第376話 合流

 報告によると鼓関での叛乱に失敗して以降、鹿沢城以西では一連の教団の活動に結びつくような動きは見られない。

 有斗は途絶していた連絡が取れることになった関西諸侯に参集をかけると同時に、鼓関に蓄えられている武器と兵糧を鹿沢城に運び込ぶ。長期戦になったときに備えて、補給線を短くしようというわけだ。

 もちろん表に姿を現さないだけで信徒や、その助力者がいないとは限らないから、王師の部隊を護衛につけて搬送するのである。

 その為、王師はしばらく鹿沢城での滞在を余儀なくされた。

 結果として教団に立ち直りの時間を与えることとなるが、同じ分だけ王師も立ち直らせることもできるし、諸侯の援兵と言う強力な手駒を得ることが出来る。

 コルペディオンでは辛くも勝利したが、最後に思わぬ危機が待ち受けていたように、やはり兵力差というものは戦術の選択肢を極めて狭めてしまうものだ。

 諸侯の兵がいくらかでも加わってくれれば、後背や側面からの回りこみをそれ程までに気にせずとも済むし、押さえのために王師から兵力を割かなくて済む分だけ、王師という精鋭部隊を効果的に使うことが出来る。

 諸侯の兵ではバアルやデウカリオらに挑むには力量不足かもしれないが、教徒相手ならば十分に働いてくれるだろう。


 諸侯に招集をかけたからといって、直ぐに集まるわけではない。

 もっともこの未曾有みぞうの非常事態、自領で叛乱騒ぎなどの物騒なことが起こらないかと恐れた諸侯は、居城に兵を集めて臨戦態勢を取っているはずだ。いつものように兵を招集する手間と時間は必要ない。

 とはいえ使者が諸侯の城に行く時間、そして彼らが鹿沢城まで行軍する移動時間は必要である。

 その間にできることはないか、すべきことはないかと偵騎を放って、敵の本隊の動きやそれ以外の叛乱軍の動きを調べていた。

 焦点は敵本隊のこれからの行動と、それ以外の叛徒の動きだ。教団の戦略として王都を孤立させるために教団はそれぞれの街道を封鎖していた。

 つまり本隊が退いた今、それらの部隊は孤軍となっているはずだ。それくらいならば王師全軍を出兵させなくても各個撃破が可能なはずだ。

 諸侯の軍が集結するまでの時間を無駄にしないですむかもしれない。

 だが偵騎が帰還するよりも早く、嬉しい一報が有斗にもたらされた。なんと諸侯が早くも到着したというのである。

 だが有斗はその喜ぶべき知らせにも顔を明るくすることも無く、困ったように眉をひそめるだけだった。

 それは関西諸侯の到着の知らせではなく、トゥエンクの地にて教団に敗れ畿内へと軍隊ごと退避したマシニッサ到着の知らせであった。


「これは陛下、ご機嫌麗しゅう」

 マシニッサは鹿沢城に到着するや否や、さっそく頼まれてもいないのに有斗の下にいの一番に挨拶に訪れた。

 忠誠の気持ちなど毛ほども持っていない男だろうに。ことさら有斗に忠誠を尽くしているように見せ付けているのは、あくまで後の恩賞を期待してのことであるだけに過ぎない。有斗としては迷惑千万な訪問であった。

「・・・やぁ・・・マシニッサ」

 まったく麗しい心持であると言えないなどとおおっぴらに言ったらどんな目に遭うか分からない。ここは無難に挨拶をしておくに限る。

 それにしてもこの感情はなんだろうか、と有斗はふと考えた。

 マシニッサは数々の戦で有斗の為に戦い大きな勲功を立てているし、命を救われたことだってある。南部挙兵以来の長い付き合いでもあった。だが未だにもって苦手感はぬぐえないし、親しみをまったく感じないのは何故だろう。

 有斗がそんなことを漠然と考えていると、「うぇ!!」と王の御前に相応しくない大声があがった。

 その素っ頓狂な声は、所用があって少し場を外していたアエネアスが有斗の部屋に帰って来たところに、アエネアスがアメイジアで一番会いたくない人物がいたことで思わず本音を口から洩らしてしまった声である。

 しかしあのマシニッサ相手にここまで明確に嫌悪感を露わにするなど命知らずにも程がある、と有斗は思った。人間ならば、いや、少しでも脳みそがついている生物ならば、そのような命の危機に直結する行動を犯すはずなど無いと思うのだが。

