第352話 王城炎上(Ⅲ)

 外部から侵入した教団の主力の兵が秘密の通路を使って撤退しても、王城は直ぐに落ち着きを取り戻したわけではなかった。散発的に要所に籠もって抵抗を続ける教徒の掃討作戦は続いていたし、有斗の安否を心配した官吏が次々と駆けつけて後宮内に入ろうとしてちょっとした騒動を巻き起こしていた。

 有斗の安否ひとつでアメイジアの未来は大きく変わることになる以上、一刻も早く有益な情報を得ようという計算もあっただろうし、王の危機に取るものもとりあえず駆けつけることで忠誠を見せておこうといった下心もあるかもしれない。もちろん本当に心底心配している官吏が一人もいないということはないであろうけれども。

 だがその全てを後宮に入れてしまうわけにはいかない。統率の取れない烏合の衆など残敵掃討にも、王の身柄探索にも却って足手まといになる。それにその中に信者が紛れ込んでいないとも限らない以上、アエネアスとしては認めるわけにはいかなかった。

 だが今は後宮の二大主にだいあるじである有斗とアリスディアが揃って行方不明という緊急事態だ。

 探索の指揮を誰が取り、誰が後宮に出入りする許可を与えることが出来る権限を持っているかということが問題になる。

 そこでアエネアスと官吏、特にアエネアスより高位の公卿たちとの間に一悶着が起きた。せめて自分たちだけでも中に入れろというのだ。

 だがアエネアスはその申し出をにべもなく跳ね除けた。

「内府であろうが亜相であろうが知ったことじゃない! 叛徒たちを追い出して、陛下の安否が確認されるまでは誰であろうと勝手に後宮に入るものはわたしの剣で斬る!!」

 今は誰であっても信用できないというのがアエネアスの偽らざる心なのだ。

 ダルタロス出身の羽林の兵ですら、アエネアスが把握している教徒である兵は後宮に入れずに一箇所にまとめて監禁する。

 もっとも教徒は主に流民や農民が主で、諸侯の下で兵をしていたものや傭兵などの信者は少ない。それにその少ない中でも多くの者は既に裏切ってアエネアスの下を離れていた。

 とはいえそれは吉報を意味する。教徒の中でもこういったことを知るもの、そして知って賛同するものだけではないということだ。

 当然だ。教徒にだって教団に死の淵から救ってもらい身も心も捧げている者から、隣近所の人に誘われたから入っただけという互助会感覚の人まで色々といることだろう。

「・・・ということはアリスディアだって反乱騒ぎに関与していない可能性だってあるということだよね・・・」

 とはいえ尚侍ないしのかみとしての給金のほとんどを貧民への炊き出しに使うなど誰よりも敬虔な信者であり、王都の信徒の取りまとめ役をするほどの教団で高い地位を有しているアリスディアがこの反乱に関わって無い可能性は無に等しかった。

 ヒュベルやベルビオやプロイティデスをはじめとして王師内でも指折りの一騎当千の猛者が加わり、後宮内を手分けをして虱潰しらみつぶしに敵の姿と有斗の姿、両方をくまなく探索した。

 もっとも王師の中では教養ある風流人で知られたヒュベルであっても地図上では大まかな形は知ってはいても、実際に中で動くとなれば道に迷いかねない。それがちょっとした迷宮である後宮というものなのだ。他の王師の将兵は推して知るべしというものだ。探索の主体となるのは女官と羽林の兵であった。


 後宮内で有斗が発見されたのは探索を開始してなんと二刻(約四時間)も過ぎてからだった。

 既に王城内は完全に制圧し終えていた。にもかかわわず見つからないので、屋根裏や床下、果ては使われていない井戸の底などまでさらう相談を始めた矢先だっただけに、皆一様に胸を撫で下ろして安堵した。

 多くの者は時間が経過するにつれて、もはや王は叛徒に連れて行かれたか、死体となって業火の中に投げ込まれたか、人知れず放置されているのではないかとさえ考え始めていたのだ。

 発見された場所はなんと尚侍ないしのかみアリスディアの部屋の中だった。

 まさか敵に回ったと思われるアリスディアの部屋にいるとは思わず、幾度か尚侍を探して中を覗いた女官はいたものの、そこが無人だと見ると直ぐに探索を放棄してしまい、探索の空白地帯となっていたというわけだ。

