第409話 たったひとつの解決策
ヘヴェリウスと東獄の囚獄司たちが不敬の罪に問われて羽林の兵に捕えられたことに、しかも朝廷に一切諮ることもなしに捕えられたことに、ラヴィーニアを除いた朝廷の官吏たちは大きく動揺した。
それはそうだろう。東西に分裂したことで王権は大きく低下した。東朝にいたっては王そのものが不在になった。正誅する者がいなくなった官吏たちは増長し、王や祖法など無視して自分たちの考えで政治を行ってきた。言ってみれば囚獄司がしていたことに類することをやっていたり、例え自身はやっていなくても配下がやっていないと言い切れる官吏は皆無といってよいのだ。
ヘヴェリウスらの身の上に起こったことは明日は我が身かもしれないのである。
それにヘヴェリウスの一件はこれまで彼らが見知っていた有斗像からは大きくずれるものだった。優柔ではあるが大度と寛容を持つという有斗像と。
皇太子時代は明晰で知られていたにもかかわらず、王という万能の権力を手にしたとたん豹変し暴君になる君主は少なくない。天下を手に入れて己に匹敵する者を排除した有斗もそうなったのではないかと疑心を抱いたのだ。
王と官吏たちの間にこれ以上の間隙が生じ、政変が起きるのを恐れた内府マフェイが事態を収拾するために有斗に謁見を求めた。
「陛下、ヘヴェリウスの処遇につきましてお話があります」
「内府は反対なのかい?」
ヘヴェリウスに下した聖断が厳しいものだった以上、王の御気色も芳しからざるものであると拝察していただけに有斗の口調が普段と変わらず穏やかなものだったことに内府は内心安堵した。これで少なくとも感情的な会談にならずに済む。
それもそのはず、有斗にしてみればもうヘヴェリウスの処断で全て事が済んだつもりだったし、内府マフェイはこの世界に来てから今まで有斗の強力な与党というわけではなかったものの、一度たりとも敵に回ったことのない数少ない朝臣であるから信頼がある。性格も押しの強い朝臣の中では抜きんでて温厚で思慮深いのも有斗の好むところである。
「ご聖断に異を唱えるつもりはございません。ですが官吏が怯えているこの現状を朝廷の首座である私めが見過ごすことはできません。官吏たちはヘヴェリウスほどの忠臣が処断されるとなると、自分もいつ処断されるかわからないと口々に不安を申しております」
「だろうね」
「そこでですが、何か陛下から彼らを安心させるような、お言葉を賜れないかと思い、参上仕りました」
有斗にも内府の言おうとしていることが理解できた。官吏に戒めを与えるのはいいが、王と官吏とが敵対するようなことがあってはいけないと忠告しているのだ。
それは有斗の考えにも合致することだ。
「わかった。僕がヘヴェリウスを今回のことで咎めたのは官吏に対する一罰百戒の意味もあってだ。ここであえて全ての過去を掘り起こして官吏たちを罰していくのが目的じゃない。そう伝えてくれ」
「ご賢明です。感謝いたします」
これで官吏たちの動揺もおさまるだろうと安堵の表情をした内府に、有斗はひとつ釘を刺した。
「だけどそれは過去のことに関してだけだ。今日この時より以降、官吏が法を逸脱して専断して自己の利益を図ろうとしたり、民に迷惑をかけるものは祖法に違えるものとして処断する」
祖法に違えるものとはこのアメイジアにおいては重い言葉である。高祖神帝サキノーフは極めて厳格な人物だったので、自分が定めた法に反したものはほぼ例外なく重罪となっていた。
それを恐れて官吏が委縮してしまえば、日々の政務に差しさわりが出るのではないかと、内府は懸念を抱いた。内府の顔色が変わったことに気付かない有斗ではない。
「それでは政務が回っていかないと言うのならば、朝会にて議論し祖法を変える。それが正しい筋道というもののはずだよ。これからは個人が勝手に法と違った判断を下すようなことは許さない」
「はっ」
有斗が感情から今回の行動を起こしたのではなく、確固たる決意をもって改革に挑もうとしていると肌で感じた内府は拝礼で応えた。
