第408話 何かを得、そして何かを失った。
今や有斗はアメイジアの絶対的な最高権力者である。その威に正面切って異を唱えるものはもういない。有斗に次いで高貴な立場とも言える朝廷の高官であろうとも、王のお召がかかれば何はさておき直ぐに駆けつけなけねばならない。
もとより彼らとしても、その王の権威にあやかることで、王都で肩で風を切って歩いて大威張りでいられるのだ。内心はどう思っていたとしても、自らその王の権威を軽んじるような真似をするわけにはいかないのである。
「陛下、急なお召しと聞いて参上いたしました。御用の
神妙な顔をして駆けつけた
「御用はなんでしょうか。この忙しい時に。まだ南部の後始末が大量に残っているんです」
「さっき、アリスディアに会ってきたんだ。口に出したくもないような、とても酷い扱いを牢内で受けているようだ。そのままにはしておけないから宮中の暴室に連れてきた」
罪人の取り扱いは大理の専管事項である。大理に
「そうですか」
だがラヴィーニアは特段顔色を変えることもなく、生返事を一つ返しただけだった。それが有斗には腹立たしい。
「そうですかじゃないだろ!? 二人とも僕に何か言うべきことがあるんじゃないのか!?」
ヘヴェリウスは大理の長官として部下の不始末に対しては責任を取るべき立場だし、ラヴィーニアは朝廷の要の中書令という重要な役職に就いているだけでなく、有斗の知恵袋として助言を行うという非公式な立場もある。それだけの権限が与えられているからには、有斗に適切な献言を行わなかったということで、これまた責任を負わねばならないというものだ。
もちろん有斗だって監督不行き届きということで、その責任の一端は負わねばならないだろうが、それでも謝りの言葉の一つや二つはあって当前だと思っていただけに、悪びれるところのない二人の態度に、とりわけラヴィーニアの尊大な態度に、有斗はむっとした。
だがそんな気も知らないのか、ラヴィーニアは有斗の気分を更に害するようなことを平然と言った。
「すでに陛下が行ったことですから、あたしたちといたしましても
「あんなところにアリスディアを戻せって言うのか!? それに僕はアリスディアを解任した覚えはない! アリスディアは今も僕の尚侍だ!!」
「これは失礼を申し上げました」
本人にしてみれば単なるいつもの塩対応だったのかもしれないが、まるでそれがどうしたとばかりな無関心な顔でラヴィーニアが言い放ったことに、有斗は内心、大いに憤慨した。
だがここで感情に任せて怒っては、口達者なこの女相手ではまともに議論にならずに言いくるめられてしまう。有斗はぐっと怒りをかみ殺した。
「高祖神帝の定めた法には、後宮の女官は皆、王に仕える特別な身分だから手出しをしたものは死罪相当であると書かれていると聞いたことがある。博学で知られる御史大夫がその条文を知らないってことはないよね?」
「祖法にて定められておりますれば存じております」
「ということは、御史大夫もこのことは知っていたということだね。法の番人であるはずの
「陛下、お誓いいたしますが、大理は常に法に
「じゃあ、アリスディアにひどい扱いをしたのはどういうことだ? 矛盾してるじゃないか。法を犯すものが法を守るべき大理にいたのは心外だね」
「陛下、同時に祖法では謀叛は八虐の筆頭として断じられ、爵位に与えられる減刑特権ですら用いられない大罪であるともされています。アリスディア殿は謀反を起こした教団の最高幹部の一人、まごうことなき天下の大罪人です。罰せられて当然ではありませんか」
「それはアリスディアに法に基づいて下される刑罰に関することであって、大理の役人が勝手にアリスディアに私刑を行う根拠にはなりはしない。そもそもアリスディアは判決が下され、まだ罪が確定した身じゃない。その対象には当たらない」
「ですが謀叛を起こしたことは本人も認めております。彼女は通常の罪人としての扱いを受けるべきです」
「それはどの法律に書かれている?」
「それは・・・」
口を開くたびに不機嫌さを露わにして隠そうともしない有斗に気圧されて口籠ったヘヴェリウスに、ラヴィーニアが横から口を挟んで助け舟を出した。
