第354話 傭兵(上)

 王都での王の暗殺計画には失敗したものの、畿内、南部、河東西部の各地で挙兵した信徒たちは相互に連携し、県庁、国府、諸侯の拠点を次々と落としてその勢力範囲を刻々と広げつつあった。

 もはやその正体を隠す必要も無くなった教団は公然とその正体を白日の下に晒し、各地で個別に起きた叛乱のように見せかけていた各地の小集団を組織付け、統一された意識の下で動く大集団へと変貌させる。

 その動きに抵抗を試みた地方官や諸侯もいないではなかったが、その試みが成功に終わった例は数少なかった。教徒は軍の形態を必ずしも取って襲ってくるわけではなく、一般の住民あるいは下官の姿を取って突然牙を剥いてくるため、あらかじめ防ぐことが極めて難しかったのだ。

 もっともその多くは敵の数におびえて、一戦もせずに逃走したものが多かったのもまた事実である。

 南部は二週間もせずに教団の手に落ち、一般の民衆はあるものは大乱を恐れて流浪の旅をはじめ、あるいは息を潜めてこの荒波をじっとやりすごそうとし、さらに一部の者はこの流れの中で何かを得ることを企んで自ら教団に加わった。

 だが教団にも誤算はある。その最たるものは教徒であるはずの諸侯の中で教団に同調する動きが全く見られないことだ。それどころか挙兵の動きを見せる教団に先んじて動きその煽動を抑えたり、弾圧を加えたりする諸侯も少なくなかった。

 教団が作る教国と言う未来図に諸侯という身分の者が存在する場所が見当たらなかったことが何よりも諸侯に二の足を踏ませたのだ。

 もし教国が作られたとしたら彼らはどうなる? もちろん一教徒として教団内での居場所はあるだろうし、功績によってそれなりの地位にも着けよう。

 だが諸侯が王に許されてきたような、子々孫々まで伝えていくことが出来る土地の支配者という存在として、そのまま存在することが許されるかどうかは未知数だ。

 いや、ソラリア教団は相互扶助を目的に現世利益を共に分かち合い、共に生きていくことから始まった宗教だ。その行きつくところは教団による財産の共有化であろうことは誰にでも想像がつく。諸侯が諸侯のままでいられるなどと思うほうがどうかしている。

 つまり既得権益をみすみす手放してまで教団に協力するメリットがあるかといえば、それは否というしかない。

 もちろん諸侯の中にも教団に対する熱烈な信徒もいないでもない。

 だが諸侯と言うのは完全な独裁者ではない。諸侯は大勢の家人を抱え、彼らと彼らの家族の生活を保障してやらねばならない。

 民だって毎年無条件に税金を払うだけのキャッシュディスペンサーではないのだ。税を受け取る代わりに、彼らが生きていきやすいように政治を行い、社会の安全や治安を維持する責務が諸侯にはある。もちろん、それらの義務を適当に放り出して好き勝手やる諸侯もいないではないが。

 だがほとんどの諸侯は暴君などではないのだ。

 ソラリア教の教国を作るという大義には賛同しても、その為に無関係の者を大勢巻き込むことにしり込みし、結果として諸侯という単位で参加を表明した諸侯は僅かに南部の三つの諸侯に過ぎなかった。

 だがそれでも諸侯個人として叛乱に参加したり、同じように一信徒として諸侯の家人が参加する例は後を絶たなかったけれども。


 大きな誤算だったが、それは修正可能な誤算でもある。

 教団の信徒は南部だけでも五十万を超えるのである。もちろん女子供や老人も多い。だが戦力となりうる者も二十万は下らない。これを組織化することが出来れば、前代未聞の規模の軍隊がアメイジアに現出することになる。

