第405話 虜囚
有斗は王師の行軍速度を緩め、速度を落としてソラリアへと近づいた。
後続の輜重が潜龍坡という難所を超えねばならぬこと、教団の勢力圏下を進まねばならぬことを考え、王師を突出させることを嫌ったということもあるし、教団に冷静になって降伏を考えるだけの猶予を与えたつもりでもあった。有斗はなるべく穏便にことを収めたいという考えがあった。
いくら相手は宗教というもので繋がった狂信的な集団だとしても、そしてそれが世界を平和にする唯一の手段だとしても、何万、あるいは何十万もの人間をこの世から抹殺するということは、有斗には、特に今の有斗には精神的に耐えられそうに無かった。
すでに有斗の心はアエネアスがもうこの世のどこにもいないということだけで充分に傷ついていたのだ。
そんな有斗の思いが通じたのか、ソラリアまであともう少しというところで降伏を告げる使者が王師の下を訪れた。
「是非とも陛下のご寛恕を賜りたいと伏し願う次第であります」
この間までの教団の強硬な態度とはまるで違い、王の前でしおらしく
「己の欲望を満たすために勝手に戦を吹っかけ、これほどの不幸を民にばら撒いておきながら、自らは助かりたいなどと、何と身勝手なことを申すのだ! 恥を知れ!!」
彼らの多くは武官ではなく文官だった。
戦場とはいえ、王である有斗のいる場所こそが朝廷でもある。戦場においても様々な案件を処理する必要もあり、本営には武官だけでなく、多くの官吏たちも参陣していた。その官吏たちからの反対が何よりも大きかったのだ。
なんとならば、武官にとっては苦戦した相手であり、多くの仲間の命を奪った憎むべき敵ではあるが、それは彼らの職分を考えると常のことである。教団との戦いはカヒやオーギューガの時となんら変わりはない。弓矢を取るも、戦場で敵を殺すのも、武人の習い。ひとたび戦が終われば、特に声を大にして咎めるようなことではなかったのである。
だが文官たちはそう割り切って考えることはできなかった。ようやく時代の主役に躍り出た彼ら文官から、活躍の場だけでなく食や命まで奪いかねない内乱を起こした教団は、彼らは官吏から大きく憎悪されていたのである。
そんな彼らの不満を有斗は
「朝廷の下官が荘園でひと悶着起こしたことから全ては始まった。非は全て教団にあるというわけではない」
「・・・しかし! 教団は民を
「そうです! 未だ朝廷を軽んじている不敬な輩への警告として、彼らを根絶やしにして、朝廷には敵わぬという空気を作ることこそ、今現在アメイジアに一番求められていることかと!」
多くの文官がそれぞれに過激な反対意見を述べるが、その全てを有斗は一つの言葉を持って封じてしまった。
「そういうことにして欲しい」
つまりそれは有斗が朝廷の非を認め、教団の降伏を是として受け入れる意向を示したということになる。
王の意思が穏便に事を収めることにあると悟った文官は、口を
彼らはもはやアメイジアをその手に握る権力者の一端ではあるが、それも全ては王あってのこと。
朝廷の威が軽んじられている現状では、官吏の権力基盤の底にあるものは天与の人である有斗の手となり足となって働いているということにある。その権威を否定するような行為をするわけにはいかないのだ。
それに穏便にことを収めることにも、戦費を抑え、戦後の混乱を少なく出来、朝廷の寛容さを示すことが出来るという一定の理がある以上、反対もしにくかったのである。
朝廷側は教団と交渉するに当たって、中書侍郎(立法・次官)、刑部員外郎(司法・三等官)、御史(監察事務・三等官)、左中丞(行政事務・次官)、戸部郎中(地方行政・三等官)という高位の実務官をずらりと揃えただけでなく、最後に王師を代表してエテオクロスまで立席させることで、教団に対して誠意を見せ、詰めの協議を行った。これは現代日本に当てはめるて考えると、問題に関係する中央省庁の部長、局長クラスの人材が一同に会したということになる。
教団の完全なる武装解除、一般信徒に対する罪の不問は双方ともに当初より異存が無く、教団の資産と荘園地の没収は、代わりに信徒に改めて屯田法に基づいて土地が下賜されることで双方が折り合う。
一番の問題となった教団幹部の処遇の問題も、誓紙に明記しないものの、首謀者を除いてはそれなりの配慮を行うということを確約することで双方が合意し、ここに教団は完全に王の下に下ることになった。
どちらかというと王に武装蜂起し、最後まで抵抗して完全敗北し、抵抗力をほとんど失った教団側に有利な和睦案であるとしかいいようがなかった。