 そういう意味ではアエネアスのまったく表裏など微塵も無い、この豪胆さだけは美点と言ってもいいかもしれない。

 くるりと後ろを向いて逃げ出す体勢を取ったアエネアスだったが、その背中を目聡く見つけたマシニッサに声をかけられてしまう。

「おや、これは麗しのアエネアス殿ではないですか」

「何が麗しのなのよ! あ、あんたに言われると本当に気持ち悪い!!」

 虫唾が走るのか、蕁麻疹じんましんでも出るのか、アエネアスは髪の毛をかきむしり、服の中に手を入れて肌をさすりながら返答する。

 本当に嫌いなら相手をしなければいいと思うのだが、何でも馬鹿正直に相手をするのもアエネアスの美点だよなぁ、と有斗は思った。

 だが明確な拒絶を示されてもマシニッサは怯まない。その程度のことでくじけるようではこの戦国の世でマシニッサという梟雄きょうゆうをやってはいけないのである。

「そういえばおめでたい噂をお聞きしておりませんね。まだ婚約なされていないのですかな?」

「よ、余計なお世話よ!」

 マシニッサが戦場で見せる奇手奇策のような思わぬ言葉の攻撃にアエネアスは真っ赤になってうろたえた。

 彼女の知りうるあらゆる語彙を使って、大貴族の令嬢とは思えぬ悪態をつくが、マシニッサは意に介さないのか、それとも目的を果たすためならどのような屈辱も甘んじて受けると陰口を叩かれる例の鉄仮面で隠しているのか、機嫌よく笑みを浮かべたままだ。

 もっとも今時、アメイジア屈指の大諸侯、そしてアメイジア一の陰謀家にして腹背常ならぬ油断ならぬ男に向かって、このような思い切った口を聞く人間はアエネアス以外はいない。誰よりも人の醜さと表裏を知り尽くしている男だからこそ、表裏無く喜怒哀楽を表すアエネアスとの会話を案外、心から楽しんでいるのかもしれない。

 マシニッサにとってアエネアスはその外貌を照らす美しさよりも、そういうからかいがいがあるところが楽しく好ましいのかもしれない。

「王都どもの男も存外情けないものですな。これほどの美女を独り身で放置したままにしておくとは実に不甲斐ない」

「う、うるさいわね! あ、あれよ、そうあれ! わたしが美女過ぎるから声をかけ辛いだけよ! 高嶺の花だから手を出しづらいだけなのっ!」

 猪突猛進型の馬鹿で、ガサツで、女らしいとこが見当たらないから声をかけないと考えないところがアエネアスらしいと言えばアエネアスらしい。

「ふうむ・・・ならばやはり私のところに嫁に来るしかありませんな」

「それこそ余計なお世話!! 」

 そういえば・・・アエネアスも普通ならばそろそろ嫁いでもおかしくない年齢なんだよなぁ・・・有斗はふと思った。


 さてマシニッサとアエネアスとの口論以外にも、マシニッサはちょっとした騒動を有斗たちにもたらした。マシニッサの行動に対して有斗付きの幕僚団、特に文官から強い不快感が示されたのである。

 もちろん今は教団と言う強大な相手を前にしている都合上、マシニッサの手腕とトゥエンクの兵一千は朝廷にとって得難い戦力である。その戦力を大いに活用したい朝廷としてはマシニッサの機嫌を損ねるようなことはやるべきでもなく、口にすべきでもない。

 だがマシニッサが元自領とはいえ王領で朝廷の許可無く民を煽動して蜂起させ、それを私兵と化して戦闘を行ったことは、例え相手が朝廷に逆らう反乱軍であっても、諸侯として許される範疇はんちゅうを明確に超えている不敬な出来事であると非難の声を上げたのだ。

 何よりも朝廷の威令をないがしろにする行為だと、何事も権威主義の官吏からの反発の声が大きかった。

 だが明確にそれが何の法令に違反しているのかと素直に疑問に思った有斗が訊ねても、有斗が納得できる答えを示すことが出来る官吏は一人としていなかった。

 王に対して兵を挙げることは犯罪だ。だがこれは王に協力しようとして起こした兵事である。それに諸侯が兵を持つことも、自衛の為に兵を用いることも罪ではない。そもそも、このような事態は律令に既定されていなかったのだ。

 八逆の一つ、謀反にあたるのではと言う矯激な意見も出たが、確かに王領で兵を集めるというのは、朝廷の持つ権限に横から片手を突っ込む行為であった。だがそれは問題行為であると認める他の官吏も、謀反とは社稷を危うくせんと謀ることと文章で書かれている以上、マシニッサの行為が王を助けて社稷を保つ目的で行われているからにはそれに当たらないと判断せざるをえなかった。