 そしてどんなに精鋭で強靭な兵であっても、圧倒的な数の前にはひれ伏さざる得ないことは歴史が証明している。

 ゴート戦争でのハドリアノポリスの戦いのように、黄巾の乱で三国志演技序盤の名将の一人朱儁が波才率いる黄巾の賊に一度は敗れたように、黄巣の乱で黄巣が洛陽と長安を相次いで陥落させ、皇帝を蜀の地へと逃亡させたように、紅巾の乱で大都や開城を一時占拠したように、そして元亀元年の本願寺の反信長蜂起に呼応した長島一向一揆が信長の弟信興を討ち、名将滝川一益までも敗走させたように、どんなに訓練しても、鋼鉄製の武器でくまなく武装しても、どれほど優れた将軍が兵法を駆使しても逆転できぬものというのはこの世に確かに存在するのだ。

 ところで軍隊組織と言うのはやはり素人だけで運用しても上手くいくはずが無いものであろうことは誰であっても想像がつく。

 教団はそれを補完する役目を諸侯に期待して今まで助力を惜しまなかったのだ。だがその期待は淡くも裏切られてしまった。

 確かにガルバはバアルやディスケスといった王であっても欲しがるような名将軍を手に入れた。だが率いる将軍一人が代わったからといって、それで寄せ集めの軍隊未満の存在が一夜にして無敵の軍隊へと変貌するわけではない。そんなことが可能なのは空想の中の世界だけなのである。やはりその下で将軍の手足となって部隊や兵を動かす人材が大量に必要だった。

 至急、軍隊の柱となるべきもの、諸侯の代わりになるものをどこからか調達しなければならない。

 そこで教団が取った行動は傭兵の雇い入れだった。信者のネットワークを使い、大物には信徒が声をかけ、闇夜に紛れるかたちで街角には傭兵を募る張り紙が張られていった。

『王は先んじて惣無事令で武器を取り上げ、この度は土地を取り上げた。いずれ民から全てを取り上げるつもりであろう。南部では朝廷の横暴に対し民は我慢に我慢を重ねたが、一村全滅と言う前代未聞の悪業に立ち上がらずを得なかった。共に王の横暴に立ち上がろうではないか。等しき思いを抱くものだけでなく、腕に覚えがあるものも、一旗上げたいものも南部へ向かうが良い。南部では老いたるも若きも諸君らの参加を日夜心待ちにして待っているであろう』

 それは街角を巡回する霜台そうたいが剥がしても剥がしても毎夜知らぬ間に貼られ、王のお膝元である王都でさえも、未だソラリア教の影響力が残ってることを示し、官吏たちをそっと震撼させた。

 その声に応えるように南海道は南へ向かう人で溢れかえった。

 朝廷は慌てて南海道を王師をもって封鎖し、南へと向かう人の流れを止めようとしたが、それは徒労に終わっただけだった。

 脇街道、山道を掻き分けてでも南へと向かう人の影は途絶えることが無かった。


 西京鷹徳府、今や主のいなくなったその王都は、未だ関西の中枢都市の位置こそ失わぬものの、衰退の色を日々濃くしていた。女王だけでなく、官吏も兵士も消え去り、ほんの三年半までの繁栄が嘘のように街中は静かだった。

 だがそれでも人々は生き、日々の暮らしを紡いでいく。

 西京の一角、商店が軒を並べる繁華街から二街路ほど離れた場所には長屋が立ち並ぶ一角がある。大きくも無く、小さくも無く。庶民が暮らす極々平均的な長屋の一角にその男は住んでいた。

 男の前身を長屋の誰もが知らない。だが長屋の住人は誰もそんなことを気にしないし、聞こうともしなかった。ここでは自ら過去について口を開くのはともかくも、そう言った事を他人に聞くのはご法度だった。

