最終章 天帰の章

第404話 教団の崩壊

 ディスケスたちの命を賭した奮戦の結果、王師はその日、それ以上追撃することを諦めざるを得なかった。

 前日からの連戦、それもまさに血で血を争う死闘によって、王師の兵はもう一歩たりとも前に進めないほどくたびれ果てていたのだ。

 その為、戦場を脱した教団の将士は王師の妨害に遭うことなく、大きな被害を出すことなく撤退できた。

 もっとも運よく激戦を生き延び、戦場を落ち延びた者たちも、楽々と安全地帯にまで退却できたというわけではない。


「まったく冗談ではない!」

 ガルバは信徒たちで前が塞がりごった返す南海道を避け、裏道を通って、僅かな側近たちと共に早々に戦場を離脱していた。

 もはや兵力が王師の半数以下にまで打ち減らされたにもかかわらず、バアルらが王に決戦を挑むと聞いてガルバは仰天し、全てに見切りを捨てて逃走することに決めたのだ。

 王師の攻撃に臆して後方に逃げた兵を連れ戻すと言って、夜のうちにあの場を脱出した。もっとも言った当人だけでなく、それを聞いたバアルたちもちっともその言葉を信じはしなかったが。

 それでも不快な顔も見せずに送り出したのは、これまでの助力に感謝してのことなのか、いても足を引っ張るだけだと思ったからなのか、それとも、もはや未来にいかなる展望も彼らが持っていなかったのか、ガルバにはその理由は分からない。

「大望を持つものは、どのような屈辱に耐えてでも一命を惜しむものだ。一時の感情、一時の勝敗などにこだわらず、最終的な勝利を模索し、不利と思えば退く。泥をすすり相手の足を舐めても生き残り、他日を期して復讐を遂げる。それが一流の武人というものであろうが。己の意地を天下に示すために決死の戦をするなど馬鹿げておるわ。何が稀代の名将だ。見損なった」

 ただ、そう冷たく、突き放したように彼らのことを思っただけだった。

 三顧の礼をもって迎えただけに、彼の期待を下回る結果しか出せなかった彼らにガルバは大いに失望していたのだ。

 各地に兵を伏せ抵抗するなり、教団を一旦解体したかに見せかけ地下で組織を再生し、次の機会を窺うなり、ガルバに言わせれば、まだまだ王に対抗する方法はいくらでもあるはずだった。

 だが教団はイロスをはじめとした多数の幹部を失い、王師に無様に負けたことで教徒にたいする教団の権威は失墜し、そしてせっかく手にした良質の将士もまもなく戦場の露に消えようとしていた。

 つまり、教団が浮かび上がる瀬はもはや無いとガルバは判断した。だとしたら別の手段を探さねばならない。

 幸いにしてガルバは教団に対してさして思い入れがあるほうではない。教団は己が野望の階梯を上がるための便利な道具であったに過ぎなかった。

 ガルバは教団を捨てて別の手段でのし上がることを考えねばならぬ時が来たと考えた。

 もっとも、これまで教団内で六柱という強大な権力を手にしていた男が徒手空拳でやり直すのだ。たやすいことではない。

 いや六柱の一人であったがために指名手配されるであろうガルバにはマイナスからの出発になる。これは尋常なスタートではありえない。

 だが転んでもただでは起きないというのは、ガルバのような男のためにある言葉であろう。

 教団の交易を牛耳っていたのは彼だ。もちろんこうなった以上、各地にある教団の資産に今から手を触れるのは危険でもある。勝利者である朝廷が当然、資産を差し押さえると同時に、関係者を捕らえて処分を下そうとするはずだからである。

 だがガルバにはこういうこともあろうかと、常日頃から密かに蓄えた、彼しか存在を知らぬ各種資産を確保してあった。

 平たく言えば長年、教団の会計を一手に引き受けたことを利用し、横領していたということなのだが、ガルバの自分勝手な考えでは、それは教団が万が一の時に他日を期すために蓄えていたということになる。

 そして教団がこうなって、それが意味が無いものになった以上、代わりにガルバが有益に使うしかないではないかというのが彼の言い分だったのだ。ガルバはそれを使ってまた一旗も二旗も揚げてみせるつもりだった。

 大陸との交易ルートや長い間に築き上げた取引先との信頼関係、そして物流網は何よりもの財産となるであろう。

 自らは名前を変えて姿を隠し、部下を使えば朝廷の追及を逃れることはさほど難しいことではない。

 そして金さえあれば朝廷の高官に取り入り、表世界への影響力を増していくことができるのである。

 一商人では、教団がアメイジアを手に入れたときにガルバが得るはずだったものに比べて得られるものには限りがあるのが現実だが、こうなった以上はそれで満足するしかなかった。

