第356話 傭兵(下)

 南部一帯を中心に広域叛乱が起きてアメイジアは大きく振動したが、その中でも坩堝るつぼのように煮えたぎったのが七郷だった。

 カヒという巨大諸侯は解体されたとはいえ、足元には万を超えるカヒの元軍兵がまだいるのである。その日よりザヤージ公エレウシス他、新任の領主は足元でいつ叛乱が起きるかとびくびく怯えながら暮らさねばならなかった。

 しかも始末の悪いことに七郷に移封された多くの諸侯は南部出身の諸侯であったから、加増された諸侯ばかりであった。

 身代が大きくなった分、新しく人を雇わねば王に対する軍役を勤め上げられない。どうせ雇うのであれば、王の大軍を向こうに回し、最後まで音を上げ無かったカヒの将兵であれば抱えておいて損はないと思い、新規召抱えの奉公人はそのほとんどがカヒの出身だった。

 つまり、家内であってもいつ謀反が起きるか分からない情勢で、諸侯は街道の検問や集会の武力排除などの思い切った行動を取れない状況にあった。

 住民を悪戯に刺激して起こさなくてもいい反乱を起こすことを避けたというわけだ。

 だがそれは一地方を預かる諸侯としては大問題であった。その結果としてデウカリオやバアルの手紙を持った教団の使者が七郷内を自由に闊歩かっぽし、デウカリオ配下の黒色備えの兵をはじめ、パッカスなどバアルと共に馬を並べたことのある有志の兵が誘い合っては河東西部そして南部目掛けて西へ行くことを容易く許す結果となってしまったのである。

 だが諸後たちには諸侯たちの言い分がある。彼らだって己の命は惜しいのだ。もし七郷で大規模反乱が起きれば、所詮根を下ろしたばかりの彼らでは太刀打ちできるわけがない。台風が通り過ぎた後の稲穂のように薙ぎ倒されるのが落ちだ。そうすると完全に朝廷は河東全ての領有を諦めなければならないだろう。

 それが避けるべきであること考えると、七郷内の過激派には出て行ってもらうことで、逆に七郷を朝廷の手元に残し、西側から叛徒に圧力をかけるほうが何かと都合がいいと考えたわけだ。

 もちろん教団と一手になることでカヒの兵は厄介な存在になるであろうが、それは天与の人である王に何とかしてもらおうというのが、彼らの横着な考えであった。

「このたびの叛乱、デウカリオ様やバルカ卿が一枚噛んでいると言う話だ。王に一泡吹かせるいい機会でもある。一緒に西へと向かう気は無いか?」

 パッカスなど若い者を中心にカヒの旧臣の中で名のある将兵にはほぼ全て働きかけた。

 その提案に快く応じるものもいたが、河東東部では馴染みの無いソラリア教という教団に怪しさを感じたものや、新たに七郷に来た諸侯に召抱えられている以上、家族の生活を考えると行くことができないもの、またカトレウスの死、カヒの滅亡と言う大事を続けざまに目にして世の無常をはかなみ遁世の道に入ったものもいて、教団に味方しようとしたものは思ったよりも少なかった。その数は五千に満たなかった。

 であるならば七郷の諸侯の力だけでも十分鎮圧できるようにも思えるのだが、もし七郷で叛乱が起こり近くで戦友が戦っている姿を見れば、それらの様子見していた者であってもさすがに手を貸すに違いない。

 河東西部に教団の勢力が及び、七郷で叛乱が起きたとなると、間にある河東東部も大きく動揺するに違いない。

 さらに奥にある越や上州、坂東といった地域も王権の力の及ばぬ化外の地となることだろう。

 そういったことを考えると、七郷で不穏な動きを見せるカヒの旧臣に対して諸侯の取った対応は不十分なものではあったが、適切であったかもしれない。その後始末を押し付けられる有斗がもし本当のことを知れば冗談じゃないと言いたいところであったであろうけれども。

 諸侯たちにとって幸いなことに、お人よしと評される有斗は南部の叛乱、王都での襲撃、アリスディアの裏切りと立て続けに起きた事件に大変なショックを受けて、その目は全ての元凶である南部と教団にのみ注がれていたため、彼らの行動に注意を払うことさえ無かったのである。


