第357話 一進一退

 サキノーフが来るまでは多くは氏族単位のそれほど大きくも無い集落が国と呼ばれるような生活を送っていたアメイジアの民は、それまでは信仰と言っても原始的な自然物崇拝、あるいは祖霊信仰に留まっていた。

 同じ祖先を持つということが集団としての存在をその内外で正統化する根拠となっていたのだ。

 だがサキノーフが全土を纏めていくに従って、国と言う組織の単位が氏族単位から部族単位、やがて部族連合へと変質していくことになる。

 忘れてはいけないが、こういった段階の人類には人権という概念は無い。あるのは内(味方)と外(敵)という概念だけである。身内同士は手助けするが、外の人間を助ける必要は無い。それどころか外の人間は人間扱いしないのが通念である。

 殺そうが、文字通り煮て焼いて食おうが一切咎めだてしないし、そもそもそれが悪いことであると認識する人間すらいなかった。

 もし隣人が外の人間を殺してきて焼いて食っていたとしても、それを悪いことだと説教することはなかった。むしろいそいそとご相伴に預かりに隣家へ上がりこむのが常識であったかもしれない。

 だがそれではせっかく築いた統一国家は自分の死後、氏族同士の争いを止めるものがいなくなり、やがて再び氏族単位の数百の国に分裂してしまうのではないかとサキノーフは危機感を持った。

 そこで彼らが持っていた祖先の神話を位階的に高度に体系化させつつ一つのものに組み込むことでアメイジアに統一した神話を誕生させた。

 サキノーフは同じ神話に出てくる登場人物を祖先に持つことで、氏族としても部族としても接点すらなかった民たちをアメイジアというひとつの国家の同じ民として認識させようとしたのである。

 結果としてサキノーフの残したこの神話とアメイジアを統一したサキノーフとを崇める信仰が最もアメイジアで信じられている宗教と言ってよい。

 だが、サキノーフは宗教に関する造詣ぞうけいは深かったものの、様々なことを総合して考えた結果、それをもっと深度に体系化し、宗教化することをあえてしなかったため、それが原始宗教の範疇はんちゅうから脱することは無かった。

 日本の各地に残る神社のように、地方によって一番崇められるものは異なり、祖先だったり、自然物だったり、気候だったり、まさに様々。

 あるいは祟り神を鎮めるためだったりもするのである。


 そんな中、戦乱の中で誕生したのがソラリア教である。ソラリア教はそういった氏族の壁を持っていた原始宗教とは異なる性質を持っていた。

 人は皆平等、殺しあうなどもっての他。欲しがる心が他人から物を奪う。それが戦国の世を続かせるのだ。他人を羨む心を捨てれば戦国の世は終わると人々に説いた。

 料理も衣服も住居も自給自足で賄得まかなえる分だけで満足し、それを楽しむ社会を理想としたのだ。

 だがそれはいうなれば国家や諸侯と言う権力機構を根本から否定していることにもなる。つまりソラリア教は当初から革命思想を内にはらんでいたともいえる。それがこの大乱へと結びついたのかもしれない。

 彼らは精力的に普及に努めたが、その方法としては相互扶助をすることによってこの戦国の世を生き延びることが容易になる利点を教団に関心を持った人々に穏やかに説くだけではなく、往々にして彼らが信じている既存の宗教の矛盾や誤りと捉えられる欠点を突き攻撃することで信者を獲得しようとしたのである。

 だがそれだけに反発もまた大きかった。大きく教団の信徒を増やした地域もあれば、教えがなかなか浸透しない地域もあった。教団の勢力圏は南部の中でも親疎のまだらを描いていた。

 朝廷の官吏が逃げ出した南部地域を教団は席巻したが、教団は素早く南部一帯を勢力下に収めることを第一義とし、あまり教団に友好的でない地域はあえて教団と言う組織に組み入れず住民の自治に任せることにした。

