第369話 コルペディオンの戦い(Ⅳ)
教団中軍の前衛は敵を眼前にして足踏みをしていた。
元関西王師の重装歩兵は動きは鈍重だが拠点防衛に優れた力を発揮する。その防衛力は生半可なものではない。いくら教団の中では精鋭と言われていても、実際は戦争経験者のみを集めた寄せ集めのにわか作りのカレア、バラス隊では正面からぶつかっては、まったく歯が立たないに違いない。元傭兵隊長であるカレアはそのことを存分に分かっていた。
ということは敵が鈍重であることを利用するしかない。本来なら自ら動いて敵陣を揺さぶり、隙を見つけて蜂が刺すように攻撃をかけたいところではあるが、教団は数が多く密集陣形を敷いている。
しかもカレア、バラス隊は中央に位置するために左右に動くことも出来ない。
幸いなことに敵もこちらが動き出したことに合わせて全軍が動き出した。重装歩兵も盾を持ち上げて前進を開始する。
その重装備ゆえ重装歩兵で隊列を保ったままの進軍は極めて難しい。例え保てたとしても鎧の中の人間は動けば動くほど疲弊する。
そこでカレアは自部隊の足を止めて、移動で乱れた戦列と呼吸を整えて敵を万全な状態で待ち受けることで、装備と兵質の差を補おうとしたのだ。もっと積極的に進軍しろと言うイロスの命令は受け流して動かなかった。
カレアが動かない以上、並んで布陣するバラスも動けない。突出すれば敵の集中攻撃を浴びて部隊が壊滅してしまう。にわか仕込みの将軍だが、バラスもそのくらいは理解していた。そういった理由で中軍は両翼に比べて進軍速度が極端に落ちる。
だが一歩一歩進んでくる重装歩兵を慎重に待ち受けていた彼らの後方で突然騒ぎが巻き起こる。
怪訝な顔をして振り返った彼らはそこに信じがたい光景を見た。後軍の味方が隊列も崩して、こちらのほうに津波のように押し寄せて、その前方の隊列を
彼らを自分たちのほうに追い立てているのはその向こうでもうもうと舞っている土煙だった。その正体は背中に武装した兵を乗せた多数の馬の
「後軍の連中は何をやってやがる!!」
カレアは思わず怒りを
もしそんなことをしようものならば、陣を組み替えている途中の不安定な陣形を敵に前後から攻撃され、無様に敗北を喫することは目に見えて明らかだった。
かといってこのままでは無防備な背中を騎馬隊に踏みしだかれて同じく敗北は免れない。
事態を解決する唯一の方法は指揮系統が乱れ混乱した後軍に落ち着きを取り戻させ、騎兵隊のこれ以上の進撃を阻む間に、カレアやバラスら教団の中軍の前衛が王師の重装歩兵の攻撃を食い止め、そしてその間に教団の他方面の軍が王師を壊滅させ、戦の
「退くな! 戻れ!!」
バラスは幾度か後方の友軍に向けてそう叫んで踏みとどまらせようとしたが、一向にその効果は見られなかった。
それどころか後軍の兵の動揺は次々と中軍の兵へと伝播し、統率を失った兵たちはバラス隊が築いた堅陣に入り込んで、陣形を掻き乱した。
その瞬間を狙っていたのであろう。真夏の
バラス隊もカレア隊も備えの無い後方からの攻撃に支える術を持たずにひたすらに揉まれ、押し込まれた。
すると呼吸を合わせるように彼らの前面に位置した王師の重装歩兵も前進を速めて、襲い掛かろうとする。前後から攻撃を受け、カレア隊は支えきれずに部隊全体が横を向くような形で半回転する。
だがそれはカレアの巧妙な指揮による方向転換だった。陣形を二分し両側の敵を防ぐことも、前進して前方の重装歩兵の戦列を叩き割って向こう側に抜け出ることも不可能と判断したカレアは、いかに犠牲を払っても全滅するよりはましだと考え、敵の攻撃を受けるがままに陣を横へ向け、離脱を図ろうとしたのだ。
兵が一番力を発揮するのは優勢に押しているときでも、劣勢に立ち向かうときでもない。己の命が危うい時である。
