニッサの同意さえ取り付ければ政治を進められることも選ぶにあたって重要なポイントとなったであろう。

 マシニッサはアメイジア屈指の大諸侯となったが、大家を治めるノウハウを持った譜代の家臣もおらず、新付の広大な土地では新たな主人に慣れぬ民や従わぬ有力土豪がいて足元は危うかったのである。複雑な問題が絡み合ったコンチェの治世の舵取りをマシニッサが特に大過なく治めきったのは、ヘヴェリウスの力があってこそといってもよい。

「王にはラヴィーニアがいるが、俺にだってヘヴェリウスがいる」

 マシニッサが言ったというその言葉こそ、ヘヴェリウスにとって何よりもの褒美となったに違いない。

 ヘヴェリウスは結局、坂東の地で一生を終えた。


 さて、有斗がセルウィリアと結婚するという内意はこうして公にされたわけだが、これでその夜からすぐにセルウィリアが枕席に侍るというわけではない。

 王というものはやることなすこと全てが儀式、何をとっても儀式が付いて回るのである。

 とはいえ東西に分かれてからは朝廷も何かと財政不如意であった。関西王朝もご多分に漏れず、入内なども極めて簡素に行われていたのだが、今回は古式に乗っ取って大々的に執り行おうということになった。朝廷は相変わらず財政不如意だったが、民衆心理に与える効果は多額の出費に見合うと判断されたのだ。

 王の相手がセルウィリアという極めつけに高貴な身分の出身だったということもあるが、王のいなかった関東朝廷にとっては数十年ぶりの立后、また戦国の世の終結を民に告げるにふさわしい華やかなイベントということで官をあげて盛り上げようというわけである。

 もうすでに後宮にいる、すなわち入内している状態にあるセルウィリアを一旦、宮城の外に出してわざわざ入内させる手続きを取るという案まで飛び出したと聞き、有斗は呆れるばかりだった。

 これは元関西女王であるセルウィリアに王宮の外に戻るべき家が無いという理由からもちろん却下された。

 そこで入内にまつわる手続きは省き、女御宣下から儀式を取り行うことで意見の一致を見た。

 だがここで問題が起きた。女御宣下の文言について関西閥と関東閥との間でひと悶着あったのである。

 セルウィリアが女御になるのに問題はない。先帝の娘が新帝に入内し女御宣下を受けた先例もある。だがひとつ問題があった、セルウィリアは関西の元女王である。アメイジアの歴史上、女王が王の配偶者となった例は皆無だった。

 関西出身の官吏らはセルウィリアは尋常の身分では無いのだからそれ相応の扱いを受けるべき、女御宣下の文言に関西の女王と一言入れるように主張した。

 こうすると収まらないのが関東の官吏たちである。関東の朝廷は関西の王そのものを認めない、そして今の王である有斗は関東の朝廷を継いだのだから、セルウィリアの即位も認めるわけにはいかないというのが彼らの主張である。

 最初に出された宣下案は『烈帝のすえ仍孫じょうそんセルウィリアを女御に任ず』だった。セルウィリアは王位を自称した単なる皇帝の7世孫に過ぎないというわけである。これは関西閥から猛烈な抗議を受けた。

 またしても大義名分論で有斗から見れば馬鹿馬鹿しい話だったし、セルウィリアからしてみれば有斗の妃になることが何よりも重要で、その地位などは二の次だったし、婚儀が延び延びになっていく話だから、幸せいっぱいの気分に大いに水を差された形となった。

「今は陛下の御代、わたくしの身分など、どうでもよいではありませんか」

 当の本人である自分がこう言っているのだから意見を退けてもよさそうなものなのだが、「姫殿下の御将来にかかわる話です。将来、軽んじられることないように身分だけはしっかりなさいませんと。最初が肝心なのです」と譲らない。

 セルウィリアの立后を期に権勢を増そうという下心のある彼らにしてみれば、後々入内するであろう他の女人とは一線を隔す形でセルウィリアを遇しておきたいのである。

 朝会では意見の一致を見ることは無く、最後は有斗に決断が委ねられた。

 有斗は文言を「セルウィリア女王を女御に任ず」にすることで決着を図った。

 セルウィリア女王とあらばセルウィリアを関西の女王であると公式に認めたように見えるがそうではない。女王とは皇族の、それも親王宣下を受けなかった皇族に関する尊称である。だが見方によっては関西の女王であることを認めたように見えないこともない。それに7世孫は通常の考えでは王族とは見做されない。それを王族であると公に認めたのだ。双方にそれなりに配慮した形にしたのである。