 もっと上流階級が住む住宅街ならともかくも、ここには過去に訳有りの人間などごまんといるのだ。

 ただ博学で物腰の柔らかなその姿から、長屋に住むものたちからは『先生』と呼ばれ、敬われていた。

「先生、ここが分かりません!」

 彼の部屋には机が四つ並べられ、その一つ一つで子供が手習いだの計算だのに取り組んでいた。

 手を上げたのは近所の長屋の子供ではなく、大通りに店を構える立派な商家の子供である。彼の評判を聞きつけて長屋にまで子供を毎日通わせているのだ。

「どれどれ・・・ここは昨日教えたばかりじゃないか。乗算を使ってみるとよい」

「でも昨日のは二個まででしたよ。今日のはもっと多い」

 少年は単純に指を使って数えようとしたようだった。だがかける数が大きくなりすぎて指が足らなくなり分からなくなったのだ。

「昨日教えたのは基本だ。それを応用すればいい。そんなことでは立派な商人の跡取りにはなれんぞ。昨日教えたことを思い出し、しっかりともう一度考えるんだ」

 男はここでこうして子供たちや商人や町人に算術から礼法まで、彼らの望む学問を教えることで生業なりわいを立てていた。

 だが彼が一番得意とすることはそれらのことではなかった。兵術、それこそが彼が最も得意にする──いや、得意にしていたことだった。

 だが彼がそれについてここで口にすることは無かった。兵術など市井の人々には何のかかわりも持たぬことなのである。

「先生、これ見てくださいや!」

 軽薄な声と共に長屋一のお調子者であるプピエヌスが一枚のビラを片手にひらひらと振って、彼の家へと断りも無く入ってくる。

 先生と呼ばれる男は育ちがいいだけに、当初はこういった無作法に眉をひそめたものであったが、今や何の感慨も抱かないほどこの現状に慣れきってしまっていた。

 だが根が生真面目なだけに、さすがに一言文句を言う。

「なんだね、騒がしい。まだ子供たちに勉強を教えている途中なのだ。またにしてくれないかね」

「いいじゃねぇですかい、硬いこといいっこなしですよ。ガキどもなんか放っておけばいいんです。勝手に勉強でも落書きでもしてるってもんですぜ! それよりも驚天動地、天地がひっくり返るような大事ですぜ!」

 あいかわらず大げさで厳つい形容詞の好きな男だとは思うものの、その言葉に何故か引き込まれるものを感じているのも事実だった。

「大事とは?」

「先生、この間の南部での大事件、ご存知でしょう?」

「ああ・・・南部で叛乱騒ぎがあったとか聞いたが・・・」

 わざとぼかして言ったが、男にとって南部での騒乱はその程度の認識ではない。農民が朝廷に向かって弓引いたと聞いたその時から、男はその話のとりことなった。

 確かに天下統一したとはいえ、まだまだ関東の王の治世は始まったばかり。こういう時はえてして足元がぐらつくものではある。

 だがその叛乱劇は何かそういったものとは性質が異なるように男には思われた。

 叛乱の原因となった地方官を殺したにもかかわらず槍を収めないなど、ただの一揆とは思えなかったのだ。大乱の兆しではないかと感じるものがあったのだ。もちろん、その中には男の個人的な願望が多く込められてはいたが。

 だが、もしそれが男の願望だけでなく本当に大乱になるとしたら、と男は夢想する。


 その時が来たら、自分は・・・・・・


「先生、聞いてますかい!?」

 男はプピエヌスの声に現実に引き戻される。

「あ、ああ・・・すまない、ついぼーっとしてしまった」

 照れたように頭を掻く男をプピエヌスは呆れた目で見る。

「しっかりしてくだせぇよ。で、ですね、これによると南部の連中は金に糸目をつけずに兵をかき集めているようですぜ。支度金も弾むし、敵の首一つ取れば一両! 一両ですよ! これは夢のような話ですぜ」

