第382話 天秤にかける

 有斗の前で悄然しょうぜんと頭を下げて、セルウィリアは不首尾に終わった結果を報告する。

「二人とも寝返りを承知いたしませんでした。わたくしの力不足ですわ。陛下のご期待に添えずに申し訳ございません」

「あ、いや、セルウィリアはよくやってくれたよ。セルウィリアのせいじゃない、謝ることはないさ」

「それにしても言葉としては寝返りという表現になるとはいえ、本義から言えば陛下に助力することこそ世の本道に戻ること。教団に協力してアメイジアの転覆を企てるなど・・・いったい何が彼らほどの人物をしてそうなさしめるのか、わたくしには理解できませんわ」

 セルウィリアは首を横に振り振り溜息をつく。

 今から考えるとかつてのセルウィリアは有斗のように全身全霊を持って女王を務めていたわけではない。

 非情な戦国の世、我欲をむき出しにする家臣、好き勝手に国家に大しては声高に要求するくせに義務を一向に果たそうとしない民、そしてその全てを正す方法が見出せない自身の乏しい政治力、その全てに絶望したセルウィリアは政務の大半を家臣に押し付けて自ら飾り物の女王に甘んじようとしていた。

 それでも女王として最低限の仕事をしていたのは、セルウィリアが全てを投げ出せば、戦国の世に曲がりなりにも存在した関西という最後の秩序まで崩壊してしまうという一片の想いがあったからだ。

 彼女は女王という役回りを演じていた下手な役者に過ぎなかった。

 だけれどもそれなりに女王を大過なく演じてきたし、共に傾く国家を支えてきた彼らとは、心の底にはそれなりの絆があるのではないかと思っていただけに、思いが届かなかったことにセルウィリアは大層打ちのめされた。

 特にバアルとは幼馴染であったし、芽吹くか芽吹かないかの恋心にも似た感情を抱いていたし、互いに分かり合えている関係だと思っていたし、セルウィリアの考えならば無条件に全肯定してくれるものだとばかり思っていたので、バアルがセルウィリアの差し出した手を握り返さなかったことは彼女を痛く傷つけた。

 それだけに怒りと失望が同時にこみ上げてきて、無性に腹立たしかった。

 それは小さな子供が親に向けて抱く甘えに似た感情である。

「だから気に病むことはないよ。単に彼らが降伏したいと思うほど、僕が立派な王ではなかったというだけだよ」

「そんな・・・!」

 セルウィリアは自分を傷つけまいと配慮を見せる有斗の立派な態度に接することで、自身の未熟さと無能さがいっそう際立たされるような感覚に陥り、よりいっそう縮こまる。

「もし彼らにも僕にはまだ理解していない何らかの正しい言い分があり、それを朝廷に受け入れさせるために戦っているというのならば、王として僕はその条件が飲める範囲だったら受け入れ、この平安という秩序を維持するための柱の一つとして役立てねばならないだろうと思っていたんだ。だがどうやら彼らの望みはそうではないようだ。どうしても僕とは和睦を望んでいないようだ。ならば僕はアメイジアに平和を確立するために全身全霊を持って彼らを打ち砕かねばならない。それが分かっただけでも君がしたことは十分意味があった、そう思うよ」

 だが、たいして期待していなかったはずなのに、セルウィリアの説得工作が上手くいかなかったという結果を聞いて、有斗は落胆している自分がいることに気づいて不思議に思った。


 それは何故だろうと有斗は一人になるとふと考えた。心の中での長い苦闘の末に、やがておぼろげながらその正体らしきものに思い当たる。

 有斗はアメイジアに平和をもたらすと公言し、そしてそれを具現化するために必要と思った行動を着実に実行に移してきた。

 それを最初に思い立ったきっかけは有斗にその夢を見たセルノアのその真っ直ぐで純真な想いを汚さぬためであった。次いでアエネアスやアエティウスやアリアボネと共に見た夢を実現したいという有斗個人の欲であった。

 だが自身の為であるよりも、誰か特定の他人のためであるよりも、それよりも天下国家という大きな物の為に行おうとしている側面がずっとずっと強い。

 だから、その天下国家という範疇はんちゅうくくられれば中に入るはずであった、バアルやリュサンドロスらから有斗と共に行動することに対して、こうして実際に明確に拒絶の意思を示されると、有斗の心の中に不安がこみ上げてきてしまうのであろう。