「陛下、政治にまつわる全てのことは、ただ法に書かれている通りに行っていればいいというものではございませぬ。時には法の不備を運用でまかなっていかねば政治は硬直化し、大勢の民人が不利益を蒙ることになるのです」
「また言い訳か。僕にはこの件を君たちが自分たちに都合のよいように口先だけでごまかそうとしているように思えてしかたがない」
「ご不興を蒙りましたことには陳謝いたしますが、構えて
「その考えがおかしいと言ってるんだ。法がおかしいなら朝廷で議論して変えればいいじゃないか」
「建前はそうではありましょうが、それでは時間がかかりすぎます」
「確かに時間はかかるだろう。だからって運用で穴を補うのは間違ってる。その瞬間は上手くいってるように見えるけど、その根っこを考えれば、それは運用する人の判断が法を超えるということじゃないか。運用は法と違って明文化されていないから、時と人によって解釈が異なることもあるだろう。悪人が自分の思うままに政治を動かすために、いいように解釈を曲げないとも限らない。法が文章として公開されている意味ってのは、誰かが自分にとって都合のよいように権力を使用しないようにするためだよ。王ですらその例外ではない。ましてや一介の官吏にそんな権限を与えている今の現状がおかしいとは君たちは思わないのか」
「立派なお考えです。ですが御一考ください。王が不在で高官の政争の絶えなかった関東の朝廷では政治が混乱しておりました。長年、末端の官吏が現場でおのおの運用を行うことで政治に遅滞を生まさせなかったのです。その有用性を忘れてはなりません。今回の件もあくまで大理は慣習通りにしたまでのこと。これで責められては官吏はたまったものではございません」
「そういうのなら何故、テイレシアがテュエストスの件で朝廷と事を構えたとき、ことさら大きな声でその非を責め上げたりしたのさ。彼女だって今までの慣習通りに行動しただけなんだから、今と同じように庇わなきゃおかしいじゃないか。二人ともずいぶんとオーギューガ征討に乗り気だったみたいだけどさ」
ヘヴェリウスは大義名分論から、ラヴィーニアはオーギューガという巨大諸侯の力を削ぐという目的からという差異はあったが、二人ともオーギューガ討伐に関しては最も強硬に討伐を主張した一派に属した。
そんな二人であるならば、今回のことも前回同様に憎むべきことであるはずだ。それとも自分たちは何事も別扱いとでもいうのだろうか。そういった考えは有斗が最も嫌うものである。
「それはテイレシアの申し分に過ぎません。今回の件とは事情が異なります。我々はテイレシアが王師に、すなわち陛下に刃を向けたことを問題にしたのです。そもそも諸侯と官吏とでは立場というものが違います」
「違わないね。どちらも法の下に生きるアメイジアの民じゃないか。諸侯や民から戦国の無秩序の中で手に入した不法な権力を取り上げ、朝廷に従わせる。それがアメイジアを平和にするってことの根本だと言ったのは君だよ。当然、官吏だってその例外であっていいはずがない。僕の言っていることに何か間違いがあるかな?」
「間違いはございませぬ。ございませぬが・・・」
「ラヴィーニアはまだ何か文句を言いたりないようだね」
不服そうな眼差しを向けたラヴィーニアに有斗は少し嫌味を込めて問いただした。
「ヘヴェリウスは東京龍緑府の治安を長年にわたって司ってまいりました。治安の悪化はすぐさま民の不満となり、朝廷の威信を根元から揺るがします。ですが凶悪な賊を捕えても当然だと考えられ、捕えられぬ間は民に
「それは君がよく口にする、王の権威よりも重大なことなのかな?」
「・・・それは・・・王の権威のほうが上でありましょうが・・・」
「いつか君は言ったよね。戦国を平和にするとは全ての権威と権力を王の下に集めることだと。その中には自分たち官吏は特別で含まれていないとでも考えているのか?」
「もちろん含まれております」
「もう一度、聞く。ヘヴェリウスは確かに失うには惜しい臣下ではあるけど、百年の平和と引き換えにできるほどの存在なのか?」