 越にいるディスケスの元にも約束どおりにガルバからの誘いの手紙が密やかに届けられた。ディスケスはそれを見て静かに微笑んだという。

 とはいえディスケスはこれまでに上げられた他の者たちのように、直ぐに準備をして出立と言う訳にはいかなかった。

 ディスケスは芳野で武装解除した後、王の寛恕を受け無罪放免となり越へと帰国した。諸侯からの仕官の誘いを断り、かつて自らが知行していた土地へと篭って、晴耕雨読の日々を過ごしていた。

 だが自分の館の周囲で、散策に出たで山道の途中で、野良仕事をする田畑の脇でいつも自分へとじっと目を向ける見慣れぬ顔がいることに直ぐに気が付いた。

 ディスケスは監視されていたのである。


 ディスケスを監視している目は複数あったが、その主たる持ち主は越の抑えにと封じられたウェスタの手の者のものである。

 南部で動乱が起きる前より、ディスケスには常に警戒の目が向けられていた。

 なにせもしオーギューガの旧臣が集まって何やら不穏な動きをするとするならば、馴染みの無いテイレシアの遠縁を担ぎ上げるよりも、オーギューガの双璧、テイレシアの左手と言われたディスケスが中心となる方が求心力が高い。

 もし彼が反乱を起こすと一言言いさえすれば、越はたちまち蜂の巣をつついたような騒ぎになるであろう事は疑いの無いところだ。

 朝廷から、特に中書令からその危険性を指摘されたからウェスタは監視の目をつけたわけではなく、それを行うことが有斗の為になることだと思い、実行したのである。

 もっとも監視の目を付けられた方としては迷惑極まりないことではあったが。

「さて。こうして手紙が来たものの、どうしたものか・・・弱ったな」

 ディスケスは監視しているのが何者かまでは知らなかった。もっとも王の手の者であろうことは間違いの無いところである。であるなら監視されている以上、素直に南部に行かせてくれるとは思えなかった。

 だがディスケスには是非とも南部へ行かねばならぬ理由が存在した。

 一つにはガルバたちに助力すると約束したからには果たさねばならぬという、いかにもオーギューガの宿将らしい理由からである。

 もう一つは同僚からテイレシアの最期を聞いたことに由来する。王に対する恨み言一つ言わずに死んだテイレシアだったが、ただ龍旗を戦場に持ってこなかったことが心残りだと言ったという。それはすなわち理不尽な理由から王と戦うことも、負けることも、死ぬことさえも武者の運命さだめとして受け入れたが、オーギューガの力全てをもって戦いたかったということに違いないとディスケスは忖度そんたくした。

 それは同時に決戦の地に共に赴くことが出来なかったディスケスの心底深くに隠している無念とも一致する。

 亡君の無念を晴らすのは臣下の勤めでもある。王と戦場で戦うことが出来るのならば、ディスケスはそれで良かった。

 例え教団の目的が意に適わぬような類のものであったとしてもディスケスは一向に構わなかったのだ。

「同志を募り、数を集めればいかがでしょうか? 邪魔するものは斬り捨てて、南部に向かえばいいでしょう。そうすれば諸侯とて我らの邪魔は出来ないのでは?」

 そう言ったのはタラッサというまだ年若い男だ。精悍な顔立ちをしたディスケスの重臣の一人である。

 ディスケスが南部に行くと言えば、少なく見積もっても千や二千のオーギューガの旧臣が行動を共にすることは疑いないところである。その前に立ち塞がる勇気ある諸侯などそうはいない。

 第一、立ち塞がったところで叩き潰せるというのが若い彼の楽観的な見方であった。

「悪戯に刺激するのはどうか。諸侯にだって面子がある。さすがに衆が集まって一揆が起きたというのにそれを放置するわけには行かないだろう。朝廷への言い訳も立たない。さすがに諸侯全てを打ち破って南部まで行くのは不可能に近い。我らは越で釘付けになる」