 何故なら有斗が乱世を終結し、平和な世にするということを掲げて行っていることを受け入れない人間が現れるのは、これが初めてではない。

 いろいろなことが絡み合った結果、テイレシアが反旗を翻したように、こうやってアメイジアに次々と有斗のやることに反対する人間が現れるということは、ひょっとしたら、有斗のやっている天下一統の工程はどこかが最初から間違っており、実はアメイジアに統一政権を打ち立てたようにも見えるこの状態もかりそめの平和で、世を平和にするどころか、より一層、地獄のような戦国乱世の状態を悪戯に引き伸ばしているだけなのではないか、教団を打ち破っても、またどこからか反旗を翻すものが現れ、それが有斗が死ぬまで続くのではないか、と心の奥底から恐怖が浮かび上がってくるのだ。

 自分がやっていることは実は全てが間違っており、アメイジアの為になることなく、悪戯に人民を苦しめるだけではないのだろうか。

 そう、四師の乱の原因となった間違った新法を採用したように、所詮有斗には政治の才能など初めからなかったのだから。

 だからアリスディアは有斗を見捨てて教団へと去っていったのではないかといった考えが次々に浮かび出て有斗を苦しめるのだ。

「僕がやろうとしていることは、果たして本当にこの世界にとって為になることなのだろうか・・・」

 セルウィリアなりカトレウスなりテイレシアなりが戦国乱世を統一したほうがアメイジアにとっては良かったのかもしれない。ふと、有斗はそう思った。


 いよいよ決戦のときが近づいてきた。ひたすら南西へと退くだけだった教団に新たな動きが見られたのである。

「いよいよ潜龍坡が近づいてきた。次の戦いでは総力を挙げねば王を倒せないであろう。全ての将軍が共通の認識を持って戦う必要があるであろうから、作戦を説明する会議を開く。将軍方にもぜひご出席願いたい」

 一方的にまくしたてるように用件だけを話し終わるとその教団幹部は風のように足早に立ち去った。

「やれやれ、ようやく長いだけで一向にまとまる様子を見せなかった、やつらの長評定が終わりを迎えたらしいぞ」

 デウカリオはボイアースらに教団への愚痴をぶつけると、椅子から立ち上がって、いちおう教団幹部たちがいる本営へと向かおうとする。

「・・・これだけ長い時間をかけて考えたのだ。どれほどの策を考えたか聞きにいこうではないか。聞くだけならただだしな」

 どうせろくでもない机上の作戦案で修正が必要な箇所が山ほどあるのだろうが、とデウカリオは頬にちらりと皮肉な笑みを浮かべた。

 だが此度は前もって作戦を打ち合わせをする機会が設けられた。ならばいくらでもその場で修正を行うことが可能だろう。デウカリオは教団の勝利のためでなく、自身の武功の為にそう思った。

 少なくとも前回のように全軍が戦闘態勢に入る前に一部の部隊が敗北し、全体の計画が狂うようなことがあっては困るのだ。

 もちろん、バアルに抜け駆けされることも、不完全燃焼のまま戦を終えることも御免こうむる。

 最後の戦になるかもしれない戦いだ。後方や側面を気にすることなく、前面の敵だけを相手に専念したい。勝敗以前の問題だけは片付けておきたかった。


「潜龍坡に敵を引き込み、その抜け出たところに我らが陣を敷いて待ち構え、出てくる敵を順次壊滅する」

 提示されたのは、潜龍坡という細く険しい登りの山道の南部南域への出口付近に陣取って、細長い隊形を取って出て来ざるを得ない敵を更に小分けにし、それぞれを各個撃破するといった極めてオードドックスな作戦案であった。牧野が原で王師相手にオーギューガがとった戦い方を思い出していただければ分かりやすい。