 住民たちも宗教の押し付けをしないならばと言う条件で抵抗をしないことを確約する。

 双方の感情は武装中立といったところであったが、これによって教団の南部攻略は格段の進歩を見せる。

 僅かに残った諸侯、あるいはまだ封地への移動作業を終えていない諸侯もそれぞれ抗戦を試みたものの、衆寡敵せず相次いで敗北を喫した。

 教団は鼓関から真っ直ぐ東へと南部を横断する流通の大動脈、ヴルバス川の南域を完全に制圧し、さらに南部全域を勢力圏下に置こうと、その戦力を東北方向へと振り向け、南部の中心であるモノウ、南京南海府へと迫りつつあった。


 畿内の情勢も朝廷にとって芳しくなかった。

 さすがに王師十軍を抱える東京龍緑府やその近辺で叛乱が起こることは無かったが、南部に近い地域は教団の勢力が強く朝廷は劣勢に立たされた。

 特に鼓関と王都の間、そして南京南海府と王都との間は相次いで蜂起した教団が主要街道を押さえたため、流通も交通も完全に寸断された。


 河東東部で挙兵した教団は南部と河東を行き来する沿岸の漁民の間には信徒が多かったものの、全体として南部ほど信徒の数がいなかったこともあいまって、地元に長く根付いている諸侯相手に苦戦し、荘園単位で挙兵した教団の小さな部隊は転進を余儀なくされたものだけではなく、敗勢の中で降伏したり、中には全滅したものもあり、当初の想像を遥かに下回る失敗となってしまった。

 だがそれでも沿岸一帯、何よりもほとんどの船を確保した関係上、大河の交通を遮断することに成功したことは大きかった。

 朝廷の威令はまったく河東に届かない状態になってしまったのである。

 もちろん朝廷は諸々の命令を伝えようと、あるいは河東の情勢を探ろうと幾度も王都から使者を発したのだが、そのことごとくが漁民に偽装した船に取り囲まれて囚われてしまっていた。

 しかも長らく苦戦していた河東においても教団幹部が次々と現地入りし、続々と元傭兵やら、七郷から駆けつけてくるカヒの将士やら、越から馳せ参じる元オーギューガの将士が集まってくるにつれあっけなく形勢は逆転する。

 戦った結果、教団が勝利したとかいった訳ではない。戦う以前の問題だった。

 河東東部の諸侯はそのことごとくがカトレウスの炎のような侵攻の前に屈服していた時期を持つ。諸侯はカトレウスの人格に敬服し膝を折った訳ではない。カトレウスが他人を敬服させるほどの人格者だったわけではないし、それに彼らにだって諸侯としての意地があった。当然、その侵攻の前に両手を広げてさえぎったのだ。そしてその結果として幾度かこっぴどく叩きのめされたから屈服したというのが本当のところだ。

 だから彼らはカヒの兵団の強さは身に染みて覚えていた。首を危うく失いそうになったことも一度や二度では無い。

 彼らにとってカトレウスは悪魔か魔人のようなもので、カヒの兵は地獄の先兵に等しかった。

 カヒの兵と言う魔物に勝つことが出来るのは人間には不可能で、軍神と称されたテイレシアか、天与の人の有斗だけであると思っていたとしても仕方が無いであろう。

 だが今は天与の人は河東にはいない。そんな状態でカヒの兵と戦うのは彼らにしてみれば自殺行為に他ならなかった。

 他の諸侯から後ろ指を指されて馬鹿にされようとも、二度とカヒの兵と戦うことだけは御免こうむる、それが諸侯たちの偽らざる本心だった。

 彼らは教団の中にカヒの旗を見つけただけで恐慌状態に陥り、優位に進めていた戦を早々に切り上げ、皆自分の城に籠もってしまったのだ。

 それくらいなら可愛いほうで、所領を捨てて親戚を頼ってはるばる何十里も離れた親戚の城に逃げ込んだ諸侯もいたほどだった。

 もっとも彼らの前に立ち塞がった勇気ある諸侯もいないではなかった。

 とはいえその結果として大敗し、親戚の諸侯を頼って落ち延びることになったのだから、先の諸侯は実は何よりも賢明であったのかもしれない。


 一方、状況が違っていたのが関西の状況である。

 この時点では他方面の戦況は概して有利に進めていたが、関西の信徒は平和だったこともあいまって信心の浅いものが多く、組織としても脆弱で、そもそも大義を掲げて挙兵を促しても首を縦に振る者がほとんどいなかったのだ。

