第370話 コルペディオンの戦い(Ⅴ)

 突如沸き起こった伏兵と、それに呼応したガニメデ隊からの攻撃を左右から受けることになったディスケスだが、さほど慌てることなく冷静に現状に即した指令を二、三出しただけで実に落ち着いたものだった。

「敵は兵力が少ない。長時間に渡る攻撃を続けられるほどの力は無い。ナイアドは兵を率いて、小川から這い出てきたざざ虫(水生昆虫)どもを川へ叩き返してやれ。デスピナはその間、左方の敵に対処しろ。ナイアドが敵を殲滅するまで持ちこたえればよい」

「はっ!」

 一礼して直ぐに命令を実行に移したナイアドとは真逆に、デスピナは命令を受けてもしばしディスケスのかたわらに立ち止まっていた。

「・・・左右の敵に同時に攻撃を行えるだけの兵力と余裕を我らは十分に保持していると思われますが・・・」

 確かに奇襲を受けたのだ、戦列は万全な戦闘状態ではないが、相手であるガニメデ隊は既に教団の他の部隊と交戦中なのである。全ての戦力をディスケス隊に振り分けることなどできはしないのだ。

 ならば不十分な隊列のまま戦っても大丈夫ではないかと言いたいらしい。防戦で済ますということが腑に落ちなかったのである。

「・・・敵を眼前に防御だけしろと言われて不満か。確かに敵の数を考えるとこのままの体勢で戦闘に入っても負けることはあるまい。それに牧野が原で戦えなかった我々がようやく王に挑むことができるという復讐戦の機会だ。存分に戦いたい気持ちは私も分かる。だがここで我々が全面的に戦闘に入るということは、我が軍がこれ以上背面へと回り込む動きを中止するということだ。我らが歩みを止めたとき、我らの後ろに続いて回り込む動きを見せているカシウス隊やメネクセノス隊やリュサンドロス隊が、戦闘に突入した我らを更に迂回して回り込もうという動きをするかどうか。彼らは我らの隊に阻まれて前方が見えない。むしろ我らが止まったことを敵の妨害や地形の険阻などの何らかの重大な障害に拠るものと考え、何があるか不確実な回り込み運動を行うよりも、部隊がひしめき合って狭い攻め口ではあるが、眼前にある敵の戦列に対して今すぐ攻撃を開始するという手段を選ぶのではないか。それはおそらくだが、敵の思惑通りになってしまう。敵にしてみれば背後に回りこまれることこそ、もっとも恐れるべきことだからな」

「では・・・友軍に回り込みを続けさせるために、我々が先に進む意思のあることを見せる為ということですか?」

「その意味もある、だがそれだけではないぞ。ガニメデ隊をはじめとした王師左翼に背後に回られるという心理的に圧力をかけることにもなるだろう。それに迂回しようとしていた我々はガニメデ隊の陣営の矢頃(矢が届く距離、約五十メートル)を通っていたわけではない。もっと距離を取っていた。その我々を直接攻撃するにはそれだけガニメデ隊は戦列を延ばさなければならなかったということだ。だから我々が反撃しなければ、敵は攻撃するためにいつまでもその戦列を延ばし続けなければいけないということになる。無防備な側面を我々の後ろに続いている部隊の眼前に晒してな。彼らがそれを見逃すと思うか?」

「納得しました!」

「我々は敵の思惑に乗らず、敵の行動を利用し、一番に敵の嫌がることをしようではないか、ん?」

 ディスケスはその戦歴に相応しく、老練で慎重で、なおかつ嫌らしいまでに粘っこい戦術をもってガニメデに対しようとしていた。


 おかげで先手を取ったガニメデ隊は、そのディスケス隊の組織だった反撃の前に思惑通りに一気に押し切るまでには至らなかった。

「さすがに崩すには兵が足りなかったか、ならば」

 ガニメデは思い切りよく当初の計画を捨て、次の策に切り替える。この切り替えの速さと決断力こそがガニメデの売りである。

 ディスケス隊は確かにガニメデ隊の攻撃を受け流したが、その一部では乱れて混乱する様子が見られることをガニメデは見逃さなかった。ガニメデは遠目で見るだけなので、その正体が何かまでは分からなかったものの、明らかに動きの質が違う集団がディスケス隊の中にいることは間違いない。

 ガニメデは自ら鼓を叩き旗を振って部隊に指示を与える。そこに攻撃を集中するように改めて指示を出しなおしたのだ。

 その乱れの元はオーギューガの兵でなくディスケスの下に付けられた教団の傭兵隊であった。彼らは周囲に合わせて攻撃、防御を行うものの、長年オーギューガの下で歴戦を戦い抜いてきた兵のようには動けない。

