第368話 コルペディオンの戦い(Ⅲ)

 王師の中軍から右翼が離れるように移動することによって生じた空間は、重装歩兵の後ろに姿を隠すように位置していた騎兵隊によって素早く埋められる。

 現れた騎兵は、ザラルセン旗下の王師第五軍五千とその他の王師全軍から集められた騎兵一万、合わせて一万五千の騎兵だった。

 ザラルセンは右翼が移動したことで作られたその空隙を騎兵の機動力を持って埋めると同時に、展開させた部隊を円錐形に組みなおし、有斗に命じられた命令を一刻も早く実行する下準備にかかる。

 王師の右翼が動けば敵左翼も動く。その付け根に現れるであろう、戦力が希薄な部分を狙っての中央突破こそザラルセンに与えられた命令だった。

 教団が両翼から包囲するよりも早くザラルセンが教団の戦列を突破して分断することが、この大軍を相手にして王師が五分に戦えるかどうかの鍵を握る。勝利できるかではない、それでようやく五分に戦えるかどうかといった段階の話である。

 そこから先は回り込んだザラルセンが教団戦列の側面と背後から襲い掛かって、如何にこの巨大な軍を動揺させ崩壊させられるかということと、教団がその攻撃に持ちこたえている間に、回りこんで包囲網を完成するかのどちらが早いかといった勝負になるだろう。

 教団がザラルセン隊の猛攻に揺り動かされること無く包囲網を完成し、攻撃を続行した場合、王師は途端に苦難に晒される。

 確かに教団が目論む包囲網はザラルセンが抜け出た穴がある以上、不完全な形に過ぎないが、三面を敵に囲まれた左翼と右翼の王師が後退し、そこから脱出するのは困難だ。

 教団は包囲したザラルセン隊以外の王師を壊滅しようと全力を注ぎ、囲まれた王師は外のザラルセン隊と協調して一兵でも多く外へ逃れようとするだろう。

 結果としてどちらも退くことがない、味方と敵とが交互に命を奪い合う消耗戦になる。そうなれば数では圧倒的に劣る王師が先に磨り潰されるのは当然の結末である。五万の王師から五万の死者が出れば全滅ということになるが、二十万の教団は五万が死んでもまだ十五万も残っていることになるのだから。

 だがそれも全てはザラルセン隊が突破に成功してからの話だ。まずはそこをクリアしないと全てが机上の話となってしまう。

 しかし教徒の数は圧倒的だった。薄くなったとはいえ、まだ普通の軍隊の戦列よりもはるかに分厚い戦列がザラルセン隊の眼前に存在していた。

 それでも人ごみで抜け出る先が見えないといった先程の状況に比べれば、抜け出る目標が見えるだけでも十分だ、とザラルセンは不敵に笑う。

 有斗の下で幾多の苦しい戦いを切り抜けてきたことが、ザラルセンら野盗上がりの第五軍の将兵にも大きな自信を与えているのだ。

「野郎ども、続け! 敵の数におびえるなよ!! むしろどこに矢を放っても敵に当たるから考えずに済むと好意的に捉えるんだ!!」

「合点承知!!」

 それは大敵を目前にした部下の気を奮い立たせるザラルセン流の鼓舞であったが、生真面目な性質の多い他の王師の諸隊の騎馬兵たちにとっては出鱈目もいいところで、苦笑するしかなかった。

 だがともかくも彼らにとっては一時的にとはいえ総大将の命令である。全ての騎兵は槍を小脇に抱え、ときの声を上げながら一斉に前に向かって突進した。


 さて、この物語の中で以前、騎馬兵について書いたことがあるが、読者諸兄はその内容を覚えておいでだろうか?

 しつこいと思われるかもしれないが、念のためもう一度、騎馬兵の特性について書いておくことにする。馬は基本、臆病で神経質。であるから防御側がしっかりと槍衾を立てて踏ん張れば、そこを蹴散らしてまで突破することは簡単ではない。もちろん軍馬としての訓練次第では可能ではあるが、なんといっても馬はやはりこの世界でも貴重で高価な生き物だし、常日頃接しているから騎乗している人間にとっても愛着もある。槍衾で愛馬を刺し貫かれることを考えると躊躇ちゅうちょせざるを得ない。それを考えると槍衾を立てるということは歩兵にとって騎馬兵を防ぐ為に有効な手段なのである。

 とはいえ時速数十キロの速度で前方から数百キロの目方がある巨大な物体が近づいてくるのである。

 しかも馬上に乗っているのは武器を持った、こちらを殺害する気満々の凶暴な敵である。

 現代で言うなればロングスクーターか中型バイクに乗って手にした鉄棒を振り回している暴走族だ。その前に徒歩の人間が好んで立ち塞がりたいかどうかを考えればおのずと理解できると思う。