有斗は内府が退出すると溜まりに溜まった執務を少しづつ片付ける。毎日、政務をこなしているのだが、有斗が決裁を行わなければならない政務は増える一方なのである。
だがかえってそのほうが有り難かった。仕事をしている間だけはアエネアスのこともアリスディアのことも考えなくて済むのである。
夕刻にひと段落したころ、有斗は立ち上がり、室内を行ったり来たりとうろついて何かを考えこむ様子を見せて、お付きの女官たちを不審がらせる。
やがて有斗は一つの決意をして、彼の有能な中書令を呼び出した。
もう夜半なのだが、案の定、ラヴィーニアは政務をとるために居残っていた。忙しいのは有斗だけではないのである。
「ラヴィーニア」
「はい」
「なんとかアリスディアを助けることはできないかな? 命だけでいいんだ」
この反乱の首謀者の一人として、ここまで大々的に知られてしまったからには、もうアリスディアが元の
大勢の人間がこの戦で死んだ。それも有斗の命令で大勢の兵士が死んだ。それなのにその元凶の一人である彼女を救おうとすることは理が通らないことくらいは有斗にだって分かっている。
それでも有斗はアリスディアを助けたかった。どうしても助けたかったのだ。
有斗が王ではなく、一人の人としてそう願うのは罪なのであろうか?
しばらく考えこんでいたラヴィーニアだったが、ようやく口にした言葉は、有斗の望んでいた言葉とは大きな隔たりがあった。
「陛下のお頼みであってもそれは・・・アリスディアはこの大乱の首謀者の一人なのですよ。大逆罪はどんな国家であっても許されるものではありません。・・・それに例え陛下がお許しになっても、敵味方大勢の人間が死んだのです。親しい人が亡くなったのに、その元凶が生きているなどということは世論が許しません。もし陛下の命令でアリスディアの一命を救ったと世間一般の人が知ったらどうなりますか? 皆、朝廷に・・・いや、陛下そのものに不信を抱きかねません。まだ朝廷の威令が隅々まで行き渡っていないこの時に、そのようなことを行うことは王権を根底から揺るがしかねない事態なのですよ? それでも、そうするとおっしゃるのですか?」
「僕は君を助けたじゃないか! 君は四師の乱の首謀者だ! だが生きて僕に仕えている! 仕えることでこうして国家の為、民の為に役に立っているじゃないか! その時と今のアリスディアと何が違うというんだ! 何とか助けて欲しいんだ! 頼むよ・・・」
「それを言われると心苦しいものがありますが、二つの反乱は似て非なるものであると申し上げておきましょう。同じ反乱ですが、規模が違いすぎます。あくまであれは宮廷内の権力争い。それに旧法派には曲がりなりにも理がありました。彼らとて民を思う心がなかったわけではないのです。だが、教団は陛下を
それは有斗にだって言われなくても分かってる。分かっていてもなお言い出さねばならなかった有斗の気持ちをラヴィーニアには汲んでもらって、解決策を示してほしかったのだ。
「ラヴィーニア、僕は王だよ!? その僕が強く望んだとしても、それでも駄目だって言うのか!?」
「もちろん、陛下がお望みならば叶わぬことなど、この世になにもありますまい。無理を押し通すことはいくらでも可能です。王はこの国の全てを支配する唯一の存在なのですから。ですが法というものは民が道を外れぬようにあるのと同時に、王が道を外さぬようにも存在しているのです。王といえども法から外れた行いを行うのは決して褒められたことではありません」
「そこまで言うのなら、法に乗っ取った上で僕の意向にも沿った解決方法を考えればいいじゃないか!」
ラヴィーニアは渋面を作った。
「無茶をおっしゃる」
「それを考えるのが王の腹心たる中書令の仕事じゃないか!!」
有斗の言葉にラヴィーニアは押し黙ると、視線を床に落としてしばし考え込んだ。
「そこまでおっしゃるのならば・・・」
「何かあるのか?」