 とにかくこの世界で生き延び、少しでも上へ伸し上がる、それがガルバの人生哲学とやらであった。死後の評判だとか、精神的な充足だとか、そういったものには彼は全く興味が無かった。彼ほどロマンのなんたるかを理解しない男はこの世にいなかった。


 仄暗ほのぐらい森の中を、ガルバたち騎馬の一行は馬を並足で駆けさせていた。落ち延びる教徒たちを避け、道を変えること既に三度、もはや前方をさえぎる教徒という邪魔者もなく、戦場からも四里離れたことで彼らはすっかり安堵しきっていた。

「ええい! 人がおらぬのはよいが、こうも顔に木切れがまとわりついては速度も出せぬ!」

 たびたび顔に当たる、木の葉や枝などをガルバは鬱陶うっとうしそうに手で振り払う。

「地元の者しか入らぬ入会地を抜けるような形にある道で、手入れも為されておりませんから・・・」

 この道に案内したガルバの部下の一人が申し訳なさそうに頭を下げた。

「しかし、そのおかげで我らは他の教徒たちから完全に分かれることができました。それに、まさか王師もこのようなところまでは追って来ますまい」

「それもそうなのだが・・・」

 もはや王師の手の届かないところまで逃れたと、理性では分かってはいても、本能では少しでも遠くへ早く行きたいと思ってしまうのだ。

 十や二十里ではまだ安心できなかった。

「王がソラリアにまで攻め込んで教団を壊滅する前に、なるべくなら南部から脱出しておきたいのだ。一息つけば、行方不明の教団幹部について調査を始めるだろうからな。六柱の一人ともなれば、当然───!」

 そこから先をガルバは言うことができなかった。腹部に強烈な衝撃と、それに伴う痛みと熱さとを感じた。

 苦痛の中、顔をゆっくりと横へと向け、何が起きたかを確認する。鬱蒼うっそうと茂った潅木かんぼくの中に身を潜めた男が突き出した槍がガルバの横腹に突き刺さっていた。

 男は王師の兵では無い。それどころか武者ですらない。鎧兜よろいかぶとすらつけていない。ぼろぼろに泥で汚れた衣服にあかぎれの見えるくたびれた手足、それは明らかに近隣に住むと思われる農民だった。

「落ち武者狩りか!?」

 であるならば一人ということは決してありえない。慌てて周囲を見回したガルバたちは自分たちがすっかり、囲まれていることに驚愕した。

 剣を抜いたガルバら一行に、手に手に種々の獲物を握った農民たちが襲い掛かってきた。

 腹部に突き刺さった槍を柄を掴んで引き抜いたガルバだったが、次々と四方から襲い掛かってくる攻撃は防ぐことができなかった。元々、武人ではなかったし、逃走の邪魔になると鎧兜を脱ぎ捨てていたのが仇となったのだ。

 ガルバたち一行は数十人もの農民に囲まれ、一人残らず落命する。


 ガルバたちを逃さず殲滅し、一息ついた農民たちは獲物である死体の懐を漁って戦果を確認していた。

「こりゃあいい! 金になる鎧兜は着て無かったが、代わりに金をたんまりと持ってやがった!」

 主を殺されて逃げ出した馬を捕まえて戻ってきた男がガルバの懐から出てきた金貨を見て目を丸くする。

「おら、金貨など見たの初めてだで」

 ガルバの懐を探っていた男はガルバの小奇麗な姿と金貨を見て、顎に手を当て考え込む。

「何やら教団のことを話していたし、この身なり・・・教団の偉い輩に違いねぇ。死体も持って行けば金になるかもしれんど」

「せっかく平和になったのに、また戦を起こそうなんて、本当にとんでもねぇ連中だて」

 その戦に付け込んで、非道な手段を用いて一儲けを企んだにもかかわらず、男は怒りを込めて死体に蹴りを入れた。


 このように、落ち武者を狩って一山当てようと手ぐすね引いて待ち構えていた地元の農民などに襲われて命を落としたものは数知れない。

 この他にも書ききれないほどの人間悲劇が様々な場所で起きたことは言うまでもない。


 こうして命を落とす者、教団を離れる者が相次いだ。それでも元々が大所帯だ。バアルたちが戦場で敗れた翌日の夕刻には、ソラリアに次々と行き場をなくした教徒たちが集まってきた。皆、これからどうなるのかと不安で一杯だった。

