第375話 南帰
コルペディオンの戦いはこうして終わりを告げた。
教団は戦場から大きく撤退して姿を消し、戦略目標である関西との連絡路を確保し、最後に戦場に残った王師が勝利者となった。教団は数倍する戦力を分散することなく集中し、果敢に王師に戦いを挑んだものの目的を果たせず撤退した。
だが多くの戦力を今だ保持している教団は決して軽んじていい存在ではない。負けはしたが素人集団が王師相手に健闘したという見方も十分できるからである。
当事者以外のアメイジアの者たちからは、さすが王師と言う声と、王師相手に教団はよく戦っているといった声が半々であった。
そして当事者を含めて多くの者はこの戦の先行きに明確な展望を示せたものはいなかったのである。
まだ誰も気が付いていなかったが、後のことを考えると、この戦いこそが有斗最後の戦いである、ソラリアの乱における重要な
勝利したと言う事は出来ても、王師が満身創痍である事実は覆らない。アエネアスが示した追撃策のような強攻策を取らなかった以上、一旦、体勢を立て直す時間が欲しいところである。
負けたとはいえ、全体の四分の一もまともに戦闘に参加していなかった教団はさほどダメージを負っているわけではなかった。その彼らが逆に体勢を整えて今すぐ攻め寄せてきたら、今度ばかりはどうやれば勝利できるのか分からなかった。
有斗としてもまさか再び同じ戦術を使用するわけにもいかないのである。
幸いなことに近くに位置する鹿沢城はいくたびか行われた教団側の攻勢を退け、今だ朝廷の手中にあった。
関西が滅び、鼓関に対抗する必要がなくなったため城兵は少なかったが、さすがは長年に渡って南部の諸侯や関西の攻撃を食い止めてきた防波堤、数が多いだけの素人集団に落とされるほど柔な城ではないのである。
翌朝、日が昇ると有斗は教団のいなくなった南海道を横目に西へと進路を向け、鹿沢城へと進路を取る。
鹿沢城へ入ると、有斗は鎧を脱ぐまもなく偵騎を走らせ敗走した教団の軍の動向を探り、将軍たちに命じて軍の損害状況を調べさせると同時に負傷者の手当てと補給を命じた。
偵騎はなかなか戻って来はしなかった。
「ひょっとして捕まったのでは? 教団が体勢を立て直して再来襲を企てているのやも」
そう不安を口に出す幕僚もいないではなかったが、将軍たちは意に介さず豪気だった。
「それならばそれで構わない。鹿沢城はもともと堅城、しかも五万もの兵が篭城すれば、いくら教団が兵数を誇っても全くの無意味、何の苦労もせずに跳ね返せる。それにここならば関西からの援護も望める」
「さようですな。もし距離を取って布陣するようでもこちらが有利。こちらは時機を見繕って軽兵を発し奇襲を行うことで、敵を揺さぶり消耗させればよい。一大会戦に及ばずとも敵を崩すことができるやもしれぬ」
夕刻、なかなか姿を見せず、行方不明かとすら思われた偵騎が次々と帰還してきた。彼らは敵影を求めて探索を続けた結果、こんな時間になるまで帰って来れぬほど遠出をしなければならなかったということらしい。
敵は想像と違い、大きく距離を取って王師と離れることを選択したということだ。見かけと違い、それだけ教団も昨日の戦闘で打撃を受けたということだろうか、と有斗は不思議に思った。
「戦場を離脱した教徒どもは見事なまでの敗軍の有様で、武器や鎧を捨て去る者、逃げ去る者が続出し、その過半は碌に隊列も組んでおりません」
偵騎の報告からは教徒は一日たった今も後退中、いや、敗走中であるとのことだった。実に不思議なことである。
逃げるにしても敵から一旦距離を取れば、混乱を収拾して隊列を組んで移動するのが当然なのである。
後ろから襲い掛かられたときのためだけでなく、高速に移動するためにはやはり隊列を組んだほうが移動は
ばらばらになった人の群れでは思うような移動速度が出せない。
「しまったな・・・追撃すべきだったか。今からでも追撃は可能かな?」
有斗は疲労や損害を考慮せずに追撃すべきだったかと悔やみ、現在、それが可能な状態であるか尋ねる。
「いったん戦闘態勢を解いてしまいましたし・・・」