「アリスディアの命を救う方法がひとつだけあります。これならば百官も百姓(農民の意ではなく、百(たくさん)の姓を持つもの、つまり天下万民のこと)も一言も文句をつけることができないという、冴えたやり方がないわけではございません」
ラヴィーニアの言葉に有斗は食いつく素振りを見せた。
「教えてほしい。どうすればアリスディアは助かる?」
「陛下が結婚なされればよろしい。それで全てが丸く収まります」
「またその話か。今は冗談を言ってる場合じゃないんだ。まじめに考えてくれ」
度々、口うるさいラヴィーニアからは結婚を推し進められては断りを入れる有斗だったが、王朝のつつがない存続という点においては、この問題はいずれは避けては通れない道であることは有斗も重々承知していた。
だが、いくらなんでもこんな時にまで、どう考えても関係のなさそうなこの話題を会話に入れてくることは無いだろうにと苦々しく思った。
「冗談ではありませぬ。あたしは真面目にアリスディアを助けるために、陛下が結婚なさるべきと申し上げたのです」
「どうやったら僕が結婚することとアリスディアが助かることがつながるって言うんだ! 馬鹿も休み休み言え!」
「反乱の首魁の一人、アリスディアには一旦、死罪が申し渡されることでお上の正しさと公正さは表され、百官も百姓も大いに満足します。処刑まであと僅か・・・そこで陛下の婚姻が決まる。かかる慶事を前に処刑を行うなど、もっての他ということになりましょう。当然、刑の執行は延期されることになります。それに陛下の結婚式は国中を挙げての祝い事になるでしょう。百官も百姓も全ての者がそれに熱中し、つい先日起きた叛乱のことなど頭の片隅にも残ることはありますまい。その熱狂の間にこっそりと恩赦を下して刑を一段下げて流罪なりなんなりにしてしまえばよいのです」
「中書令の言い分は気に入らないね。義務感や何か他の目的の為に結婚なんかするもんじゃない。そんな生活が長続きするもんか。そもそも結婚はお互い好きなもの同士が、相互に信頼や愛情を積み上げていった結果として行うものだよ! そんな不純な動機で結婚したら、結婚する相手に悪いじゃないか!」
「
「望む相手!? その言葉を僕に言うのか? 今の僕に!? こんな状況でいったい誰と結婚しろっていうんだ!!」
セルノアもいない。アリアボネもアエネアスも鬼籍に入った。アリスディアも今まさに刑場の露となろうとしている。有斗が本当に心を許した女性は、もうアメイジアにはいないのである。
「このような状況であっても、です。陛下はアリスディアの命を救いたくはないのですか」
アリスディアの命のことを持ち出されると有斗もそれ以上、強くは言い出しかねるものがあった。
「・・・・・・ラヴィーニア、もう一度聞く。他にアリスディアを助ける方法はないか?」
「ございませぬ」
「本当にないか!?」
すがるような有斗の言葉にラヴィーニアは一瞬、口籠った。
本当を言えばラヴィーニアにはもう一つ腹案があるのである。それならば王の御意に叶う結果がもたらされるであろう。だがそれは法に乗っ取ったものではなく奇計に類することであり、たとえ裏の事情が隠し通せたとしても、大道を行く王としては褒められた行動とは言い難い。
それに全てはアメイジアを平和にするためである。その為に逆らうものを滅ぼし、打ち従えてきた。ヘヴェリウスのような良官であっても法に従って処罰を行ったのは、治世の乱れのもととなるからである。
民も諸侯も官吏も平和のために大きな犠牲を払った。ならば王ですらその例外であってはいけない。有斗にも相応の代償を払うことがあってしかるべきである、そう思った。
王朝のつつがない存続のために、王には配偶者を得て子を作ってもらわねばならない。
だからラヴィーニアは力強い眼差しで答えた。
「ございませぬ」
有斗は一言も発せずにラヴィーニアを悲しげな瞳で見つめた。
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