 つまり、どちらかといえばそれは寡兵で敵の大軍を防ぐときに取られる手法だ。そこに教団幹部の弱気が見て取れる策でもある。

 だがまぁ、味方が大軍であっても有効な手段であることも間違いないところだ。反対する理由はない。

 だがしかし、それを行うには大きな問題がある。

「我が方はただでさえ大軍だ。敵はどのような状態で戦闘に入るか気を使うはず。われらが出口で待ち構えていると知ったら、敵は潜龍坡に入ろうとはしないのではないか?」

 デウカリオの指摘はもっともなことだった。誰が大軍が準備万端待ち受けているとわかっている場所にのこのこと向かうというのだ。

「うむ、おそらくはそうであろうな。だから我々としても敵の油断を誘うように策を講じるつもりだ」

 イロスは自信ありげにデウカリオに頷いてみせる。

「どのような?」

「南京南海府を王師が出立したと聞くまで、我らはしばらくこの地でとどまる。敵が近づいてくるのに合わせて我らも再び退却を開始する。そうだな・・・王師の出撃に慌てふためいたという感じで部隊を脅えたように後退させるのがよいかな。王に我らが王師を恐れていると思わせるのだ。我らは潜龍坡を超えても立ち止まらずにそのまま退却し、敵の油断を誘う。そして敵が潜龍坡に近づくと共に我らも反転し、潜龍坡へと向けて兵を進める。もちろん、計算上は王師の方が先に潜龍坡を抜けられるようにしておくのだ。王に我々が出口を塞ぐよりも先に潜龍坡を抜けられると思わせたら我々の勝利は確定する。急ぎ軍勢の足を速めて潜龍坡の出口前に陣を布陣し、出てくる敵を次々にほふっていけばいい」

「ほう・・・」

 口やかましいデウカリオも、何かと重箱の隅をつつく癖があるバアルも、教団幹部の立てたこの策にはいつものように穴を見つけられなかった。

 王師に潜龍坡を越えて南部南域に入ることを決意させてしまえばしめたものだ。大軍が移動するにはいちいち計画を立てねばならないことが多いのである。補給計画、輜重による物資の輸送計画、部隊単位の行軍計画など枚挙にいとまがない。一旦立てた計画を中止するのも変更するのも大変な労力がいるのである。

 つまり目の前で多少の面倒が起きようとも、その雑事と比べてみて得失を考えることで判断してしまうということである。

 教団が出口を塞ぐよりも早く潜龍坡を抜け出ることが可能であると判断すれば、十中八九退却するよりも前に進んで抜け出ることを選択するに違いない。

「潜龍坡は長い傾斜のある山道だ。そこを登ってくる敵は足腰に疲労をためることになる。しかも我らは多数、長時間の戦いになればなるほど我ら有利」

「だがこの陣形では戦場にて戦う敵兵はそう多くはない。敵は緒戦で不利を悟れば、直ぐに撤退をするのではないか」

「もちろん、敵の前面に陣を展開するのは敵先団が潜龍坡を抜け出たことを確認してからだ。戦闘に入った味方を見捨てて退却することは誇り高い王師ならばできることではないだろう。それでもおそらく敵は消耗戦を避け、適度な時に撤退を開始するだろう。味方を収容し、秩序だった撤退を行おうとするに違いない。つまりそれだけの間、軍に打撃を与えることができるということだ。その時に我らは余力を全てつぎ込んで追撃をかければ、王師は大崩れし、必ずや痛撃を食らわせることができるはず。長駆、追撃をかければ南京南海府を奪還することも可能だろうし、場合によっては全軍を崩壊させ、全ての決着をこの一戦にてつけることも不可能ではない」

「なるほど・・・気に入った。確かにこの策ならば敵も乗ってくるに違いない。敵は勝利におごっていようしな」

 将軍たちの反応は概して良い。イロスは自信に溢れる思いで最後の確認を取る。

「何か質問はありますかな?」

「この策は潜龍坡から抜け出た敵の先団を押さえる役目の部隊が極めて重要な役目を果たすこととなりましょうな。味方が布陣するまで敵のそれ以上の進出を防ぐ大事な役目だ。その者の働き如何いかんで戦全体の流れが決まるといってよい」

 その重要な役割を普通の教徒たちに割り当てられたらたまらないなとバアルは思った。

 一番の武勲を奪われるといった浅ましい考えからそう思ったのではない。

 この作戦では潜龍坡から敵が全て抜け出ないうちに攻撃をかけることから全てが始まる。つまり王師全軍が潜龍坡を抜け出ていない状態であると同時に、教団側も全ての部隊を出口付近に展開し終わっていない状態で戦闘が始まるということだ。もし敵の先頭部隊を押さえることに失敗すれば、敵は次々と潜龍坡から抜け出てくることになるだろう。

 半包囲陣形を完成していない教団側は一転して苦境に立つ。敵に部分的に半包囲され、各個撃破され大軍の優位さを生かせぬまま敗北の坂道を転がり落ちていくことも考えられた。

 それもこれも先頭の部隊に全てがかかっているといってよい。その人事ひとつがこの計略を根本からくつがえしかねないのだ。

「その重要な役目を果たすのはアンテウォルト殿とカシウス殿にやっていただこうと存ず」

 バアルはじめその場にいた将軍たちはほっと一息、安堵の心持であっただろう。カシウスは傭兵隊長として高名だし、アンテウォルトもカヒの二十四翼長の一人として確かな実績がある。部下も教徒と違い実戦経験のある兵ばかりだ。少なくとも王師のただ一度の攻撃で崩壊するようなことだけはないであろう。