どんなに傷を負おうが疲労しようが戦場にある限りは王師の兵士ならば戦って見せるが、ひとたび安全な場所に落ち着き、気を解き放ってしまうと彼らも人間だ。痛いものは痛いし、しんどいものはしんどい、そして眠いものは眠い。
敵の襲来でもあったならいざ知らず、食事をし睡眠をとって英気を回復しないと、能動的に再び戦闘意欲を湧き上がらせるのは難しい。
将軍たちの返答は直ぐに戦闘体勢を取らせて全軍挙げて出立するのは中々に難しいといったことだった。
だとすると使える手は無傷の者を選んで少数の選抜隊をもって相手に奇襲をかけることくらいだが・・・
「ただ教団は夜のうちに移動し、すでに一舎どころか二舎は我々と離れております。それに教団の最後尾はリュサンドロス、バルカ、デウカリオ、ディスケスといった名のある将軍が固め、万全の防御体勢を敷いております」
「奇襲隊を編成して追いかけても、こちらが損害を蒙るだけ・・・ということか」
どうやら一度逃した機会は容易くは取り戻せそうにはないようだ。
「なお、敵は鼓関ではなく南部に向けて移動している様子です」
敵が兵力の再編をするでもなく、これまで確保してきた土地を放棄して南部まで撤退したという知らせは喜ぶべきものだったが、戦理から遠いところにあるその行動に有斗は敵の思惑が分からず少々困惑する。
教団の戦略は朝廷を諸侯や諸地域から切り離して無力化することにあった。これは朝廷に属する者の一致した見解であった。
だから夜戦に一度敗れたことでそれが不可能となったことで方針を撤回し、拠点防衛に切り替えたと考えられなくもない。
それにしても諦めが良すぎる気もしないでもない。
確かに王師に敗北し関西との連絡は復活した。地方から切り離して朝廷を枯死させるという戦略は破棄せざるを得なくなったかもしれない。だが戦うと決めた時に、場合によっては王師と野戦で決着を付けることもやむなし決意したはずである。一度敗れたくらいでその決意まで撤回するというのは少しおかしくはないか。
大きく決着がつかぬ場合、同じ軍勢同士が完全な勝敗がつくまで幾度も戦うというのはそう珍しいことではないのだ。
だが敵はたった一度の戦いで全てが終わったとばかりに方針を転換する。
なんというか・・・カヒと戦ったときに見られた一貫した戦略と言うものが相手から感じられないのだ。それとも存外行き当たりばったりで確たる戦略も無く動いているのだろうか。
有斗は教団の考えが分からずにただただ首を捻った。
撤退する教団の後尾を守るのはバアル、デウカリオといった雇われ将軍の面々であった。
撤退戦ともなれば困難な戦となる。これ以上の損害を出さぬためにも教団の中では最精鋭である彼らの部隊をその任務に割り振るのはとても理に適ったことである。
それに彼らがこうして陣列を整え、いつ王師の追撃が会っても防げるような構えを見せていたために有斗が追撃を行わなかったことを考えると、現状が教団にとって最善の状況である。
といっても彼らが望んで
有斗は教団の動きを
何故教団はあれ程までにあっけなく崩れたか。敗北したとはいえ損害は軽微なのに再戦を挑もうとしないのは何故か。いや、そもそも何故、体勢を立て直すために一度全軍を止めないのか。何よりこの軍は敵を背にしてどこへ向かっているのか。
つまり彼らはいったい今、教団がどのような戦略の下に行動しているかを全く知らなかったのだ。
一切の情報も命令も彼らの下には入ってきていなかったのだ。
有斗が知りたがった教団の戦略とやらを、むしろ彼らのほうが知りたかったくらいだった。
「いったいどこまで逃げる気なんでしょうか」
行く先も分からない退却行にパッカスが不満と不安を口にする。
これまでも幾度かガルバにそれを明らかにするよう詰め寄ったが、一向に埒が明かなかった。
ガルバはまるで重大な戦略的な考えが教団幹部にあって、それを今は口にする段階ではないと言ったふうな言い訳で口を濁すばかりである。
もっともどうもガルバ自身もそれを知らないのではないかといった節さえ見られたため、バアルたちはいつしかガルバにそれを聞くことを止めてしまった。