なにしろ組織としての教団は解体するものの、ソラリア教そのものの存続は認められるのである。
今や教団を支える唯一つの柱となったアリスディアは、その提案を大人しく受け入れる決断を下したことを、信徒たちに御布令を出して知らしめた。
アリスディアのその決定に逆らう動きをする教徒は一人もいなかった。
もっとも抵抗しようにも、教団幹部の多くは戦死し、残った数少ない者も罪に問われることを恐れ、ほとんどが逃げ去った。
教徒を纏め上げるだけの器量を持った好戦的な人物は一人も残っていなかったし、教団そのものも各地にある荘園地との連絡を断たれ、武器も兵糧も兵もほとんど全て失ってしまっていた。
アリスディアや残った数少ない大方、小方ら教団幹部はソラリアの門を開け放ち、王師の前に両手を
王師の兵が近づいて彼らに木の板でできた首
これもセレモニーの一つ。教団が明確に敗北したことを一般信徒に分からせるために見せ付けることは必要なことだ。
檻に入れられたアリスディアのところには幾人もの教徒たちが近づいて手を差し伸べ、別れの挨拶をしようとする。それだけでもアリスディアがどれだけ教徒たちからも慕われていたかということがよくわかる。
だが王師の兵は彼らの間に割り入って、アリスディアに近づこうとする教徒たちを槍先を持って追い払った。
有斗は離れたところから、その光景を見ていることしかできなかった。
本当は今すぐ側に駆け寄って、アリスディアの目をまっすぐ見て、いろいろと問い質したいことがあった。
だけど今までの有斗が知っていたアリスディアの姿が実は偽りに過ぎず、本当は世の転覆を企む不逞な野心家であるとでも聞かされるのではないかと思うと、足がすくんだ。真実を知るのが恐ろしかった。
なにより、これだけ衆人の目があるところで、そのような行為を取る事など王には許されないことである。
有斗は教団組織の解体、行く場を失った教徒たちの事後処理のために戸部郎中を中心にした幾人かの文官と、第一軍プロイティデス隊、第七軍ベルビオ隊を残して帰還することを決意する。
有斗は要請に応えて参集した諸侯に感謝の意を告げ、戦の終結と軍の解散を宣言する。義兵として集まった民たちには教団が戦場や各地に残した兵糧を分け与え、高額ではないがそれなりの金銭を与えて家に帰らせた。
南部でやるべきことがなくなった有斗は軍を反転させ、王都に帰還することにする。
その間、囚人たちは護送車に入れられ、晒し者同然の姿で同道する。有斗としてはそれを止めさせたいところであるが、教団が破れ朝廷が勝利したことを一般の民の目にも明確に分からすためにも、各地に逃げ散って息を潜めて様子を窺っている教徒たちに教団の敗北を明確に見せ付けるためにも必要だと主張されれば、その正しさは認めざるを得ない。
それに何故彼らを衆人の目から隠したいのかと官吏たちから問われて、アリスディアをそのような目に遭わせたくないという、有斗の私的な感情の発露であると正直に答えても説得力を持つわけがない。
かといってアリスディアに近づいてそのことを詫びることもできなかった。兵士たちの好奇の視線がある。
もちろん何よりも沿道の民の視線がある。王師の兵は王と
民の中には囚われの教団幹部に向かって石を投げるものもいた。何より待ち望んだ平和を壊した破壊者ということで憎まれていたのである。
首と手首を二枚の板で挟まれて固定された彼らに機敏な動きは出来ない。アリスディアにも容赦なく投げつけられ、肩にあざをつくり、額を切って流血する。
もちろん有斗は兵士たちに命じて民衆にそのような行為を行うことを直ぐに禁じさせたが。
街道沿いは人も少なく、なんとかそれで済んだが、王都に入るとそう簡単にはいかなかった。
王師の凱旋と、謀反人の顔を見ようと王都中から朱雀大路に人が押し寄せ、王師は前に進むのすら苦労する中、沿道の民と同じように王都の住人も平和を乱したことに対する怒りを教団へと向ける。
中でも王都の住人たちの怒りは他の教団幹部よりもアリスディアに集中して向けられた。
王都の住人は後宮で一番の高位という誰もが
飛び交う怒号、手当たり次第に物が投げつけられ、アリスディアの護送車の周りは喧騒に包まれ混乱をきたした。
中には殺意を持って近づこうとする者も現れ、一気に殺気立ち、王師は不測の事態を避けるために兵をアリスディアの周囲に集めなければならなかった。
時に武器をちらつかせつつ、市民に揉みくちゃにされながらも王師はアリスディアをなんとか宮城内に運び込んだ。
アリスディアの身柄は王師から
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