 どちらも教団からしてみたら外様の人間であり、彼らにこの大事な役割を与えたことは、自尊心と自意識だけは過剰に有り余っている教団幹部にとって最大限の譲歩であろう。

 教団という特殊な閉鎖された組織でえらぶってきたであろう彼らがここまで譲歩したことに、バアルは先行きに若干の光明がす思いだった。

 此度の戦は王師の一部と教団の一部が小さな戦場で戦うことになる。教徒という足手まといに成りかねない弱兵を使うよりは、できるならば傭兵隊を使って、少しでも勝利の下ごしらえを準備しておくべきだ。

「さらに言うなれば、彼らが敵の正面を押さえている間に側面に回りこんで敵戦列の横列展開を防ぐ役割は、その後ろに位置することになるアストリア殿、カレア隊にやっていただくことになります」

 イロスは次いで各将軍の名前を言いながら地図の上を次々と指差して配置する。

 第一陣はアンテウォルトとカシウス、第二陣はアストリアとカレアとメネクセノスとプリュギア公、第三陣はリュサンドロスとバラスと教団の兵、第四陣はデウカリオとディスケスとバアルといったふうに構成されていた。

「なお、この私も自ら部隊を指揮し、第三陣に参加いたします」

 イロスはそう言うと薄い胸板を反らした。

 これも好条件である。戦力としてはまったく当てにしてなかったが、軍全体に命令することが出来る教団幹部が前線にいれば不測の事態にも対処することが出来る。

 第一、総大将が前線にいるのといないのとでは味方の士気に関わるではないか。


 来るときは気の乗らぬ会議であったが、終了後にそれぞれの陣営地に帰還する諸将の足取りは軽かった。

「どう思う? 先ほどの作戦案は?」

「教団も戦についてまるきり無知ではないところを見せたといったところかな。悪くはない。いや、むしろ良い。もちろん実行すれば様々な問題が発生し、予定通りにいくことはないとしても・・・今までのように、予定の段階で足元をすくいかねない穴があった作戦群に比べたら天と地ほどの開きがある」

「いやはや、まったく。あとは敵に餌を食いつかせるだけを考えねばなるまいな」

 全ては王師が潜龍坡に入ってくれなければ無駄になる。ヴィオティア山脈を挟んで大軍が睨み合いを続けるということも考えられるのだ。

 彼らに指揮権はない以上、こうやって細々と策を考えても何ら意味は無い。もちろん彼らもそれはわかっている。献言してもバアルのようにほとんどが無視されるであろう事も。

 だが考えずにはいられない。それは武将としてのさがだからだ。

 それに考えているその時だけは彼らはこの戦の主役になれる。例え実際には指揮できぬとはいえ、頭の中では二十万近い大軍を自由自在に采配することができる。それが幸せだったのである。

「王師を誘い出すために我らもそれなりに軍を退かねばならぬ。三舎・・・あるいは四舎はヴィオティア山脈から離れねば王師は潜龍坡へと入る気にならぬであろう」

「そこから反転し、二舎まで近づけば王師は足を速めるに違いない。そこで一度足を止めて隙を見せたほうがいいかもしれんな」

「出口を完全に塞げるかどうかは部隊を素早く展開できるかにかかっているだろうが、そう難しいことではない。それに間に合わずに双方が戦力を逐次投入する形に戦闘がなっても、平原に陣取る我ら有利。山道を登ってくる敵は我らより兵力の展開に時間がかかる」

 確かに半包囲して敵のそれ以上の進入を防ぐという作戦案が瓦解し、敵が次々に平原に流れ込む事態になれば混戦になるだろう。混戦になれば戦の流れはどちらに転ぶか分からない。王師に主導権を握られることも十分考えられた。

 だが混戦になれば最終的には兵力の多い教団が優位になることもじじつである。ならばむしろその方が戦の趨勢すうせいが明らかになった後に、敵を取り逃がす確率が下がってのちのち有利かもしれない。

「それに・・・何より今回の戦の先団は教徒ではなく我らが務める。おさおさ、コルペディオンの時の様な無様な戦にはなるまいよ」

 コルペディオンの戦いで将軍たちは周囲の混乱に巻き込まれ、バアルら一部の将軍を除いて実力を発揮できなかっただけに、心中に期するものが大いにあった。

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