カレア隊の兵にしてみれば、右と左から敵兵が押し寄せる今が、まさにそのときであった。
カレアは兵の生き延びたいという願望を利用して、部隊を
もちろん組織立った抵抗力をなくしたカレア隊は多くの兵が王師の攻撃を受けて命を落としていく。
だが多くの犠牲を払いながらも文字通り必死の力を振り絞ってカレア隊は死地を脱した。
「こうなればなによりも生きて逃げることだ。それに中軍が壊滅してもまだ教団が負けたというわけでもあるまい。両翼が包囲を完成させれば、あるいは。それに一旦、距離を取り陣を整えれば再び戦場に戻ることも不可能ではない」
バラス隊もその流れに乗るような形で辛うじて戦場を離脱する。
教団の中軍はここに組織だった抵抗力を完全に失った。
早々に戦闘を開始した王師左翼と教団右翼だったが、こちらでは圧倒的な数を誇る教団が優勢に戦を推し進めていた。
有力な手駒である騎兵をザラルセンの加勢として供出していたリュケネ、エレクトライ、ガニメデには勢いを反転させる如何なる手を打つことなどできるはずも無く、結果として一度として王師の頽勢が覆ることはなかったのだ。
それでも苦境に会えば互いに連携し劣勢を盛り返し、雑多の雑兵の混成軍である教団の兵を二度ほど叩き返すなど、随所に王師らしい働きを見せ、崩れ去るような大きな失敗は一度たりとも犯さなかった。
もっともこれほどまでに戦力差があると、一度の失敗はおそらく二度と取り返しのつかぬであろう大失敗になるであろうから、三将軍とも必死だった。
前線で一進一退の互角の攻防が行われていることで、戦の焦点となったのは王師の最左翼、ガニメデ隊の側面に回り込もうとする教団の動きと、それを防ごうとする王師の動きである。
「
混戦の中、ようやく王師の左翼末端に到着したディスケスは、見覚えのある旗印を眺めてそう呟いた。
「王師きっての名将ですな。バルカ卿やカヒの将軍を幾度も手玉に取ったとか。人呼んで不敗のガニメデとか申すようで」
幾分、余裕を感じさせる口調でナイアドはディスケスにそう言った。その口調は敵将に十分敬意を払いながらも、同時に恐れを抱いていない陽気な口調だった。
幾度か苦汁を舐めさせられたバアルやデウカリオならばそうもいかないだろうが、彼らがガニメデと手合わせしたのは僅か一度、それも優勢のうちに時間切れで戦を終えたことを考えると劣等心を抱くことは無いのであろう。
「ならば相手にとって不足無し。それでは参ろうか」
ディスケスは明るく朗らかに告げると、全軍に前進の合図を送った。傭兵隊や諸侯の兵士が混じっている分、動きは悪いが、それでも中核はオーギューガの
当のガニメデも相手が誰であるか既に把握していた。
「九曜巴の旗だと!? オーギューガの兵か!?」
新手が現れたとの前線からの報告にガニメデが情けない声を上げたので、副官たちは笑いをこらえるのに苦労した。
「一糸乱れぬ軽快な動き、整然とした旗のたたずまい、まず間違いないかと。それも七つ割り二つ引き両、超のつく大物です」
七つ割り二つ引き両はオーギューガの四家老のひとつ、フルギ家の紋章である。その紋章を掲げる有資格者はこのアメイジアではただ一人しかいない。
「・・・だとすると双璧の一人、ディスケスということか・・・越から消えたという話は聞いていたが」
ディスケスと違ってガニメデはアメイジアにその名を知られた強敵の出現に、戦い甲斐があるなどと喜びはしなかった。
ガニメデ隊は既に無名とはいえ圧倒的な数の敵に押されて防戦一方なのである。ここにさらに新手の、それも戦巧者として知られた将軍に率いられた兵の相手をしている余裕はガニメデに残されているかどうか、ガニメデ本人にも分からなかった。