 アリスディアは教団総本部を一般信徒に開放し、難民同然の彼らを受け入れる準備に大忙しだった。

 何一つ持たずに教団幹部の言うがままに戦に参加した彼らは戦の後、一昼夜、場合によっては丸二日食うや食わずである。彼らに対する炊き出しが必要だった。それに怪我人や病人に対する手当ても行わなければならない。何千、何万という命に対する責任が、今やアリスディア一人にし掛かっていた。

 アリスディアはこれまた多くが逃げ出して形骸化した教団組織をフル活動させて、彼らに最低限であっても、なんとか当面の生活を送らせられるような体制作りを急ぐ。

 その最中、その忙しいアリスディアを捕まえて、彼女の貴重な時間をよこすように強要した人物がいた。六柱の一人、ベリサリウスである。

「アリスディア、ガルバの奴はどうした!?」

 そのようなことがらは、わざわざ忙しいアリスディアに聞かずとも、少しばかり聞きまわれば分かることである。

 そうは思うものの、生来人が良いアリスディアはいちいち目くじらを立てて怒ったりせず、平然と冷静に返答する。

「敗走する教徒たちの中から早い段階で離脱して姿をくらましたとか。もう教団が終わったことを悟ったのでしょう。何しろ目先の利く男でしたから」

 告げたほうは平静としたものだったが、告げられたほうはそうはいかなかった。

「こうしてはおられん! 我らも早く逃げなければ!」

「逃げる・・・?」

 地位にはそれに相応しいだけの責任も同時に伴うのではないか。教団幹部には、特に実質上、教団を支配していた六柱には、大勢の教徒を戦に巻き込んだ後始末をする責務がある、それなのに一身の保全を真っ先に考えるとは浅ましいこととアリスディアはベリサリウスの言葉を不快に思った。

「このままでは教団は弾圧され、教団の教えは地上から消え去る! 先達せんだつたちの遺訓を失わぬためにも我ら教団幹部が逃げ延びねば!」

 アリスディアの思いとは裏腹に、ベリサリウスは逃げることこそが教団のためであるという自分勝手な論理を展開させて、逃亡を正当化しようとした。

 だがアリスディアは当然のようにベリサリウスのその提案を受け入れない。

「どうぞ、ご自由に。そうしたいのであればそうなさればよろしいのではありませんか。止めはいたしません」

「あ・・・ああ、ならばそうさせてもらう」

 ベリサリウスの提案は仲間であるアリスディアの身を案じ、共に逃げようといった親切心がもたらしたものであっただけに、あっさりとその手を拒絶されたことに戸惑いを隠せない。

 拍子抜けしたベリサリウスだが時間の余裕がさほど無いことを思い出し、直ぐにその場を離れる決意を固める。

 だが、ふとアリスディアが後宮の顔役で王や将軍たちとは旧知の仲であることを思い出した。

「そなたはどうするのだ。まさかとは思うが旧知を頼って降伏するつもりではあるまいな。我らは王に対して弓を引き奉ったのだ。朝廷からしてみれば、その罪は大きく、万死に値する。許されることなどあるものか!」

 ベリサリウスは大いに勘違いをしていた。アリスディアが伝手を頼って命乞いをし、のうのうと一人赦免を勝ち取るのではないかと思い、裏切りに対する嫌悪と、やすやすと生き残れることに対する嫉妬と、ベリサリウスと違って将来の不安などないことに対する羨望が心の中に渦巻き、その怒りをぶつけるような形で怒鳴ったのだ。

 だがアリスディアは首を横に振って否定する。

「まさか。そのような甘い考え、少しも抱いてなどおりませぬ」

「では、何故だ?」

「幹部全てを失えば教団はまとまりを失い個別に好き勝手に行動することになるでしょう。王との交渉も思うようにできず、このままでは下手をすれば教徒たちは皆殺しにされかねません。教団を代表して王と降伏について交渉する者が必要でしょう。それに・・・最後には教団の誰かが責任を取らねばなりませぬ。我ら六柱全てが逃げ出しては、代わりに下の者が迷惑することでしょう。ですからわたくしはここに残ります」

 そう、これだけの大乱を引き起こしたのだ。その責任を誰かに取らさねば朝廷としても格好がつかないだろう。

 教団が降伏するに当たって朝廷に差し出す首が必要なのだ。その役を六柱の指示に従順に従っていただけの者たちに押し付けては、あまりにも可哀想。

 もちろん中には積極的に教団を王との戦へと導いた者たちもいたのだけれども、それでもその役に値するほどの役割を果たしたというわけではない。

 アリスディアは教団が起こしたことの責任を全て負うつもりだった。

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