 それが乱れとなって陣形に表れたのだ。ディスケス隊に攻めかかったガニメデ隊の分隊はそこに攻撃を集中、河川の伏兵と兵を合流させようと、分断突破を試みる。

 それまでの面への攻撃ではなく、突如としての点への攻撃にディスケス隊は面食らい、まごつく間に対応が後手後手に回った。

「軍が均一でないことに気が付いたか。実に目聡い。それにしても向こうで大軍相手に陣地防衛しながら、こちらの部隊まで手足のごとく、よくもまぁ操れるものだ。カトレウスとてこうは行くまい。実に見事だ。だが・・・ならば、これならばどうだ?」

 河川沿いに伏せられていた兵は数が少ないことが幸いして、ナイアドの攻撃の前に継戦能力を失いつつあった。

 どれほど見苦しく崩れても挟撃の末、完全に敗北するといった心配はもはやない。多少は思い切った戦術も取れようと言うものだ。

 ディスケスは敵の攻撃に押されてずるずる下がる一方の傭兵上がりの新兵を潰走の恐れのある中、あえてそのままにし、その左右に配したオーギューガの兵を湾曲させることで、お椀のような凹形陣を作り出す。ガニメデ隊はその椀の中に盛られたご飯のようにすっぽりと収まる、三方を敵に囲まれる形にして。

「よし、押し出せ」

 押されて体勢が後ろ向きになっているお椀の底の新兵どもは、その命令を聞いても反撃の糸口すら掴めずにまごまごしているだけだったが、その左右に陣取るオーギューガの兵は大将の号令一下、一斉に槍を押し出してガニメデ隊を再び元いた場所に押し戻した。

 十分以上にもわたる歯を食いしばるような奮戦の中、血と汗と涙で稼ぎ出した二十メートルばかりの距離は、僅か三分程度の反撃で全てディスケス隊に取り戻されてしまった。

 しかもディスケス隊の執拗な鋭鋒からようやく逃れでたガニメデ隊に一息つく暇は与えられなかった。

 彼らは今やディスケス隊の後尾にぴったりと付いて来ていた後方部隊の眼前に隊列も乱れたまま、まるで直ぐにでも召し上がれといわんばかりのご馳走のような状態で無造作に投げ出されるように存在していたのだ。

「よし、今だ! 敵は腰が引けている! 槍を揃えて突き入れよ!」

 それを見たメネクセノスが好機到来に声を荒げて配下の傭兵隊に命を下す。

 傭兵は金の為に己の命を懸ける類の人種である。とはいえ命は彼らの大事な資本だ。無造作には投げ出せない。だから戦が頽勢に陥り恩賞にありつけぬとなれば、彼らは資本を守ろうと株の損切りのように戦をあっけなく投げ出すが、恩賞にありつく好機ならば、つまり味方が優勢に押している間であるならば、正規兵であっても到達できないような境地で攻撃的にもなれるのである。

 彼らはその凶暴さと残忍性をあろうかぎりにガニメデ隊に叩き付けた。

 崩れたち、一秒単位で死傷者を増やす分遣隊を窮地から救うためにガニメデは再び手持ちの兵力をやりくりして送り出さねばならなかったほどだ。

 兵力を減らしたことで正面の敵はますます勢いづいて防衛に苦労するし、後ろを見せた分遣隊と、その救援に向かった部隊は帰還するまでに痛烈な損害を被った。

 だが彼らの犠牲は無駄ではない。一時とはいえディスケス隊の足を止め、攻撃をこちらに向けさせることに成功したのだから。

「この時間は決して無駄にはならないはずだ」

 そう、例えガニメデが死んで王師第十軍が全滅したとしても、王師全体が勝利するためにこの時間が使われるのであるならば、それは有意義な死と言うことになるはずだ。

「・・・それにしても本当にやりにくい相手だ」

 ガニメデは守勢の中で攻勢を図ることを得意とする。攻防の一瞬の変遷にこそ閃きを発するタイプの指揮官であった。だがこの戦ではそのことごとくが不発に終わっていた。

 何故ならディスケスはガニメデのように一瞬の閃きこそないが、どこまでも粘り強く戦い、混戦や劣勢と言った、いかなる将軍でも本来は不得手であるはずの複数の判断を同時に求められるような混乱した状況下でこそ真価を発揮するタイプの指揮官である。どちらも防御が得意と言うことでいうことで同じ種類の指揮官と言ってよい。

 お互い、得意な相手となるのはアメイジアによく見られる攻撃型の、それも猛進するような勇猛な指揮官であり、自らが特異な、あまり見られないタイプの指揮官であったが為に、これまで同じような相手とやりあったことがなかった。

 その為に互いが互いをやりにくい相手だと感じていたのだ。

「ガニメデ様! 敵が再び回りこみを始め、我々の後背へと兵を向けようとしています!」

 だがもはやそれを防ぐいかなる手段もガニメデは所持していなかった。

「全ての兵を本陣近くへと後退させよ! 方陣を作って敵の攻撃を凌ぎきるぞ!」

 方陣、それは機動力のある敵、もしくは周囲を囲まれた敵の攻撃を防ぐには極めて有効な陣形だ。正方形ないし長方形の陣形の全ての外面を兵列で構成し、密集することで戦力を高め、あらゆる方向からの敵の攻撃を防ぐといった陣形である。敵に回り込みを許してしまう以上、これ以上の対策は見当たらない。

