第377話 次善の策

 しじまが一帯を支配した。それは重苦しい空気となって沈殿し、皆が抱いた感情を容易に言葉として発することを妨げた。

 だが沈黙がひとたび打ち破られると、感情は怒号となって教団幹部のお歴々の口からバアルに向かって矢のように放たれる。

「南京南海府を譲り渡すだと・・・馬鹿な! それでは敵にみすみす南部を制圧する為の格好の拠点を与えるようなものではないか!」

「南京を奪回したことで王師は勢いづくだけでなく、我らは拠るべき拠点を失って後が無くなるではないか! 南京の失陥は味方に心理的悪影響を及ぼすだろう。そんな馬鹿な真似をしてどうするというのだ!」

 教団幹部の怒りの声をバアルは平然と受け流していた。彼らにバアルの考えを理解してもらえないであろうことは折込済みだった。

 バアルがこれから行おうとしている策は王相手に仕掛ける罠だ。彼ら教団幹部如きに見抜かれるようであってはむしろ困るのである。

 バアルはもちろん、彼らにも十分理解できるように、懇切丁寧に解説を行うつもりであった。

「篭城と言うのは本来、後詰が戦場に到着する時間を稼ぐ為か、敵を消耗させ、引き揚げさせるために行うもの。だが我らには後詰が無い。それにこれは諸侯の争いのような尋常の戦ではない。収穫の時期が来たから、戦いに飽きたからといって戦を止めるなどといったことは期待できない。王師は我らを滅ぼすために来ているのだ。朝廷の権威を示すためにも国を傾けてでも戦を続けるはず。途中で兵を退くことなどあるはずもない。篭城など無意味だ。戦争を膠着こうちゃく状態にさせ、決戦を先延ばしにすれば今の兵力での戦いではなく、朝廷と教団と言う組織の持つ地力の争いになる。そうなれば我らが圧倒的に不利なのは言うまでもない」

 バアルの意見に教団幹部たちは反駁はんばくする、彼らは彼らの目論見があって篭城を主張しているのである。ただ目前の恐怖から逃げ出すために篭城を主張しているのではないのである。

 ・・・まぁその気配がまるきりゼロと言うわけではなかったが。

「しかし敵は連年の出兵、しかも関西こそ封鎖を突破されたものの、南部と河東という穀倉地帯とは今だ我らによって隔てられている。王師にとっても長期間の戦いは不可能なはずだ。力攻めで南京を攻略するしかなくなるだろう。だが戦力に開きがあるならともかくも、むしろ守備側の兵の方が多いとあっては、南京を落とすなど夢でもありえない。敵が大きく疲弊したところで我々が一斉に城門から打って出れば勝利はまず間違いない」

 なるほど、確かにその通りの流れになれば教団が勝利することは不可能ではないだろう。どうやら教団幹部も全くの無策と言うわけでは無いらしい。

 だが王師は教団が籠もる南京南海府を何を差し置いても無理に攻める必要性は無いのだ。その策には王師が別の手段を取ったときの対策がまるごとすっきりと抜けている。

「それは希望的観測に過ぎませんな。敵が南京を重囲しただけで手出しをせず、一部の部隊を使って河東や南部の我々の拠点を落として回り、各地と連絡をつけ、物資を手に入れてしまったらいかがいたします?」

「・・・それは」

「しかも敵に備えが無かったように、我らにも篭城の備えが無い。兵糧、武具、秣、日常の生活物資、教団は各地の荘園に分散して物資を集積しているとお見受けいたす。篭城するということはそれらの場所からの補給を我らが今後受けられなくなるということを意味するのでは? かといって短期間でそれら全てを南京に運び込むことが可能でしょうか? いかにガルバ殿でも不可能なのでは?」

 バアルの視線の先にいたガルバが肩をすくめてバアルの言葉を肯定する。

「確かに無理でしょうな。荷車の手配がつかない」

「つまり我らは長期間にわたって篭城する体力も無ければ、篭城によって得られる利点は無いに等しい。むしろ敵を利することばかり。であるからには我らの取るべき作戦は篭城ではないことは理解していただけたと思う」

「そうかもしれないが、交通の要衝であり、川に面していて物資の集積にも最適で、あの金城鉄壁の要害である南京南海府を王にみすみすくれてやる必要は絶対にない。それでは王師に南部攻略の足掛かりをくれてやるようなものではないか。全軍挙げて篭城はしなくても一部の兵で守りを固めるとか方法は様々にあるのではないか」