「・・・もちろん、百年の和平と人ひとりとでは比べるべくもありませぬ」
「なら文句はないよね。ということだ。ヘヴェリウス、君が憎いわけではないが僕は王の権威のために君を罰しなければならない」
「わかりました」
唇を震えさせ、ヘヴェリウスが有斗の足下で叩頭した。
「このヘヴェリウス、国家の御為に喜んで命を捧げましょう」
「すまない。妻子については十分な処遇を約束するから、それで許してくれ」
「御意」
高祖の定めた法を厳格に適用するとなるとヘヴェリウスの待つ運命は死しかない。官吏には珍しく豪胆な人物であるヘヴェリウスも顔面を蒼白にし、部屋を出ていく足取りも重そうだった。
弁護を途中で辞めてヘヴェリウスとの遣り取りを黙って聞いていたラヴィーニアだったが、内心は別だったようだ。ヘヴェリウスが出ていくのを見計らって有斗に近づくと、拝礼し助命を願い出た。
「陛下、もう一度だけお願い申し上げますが、ヘヴェリウスをお助けくださいませんか。悪いのは獄吏であってヘヴェリウスではありません。陛下のお気持ちを静めるためなら、アリスディアに危害を加えた者だけを罰すればよいではありませんか」
「ラヴィーニア、さっきその口で言ったよね? ヘヴェリウスは長い間にわたってこの職を務めていた、と。長年、この状態を放置してきた彼の責任を問わなくちゃならない。僕は王だ。全ての官吏を見張っていることなどできはしない。それはそれぞれの長が見張り、正していかなきゃいけないことだ。もし彼を今回、罰せずに下級官吏だけを罰したりすれば、どうなるだろう? いざとなればトカゲのしっぽみたいに下の者を差し出せばいいと考えて、組織が誤った状態にあっても誰も本気で改善したりはしないんじゃないかな。全ての官吏への警告として、今ここで大理の長であるヘヴェリウスを見逃してはならないんだ」
「・・・・・・・」
「今回のことだけは僕はラヴィーニアの言葉を聞き入れないよ。聞き入れるわけにはいかない。大勢の犠牲を払って手に入れた平和がかかっているんだから。ここで官吏の放埓を許して朝廷が乱れて戦乱の世に戻りでもしたら、僕は死んでいった者たちに顔向けができない」
「・・・御意」
ラヴィーニアが理を認めたことを示すように小さな頭を下げるのを見て、有斗は満足げにその場を後にする。
有斗が去って後もラヴィーニアはなかなか頭を上げようとはしなかった。
やがてゆっくりと持ち上げたラヴィーニアの顔は、先ほどまでの苦渋の表情は消え、なんと恍惚とした表情が浮かんでいた。
「・・・・・・いよいよ本物になって来たな」
ラヴィーニアからしてみれば、有斗は他に適する人物がいないから王にいただいているという考えであって、名君となりうる素質はあるものの、名君に必要な才覚には欠けているのではないかという思いが心の底にはあった。
特に政治を取るにあたって必要とされる厳しさが足りないのが致命的だとも思っていた。政治は八方美人的に良い顔をしてばかりはいられないのである。
だが今度の判断はどうであろうか。
確かにアリスディアの処遇に怒ったということが事の発端ではあろうが、その下した判断には一切の甘さが見られなかった。ラヴィーニアが思い描く君主像そのものであり、拍手して褒めてやりたいくらいである。
しかも何より良かったのは側近が(すなわちラヴィーニアが)どれほど説得を試みようとも、決断が一度もぶれなかったことであった。
ひょっとしたら、とラヴィーニアは思った。
南部から共に青雲の志を抱いて王都に向かった仲間が傍から全て消えたことで、王の心からそういった甘さも無くなったのであろうか。
最後の一人であったアエネアスが死んだと同時に消えてしまったのかもしれない。
だとしたら、あの赤毛のお嬢ちゃんの死も世界にとって重要な意味があったということになる。
ラヴィニーアは満足そうに唇の端に笑みを浮かべると、うってかわって軽快な足取りで歩みだした。
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