 厳密にそれを処罰する法令が無いにしても、少なくとも惣無事令そうぶじれい違反であることは明白であるという意見もないではなかったが、もしこれでマシニッサの行動を処罰対象にすればそれが先例となり、これ以降、地方で叛乱が起きても誰も処罰を恐れて、立ち上がろうとはしないであろうといった意見が出されると皆、口を噤むしか無かった。

 つまり結局、マシニッサの行動は不問に成されることになったのである。


 南京南海府までは長い道程みちのりだ。

 さすがに三日目には教徒の間に広がっていた恐怖と言う名の魔物も消え去り、ようやく秩序を取り戻してこの混沌とした集団は教団のコントロール下に戻ろうとしている。

 むしろ秩序を取り戻すのになんと三日もかかったと言うべきかもしれない。普通の軍隊では日付をまたぐことすらありえないのである。

 それほどまでに戦の敗戦が尾を引いたのか、教団幹部にそれだけの手腕が無かったのか、あるいはその両方か。

 教団から命令は一切無くても、最後尾にいるバアルやデウカリオらはやるべきことを怠らない。偵騎を出して動向を探り、王師が鹿沢城に留まっていることは既に確認済みである。

 バアルらもようやく臨戦態勢を解き、通常の行軍体勢へと戻すことが出来て胸を撫で下ろす。

 兵士に緊張を強いるばかりでは心神が消耗して、いずれ兵が使い物にならなくなってしまうのだ。

 そんなほっとした空気の中、ガルバに連れられてイロスら教団幹部が雁首を並べて彼らの陣を訪問した。

「イロス殿をはじめとして皆、戦場における諸兄らの活躍を耳にして是非とも感謝の言葉を述べたいと申しましてな。こうして訪ねて来たというわけです」

 どうやら教団幹部もようやく彼らの存在意義を認めたということらしい。

「いやはや教団の御偉い方というのはさすがに尊い。尊すぎてワシなんぞでは直ぐには会えんのだろうて。戦も終わって三日も経ってから、ようやくお褒めの言葉をいただけるとは・・・このようなことワシの長い戦人生の中でも初めてのことだ。いやはや有難い限りだ」

 デウカリオはイロスらが馬鹿にされたと憤慨するのも、ガルバが困りきった顔を向けるのも一切気にせず、大きな声で嫌味を言った。

 だがデウカリオのいうことは正しい。

 その場では褒められず、後日になってから褒められても、それは何らかの計算や打算が働いた結果、考えて出された褒詞ということで有り難味が薄れるのだ。

 賞罰は正確に適切に行うことも大事だが、何よりも素早く行うことが重要である。

 そんなことも分かっていない将の下で働くのはカトレウスという偉大な主君を持っていただけにデウカリオには苦痛だった。嫌味の一つや二つ言ってやらないとやりきれないというのが本音であったであろう。

 その思いはバアルも大いに同感であったが、寄り合い所帯で只でさえ反発しがちの傭兵隊と教団だ。

 これ以上、好んで軋轢あつれきを生む必要はあるまいと、自身は不満をぐっと胃の中に飲み込んで、前向きに教団幹部に新たな作戦案を提示した。

「南京南海府で戦うという話をガルバ殿から聞きましたが、真で?」

「あ、ああ。南京南海府は三京の一つ、ところどころ崩れているものの、十一間(約二十メートル)もの高さの城壁を持ち、如何なる大敵をも退ける鉄壁の要塞。ここにて王師を惹き付け攻撃を誘い、時に防衛し、時に軽兵を門外に発することで敵の消耗を誘い、機が熟したのちに決戦する。これが最良ではないかと思うのだ」

「ふん。王師よりも遥かに優勢な軍勢を持ちながら篭城戦とは・・・教団の考える戦とかいう奴がワシにはまったく理解できん。さてもさても不思議な戦をするものよ」

 デウカリオの痛烈な嫌味に、イロスはまたまた不愉快さで顔を歪める。もっとも教団がこれから取る行動についてデウカリオが予め聞いていなかったら、この程度の嫌味では済まなかったであろう。

 篭城と言うのは味方が劣勢で、なおかつ援軍が望めるときに行う戦法で、敵より優勢な軍を持ち、特に援軍のあてがあるでもない軍が取るべき方策では無いのである。

「そこで私に一案あるのですが、南京南海府は城壁こそ高いものの、ところどころ破砕し、満足に防衛できない可能性がある。それに篭城のための準備も一切整っていない。いっそのこと南京南海府を王師に譲り渡すというのは如何?」

 バアルの提案は実に大胆なものだった。バアル以外のその場に居合わせた者たち全てがその提案に凍りついたように声を発しなかった。

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