答えが返って来ないとわかっているだけ徒労感が募るし時間の浪費である。それに教団幹部の中で首脳部とバアルたちとの間で板ばさみになっているようであるガルバの立場をも思いやったのだ。
とはいえそれで不満が綺麗に無くなるわけではなかった。
「いくらなんでも逃げすぎだ。しかも部隊を止めることも無く行軍し続けるなど正気の沙汰とは思えない。たとえ撤退するにしろ隊列を組み、隊長の指示の下、行動しないと非効率なことこの上ない」
もっとも前を行く教徒の足が遅すぎて、食事や睡眠で時間を潰さないと歩くこともままならないのではあるが。
いるのかいないのかすら分からない教団幹部たちの中で一人
コルペディオンの戦いで教団で気を吐いたのは彼が連れてきた雇われ将軍と傭兵隊だけと言ってよかった。これで教団内での彼の立場は一転して他の四人よりも優位に立ったといってよい。
それに何より、初の敗戦に意気消沈するだけの他の教団幹部と違い、まだ教団が完全に敗北したわけではないと知っているからである。
人生を懸けて教団内でのし上がってきたのだ、ここで簡単に勝利を諦めてなるものかと言った気概もあった。
彼は机上の空論が崩れて俯くだけの青二才たちと違い、商人としての経理の才を駆使して敗走する中でも教団の軍に兵糧を滞りなく届けた。
ラヴィーニアのように手足となるべき優秀な官吏を持たぬガルバには、それはまさに不眠不休に近い奮闘が必要であったが、湖に浮かぶ白鳥よろしく、その苦闘を表に一切見せずに成し遂げたのだから大したものである。
もし彼が官吏であったならラヴィーニアの片腕、いや、競争相手になれたかもしれない。
縦に長く伸びた教団の部隊に食を与えるのは並大抵のことではない。何故、そこまでして行ったかといえば、食料の配給に支障をきたせば、信仰心の薄い、あるいは皆無の連中から、教団の未来に不安を感じ離れて行く者が出ることが目に見えているからである。
もちろん大多数は当初は残るであろう。だが周囲から人が消えていけばそれがますます不安を培養することになり、最終的には大勢の離反を招きかねない。
千丈の堤も蟻の穴より崩れるのである。
そんな活躍を人知れず行っていたことで自信を取り戻したガルバは、ようやく行われた教団の会議でも一人だけ鼻息が荒かった。
「いったいどうしたというのですか? 戦は初戦、これからですぞ。一度の敗北で戦を放棄するような真似をなさるとは方々の名が泣くというものではありませんか」
ガルバの積極策に対して、他の幹部たちの口ぶりは重い。どうも敗戦と言うお灸が効きすぎたのか、すっかり兵を用いることに消極的になっていた。
「やはり王師は強い。教徒には荷が重いということがよく分かった。ここは
教徒が王師の兵の相手ではないのではなくて、お前らが王や王師の将軍の相手ではないだけではないのかなどとガルバは意地悪く考えた。
「ではどうなさると? 今更泣いてわめいても王は許してくれるとは思いませぬが」
「もちろん戦いは続ける。我々には南京南海府がある。あの長大な城壁を利用して王師の攻撃を跳ね返しつつ、敵に疲労を蓄積させ、隙を見て反撃に転じようと思う」
「敵の四倍もの大軍を有しているほうが篭城? そんな戦は聞いたことがありませんな」
諸侯の間の戦いでは同数の兵力で篭城しても笑いものである。敵よりも多い、それも段違いに多いほうが篭城戦を行うなど恥知らずもいいところだった。もちろん教団は諸侯のように武によって立っているわけではないから、面子を考えなくてもいいのではあるが。
「確かに数は多いが、負け戦に彼らは大いに士気が落ちている。このままもう一度再戦しても、一度挫けた心は彼らを兵士として震え立たせてはくれないだろう。今の彼らには城壁と言う心の支えが必要なのだ」
心に支えが要るのはお前らの方ではないのかねとまたまた思ったが、ガルバは今度も辛うじて声にするのだけは押し留めた。
ガルバは教団の誇る秀才とやらのこの弱腰な実態に、少しばかり優越感を感じると同時に、呆れるやら失望するやらで頭が痛くなった。
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