第349話 夢の終わり

 闇の中に人々が集う。いつもの場所、いつもの面々、欠員は───無い。

「今日、緊急に召集をかけたのには訳がある。どうやら南部で大事が起こったらしい」

 いつになく影の声には張りがあった。闇の中を照らす明かりも心なしか明るく見える。それだけ彼らにとって朗報がもたらされたということだ。

 リーダー格の男の言葉の後を受けて声を上げたのは、いつもはあまり発言をしない男であった。彼は特定の担当地区を持っておらず、もっぱら組織の中で荘園などの管理を担当している。彼ら六人の中では格下の男である。

「私からご説明いたします。去る九月十七日に南部で反乱騒ぎが起きました。この反乱の契機となった事件は我々が所持する荘園に官吏が将来の収公を見越して調査に訪れたことに端を発します。そこでの揉め合いから感情の行き違いが起こり、官吏は一村丸ごと皆殺しにしたとのこと。これに怒った我々の荘園の民たちがその責任者の処罰を求めて蜂起し、最後には国府まで襲い陥落させたとの報告です。その後も徹底抗戦の構えを崩さず、我々にも救援を求める使者が参っております」

「なんと! 国府まで落としたのか・・・!?」

「これは絶好の好機ではないか? 何があったかは分からぬが、一村皆殺しなど誰が聞いても朝廷の横暴と捉える事だろう。荘園の強制収公といい、民の不満はかつてないほどに高まっている。朝廷に対して槍を向ける十分な大義名分になるのでは?」

「それに南部と言うのがいい。我らの予定していた計画と大筋で合致するではないか!」

「確かにまず南部で挙兵することから始めるのが我らの革命計画だ。だが落ち着け。彼らの行動は我らが意図して起こした反乱ではない。あくまで偶発的なものだ。そこをよく考慮して判断しなければ足元をすくわれるぞ」

 そう冷静になるように告げるも、その口調は何処と無く弾んで聞こえた。

 十分な手応えを感じた男は流れを決定付けようと彼らに決断を促す。

「彼らは挙兵するに当たり、我々が用意していた武器や兵糧を流用したようです。これは明らかな反逆でございます。朝廷に対してだけでなく、我々に対しても。ですが彼らとて我々の身内、それが窮しているというのに助けぬという選択肢はないかと思われますが・・・」

 男は意見を求めて同僚の顔を見回した。興奮、困惑、悲哀、嫉妬、期待、そこには様々な表情が浮かんでいた。

「我々の物資を流用だと? これは南部担当であるそなたが企んで起こしたことか? まだ準備も万全でないのに迷惑な」

 ガルバはそう言って眉間にしわを作って抗議の意思を表した。

 もっともそれは表面上のことだ。ガルバとしては組織が一刻も早く王と戦うように数々の工作をしてきたのだ。実際はいつ始まろうとも構わないというのが本心だ。

 だからといって開戦することの手柄を同僚にさらわれるのはしゃくなのである。

 そのガルバに対して男は皮肉げな笑みを浮かべるだけだった。

 これまで彼はガルバとは別に動いて、王に逆らうのに十分な大義を作れるように下部組織に働きかけてきた。部下に命じて末端の小作人たちに荘園が取り上げられると吹き込んで王都まで陳情に行かせ、想像通り門前払いを喰らうことで不安を煽った。そのまま朝廷に対する不満を南部で醸造し、挙兵やむなしとする空気を作り上げようとしたのだ。

 もっとも彼にとってもこの事態は予想とは少し異なっていた。実際に挙兵することになるのは土地の収公が始まったその時だとばかりに考えていたからだ。

「これはおかしなことをおっしゃる。それでは我々の存在がばれて王師の兵がここに押し寄せても、準備が出来ていないなどと寝ぼけたことをぬかして戦わないおつもりか?」

 二人の言い争いの間に辟易へきえきとした顔でリーダー格の男が割ってはいる。

「やめよ、今はいさかいをしているときではない」

「申し訳ありません」

 二人とも口では謝るが目には敵意がむき出しだった。ここが我らの最大の弱点だな、とリーダー格の男は心中で溜息を吐く。

 だがそれもまもなく終わるだろう。朝廷と戦うことになれば指揮系統は一本化せざるをえない。それが軍事組織と言うものだからである。そしてその総司令官になるのは彼だった。そうなれば自分は集団指導体制下の単なる会議の議事進行役程度の存在からこの組織全体の本物の指導者になるはずである。朝廷に勝利した後も当然、引き続いて彼が指導的役割を果たしていくに違いない。

「王や朝廷はどう動く?」

 リーダー格の男に促されてそれまで一言も言葉を発しなかった影が一拍置いてから訥々とつとつと語り始める。

「王は王師に出動準備を命じました。準備が出来次第、一刻も早く事態を収拾するために兵を動かす模様です」

「・・・であろうな」

 不測の兵事であったが、彼らが当初考えていた想定通りの動きを挙兵した農民たちは彼らに代わって行ってくれた。であるならば、彼らが前もって策定していた計画がほぼそのまま流用できるということだ。

「ならば、採決を取ろう」

 意見が出たところで、いつものように多数決を行おうとしたリーダー格の男に対して、一人、抗議の声を上げたものがいた。

「待ってください! 反乱を起こしたといっても、それは深い考えに基づいて起こされたものではなく、感情が爆発した結果起きただけのことです! 信念によって結束したわけではない! 大勢の農民は望みが果たされて満足し、武器を捨て、反乱騒ぎは収束しているかもしれませんし、それに既に周辺の官吏が集まって兵を起こし、鎮圧されているやもしれませんよ!」