 それでも死体を隠す可能性ならばあると羽林の兵が踏み込んだところ、入り口からは死角になっているアリスディアの机の下に折りたたまれている有斗の体を発見した。

 その知らせは直ぐに後宮中に告げられる。それを聞いたアエネアスは顔を喜びに輝かせると、けつまろびつしながら現場へと向かった。

 現場に着いたアエネアスが見たのは想像と違った光景だった。

 大勢の女官や羽林の兵をき分けて中に入ると、そこには大勢の人間に無事を祝福される有斗の姿が見えなかった。机の向こう側に集まった皆は何故か一様に下を向いて視線を床に集中させていた。

 アエネアスはたまらなく嫌な予感がした。心臓がきりきりと締め付けられるような感覚に陥り、息を吐くのさえ苦しかった。

 アエネアスが近づいても誰もが一言も言葉を発しなかった。

 意を決して机に近づくと、アエネアスは机の上に身を乗り出して、その向こう側に広がる何が皆の目を惹き付けているのかを確認しようとした。

「・・・」

 そこには手足を小さく折りたたんで机の下の僅かな空間に閉じ込められたように横たわる有斗の姿があった。

「・・・・・・あ・・・」

 喉が震えて上手く言葉が出なかった。

 これほどの騒ぎがあったにも関わらず、どこからも姿を現さない段階で嫌な予感はしていた。だがどこかに閉じ込められて出られないだとか、手足を縛られ自由に行動が取れないといった特殊な状況下にあるのではないかといった、薄い期待に一縷いちるの望みを託していた。

 このようなところに隠されていたこともさることながら、何の拘束も受けていないのに、ましてや周囲をこれだけの人数が取り囲んでいるのに立ち上がろうと、いやまぶたを開けようとすらしないということは・・・ アエネアスはそこから先を考えるのが怖かった。

「・・・陛下・・・遅かった」

 そっと手を伸ばして有斗の頬に指を当てるとまだ暖かかった。少し前まで生きていたということか・・・

 もう少し、ほんのもう少し早ければ間に合ったのかもしれないと思うと自分の不甲斐なさに泣けそうになった。

 とアエネアスが落ち込んだその時だった。

「・・・う~ん・・・」

 アエネアスの指から逃れるように有斗は寝返りをうち、顔の向きを変えた。

「・・・・・・んん?」

 アエネアスは思わず眉間にしわを寄せてまじまじと有斗の顔を覗き込んだ。

 有斗はすやすやと寝息をたてて眠っていた。しかもよほど楽しい夢を見ているのか、かすかに口は笑っていた。

 こちらはこんなに必死になって有斗のことを探し、心から心配して生きた心地さえしなかったというのに、その当人はこんなところでこうしてのうのうと寝ている、何よりもその事実がとてつもなく腹立たしかった。

「・・・陛下は最初から寝てたの?」

 アエネアスは有斗の一番傍にいる若い羽林の兵に尋ねた。

「はぁ・・・我々が見つけたときにはもう寝ておられました」

 その応えは更にアエネアスを苛立たせるだけだった。

「ねぇ」

「は、なんでしょうかアエネアス様」

「何故、陛下はこんな非常事態にまだ寝てるの?」

 見つけた時に寝ていたとしても、この危急の時だ、起こすべきではないか。

 彼らが怠慢をし、起こさなかったことで、有斗が死んだと思い込んだアエネアスは、衆人の目前で涙を流さんがばかりに悲しんだ顔をし、更には指でいとおしげに撫でる姿を見せるなど、余計な恥をかくことになったのだ。文句を言わずにいられなかったのである。

「恐れ多くも玉体に手を掛けることもできず、陛下をお起こしてもよいものかどうか我々では判断がつきかねまして・・・」

「いいに決まってるじゃない!! なんなの陛下ってば! 人に散々心配かけておいて、自分はこんなところ寝息を立てて、すやすやとお休みとは! まったく! 本当にいいご身分だね!!」

 アエネアスは有斗のほっぺたを両手で掴むと力を込めて広げるように引っ張った。

「アエネアス殿、陛下相手にそんなことをなされては・・・!」

 アエネアスと有斗とが近しい関係であることを知っているヒュベルだったが、さすがに目の前で王に対して傍若無人な振る舞いに及ぶのを目にしては、口を挟まずにはいられなかった。

