第367話 コルペディオンの戦い(Ⅱ)

 教団と近づくにつれて、王師の両翼は少しづつ外側の端が遅れだし、徐々に徐々にと角度がついて戦列が斜めになっていった。

 教団幹部たちはそれを王師が両翼から回り込まれることを警戒して、わざと角度をつけることによってその斜面で敵の正面と横からの攻撃を受け止め、その回り込みを阻止、もしくは遅らせようとしたものだと推察した。

「敵は我々に押されて弱腰だ! 勝てるぞ! 敵の動きに合わせてさらに廻り込みを計れ!」

 教団の兵に朝廷に対する敵意はある。

 長い間に渡って繰り広げられた戦国の争いのそもそもの発端は、王の位を巡るサキノーフの血を引く高貴な二つの家と、その取り巻きである廷臣たちが起こした権力争いがそもそもの発端である。

 有斗は戦国乱世の終結を目指して諸侯を平らげ、アメイジア各地を併呑したが、末端の民にとってはそれもまた単なる戦争に過ぎなかった。

 民にとってはいつの時代も、それがどのようなもののために起こされたかと言った理由に関係なく、戦と言うものはすべからく迷惑なものである。

 であるから民からしてみれば有斗も所詮、今までの王と同じく迷惑な存在でしかなかったということだ。

 そして有斗の治世はまだ僅かに四年、その治世は始まったばかりで、今まで行ったことといえば、主に荒民対策とアメイジア征服と打ち続く戦乱で半壊していた官僚組織の再構築くらいのものである。まだまだ一般の民に対して実感できるほどの何らかの利益を内政でもたらしたわけではなかったのだ。

 特に荒民の少なかった南部の民が多い教徒たちにとっては尚更である。であるから諸侯や官吏のように有斗を天与の人であると礼讃する理由が見当たらなかった。

 そこに官吏による一村殺戮という大事件が起きた。常に朝廷は民をないがしろにしていると教団幹部に吹き込まれていたこともあり、朝廷というものに対する大きな不信感が彼らの中には醸造されていたのだ。

 王師はその朝廷の手先である。憎むに十分たる理由があった。

 だがこの時、教団の両翼を形成していたのはほとんどが素人の農民たちである。彼らは槍の持ちようも満足に知らない。

 王師と戦うに十分なまでの敵意はあるが、王師と直接槍を打ち合うまでの十分な戦意がなかった。

 教団は数が多い、圧倒的に優勢だ。だが王師と戦って勝てるにしても、それなりの被害は被らなくてはならない。それは彼らにも十分に理解できることである。

 幸いにして、教団幹部は彼らに対して王師と戦って死ねとは言わず、王師の両翼から廻りこめと言った。側面へ、さらには反撃の恐れがなく素人であっても安心して戦える後方へ廻り込もうと外へ外へと、右翼の兵は右側へ、左翼の兵は左側へと前進と同時にスライドしながら移動していく。

 そして教団側はその慣れぬ複雑な機動に梃子摺てこずった。素人集団の移動、それも敵を目前としての前進以外の移動は戦列を崩さずに行うことなど無理難題なのである。

 であるが戦列を崩せば王師はそこを突いて来るに違いない。指揮をする教団幹部らは教科書どおりに戦列を整えなおすのに必死で、だから本来自身が廻り込みを計る時に必要とする以上の距離、自分たちが移動させられているということに気が付かなかった。

 何故なら彼らは移動の目安に教団左翼は王師の右翼の旗を、教団右翼は王師の左翼の旗を使った。つまり最初に正対したときに正面にあった旗を常に目印に使っていたからである。

 あの旗がまだ正面近くに見える。ならばもっと移動しなくてはならない、といったふうに単純に判断していたのだ。

 だがこの時、王師は全体として敵に接近しつつも、中央の戦列を横に広く伸ばし、左右両翼を中央が広がるスペースを確保するために左右に移動しつつも、斜め四十五度に陣形を傾けるというアメイジアでは前代未聞の陸戦機動を描いて見せた。

 実際は後々のことを考えて陣形を崩したくなかった左翼はあまり移動させなかったため、その代わりとして特に移動する必要があった右翼の将軍たちの戦列を崩さないようにする苦労は相当なものがあった。

「いくら敵と槍を交える前とはいえ、これは陛下に文句の一つも言わないとやってられないぞ」

 珍しくヒュベルがそうぼやいたほどである。


 右翼を大きく動かしたのに、左翼をそれほど動かさなかったのには理由がある。教団は数の差を利しての両翼包囲の構えだが、どちらかといえば常道である左からの廻り込みに主力を投入するであろうと有斗は判断した。それが戦術の常識でもある。