 文言以外にも論議を呼んだ案件が無かったわけではない。

 それはセルウィリアが後宮で賜る部屋である。

 今現在、セルウィリアは有斗の御座所の清涼殿の真裏の後涼殿に一室を賜って生活をしているが、これはありていに言えば有斗の側仕えをしていたアエネアスやアリスディアがセルウィリアの身柄を守りつつも、行動を監視しやすいからといった理由で、そこに押し込めたに過ぎない。いわば非常手段なのである。清涼殿の控えの部屋としての役割がある後涼殿は妃の一人が住むには少し手狭でもある。

 しかも歴史上、後涼殿に局を賜った女御はいない。これが問題となった。

 そもそも賜る部屋にも格があって正妃ならばまずは弘徽殿、もしくは麗景殿というのが通例である。

 最初の妃だから必ずしも正妃であるというわけではないのだが、有斗から望んで迎え入れたということ、セルウィリアに並ぶ家柄の女人はアメイジアにいないということ、何よりも有斗が別の女人を後宮に迎え入れる予定がないことなどから言わずもがな実質的な正妃であるといってよい。

 ということで目下空いていて選び放題の殿舎の中から、ここはやはり格からいっても最上位の弘徽殿に部屋を賜ってはどうだろうかといった声が上がったのだ。

 だが有斗が後宮をまったくといって活用しなかったことから、煌びやかな女人たちの歴史で彩られた七殿五舎も荒れ果てたままで、必要とされるものは補修というよりは新築に近いものがあり、そこに住むとなれば多額の予算が必要になる見込みだった。それは有斗念願だったお風呂新築に使った予算の比ではない。

 限られた国家予算の中で今この時に優先すべき事項とは思われなかったし、セルウィリアは少しでも有斗に近い今のままでよいと言ったので、新たに部屋を賜ると言った話は立ち消えとなった。

 こうしてセルウィリアは女御として正式に後宮に住まう人となる。

 史上初めての、そして史上唯一の後涼殿女御である。


 さて王の結婚というものはいくつもの肩の凝る儀式で構成されている。現代の結婚式の比ではない。その最たるものは女人の下に三夜続けてひっそりと訪れ、その後に男が通ってきているということが『露見』して、晴れて正式に婚を通じたということになるという露顕ところあらわしという儀式である。

 ひっそりと言うが、警護の問題があるので夜間であっても女官や羽林を伴う王の移動は目について明らかだし、そもそも女性のほうも前もって部屋を賜ったり、女御宣下が行われているのだから、婚姻はもう当事者だけでなく、天下万民の知る公然とした事実である。例えブサイクだからといっても、入内まで話が進んでしまっては親や本人のメンツの為にも結婚を取りやめにもできるわけでもない。

 古来からのしきたりなので変えられないといったことらしいが、有斗にはどうにも必要性が理解できなかった。

 とはいえ官吏たちだけでなく、女官たちや本人であるセルウィリアも嬉々として儀式を行おうとしているのを見ると、有斗としても辞めようなどと無粋なことを言って水を差すこともできない。

 一日目の夜更けから長々とした儀式をひとつひとつこなし、ようやく有斗はセルウィリアと二人きりになった。

「セルウィリア、少し話しておきたいことがあるんだ」

 セルウィリアは有斗が改まって話を切り出したことに、畏まり背筋を伸ばした。

「なんでしょう、陛下」

「セルウィリアには言うまでもないことだと思うけど、王とその妻というのは夫婦間のことだけを考えていればいいというわけじゃない。アメイジア全体のことを考える立場にある。平和になったからと言っても朝廷には様々な問題が降りかかってくると思う。民の為にもそれらをなるべく早くに解決していかなくちゃいけない。これまで同様簡単なことではないと思うけど、二人で乗り越えていこう。これから長い人生を二人で歩んでいこう」

「はい、心得ております」

 言うまでもないとは思っていたが、セルウィリアから明瞭な返事が返ってきたことに有斗は安堵しセルウィリアに手を伸ばした。

 するとセルウィリアは、

「どのような要求にも答える心の準備はできておりますので、さあ! どうぞ!!」

 と言って両掌を胸の前で合わせて寝台に倒れこんだ。

 だが胸の前で組んだ両手の指は少し震えていた。それは初めて行うことに対する緊張から来るものだけではないはずだ。

「・・・ちょっと待って、僕はそんな変態的な性癖は持ってはいないよ」

 ごく普通のノーマルな嗜好をしているはずだと有斗はセルウィリアに抗議した。

「でも陛下は口に出すのもはばかられるような御趣味を持っておられると後宮で噂になってますし・・・」

 セルウィリアは目を開け、困惑した眼差しを有斗に向けた。

 ・・・いったい自分の不名誉な噂をばらまいている不埒な輩はどこのどいつだろうと、有斗は一瞬、王の権限をフル動員して犯人を捕まえてやりたい衝動にかられた。

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