 そんなものはきちんと訓練され統率の取れた警察官みたいな人たちででもない限り不可能である。

 襲い来る騎馬隊に訓練も碌に受けてない素人が槍を持っているからと言って立ち塞がるというのは非現実的なのである。

 つまり何が言いたいかと言うと、王師の騎馬隊の突撃を前にして教徒たちは教団幹部の言うことを全く聞かずに次々と逃げ出した。

 王師の騎兵隊は苦も無く最初の戦列の突破に成功する。

 騎射という特殊能力を持つザラルセン隊は前だけでなく横にも矢の雨を降らし、教団の混乱に拍車をかけようとする。

 それでも中には槍を手にして騎馬兵に立ち向かおうとする勇気あるものもいるし、あるいは何が起きたか判断がつかず呆然と立ち尽くすことで結果として立ち塞がる形になるものもいる。

 ザラルセンはそういった者達の排除は他の隊の騎兵に任せて、ザラルセン隊はひたすら敵の間隙を縫い、矢を放ちながら前へ前へと馬を進めた。

 それは自身たち第五軍が接近戦が不得手な軽騎兵ということもあるし、なにより隊全体の足が止まったら終わりだということを熟知しているからだ。一気に駆け抜けなければいけないという思いが強かったためでもある。

 もし足が止まれば、三方から包囲される形となるザラルセン隊たちの待ち受ける運命は死でしかないし、何よりもザラルセン隊を教団の後方へと突破させることで教団の陣全体を動揺させ崩壊させるという有斗のプランが白紙となってしまうからだ。

「突破することだけでなく、敵陣を掻き乱すことを忘れるなよ!」

 ザラルセン隊は右へ左へと逃げる教徒たちを追い散らすことで反撃に転じようとする教団の動きを封じ、教団陣営内を縫うように進む。

 敵は味方の数が圧倒的に多いということだけで、王師相手にも戦えると気が大きくなっているだけの素人の集団だ。

 周囲と一緒になって攻めかかっている間は気持ちが高ぶっていて何の問題も無いが、劣勢になって防御に回れば、特にその身に刀傷を負って鮮血を流すという兵士以外ではまず日常ではありえない事態になれば、想像以上に脆いはずだ。

 例え直接攻撃でなく矢の攻撃であっても一旦その身に戦の何たるかを教え込めば、しばらくは兵士として使い物にならなくなる。

 ましてやザラルセン隊の斉射は只の矢の一斉射撃ではない。矢の雨、いや矢の嵐と言うほどの正確さと密度と間隔で降り注ぐ。

 その斉射は死をも恐れぬとうたわれるカヒの兵ですらその場に射すくめるほどの恐怖心を与えるのだ。

 ザラルセン隊は全員、通常よりも五割増に矢を詰めた矢筒を両肩に掛けて惜しむことなく矢を打ち放った。

 他の軍から集められた騎兵も己が所属する軍の誇りを見せんといつも以上に力戦する。

 これがカヒやオーギューガといった強兵相手ならば、受け流された挙句に息切れを起こしたときに逆襲を狙われてしまう可能性があるが、幸いなことに素人の教徒たちにそういったことを行うだけの余裕はないであろう。力配分を考えることなく全力で戦った。

 おかげで既に背後への回り込みを許しつつある左翼、押し寄せる大軍相手に交戦を開始した右翼の苦戦を他所に、正面右方は王師が完全に戦場を支配していた。

 そして終にザラルセン隊は教団の分厚い人の壁を全て突破して、その向こう側に到達した。

「よし! 当初の目標は達成した! だが休むなよ! ここからが本番だ!!」

 そう、ここからこそが本番なのである。教団は巨大なだけに例えザラルセン隊が後方突破に成功し、背後から攻撃して一部を敗走させ、敵に大きな動揺を与えたとしても、それが末端に届くまでにはそれなりの時間が掛かる。

 ザラルセン隊がもたらした動揺が全軍に伝わった頃には、王師の両翼は既に壊滅していたということは充分ありうる話だ。

「まずは王師にいつでも逃げることができる退路を用意することだ。それだけで王師に心理的余裕を与えることが出来る。次に我々以外の王師と共同してその眼前の敵を屠り、少しでも多くの王師を手隙にして行動の自由を与えなければいけない」

 両翼で防衛している王師の各軍は、只でさえ大軍を相手にしているのに一軍の二割強もの騎兵をザラルセン隊への加勢として割いているのだ。早くに援軍がかけつけないと最後まで持ちこたえることができないかもしれない。

 その為には敵に効果的に打撃を与える必要がある。

 幸いなことに敵の心臓、総大将のいるであろう中枢はすぐそこにあった。

 敵の総大将を討ち取るか敗走させれば、敵の命令系統は完全に崩壊する。それと正対している王師の中軍が他の方面に援軍に行けることにもなる。

 総大将が討ち取られたということで敵兵は戦意を失い、逃げ出す者も多いに違いない。

「よし、まずは敵の本陣を強襲してやるか」

 上手くいけば敵の親玉の首を取れるかもしれない。教団とやらの指揮官が誰かはザラルセンにもまったく分からなかったが。

 本陣にいる立派な鎧か、立派な法衣を着た風格ある人物を狙えばいいのだ。区別がつかないのならば、いっそ全員斬り殺してしまえばいいなどと、相変わらず野盗だった頃と同じような大雑把な発想をしてザラルセンは舌なめずりをすると、手綱を引き馬の首を巡らして、再び背後の教団の分厚い敵戦列へと突進する。


