第410話 いつか、全て消し去って見せる。

 思えば今の苦難を招いたのは全て有斗自身の責である。

 もし有斗に今程度の王としての知恵や知識があったなら、反乱を起こされてセルノアを失うことなどなかった。アリアボネに無理を強いて西征に同行させ、病状を悪化させることもなかった。

 アリスディアも同様である。早くに教団のことに気付いていれば、アリスディアを教団から引きはがすことは可能だったはずだ。朝廷で有斗だけは教団の組織力を実際に見ているのだから、十分に気が付くチャンスはあった。

 またアエネアスを前線に送り出すことについては前々から議論があったし、有斗も危険性に関して懸念は抱いていた。大切に思っていたのなら、有斗がもっと主体性を発揮して朝廷の留守居役にしてしまえば戦場であたら若い命を落とすことは無かった。

 すべては有斗の弱さが招いた不幸なのである。

 だがまだアリスディアの命だけは救うことができる。有斗が強く決断さえすれば。

 だが有斗は怖いのだ。

 ラヴィーニアの言うことはいつもおおむね正しい。そこには確かに理がある。だから今回のことも正しいのであろうとは思う。

 だが理を認めても、それで人が本心から納得するかといわれれば別の問題だ。人とは感情の生き物なのである。

 有斗にとっては正に今回がそれだった。

 それが唯一の正しい道だとしても、ラヴィーニアの示した道に従うことで人として大事な何かを失いそうで怖かったのだ。

 そこまで考えて、有斗ははたと気づいた。

「失くしてはならないもの・・・・・・僕にまだあるのかな」

 有斗にとっては他人が羨む至尊の位であるということには何ら価値を見出せない。これほどの犠牲を払って手に入れた平和は手放したくないが、これほどの犠牲を払ってでも手に入れるべきだったのかは今になっては有斗の中では疑問符が付く。

 あると言い切れないことが有斗には無性に悲しかった。


 その夜、セルウィリアが拝領している室に王の言葉を伝えるために典侍グラウケネが訪れた。

「陛下のお召? こんな夜更けに?」

 初めてのことに不思議そうに目を丸くしたセルウィリアに対して、グラウケネはにこりと微笑んだ。

「はい」

 アリスディアがいなくなってからというもの、先任の典侍ないしのすけであるグラウケネが奥向きのすべてを取り仕切っている。人柄的にも能力的にも申し分なく、実質上の尚侍といってよい。ということは常に有斗の側仕えをして御用取次などを行っているわけで忙しく、さらに言えばビジネスライクな性格もあってセルウィリアとは特段親しいわけでもないので、公卿ら表向きの者たちの出入りも少なく、自室と正反対の位置でもある後涼殿に足を向けることは珍しい。

 そのグラウケネがこんな時間にわざわざ出向いて、お付きの女官と寝る前のおしゃべりを楽しんでいたセルウィリアに有斗の言葉を伝えたのだ。王の要件が単なる気まぐれや暇つぶしで無いことは明白だった。

「はい。急いで御支度をなさいますよう、お願い申し上げます」

 幾分含みを持たせたその言葉に、セルウィリアお付きの女官たちは色めいた。

「ひ、姫様! こ、これはひょっとしたらひょっとしますですよ!」

「セルウィリア様、おめでとうございます!!」

 気の早い女官などは早々に祝辞を口にしたほどだった。

 ところが、その言葉を聞いたセルウィリアは喜ぶのではなく、泣きそうな眼をしてうろたえた。

「ど、ど、どどど、どうしましょう。わ、わたくし化粧を落としてしまいました!」

 フェミニズムの人が聞いたら怒り出しそうだが、この時代では王の夜のお相手をし、子を生すことこそが後宮の存在意義といってよい。だが有斗は南部から帰還してからのち、ただの一度たりとも女官を召し出したことはない。もちろんアエネアスやセルウィリアといった女官以外の女性もである。

 だからこそ後宮内で有斗は男にしか興味がないなどという実に不名誉な噂が広がりもしたのだが。

 セルウィリアもいつも通りの習慣で、すっかり寝るつもりの態勢になっていたというわけであった。

「最低限の化粧けわいをいたして、急ぎ御前に侍りましょう」

「でも! それでは! 陛下に醜い女と思われ嫌われてしまいます!」

 セルウィリアは涙を瞳のふちにたたえて、いやいやと首を振った。有斗の前に出るにはばっちり化粧を決め、一部の隙もない姿で出ていきたいのだ。

 だが侍女に言わせればそんなことは些細ささいな問題なのだ。後宮にいる才色兼備かつ傲慢な女官たちをもってして、どんなに化粧をしたとしても素面のセルウィリアにさえ並ぶことさえもできないと溜息をつかせるほどの美人だ。もし有斗が女人を美醜だけで判断するというのなら、もうとっくの昔にセルウィリアは後宮の主に収まっていなければ話がおかしいのである。