 有斗はその敵左翼に相対あいたいする右翼を移動させることで、敵兵力が廻り込むその時を少しでも遅くしようとしたのだ。なんだかんだ言おうとも、敵に廻りこみを許し、完全に包囲されてしまった段階で、どれほど王師が精強であろうとも戦は負けなのであるから。

 王師右翼が右に行くにしたがって右へ右へと移動しながら後退する動きを見せたことで、その正面に位置する教団の部隊はそれを教団の兵の廻り込みを防ぐ一連の機動だと勘違いをして、王師は廻り込みを恐れていると思い込み、もはや勝ったとばかりに高揚しながら王師が移動するさらにその外を廻り込んでやると勢い込んで移動していた。

 おかげでそのさらに外に位置する大外に配された傭兵たちは敵に向かって最短距離を斜めに切り込むどころか、真正面にまで味方の兵が次々と割り込んできて、同じように外側へ外側へと迂回するように移動しなければならなかった。

「・・・いったいどうなっているのだ。これでは味方は我々の邪魔をしているようなものではないか!」

 デウカリオは戦が開戦してしばらく経つのに、行く手を次々と味方に阻まれ、いつまで経っても王師に辿り着くことができずに苛立っていた。

 同じく左翼に配されていたバアルは苛立ってこそいなかったものの、事態の成り行きに大いに戸惑っていた。

「まさか、両軍とも少し左へと全体に移動しているのか? だとすると・・・王師が斜行して教団の側面に回りこもうとするのを教団側が阻止しようとでもしているのだろうか?」

 教団は兵数が多いから、王師の中央突破を防ぐために通常よりも陣形は格段に厚みを持たせてあるが、当然戦列の横列の長さよりは比べ物にならないほど短い。

 そこで王師は斜行して教団の側面に回りこんで攻撃することで数的有利を作り出し、細かな勝利を積み重ねて会戦全体の勝利を掴むことを狙っているのではないかとバアルはこの教団の異常な動きを元に考えたのだ。確かにこれならば数の差を逆転できる要素は十分にある。

 だが教団の戦列は王師の戦列を遥かに上回る長さだ。しかもその両者の間に遮蔽物しゃへいぶつは無い。教団幹部とて馬鹿ではない。目の前で王師が斜行を行って側面へと戦列を移動させれば、それに対応する動きを行う。そんな策がそうそう旨く行くはずがない。

 それが分からぬほど王は愚かでも夢想家でもないと、幾度か直接戦ったのに決定的な勝利を得ることが出来なかっただけにバアルはそう思いたかった。

 このように、デウカリオとバアルも異常な戦場での動きに気付いていた。気付いていたがそれが意味するところを正確に把握できていなかった。

 彼らは王師の陣からあまりにも遠く位置する場所に初期配置されていたし、それに戦いが始まると、前も斜め前も横も見渡すばかりの味方の兵で埋め尽くされ、敵の陣形どころか敵兵の影すら見えなかった。辛うじて敵兵の旗が見えるだけである。

 更にはイロスら教団幹部からは両翼からの包囲を行うという命令以外、ひとつとして情報が入ってこない。

 だから当然、反対側の翼で行われていることは何一つ分かっていなかった。

 であるから彼らは当初の計画通りに王師の後方へ廻り込みを計ることだけを考えるしかなかった。

 幸いにしてそれは彼らが考えても勝利するもっとも確実な方法であったのだから。

「まぁいい。王師が何を企もうが完全に包囲してしまえばこちらの勝利だ」

 もちろん今やカヒもオーギューガもいないこのアメイジアにおいて王師は最強の軍隊と言ってよい。包囲されたからと言って直ぐに両手を挙げることはないだろうし、素人集団の教団の兵では殲滅せんめつするのに手間取るだろう。

 だが我々がいるのだ。方陣を組もうが円陣を組もうが、時間をかけてでも必ず殲滅し、王の首を取ってやるといった気概で雇われ将軍たちの心の中は溢れかえっていた。


 それに対して、王師があまり移動を行わなかった左翼では両翼包囲を計った教団が中軍が進む速度よりも軍を早く移動させた結果、既に激烈な戦闘が始まっていた。

 王師の左翼は三軍、だが騎兵を中軍に取られたことで兵力は三軍全て併せても一万に達しなかった。

 対する教団は数えるのがばかばかしいほどの数だ。五万から十万、と歴戦の王師の兵士たちですらその数の把握にばらつきがあるほど戦列はでたらめで、互いに重なり合い、そして王師の左翼終端より遥か向こうまで続いていた。

 だが有斗は一切、左翼については心配をしていなかった。

 左翼を担当するのはリュケネ、エレクトライ、ガニメデら王師が誇る歴戦の将軍である。特にリュケネとガニメデは守勢に、とりわけ混戦における粘り強さには定評のある将軍である。