 だがマスケット銃という飛び道具がある後世のテルシオと違い、これでは敵に簡単に包囲されてしまい、攻撃を受けて兵が後退した結果、中央部にて兵が次々に圧死し、簡単に全滅しかねない。

 密集体勢が仇となるというわけだ。であるから一時的に防ぐには、という限定条件があくまでつくことになる。

 つまりガニメデは最後まで奮戦し、敵をガニメデ隊に釘付けにすることで王師の左翼全体の崩壊を防ぐ腹積もりだったのである。

 もっとも逃げようにも後背に回りこまれた時点で逃げる場所など何処にも残されてはいなかったが。

 だがガニメデと第十軍は絶望的な戦況の中、よくも戦ったといえよう。ディスケス隊に後背に回られて三方から攻め込まれても未だ一つの戦列も破られてはいなかった。

「なかなかにしぶとい」

 先手と後詰を入れ替えて余剰兵力を全て叩きつけるというオーギューガ得意の戦い方もあるが、敵の士気はまだ高い。それほどの効果は得られないだろう。

 それよりもいっそ・・・とディスケスは思案を深める。更に兵を奥へと進めて他の軍(第九軍エレクトライ隊)の後背を扼して動揺を誘うべきかと考えた。

 目の前のガニメデ隊も防戦に精一杯であったが、エレクトライ隊は更に手一杯といった状態で、辛うじて両側のリュケネ隊とガニメデ隊の援護により支えられているといった状態だった。

「他の軍から切り離され、孤立してしまえば、さすがの『不敗』も手の打ちようがあるまい」

 ディスケスはナイアド隊をエレクトライ隊の背後へと向けて移動させようとした。だがその移動が果たされる前に戦況は王師の左翼でも反転する。

 王師を窮地から救った者がいるのである。


 エレクトライ隊を攻撃するために馬首を南へと向けたナイアド隊から急報がディスケスにもたらされた。

「前方に騎影多数! 王師の援軍と思われます!!」

「数は?」

「およそ五千から一万!」

 今現在、王師は全ての戦線で教団と激闘を繰り広げているはずである。教団の圧倒的な数に対して王師は微弱。どの戦線でも兵が足りてないことは言うまでもない。五千を超える兵力を一箇所にまとめて投入する余裕はとてもないはずだ。

 その正体は教団中軍を打ち破ったザラルセン隊とそれによって手が空いた王師の重装歩兵隊だったのだが。

 だがそれを知らないディスケスは事態を掴めずに訝しげに眉を持ち上げただけだった。


「よし間に合ったぜ! しかし背後にまで回り込まれて、よくもまぁ、戦線を維持できたもんだ」

 ザラルセンはそう言うや矢を番えるとさっそく敵に向けて放ち、敵味方双方に彼の来着を知らしめた。

 重装歩兵は長距離移動に向く兵種ではない。であるから彼らが援軍として加わったのは隣接したリュケネ隊を襲う部隊に対してだったが、ザラルセン隊は軍を二分し、半分に命じて、潰走する教団中軍に追い討ちをかけると同時に、王師左翼に正対している教団右翼の後方を襲うように指示すると、自らはもう半分を率いて王師左翼の後ろを突っ切って最短距離で苦戦しているガニメデ隊の救援に駆けつけたのだ。

 その間にリュケネ隊の正面に位置した教団の部隊は重装歩兵の攻撃の前に脆くも崩壊した。

 それまで息も絶え絶えだったリュケネ隊も、これでようやく息を吹き返し攻撃に加わると、教団の陣は次々と連鎖して砕け散った。

 こうなるとほとんどが雑多な素人の集団である教団側はもうおしまいだった。先程までの勢いは何処へやら、今や武器を放り投げて後ろを見せて逃げ惑っていた。

 それを見て傭兵も浮き足立ち、攻撃を諦めて、退却の準備にとりかかる。

 一転して敵軍深くまで入り込んだ形になったディスケス隊は孤立し、危機を迎えた。

「ディスケス様! このままでは我らは敵中に孤立し、包囲されてしまいます! 安全な場所まで撤兵を!」

「慌てるな。下がろうにも後ろは味方で塞がれている。あれらがどかねば我らも退却は出来ぬ。それに彼らとてしても備えもせずに退却し、後方から襲われて悪戯に命を失いたくはないであろう。こちらと力を合わせて退くことになる。孤立無援ではない」

 指揮系統もおやふやで、共同歩調も望めぬ軍では合っても、さすがにそれくらいは期待しても良いだろうとディスケスは思った。

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