 侍女たちはセルウィリアの懸念を吹き飛ばし、前向きになるような言葉を言うことで勇気づけた。

「そのようなことあるわけがございませぬ! セルウィリア様は例えすっぴんであっても後宮一の美女でございますもの!」

「それよりもお待たせしてご機嫌を損ねるようなことがあっては一大事です。陛下のお気持ちが変わらぬうちにお早く!」

「そそそそそ、それもそうね」

 中途半端な化粧をした貌を有斗に見せるのは気が乗らなかったが、さりとて今からお色直しを行うとなると四半刻以上はたっぷり必要だろう。そんなに待たせては気を悪くするかもしれないし、何より有斗の気も変わってしまうかもしれない。

 セルウィリアは女官たちの手を借りて手短に唇と頬に紅をさして化粧を済ます。

「うまく行くことをお祈り申し上げております」

 にこやかな顔で送り出す侍女とは対照的にセルウィリアは緊張した面持ちで小さく頷いて見せた。


 いきなり寝所に呼ばれたらどうしようかなどと、少しばかりの緊張と大きな期待を抱いてグラウケネの後をついていったセルウィリアだったが、行った先が毎日顔出しする清涼殿の執務室だったことに半ば安心し半ば失望した。

 ただ幸いにして有斗はセルウィリアの化粧について何も気づく様子は見られず、そういう点ではセルウィリアは大いに安堵した。

 というよりも有斗は何か深く思い込むようで、セルウィリアの顔を眺めて普段との違いを見出す余裕が無いように見受けられた。

「立って話をするのもなんだし、セルウィリアはそこに座って」

 有斗はセルウィリアに以前はアリスディアが座っていた、今はグラウケネが使用している有斗の右隣りの席に座るよう薦めると、側仕えの女官たちと羽林の兵たちに振り返った。

「セルウィリアと大事な話があるから、女官も羽林もこの場を外してほしい」

 この言葉にセルウィリアの想像は自身の願望から確信へと変わった。

 執務室に二人きりになったセルウィリアは有斗から言葉をかけられるのをただ待った。だが有斗は二人きりになったというのにセルウィリアを見つめるでもなしに机の上に目を伏せ、何かを考えこむだけでセルウィリアをやきもきさせた。

「セルウィリア」

 長い沈黙の後、ようやく有斗が口を開いた。セルウィリアは背筋を正してにこやかに笑みを浮かべると返答する。

「はい」

「呼び出したのには理由があるんだ」

「はい」

 普通であれば次に用件を口にする場面である。セルウィリアは緊張して有斗の次の言葉を待った。

「セルウィリア」

 だが有斗は幾度もセルウィリアの名前を呼んだ。

「はい」

 その一回一回にセルウィリアは生真面目に有斗に応えをした。セルウィリアはようやく本題に入るのかと思って、その度に身構えるのだが、毎回肩透かしを食らう形になる。

 何度も同じ問答が繰り返された結果、長時間の緊張にさすがにセルウィリアがたまりかね、有斗に先に進むように懇願した。

「陛下、陛下。何を言われても受け止める覚悟はできておりますから、お気軽にお話しくださいませ。わたくしにできることならなんでもいたしますから」

「あ、ああ。そうだね。その通りだ。悪かった」

 こんな時間にわざわざ呼び出したのは自分なのである。確固たる決意をもってセルウィリアを呼び出したのに、いざセルウィリアを目の前にすると、いろいろと考えてしまい決断が揺るいでしまったのだ。だがそれではセルウィリアに対して大層失礼なことに有斗はようやく気が付き、ぐらついた気持ちを整えなおした。

「ここから先は王である僕の立場とか、関西の女王だったセルウィリアの立場だとかは忘れて欲しい。互いに一人の人間として話がしたいんだ」

「はい」

「セルウィリアは綺麗だし、生まれも育ちもいいし、教養だってある。僕とは釣り合わない素晴らしい女性だとは思うけど・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「その・・・僕の思い違いじゃなければ、セルウィリアも僕のことを嫌っていないと思うんだ」

 バアルの前に命を賭して立ちふさがったことといい、何かというと有斗と絡みたがることいい、どう考えてもセルウィリアは有斗のことを好いてくれているとしか思えない。いったいどこが気に入ったのかは有斗のほうが聞きたいくらいなのではあるが。

「セルウィリアほど王配として相応しい女性はいない。結婚してほしいんだ。僕と共に国を支えてほしい」

 しゃべっている間、セルウィリアがずっと口を閉ざして自分を見つめただけでいることに有斗はだんだん不安になってきた。もしかして自分の想い違いということだろうか?