 戦列を広げつつ左側だけ後方に傾けながら動かせなどと一人前に命じはするが、それを百人隊長たちにこと細かく説明し、どういう順番で各百人隊を動かして、いつ敵の攻撃に晒されても大丈夫なように戦列を整えながら実現するか、さらには圧倒的多数の敵を相手に守りをどう行うかなどとまったく思いもよらない有斗が彼らの働きを心配などするのは十年、いや百年は早いであろう。

 彼らがやる限りは全力を持って行うだろうし、彼らが敵を防ぎきれないのであれば、有斗がどう補おうともきっと敵を防ぎきれないのである。

 任せたからには信じることだ。有斗が立てた計略で勝利するには中央に集めた王師の騎兵隊が敵戦列を突破して背後に廻るまでの間、両翼が持ちこたえることで時間を稼ぐことが絶対条件だ。

 騎兵隊が突破して背後に廻って敵を後方より攻撃すれば、練度の無い教徒たちはたちまち動揺して、崩壊が連鎖を始めて全軍が潰走することだろう。ただそれだけの時間が稼げればいいだけだ。

 もちろん王の思惑通りにことが進んでも左右両翼に位置する教団の兵にまでその動揺が伝わるまでには、それ相応の時間を必要とすることだろう。

 その頃にはガニメデたちは側面からも攻め立てられ、あるいは背後に廻られて極度の苦戦に陥るに違いない。

 ガニメデは自分たちが優勢に戦闘を続けているという甘い未来図は一切思い浮かばなかった。なにしろ数の差がありすぎるのだ。防御するのが手一杯といったところだった。

 戦には勝利したものの、敵軍の動揺が波及するのが想像よりも遅れ、ガニメデたちは全滅寸前ということも充分ありうる事態だった。

 そして王の思惑通りに進まなかった場合は・・・・・・そこまで考えて、思わず身震いする。そこから先はガニメデは考えたくなかった。

 どちらにせよ敵兵の数を考慮すると両翼の王師が直面するのは酷い戦ということになりそうだな、とガニメデは思った。

 側面に辿り着いた敵は喜び勇んで最左翼を預かるガニメデ隊を側撃しようとすることだろう。後方に回り込まれたら指揮をするのも困難になるに違いない。今のうちにそれらの対策のために本隊の外に小隊を置いておいたほうがいいかもしれないとガニメデは思った。

 といっても教団の数の力の前には、それらは彼らの命でもって時間を稼ぐことくらいしかできないであろう程度の微弱な抵抗になることであろうが。

「やっぱり引退しておくべきだったかな」

 ガニメデは幕僚たちに聞かれないように小さく口の中でぼやき、王の口車に乗って戦場に出てきた己の人の良さを後悔した。


 さて王師右翼が右へ移動するということは、王師右翼の廻り込みを計る教団左翼はそのさらに左へと移動することを意味する。

 すると教団は左翼と中軍の間に空隙を生じる。もちろん教団の兵力は多い。後方から次々と兵は前進してきて空隙は素早く埋められるが、その兵もやはり目の前の王師の兵の移動に引っ張られて左へと動くことになる。

 つまり右翼が右に移動すればするほど、右翼と中軍の境目の近辺は兵列が薄くなっていくのである。

 しかも一旦前進して、目の前の敵に併せて左へと隊列を崩さずに移動するという機動は訓練された兵であっても中々に難しいものだ。ましてや彼らは即席の兵であった。

 その戦列はもはや教団の幹部たちには修正不可能だった。もちろん懸命な努力で修正は続けられていたがその多くは徒労に終わっていた。王師の将軍であっても一度停止させずに動きながらの修正は無理であったに違いない。

 対する王師は中央にいる最も移動が不得手な重装歩兵による戦列は前への移動だけで横には一切動かず、左翼と中軍の間の隙間は左翼の兵が、右翼と中軍の間の空隙は中央の重装歩兵の後方に陣取っていた騎兵隊が横に移動するという形で埋められ、動きの割には戦列や陣形に大きな乱れが生じていないことに、教団幹部の中でイロスだけが気が付いた。

 左右両翼の動きといい、王師は戦列を保持したまま教団の攻撃に対応している。それが気に入らなかった。

 イロスは特に騎兵隊が横に出てくるというその動きが最も気になった。

 機動が単純で、戦列を乱すことなく最前線に到達した、つまりいつでも攻撃に移れるということがたまらなく不愉快であった。

 そして次の瞬間に突然、騎兵は陣地防衛に不利で、攻撃に特化した兵種であることを思い出した。

 だとしたら王師の意図は明らかである。

「あっ・・・・・・!!!!」

「どうしました、イロス様?」

「いかん! 左右の両翼を呼び戻せ! 敵の狙いは中央突破だ!!」

 イロスのやや前方左の目の前で、王師の騎兵隊は急速にくさび状に変形していった。

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