 そう言ってナイアドが反対した。ナイアドは顔も体もただいかめしい、身長七尺(二メートル十センチ)を超える大男である。

 その外貌と同じように戦場においては他者をあっと言わせる戦術的なきらめきや、颯爽さっそうとした進退を見せることは無いが、荒天の海のような混戦の中でもいわおのように敵の攻撃に立ちはだかり粉砕する手腕がある。

 その武功はオーギューガで十七人いた宿将の中の誰にも引けはとらない男であった。

「いいではありませぬか。越で戦うとなれば民から支援も受けられますし、味方も次々に駆けつけてくれることでしょう。王が新封した越に縁もゆかりも無い諸侯など半年もあれば叩きつぶしてしまえるのでは? 越を本拠地に腰を据えて、それから王とゆっくりと戦えばよいではありませんか?」

「だめだ。それは」

 ナイアドは若いタラッサの意見に対しても、外見と同じように厳しく跳ね除けた。

「どうしてですか!? 手堅い作戦だと思いますが!」

 若いだけあって自分が良いと考えた作戦をにべも無く否定されたことに気を悪くしたのであろう。

 しかしナイアドが本気で怒れば、タラッサなど武器を使うまでも無く、腕の一振りで首の骨を砕かれかねないだけの体格の差がある。もっともナイアドはできた男であるから無闇にそんなことはしないが。勇敢と言うか無鉄砲と言うか・・・ディスケスは苦笑しつつもタラッサをなだめる。

「落ち着けタラッサ。ここはナイアドが正しい。我らの目的がオーギューガの再興であるのならな、それでもいいのだがな」

「しかり。我らの目的は例え敵わぬまでも王と一戦すること。なろうことならば一戦して勝ち、オーギューガの誇りを後世の者に伝えることだ。我々が越で諸侯と戦っている間に教団が王に勝ってしまったらどうするのだ?」

「あ・・・」

 そうなればオーギューガとしては振り上げた手の下ろしどころが無い。王に勝ったのだからと言って代わりに教団相手に戦を仕掛ければいいといったものではないのだ。

「それに教団が王に敗れ去ったときのことも考えねばならない。そうなった時、果たして残った我らを叩き潰すのに王は出てきてくれるだろうか?」

「・・・それは」

 その指摘にもタラッサは反論が出来なかった。テイレシアがいない以上、オーギューガ残党が挙兵して成功する可能性が今あるのは、それは朝廷に教団という主敵がいるからである。教団が敗れてしまえばオーギューガが越で自立することなど不可能であるに違いない。

 その時、オーギューガの残党ごときを退治するために王がわざわざ腰を上げる可能性は恐らく少ない。

「地方の小規模な叛乱鎮圧に王師が三軍も出てくるかどうか・・・いや、王師すら出てくるかどうかだ。下手をすると諸侯の連合軍だけということもありうる。それでは我々の望みは達せれない」

「だとすると・・・私たちは周辺諸侯の眼を掻い潜って、南部へ行くしかないということですか・・・」

 誇り高きオーギューガの一員としては敵から逃げているような弱腰に思えてタラッサは面白くなく、消極的にしぶしぶ賛同する。

「しかし、どうやって追っ手を撒いて、諸侯に感づかれることなく越を抜け出すのですか?」

「近々行われる山社の祭りを利用させてもらう。あの人ごみに紛れて姿をくらませば、我らが国抜けしたとは直ぐには分からぬ。さらにその間に少しでも遠くへ逃げておけば、我らが逃げた方角も分からず追っ手はかからぬはずだ」

 山社とは越にて有名な伊波比いわい神宮という神社のことである。そこでは毎年、刈入れの季節の少し前に祭りが行われる。

 神社と言うものはサキノーフが故国である日本から持ち込んだ宗教形態であるが、土着の宗教と非情に高い親和性を持ち、直ぐにアメイジアに定着した。各所に残る土地の名前といい、ひょっとしたらアメイジアの民の一部は有史以前に日本から来たのかもしれないとも感じさせる実例の一つである。

 ともかくも伊波比神宮はサキノーフに先立って越を平定したとされる武神を祭っている歴史のある神社で、その祭神はオーギューガの先祖であり、なおかつ守り神でもあった。

 であるからその例祭は越中から諸侯や兵や民が集まってくるほどの巨大な祭礼で、いくら人が集まっても不審がられる心配は無いという意味でもディスケスたちにとっては非常に好都合な祭であった。