「なんだと!」

 そう言うと男はプピエヌスの手からビラをひったくり、食い入るように何度も読んだ。

 そこには挙兵の理由、朝廷と戦う正義、そして確かに傭兵の募集が書かれていた。

「そうか、戦うのか王と。天与の人と戦うのか・・・!」

 男にとっては支度金も敵の首を取れば貰えるという報奨金もどうでも良かった。その一文こそ、彼が待ち望んでいたことであった。

「・・・先生?」

 突然、興奮して立ち上がった男をプピエヌスも教え子たちも怪訝な思いで見上げていた。何が彼をそこまで興奮させたのか分からず戸惑っていたのだ。

「すまぬな。もう今日からお前たちに教えてやることはできなくなってしまった。これはそなたたちの親に返しておいてくれ」

 男は机の引き出しから巾着を取り出すと、そこから銭を取り出して、先払いで貰っていた授業料を満額子供たちへと返す。

「せ、先生、急にどうしたんですかい? 義理堅い先生らしくもありませんぜ。子供たちの授業を取りやめにするなんて!」

 プピエヌスが背後で非難がましく言う言葉を軽く聞き流しながら、男は物置から大きな長櫃ながびつを取り出した。

「南部へ行く。王と戦うために南部へ行かねばならぬ」

「せ、先生。あっしのは単なる冗談ですぜ。本気になんてしないでくだせぇ。叛乱なんかすぐに治まるに決まってます。天与の人である陛下に逆らうなんてできっこねぇことですぜ」

 そう言って馬鹿な考えを止めさせようとするプピエヌスに、男は不敵な笑みで応える。

「お前ができなくても私にはできる。そしてそうしなければならない理由も持っている。何故なら、私の名がリュサンドロスであるからだ」

「へ・・・! リュサンドロスっていやぁ、元関西王師下軍の将軍・・・! 西京攻防戦で行方不明になったという・・・!」

 そう言って泡をくって腰を落として黙り込むプピエヌスを無視するように、リュサンドロスは長櫃から次々と鎧を取り出して淡々と装着する。その様子を子供たちはぽかんと口を開けて眺めているだけであった。

 全てを装着し終わるとリュサンドロスは槍と刀を手にして懐に金の入った巾着を捻じ込んで表へと出る。長屋の住人たちはその姿を見ると腰を抜かし叫び声を上げた。ちょっとした混乱が周囲を包んでいく。無理も無い、平和な生活の中に突然完全武装の男が現れたのだ。混乱しないほうがおかしい。

 だがどうやら危害を加えることがないと悟ると、警戒しつつも遠巻きに眺めるようになった。そしてその正体に気が付く者が現れ始める。

「先生じゃないですか! ・・・どうしたんですか、そのお姿・・・いったい何のために!?」

「南部に行く。南部に行って叛乱に加わり、王と戦い関西武人の心意気を見せるのだ。これまで世話になったな」

 そう、南部へ行って王ともう一度戦うことこそが彼の望みだった。

 リュサンドロス率いる下軍は西京防衛戦で王の戦術と関東王師の猛攻の前に成すすべなく敗れた。全体指揮を執った上将軍のペイトンがお粗末な作戦を立てたせいであるが、それでも一軍を預かって戦った自身にも責任が無いとはとてもいいかねない。それを恥じて彼は姿をくらましたのだ。

 有斗は罪を寛大に許す王なので、出て行けば王に槍を向けた罪を許されるだけでなく、降伏した関西の官吏と同じように朝廷内にてそれなりの地位を与えられることが分かっていても彼は出て行く気になれなかった。

 こうして王の前に惨めに敗れた事実を考えると、確かに自分は以前自身が信じていたように兵術に長けた有能な将軍ではないかもしれないが、それでも最後まで関西に忠義を尽くすという、筋を通す人間でいたかったのだ。

 それが彼が最後に残していた僅かな矜持だった。

 だが彼が失意の底にいる間も、同じ関西の将軍の一人であったバアルは王と戦い続けた。王に一矢報いることを願うリュサンドロスならばその活躍を己が活躍のごとく喜んでもいいはずだ。しかしそれは彼の心の慰めとはならなかった。

 バアルが王と戦い、幾度も王師を翻弄するといった話を聞くたびに、何も出来ない自身の不甲斐なさが一層際立って惨めになるだけだった。

 だからこれで王と戦える、バアルに一切の引け目を感じずに済むと思うと、リュサンドロスは心が晴れ渡る思いだったのだ。

 リュサンドロスは長屋の住人たちに笑みを浮かべながら軽く頭を下げ、最後の挨拶を行った。

「先生! いつ戻ってくるの?」

 リュサンドロスは先程まで彼の教え子だった少年のその声に右手を挙げて応えると、長屋を二度と振り向くことなく立ち去っていった。

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