「中央突破を計り、それを成功させるとはな。一筋縄ではいかぬ。さすがは王師というところか」

「イロス様、それでは先程おっしゃられたとおり、急いで両翼の兵を戻すように伝令を出しますか?」

「いや、もはや敵は突破に成功した。今更、両翼の兵を中央に戻してもさほど意味は無い。それにあれは敵の一部であって、どうやら本隊ではないようだ。左右の兵を中央に戻すということに無駄な時間を使うよりも、左右の兵はそのまま包囲の網の中に残った敵本隊を挟撃することに使うべきだろう」

 イロスはまだ余裕があるところを見せた。教団は中央を破断された形になったが、それを上空から俯瞰ふかんするように眺めると、中央にいる王師を二つに分かれた教団が挟んでいるという形になる。挟撃体制を取っている以上、まだまだ教団の有利には変わりがないというのがイロスの立場だった。

 それになんといっても教団には数がある。イロスは振り返ると、後備の戦列を預かる教団幹部へと命を下す。

「後備を反転させ、あの目障りな連中を迎え撃たせよ。何、追い払うだけでよい。時間を稼げればそれでいいのだ。一刻も経てば、まだ中に残っている連中は我々の圧倒的な兵力の前に磨り潰されていることだろうしな。そうなればあの小うるさい野良犬どもも尻尾を巻いて逃げ出すしかあるまい」

「はっ・・・!」

 そう言って教団幹部が急ぎ持ち場へと戻ろうと足早に駆けて行く姿を見ると、イロスは再び前方へと意識を向ける。

 イロスの前方ではバラスやカレアが指揮する教徒の中の兵士経験者で固められた精鋭部隊が、まもなく敵の正面を守る重装歩兵隊と接触するところだった。

「ここは重装歩兵を牽制するだけでよい。なるべく消耗を防げよ。幸い重装歩兵は足が遅い。最後に包囲して殲滅すればそれでいいのだ」

 この時、イロスは前線の二大将にそういった命令を出していたという。

 イロスの知識では左右からの挟撃、さらには後背への回り込みが成功すれば王師は難なく敗北するはずだった。

 王都攻略戦、教団に従わぬ諸侯との戦いといった先々のことを考えると、いくらでも替えが利く一般信徒はともかくも、精鋭部隊は温存しておきたいところだった。何もここで無理に消耗する必要は無いというのがイロスの考えだったのだ。

 とはいえ戦とは相手があってこそのもの。こちらが消耗したくないと思っても、向こうがそれを許さないような戦い方をしてきたら、こちらとて応戦しなければならない。

 王はいったい重装歩兵隊にどのような命令を下したのか。敵陣突破か牽制か、応戦か、それとも防戦か。そのどれを取るかによってイロスとしては次の指令を出さなくてはならない。

 というわけでイロスの関心は後ろのザラルセンでなく前方の重装歩兵にこそあったのである。

 だから「後方より侵入して来た騎兵が見る見る味方を蹴散らして、こちらに向かってきております!」と、いう知らせをまもなく受けても「まさか!」とようやく声を発するのが精一杯だった。

 ザラルセン隊は一万五千もの兵力を持っている。そして確かに教団の中央部を突破することが出来た。だがそれは王師の陣形変化に釣られて教団の陣形が変形し、薄くなった地点を突いて突破したに過ぎない。

 だから教団の通常状態の戦列、それもイロスがいる周辺の特に分厚い幾十もの戦列を突破することなどできはしないと判断したのだ。

 イロスは天蓋付きの馬車の中で振り返ると、後部の手摺を使って伸び上がるように爪先立った。

 応戦を命じたはずの後陣は見苦しく壊乱していた。将も兵もみな無秩序に四方八方、ただ敵のいないところ目掛けて走り回っていた。もはや完全に指揮系統が喪失していることが窺われた。

 勢いに乗った敵はますます猛り立ち、教徒たちに矢を放ち、槍を突き入れ、馬を乗り入れた。

 応戦しようという気配はここかしこで見られるが、それが成功した様子は見られなかった。教団はあらゆる局面で敗北を喫していた。

 教団幹部が命じても教徒が動かないのだ。騎馬対策を怠ったことと、後背から攻められた時に兵士たちが持つ不安感という心理的要因を軽視したことがこの事態を引き起こしたのだ。

 このままではもたない。イロスの心が萎縮した。

 気が付くとイロスは御者に命じて馬車を走らせ、本営を離れようとしていた。

 本陣にいた他の教団幹部もそれにならって慌てて馬車を動かし始める。

「敵の攻勢は支えきれない、一時、本営を移して体勢を立て直す!」

 イロスは口振りだけは常時のように勇ましく兵に向けてそう説明した。だがそれはどう見ても体裁を取り繕うための言い訳だった。

 そして守るべき教団幹部がいないとなれば、部下の教徒とて命を張ってまで守る道理がない。彼らも上司に倣う様にして本営から四散した。

 ザラルセンは無人の本営を蹴散らし、火を放つ。

 教団の中軍は崩壊の兆しを見せつつあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る