「というわけでしてな。我らが越を抜け出すためにこの祭礼を利用させていただきます。後々、貴殿にも迷惑がかかるやも知れませぬが、どうか平にご容赦を」

 ディスケスらオーギューガの幹部に付けられていた見張りが、全てこの祭りで対象を見失ったとなれば、神主も失踪について関与を疑われることは必至だ。

 通り一遍の捜査でなく、執拗な追及に晒されるかもしれないことを考えて、ディスケスは予め謝ったのだ。

「なんの。ディスケス殿の頼みとあらば多少の迷惑などあってなきがごときもの、拒否などいたしませぬ。ましてやそれがオーギューガの誇りを示すためとあらば否やはあろうはずがない。例え死んだとしても本望でござろう」

「感謝いたします」

 本来ならばこういった会見など避けるべきだ。少しでも疑いを増やす行為は慎まなければならない。

 だがそれでも神主に会ったのには理由がある。どうしてもこの伊波比神宮に奉納されているあるものをディスケスは持ち出さなければならなかったからである。

「お願いしていた例の物はお借りできるのでしょうか?」

「おお、その件でしたな。もちろんです。本来ならばオーギューガの当主の方以外の頼みでこれを外へ出してはいけないのですが・・・他ならぬディスケス殿の頼みとあらば快く受け入れましょう」

「もうしわけござらん」

「なに、この老骨とて武者の心意気くらい分からないでか。それに・・・きっとテイレシア様もそれを願っていることでしょうしな」

 神主はそう言うと桐の箱をそっと開く。

「神社の片隅に仕舞われているよりは、軍旗は何よりも戦場で掲げられてこそ意味があるとは思いませぬか」

 二人は首を並べてその中を覗き込んだ。そこには輝くような絹布が折りたたまれて仕舞われていた。

 紺色の生地に輝く金糸で縫われた龍の姿は、さながら天空を駆けるかのようであった。これがオーギューガ第一の秘蔵の軍旗、龍旗である。

「これを戦場でもう一度掲げることこそ、テイレシア様にとって何よりも供養になると私も思います」

 神主はディスケスにそうにっこりと微笑んだ。


 その日、オーギューガの各地から祭りに集まった人の中から幾人か姿が消えた。その全てが行動を監視されていたオーギューガの旧臣の中の大物である。

 ウェスタが付けた監視役も、三万を超える人ごみの中では思うような身動きがとれず、群衆に周囲を囲まれたり、神輿が眼前を遮る中、目の前で監視対象が背を向けて去っていくのを指をくわえて見ているほかなかった。

 ディスケスらは一般人の侵入が許されぬ神社の奥の山道を秘密裏に通り抜け、追っ手の目を完全に振り切った。

 監視役たちは人ごみの中、見失った監視対象の姿を無駄に探し回ったため、ウェスタに対する報告が遅れ、彼らを楽々と逃がすことに助力する始末だった。

 この日以来、ディスケスらオーギューガの名高い将士だけでなく、彼らが南部へ向かったと知ったオーギューガの無名の将兵たちもその意のあるところを察して、次々と南部へ向かって旅立つようになった。


 南部にはこうして次々と胸に何らかの思惑ある者たちが教団の招きに応じて参集した。

 元傭兵、元諸侯、元諸侯の配下だった将士、戦乱が終わったことで諸侯から解雇された元将兵などその顔触れは多岐に渡ったが、今の朝廷のやり方に何らかの不満があるということは皆が同じ想いであった。

 その数は都合四万余、四万八千に達したとされる書もある。ともかくもこれが教団の中核になるであろう。

 王師十軍が五万であることを考えれば、これで教団は王師本隊に肩を並べるだけの将兵を手に入れたというわけだ。

 もちろん、質としては大きく劣る寄せ集めの集団であることは否めない事実であったが。

 しかしその彼らが天下をあっといわせるだけの働きをしてみせることを誰も、そう彼ら自身でさえも、まだ知らない。

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