「・・・もし異存が無ければだけど。無理にとは言わないよ」

 セルウィリアはとうとう念願が叶ったことに恍惚となっていただけだったのだが、自分が放心していたことが王を不安にさせたことに気付き、堰を切ったようにまくしたてた。

「異存などございません! あろうはずがございません!! わたくし、陛下に一目お会いした時より、このような日が来ることをずっと・・・ずっと待ち焦がれておりましたもの!!」

 それは嘘である。当初のセルウィリアは有斗を柔弱な決断力に乏しい君主とみており、そのぱっとしない外見も含めて内心小馬鹿にしていたものである。セルウィリアは己の感激を有斗に伝えようとするあまりに話を少し盛った。

「わたくし、王となるために厳しい教育を受けてまいりました! この国の他のどの女性よりも陛下の王としての辛さ、大変さを理解することができます! 二人ならばきっとどんな苦難も乗り越えられますわ! ええ、そうですとも!!」

 ここが勝負どころとばかりにセルウィリアはぐいぐいと押してみたが、セルウィリアが乗り気になればなるほど有斗は自分の気持ちが萎えていくのを感じた。

「・・・・・ごめん、セルウィリア」

 セルウィリアは突然、有斗が方向転換を示したことに動揺した。ここまで出た話を突然無かったことにして辞められるなど、たまったものではない。心が歓喜の感情で溢れかえっていただけに絶望も逆に色濃くなる。それならばいっそ最初から無かったほうが良い。

「え? なんです? 何故に謝られるのですか!? わたくし、何か陛下のお気に障るようなことをいたしましたか!?」

 セルウィリアが嫌いなわけではない。むしろひたむきな敬慕の情を向けてくる彼女を愛おしくも感じる。だが愛おしく感じるからこそ、自身がセルウィリアを選んだ動機が不純なものに思えてきて有斗は自己嫌悪に陥ったのだ

 有斗はその他大勢の女人の中からセルウィリアを選んだが、セルノアやアリアボネ、アリスディアやアエネアスと有斗が特別だと感じた女性の中から選んだのではないのである。

 もしその四人とセルウィリアの中から配偶者を決めねばならない状況下にあったとしたならば、有斗はセルウィリアを選んだかと自分に問えば、その決断を取ると言い切れるだけの自信はなかった。

 それに別の人物を、よりによって有斗が大切に思ってる別の女アリスディアの命を助けるために、結婚を決意したというのは実に相手に対して誠意がないのではないかと現代人たる有斗は思いもした。

 さらに言えば、そのことを隠したまま結婚を申し込むのはフェアじゃない。

 有斗はセルウィリアに包み隠さずに話そう、全てを話すべきだと決断した。

「実はその・・・どうしてもアリスディアを助けたいんだ。アリスディアは今のままではどう考えても死罪になってしまう。恩赦を行って減刑するしか助かる道はない。恩赦を行うには慶事か弔事が必要だ。すぐに行えることと言ったら結婚くらいしかない。もちろん相手は誰でも良かったわけじゃなく、セルウィリアがいいとは思ったんだけど・・・」

「・・・・・・」

「ごめん、こんなことは君に失礼だった。この話は無かったことにしよう。気を悪くしただろう、本当にごめん」

 軽く頭を下げた有斗にセルウィリアは立ち上がると音もなく近づいた。

「陛下、それ以上はおっしゃらないで」

 セルウィリアはつま先立ちで立ち上がると、唇で有斗の口を塞ぐ。

「アリスディアには恩赦が必要で、国には継嗣が必要で、王には配偶者が必要で、陛下には支えが必要です。それでいいではありませんか。それともわたくし如きでは陛下に釣り合いませんか?」

「セルウィリア・・・ありがとう」

 例え他の目的があったとしても今はそれでもいい、とセルウィリアは思った。

 今この時、アメイジアにいる女性の中で有斗が自分の配偶者に値する女と思ったのがセルウィリアなのである。

 それだけは紛うことなき真実なのだ。

 今は有斗の心のなかに他の女がいるのだとしても、いつか自分の愛で有斗の心を包み込み、その影を全て消し去って見せる。

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