それに陣形を考えると、もし王師の左翼が壊滅した時に、一番の損害をこうむるのは側面から攻撃を受け、背後にも回られるであろうガニメデ隊なのである。並びから言っても殿をするのはガニメデ隊といったことになることは間違いない。そうなった時に無事に帰れるかどうかは既にまさに神のみぞ知るといったレベルであろう。
その上、その時にガニメデを攻める司令官の一人にディスケスみたいな名将にいられてはどうしようもない。
ガニメデに出来るのは自分が殺されるその時を、如何に遅らせることができるかといった無駄な努力だけであるに違いなかった。
左翼で一番の激戦区になるであろう場所を任されるにあたってガニメデは王に名将だなんだ自尊心が満たされるほど持ち上げられてはいたが、結果としてこれでは、相変わらず貧乏くじだけを引かされている気分だった。
とはいえガニメデにも王師の将軍としての誇りがある。
王に任された戦場であるならば、命を失ってでも与えられた役目を全うすることが将軍として与えられた責務なのである。
「敵は我々が兵を隠した小川の前を通って布陣するはずだ。予定通りに敵が眼前を通過しても焦るな。攻撃開始の合図まで待てと念を押しておけ」
一瞬、全てを放り出したくなった気持ちを無言で腹中に押し沈め、ガニメデは新手のディスケス隊の攻撃に備えるようにと指示を出す。
指示を出さなければ大事な部下たちがみすみす敵の攻撃で死んでいくだけだ。それに勝利が一寸も望めない不毛な戦いと言うわけでもないのだから。
ガニメデは最左翼を守るに当たって軍を大きく三つに分けて配置した。ひとつは右横のエレクトライ隊と連携するように同じ角度で兵列を並べ、もう一つは他の部隊とはやや角度をつけて弱点である側面を守るように配置した。上から見るとこの二つの部隊が構成するガニメデの陣形は『へ』の字の形をしていた。
最後の一つは少し離れた小川の縁に伏せた。小川は大地を穿ち、ちょっとした落差を大地に生み出している。その小さな崖と川岸に生え揃ったススキが兵を敵の目から隠してくれる。
この部隊に課せられた役割は回り込みを計る敵を奇襲し混乱させ、壊走させることでその混乱を他の敵部隊へと広めること、一時でも敵の回りこみの意図を挫こうといったものであった。
既にガニメデの前面は教団の兵で埋め尽くされ、次々と嫌になるほどやってくる新手は行き場を求めてガニメデ隊の側面へ、そして背面を狙って動き出していた。
当初の目論見どおりに敵は小川のすぐ傍へと兵を移動させつつあった。
問題はその部隊がオーギューガの兵を中心としたディスケス隊であることだ。果たして彼らが攻撃を受けて、教団の他の部隊に混乱を伝えるほど見苦しく負けてくれるだろうか。
だが何も行わなければディスケス隊はガニメデ隊の側面を襲える位置に悠々と布陣を終えてしまうだろう。
「やってみるしかない」
ガニメデは本陣の巨大な軍団旗を右に左にと振って大きく合図を送り、伏兵を立たせた。
川の岸を駆け上がって、喊声をあげながら次々と湧き出た兵はディスケス隊に襲い掛かる。
同じ側面でも、ガニメデ隊が布陣する反対側ばかりを警戒していたディスケス隊が多少不意を突かれたことは否めない。
「むっ! 伏兵か!?」
ディスケスは敵兵の数が多くないことを一瞬で看破すると、不意の奇襲にも慌てることなく、すぐさま部隊を出して敵の攻撃を防がせる。
その様子を見てガニメデは一拍置くと、同時に側面を守っていた部隊からも兵を発し、ディスケス隊を挟撃するような形を取った。
縦に細長い行軍体勢は足が止まれば幅が狭く出来の悪い通常以下の戦列に過ぎない。少数の兵による攻撃でも十分崩すことが出来ると考えたのだ。
ディスケス隊はガニメデ隊とほぼ同数である。教団と今も交戦中のガニメデにはディスケス隊相手に割ける兵力はそう多くは無い。
先手を取ってそのまま押し切ろうとしたのだ。
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