「そう、あなた方がそう思うように、王や王師の将軍たちも南京の重要性を把握している。南京南海府より我らが撤退すれば、それをこれ幸いと接収するために入城するだろう。しかも南京は王師や羽林に大きな影響力を持つダルタロス派の元の居城、心理的に他者に奪われたままでよしとするわけがない。是非ともそうするに違いない。それだけでなく南京南海府というのは南部の要衝であり象徴、誰もが南部を治めるのには必要である拠点だと考え、なんとしてでも手に入れ、そこを死守しなければならないと考えるものです。だが所詮はただの一都城に過ぎない。今回のような大兵力同士の戦闘においては戦略的にも戦術的にもそれほど意味のある存在ではないのです。必ずそこを通らなければ敵の本拠地を突けない、そこを攻略しなければ戦争は終わらないといった存在ではない。鼓関などとは違う。もちろんどちらが今現在、南部を支配しているのかということを第三者が判断する材料となりうる象徴的な意味合いがあることは確かですが」

 もし南京南海府をどうしても攻略しなければならないという状態になっているとしたら、それはそこに教団の主力部隊が篭城しているか、王が王師と共に篭城しているといった付帯条件があるときだけであろう。

 だがそれはあくまで篭城している教団幹部や王を目的として攻めなければならないだけであって、南京がそこにあるから攻めなければならないということでは無いのである。

「しかも長年朝廷の支配を離れていたことで、城壁に穴が開き、設備の多くに故障を抱え、さらに長年支配者だったダルタロス家が去ったことで、そこには本来あるべき武具も兵糧も一切無い空の都城です。失ったとしても何ら惜しくはありますまい」

「しかし・・・」

 教団幹部たちはまだ及び腰だった。

「もちろん、只でくれてやるわけではありません。川から引かれた水路を破壊し、持ち運べない軍需物資などは焼却する。そうですな・・・できれば城壁にある塔なども破壊していけば尚いいかもしれません」

 教団幹部たちは顔を見合わせた。確かに南京南海府ほどの城塞都市をそのままくれてやるというのは大いに惜しい気もするが、だからといって施設を破壊するというのでは単なる腹癒せだ。それは児戯に等しい。王への嫌がらせと、自分たちの気を澄ますことくらいにはなろうけれども、戦略的にも戦術的にも意義がない。そんなことをして何になるというのであろう。

「それでも王は南京南海府へとまるで凱旋将軍のように入場することでしょう。南京南海府は巨大で安全な都市、必ず王師も全て城壁内へ入れるはずです。そこで夜間の間に付近に伏せさせていた兵を闇の中、一斉に移動させて南京南海府を取り囲んでしまうのです」

「伏兵などしては王に気取られるのでは?」

「教徒は武器を手に持ってさえいなければ只の民です。その辺にいたとしても誰が見ても不自然であると気付きようなどないではありませんか」

「だが、それでも数には限度と言うものがある。あまり多くの民がたむろしていては不審がられるだろう。その程度の数で果たして南京南海府を取り囲むことが出来ようか・・・?」

「もちろん、敵の目を欺くために一舎以上離れた位置に宿営する我らも深夜に反転して急行します。翌朝には王師は周囲をぐるりと取り囲む我らの姿に愕然とすることでしょう。これで彼らは再び孤立します。鹿沢城や関西との連絡も断たれてしまう。彼らにも輜重は同行しておりましょうが、我らに奪われることを警戒し、大部分の兵糧は鹿沢城に置いて毎日輸送で受け取っているはずです。つまり糧食はこれで残り僅かということになる。しかも水の手は断たれており、城内に軍需物資は残っていない。これでは篭城しようにも篭城できないでしょう。彼らとしたら生きるための方策は一つ、打って出るだけです。ですが城は外から攻めにくいものですが、同時に城の内から外へも攻めにくいのです。なにせ出口はいくつかの限られた狭い城門しかないですからね。我らの大軍を相手にする十分なだけの兵力を素早く展開させることなどできぬのです。外に布陣し、往来の自由な我らとしては最初の一撃さえ防げば、その後の対処は容易です。これならば十分に勝てる戦になります」

「もし万が一、王が輜重を連れて行動し、十分な糧食を持って篭城したとすれば?」

 もしそうなら側面から奇襲し一気に焼き払ってやるだけだ。それで王師は飢えて、教団と戦う前に四散することであろう。

 もっともそんな愚策をあの王がしてくるとは思えないとバアルは思いつつも、教団幹部のその意味の無い仮定にもいちいち対応策を答えてやる。

「それならそれで構わない。主要な水の手を断たれては、いくら井戸があったとしても十分なだけの水は確保できぬはず。徐々に士気が落ち、戦いどころではなくなる。我らは彼らが死んでいくのをただ眺めていればいい。もちろん関西辺りから王を助けに援軍は来るかもしれないが、統率の取れない諸侯の軍など相手になどならない」

 バアルの意図は明白だった。兵数には自信があるが、戦には自信の無い教団が立てた戦略、王を諸侯や周囲の地域から隔離し力を削いでから戦う持久戦術を、ここ南部、南京南海府でもう一度行おうというものだった。

 どうやら机上の戦略はともかくも、実際の手腕には大いに疑問符がつくにも拘らず、誇りだけは人一倍高いといった面倒な教団幹部たちの自尊心を傷つけずに提言するにはこれしかないとバアルは考えたのだ。