「いいんです! 人を心配させるだけ心配させといて、いい気分になって寝ているような奴には罰が必要なんです!!」

 ヒュベルにそう返事をしている間もアエネアスの指は徐々に力を込められ有斗の頬を横へと引っ張っていった。

「う・・・ううん・・・なんふぁ(なんだ)・・・ほほふぁひはいほ(頬が痛いぞ)・・・?」

 その時、有斗は薬で痺れた感覚が完全ではないものの、徐々に元に戻りつつある途中だった。

 アエネアスの手加減なしの引っ張りともなれば本来ならば激痛で飛び起きるほどのものであったが、薬によって感覚が鈍化され、頬に走る痛みはようやく意識が戻ってくる程度のものでしか無かった。

「あ、あれ、なんで僕、こんなところで寝てるんだ?」

 つねられて真っ赤に腫れ上がった頬をさすりながら、有斗は周囲を不思議そうに見回し呟いた。

「それはこっちのセリフよ!!」

「あ、あれアエネアス・・・? それにヒュベルやベルビオやみんなまでどうしてここに・・・?」

 先ほどまで反乱が起きて逃げ惑っていたと思ったら、突然アリスディアに何かを入れられたお茶を飲まされ、とんでもない事実を告げられたような気がするのだが・・・

 だがもう一度目を開けると、目の前にはアリスディアの代わりにアエネアスがいた。それともあれは夢であったとでもいうのであろうか。有斗は事態が飲み込めず、狐につままれたような気持ちだった。

「王都、王城、後宮内でソラリア教の教徒の一斉反乱が起きたのよ! それも覚えていないというの!?」

 そのアエネアスの一言で、ようやく有斗はあの悪夢のような一件が、己の夢の中だけの出来事でなかったことを把握する。

「あれは夢じゃなかったんだ・・・?」

「何が夢なのよ! こんな大変な時に一人だけぐっすりとお休みなんて・・・! 陛下って本当に呑気なんだから!!」

「そんなに責めなくってもいいじゃないか。こっちだって色々と大変だったんだよ」

 そもそも寝ていたというが、あれはアリスディアに飲まされた薬のせいだ。それにあれほど信頼していたアリスディアに裏切られるという心の傷を負ったというのに、そう責めなくてもいいではないか。

 有斗にとってアリスディアは、アエネアスらと同じく替えの利かない存在の一人であった。アメイジアに来てからの付き合いとなれば誰よりも長く、誰よりも有斗の傍にいる存在であった。それが裏切ったのだ。有斗が傷つかないはずが無い。

 だが、まてよ・・・と、そこまで考えて有斗の心に一つの疑問が浮かぶ。なんでアリスディアは僕をこの場に放置して立ち去ったのだ・・・? せっかく手に入れた有斗の身柄だ、何も放置しておくことはない。有斗を盾にして要求を突きつけるとか、利用方法は色々あるはずだ。

 それに即効性の毒薬ではなく、強力な睡眠薬を使ったのは何故なのか?

 彼女があの時有斗に告げた言葉と何かが大きく矛盾している、と有斗は感じ始めていた。

 だが有斗にその先を考えさせるいとまは与えられなかった。

「わたしがどれほど心配したと思っているの!?」

 そう言って有斗の胸にこぶしをひとつぶつけると、アエネアスは顔をしわくちゃにして泣き出したのだ。

 有斗はその時、やっと気が付いた。行儀悪く机の上にアエネアスが座っていることを。そしてその足が両足とも裸足で泥と血で汚れていることを。

 一秒でも早く有斗の顔を見るために机を回り込む時間すら惜しかったのであろう。そして靴を履くという当たり前のことを考える間もなく王城に駆けつけ、足の裏が傷ついても気にならないほど有斗の事を思って探し回ってくれたのだろう。

「ごめん・・・そしてありがとうアエネアス」

 有斗は両手で泣き顔を隠すアエネアスの頭を子供をあやす様に優しく撫でた。


 アエネアスの頭を抱きかかえつつ、ぐるりと周囲を見回すが、やはりアリスディアの姿は群衆の中には無かった。

「それにしても・・・アリスディアのことが気になる。アリスディアはいったいどこに・・・?」

尚侍ないしのかみ様は・・・」

 グラウケネはそう言ってうつむいて黙ってしまった。尊敬する上司である以上に親しい姉妹のような関係だった彼女にとってもアリスディアのこの裏切りは大きなショックだったに違いない。

 皆の代わりにアエネアスがその質問に返答した。

「アリスはわたしたちを置いて行ってしまったよ。たぶん信徒と行動を共にしているんだと思う」

 そう言うアエネアスの顔も苦渋に満ち溢れていた。

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