 慌てて関西の教徒のとりまとめをしているメッサが入り教徒の間を駆けずり回って奔走するが、はかばかしい進展は見られなかった。

 メッサは当初の計画にあった関西東部や西京鷹徳府での蜂起計画を破棄し、新たな計画を取りまとめる。

 それは関東と関西を繋ぐ要衝、鼓関の奪取計画である。

 東西一和がもたらされたことで、東西の交易は活発化し、南海航路も復活した。だがやはり東西交易の主役はあいも変わらず鼓関を通る西国街道である。

 あるいは山を掘削し、東西を繋ぐ新たな回廊を設けようと言う計画も官吏から出されないでも無かったが、予算不足の昨今、そんな案が朝議をすんなりと通るわけも無く、『いつかできればいいなぁ』的な未来予想図と言うか努力目標と言うか、そう言った夢のような具体性に欠ける計画段階に過ぎないものに留まるに過ぎなかった。

 つまり、もし鼓関が何らかの理由で使えなくなると、それだけで関西と関東は切り離され、あらゆることが麻痺してしまうのである。

 しかも鼓関は金城鉄壁の天然の要塞である。少数の兵を込めておくだけで如何なる難敵も退ける。そこを教団が得れば、関東で決着がつくまでの間、関西の諸侯の兵を一兵たりとも畿内に合流させない。それだけでなく、関西の兵糧米を朝廷が利用することができない。もちろん北回りでいくらかは搬入しようとするだろうが、それには日数と人手が掛かりすぎるのだ。

 朝廷は片手を縛って戦うようなものである。

 だがメッサは致命的な失敗をした。誰よりも鼓関のことを知るバアルを利用しなかったのである。

 ガルバが連れて来たバアルが立てた手柄は自分ではなくガルバに帰しかねないと思い、助力を求めることを躊躇ためらったのだ。

 もちろん自分の才覚に自信があったということも理由の一つではあるが、六柱の意地の張り合いがこんなところにまで悪影響を及ぼしたのである。

 そして対するガルバもまた競争相手に手を貸すことを良しとせずにこの計画があることさえバアルに伝えなかった。

 もしバアルが現場で指揮を執っていたら話は変わったかもしれない。

 鼓関守備兵の半分は関西兵で以前バアルの下で働いていた者が多かったから優位に戦を推し進めれば味方になってくれる可能性は少なくなかったし、なによりも鼓関の構造を熟知していたバアルならば、まずどこを抑えれば鼓関の命綱を握ることが出来、どうやって攻略していけばいいか具体的に教えることができたはずなのだが。

 つまりこういう話をここでしていることからも分かるとおり、メッサの鼓関奪取計画は失敗に終わった。

 関西と統一したことで最前線の難攻不落の要塞から単なる一街道の関守と化した鼓関守備隊長は、今の朝廷の中ではどちらかといえば閑職にあたるが、南部での蜂起、そして続いての王都での大掛かりな叛乱から、これは統一された意思の下に行われた計画的な犯行と考えたラヴィーニアの指摘を受けた有斗が、次に狙われるのは東西の大動脈である鼓関だろうと目星をつけて警戒を厳にするように命じておいたのだ。その効果があったというわけである。

 メッサは百人ばかりの信徒の兵、商隊に化けた三百の信徒、難民を装った数百の信徒、そして己の命までをも失う羽目になった。

 その知らせは教団にもたらされた初の、そして大きな敗北の知らせだっただけに、メッサとさして仲の良くない他の六柱の間にも衝撃を与えた。

 とはいえ鼓関と王都との間の一帯は教団が押さえているから大差あるまいと甘く考える者が大半だった。

 だが後から考えればここが勝負の分かれ目だったのかもしれない。

 教団も、そして朝廷もこの時、それに気付いていた者はまだ一人としていなかった。

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