 なにしろバアルには全軍を動かす権限が無い。どんなに優れた戦略や戦術を献言しても採用されなければそれは意味の無いものになってしまうのだ。

 そこには彼らの戦略を下敷きに使っているのだからそうそう拒否はしまいといった打算的な計算があった。

「それはいい!」

 それまで一言も口を開かずに黙って聞いていたディスケスが手を打ってバアルの意見に大きく賛同した。

 ディスケスの見るところ、それは最善の方法ではない。まだまだ明確に兵力において教団側は勝っている。一度や二度の敗北でへこたれずに、何度でも野戦を挑んで王師に消耗戦を強いてしまえばいいのである。それこそが一番確実に王に勝つ手段なのである。兵の多い教団は何度失敗してもまだまだ再戦できるが、数の少ない王師はそうはいかない。一度の敗戦が壊滅を意味するのである。

 そして何度も挑めば、いつか必ずその好機は教団側にも訪れるはずなのである。戦とはそういうものだ。

 だが最善な方法を提示したところで教団幹部が採用しなければ何の意味も持たないことはディスケスとて十分に承知している。そして大敗したわけでもないのに戦場を退き、篭城策を取ろうとしている教団幹部の面々が、堂々と積極策を取るはずがないというのも理解している。

 だから内容は次善であっても、教団幹部が採用する可能性があるという点でこのバアルの作戦を最善の案として賛同したのだ。

 少なくとも南京南海府に篭城するなどといった、戦略的に何の意義があるのか分からない策を取るよりはずっといい。

 だから同じ意見であるということを自ら示すことで、作戦を採択するように教団幹部に圧力をかけたというわけだ。

 だがその行動はディスケスの想像と違い裏目に出た。主導権を雇われ将軍たちに取られるのではといった疑念が彼らの間に湧いたのだ。幹部たちは自身の立場の為にもバアルの策を採用するわけにはいかないと思い込んでしまった。

「だが敵の騎兵たちの突破力は侮れない。先の戦いでは我が方の中央部を突破して後背に回りこまれた。南京を取り囲むとなればその戦列は長大になり、戦列の厚みは減る。また同じようなことが繰り返されるのではないか?」

「また、反対側にいる味方とは連絡も連携も取りづらい、そこを王師に突かれて各個撃破のような様相になってしまう可能性がある」

 幹部たちは次々ともっともらしい理屈をつけて反対の意見を表明する。その意図が正確にわかるだけにバアルは不快な気持ちになるが、かといって王に勝つためにはここで投げ出すわけには行かないと再度気を取り直して説明を続ける。

「我らの強みは兵の数の多さにある。敵の陽動運動に引っかかり、騎兵の一点集中によって突破を許し、思わぬ大敗を喫したとはいえ、今だ兵数では我が方有利。それにそうそう幾度も敵に後ろを許すことなどあるはずがない。安心していただきたい」

 そう、教徒だけならば心配も不安も残るが、傭兵たちもいるならばなんとか工夫の使用もあろう。先の負け戦はいろんな意味で散々であったが、各傭兵隊が思った以上に使い物になると分かったことだけは収穫であった。

「教徒も一度戦を経験したからには少しはマシになっていようしな。もっともここにいる教団幹部連中が敵を目にして慌てふためき、直ぐに逃げ出すかもしれんがな」

「貴様! 侮辱するとは只では済まさんぞ!!」

 デウカリオの皮肉に教団幹部たちは顔を赤くさせ敵意を表し睨みつける。

 もっとも彼らが束になって襲い掛かってもデウカリオには傷一つ負わせることなど出来なかったであろう。踏んできた修羅場の場数が違いすぎる。

「やめよ! 仲間割れをしている時ではない!!」

 イロスが間に割って入って場を何とか沈静化させる。

「バアル殿の案は実に興味深い。だが素人である我々では諸卿らと違って直ぐには良否の判断がつきかねる。持ち帰って検討したいと思うがいかがか?」

「・・・ご随意に」

 持ち帰って検討するとは、なんというありきたりな官僚的答弁であろうか。それは実際には決して採用されることは無いが、バアルの面子を立てて検討をしたふりだけはするといったことに違いないとバアルは捉えた。

 バアルは心底うんざりしたが、そこは関西の宮廷で生き抜いてきた男、隣のデウカリオとは違い、顔の表面には一寸たりとも表しはしなかった。

 ここでイロスの名誉の為に一言付け加えておくならば、イロスがこの場でのこれ以上の討論を打ち切ったのは、険悪な雰囲気になった教団幹部たちとデウカリオを引き離すことで両者の頭を覚まさせ、決定的な破局を回避しようとしただけなのである。

 バアルの策は幹部たちと本当に話し合う気はまだこの時はあったのである。


 だがバアルの策は結局採用されることは無かった。

 その策を不可能にする事案が南京南海府で起こったからである。

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