「それは大丈夫です。反乱を起こした農民たちは国府を襲っただけでなく、占拠し、そこに拠点を構えたとの報告があります。それだけでなく付近の県庁も全て焼き払ったとの事、例え王師が攻め寄せてきても、一ヶ月や二ヶ月は軽く持ちこたえることでしょう」

 提示した問題点を全て否定され、影は一瞬口篭る。が、再度切り口を変えて彼らの心を翻意させようと試みる。

「しかし! 朝廷と戦うのですから、もっと慎重に事に当たるべきです! 偶発的な出来事に引き摺られて戦を引き起こすなど危険極まりない!!」

 幾人かは厳しい視線を発言者に向けた。朝廷と戦うことは既に既定事項なのである。ここで二の足を踏む理由が分からない。それとも、ことここに至っても朝廷との融和を考えているとでもいうのだろうか。

「何よりも命の大切さを説く、そなたが反対するとは意外だな。それとも南部の同胞を見殺しにしろと言うのか? それほどまでして自分の命が惜しいか?」

「・・・!!」

 言われてみればその通りだ。徹底抗戦を決意した南部の農民たちは、このまま手を差し伸べなければ、確かに全滅してしまうことだろう。

 だがしかし、王師と戦えばその幾倍もの犠牲者が出ることは間違いない。ここで挫けてなるものかと思い直して顔を上げるが、他の五人が自身に向ける目に慄然とする。

 冷たい、一切の温かみを見せない目。それは彼らの前途に立ちふさがる如何なるものでも排除するという意思表示、目の前の者を同格の同僚ではなく、排除すべきモノとして見ている証だった。

 つまりこれ以上反論しても全てが無駄に終わる。

「・・・・・・分かりました。ことここに至っては挙兵もやむなしと判断いたします」

 勝ち誇ったように他の五人は唇の端を曲げ、笑みを形作る。

「決まったな。早速に各地に使者を走らせ、『ほう』に命じて手はずどおりに決起するよう命じよ。アメイジア全土に革命の声を鳴り響かせるのだ」

「はっ!」

「まずは南部一帯で蜂起することで王の目を一箇所に向けさせるのだ。南部だけで起きた朝廷に対する農民反乱だと思わせることで他の地域の警戒を緩めるのだ。その後、他の地域で順次蜂起する。ここにはもちろん王都での決起も入っている。王都での挙兵は、二週間後、虎の刻(午前四時)をもって決行することにする。異存は無いな?」

「異存なし!」

 大きく賛同の声が響き渡る。ただ一人を除いては。


 有斗が調査のために送り出した按察使あぜちは僅か三日で王都に戻ってきた。もちろんその僅かな日数で速やかに仕事を終えたわけではない。

 南部から発せられた朝廷に救援を求める早馬と出会って南部の現状を知り、顔を青くして戻ってきたのだ。

「せめて南部に行って現地の情報を仕入れてから戻ってきてくれてもいいのに」

 有斗はそう文句を言った。南部から送られた早馬は彼らに事実を告げるだけでなく、そのまま朝廷に急報を知らせるのだ。別に按察使亜相らが報告しなくてもいいのである。

 有斗がそう文句を言うと、「確かに理屈ではそうなのですが、それは高望みと言うものです。あの按察使亜相らに戦場となった南部に自ら赴く根性骨があるものですか」とラヴィーニアはばっさりと按察使亜相らの人間性を切り捨てた。

 関東は関西と違い各地で紛争が起き、朝廷も内部抗争が激しかったとはいえ、王師三軍を抱え、東京龍緑府という鉄壁の都を保持していた関東朝廷は外征をしたことはあれど、王都を囲まれた経験は無い。

 官吏は単なる文人に過ぎなかったのだ。王である有斗の為になるとはいえ、あえて危険な土地に潜入する度胸を求めるほうが間違っている

「まぁ、そうだよな・・・」

「それよりも陛下、叛徒どもは陛下が任命した国司を追い出して国府を占拠しました。身近な人が殺されたのですから、武器を手に蜂起したのも、県令を殺したのも許せることではありませんが、なんとか理解できないこともありません。ですが国の裁きを待たなかっただけでなく、国の出先機関である国府を占拠する。これは朝廷の権威に対する明確な挑戦と見るべきです。中書令としては到底許せることではありません」

「でも情報を集めてみたら、どうも地方の官吏が朝廷の威光を笠に来て老婆を突き倒し殺してしまったことが発端となったようだよ。しかもその後、そこの村人と険悪な仲になって兵を動員した上、村人を殺してしまったらしい。どうも最初の報告であったような、村人の方から武器を持って官に楯突いたという事実は無いみたいだ」

 伝聞形なのは事件全てを把握している当事者である地方官が死んで、その蛮行に加わった兵士たちのうちの、生き延びて逃げ出せたごく一部の幸運な者たちから断片的な情報しか聞き出せなかったからである。

 それと周辺に存在した県庁も次々と襲われて、その一帯が朝廷の支配地域から外れ、治安が悪化して情報収集どころではないからでもある。

「陛下、それはもっぱら賊の言い分を主体にして考えた結果です。人は誰しも自分が悪いなどと申すわけがございません。賊の言い分のみを信じて判断なされるのは軽率かと思われます」

「でも生き延びた兵士たちからも似たような証言は得られてるよ。どちらかというと今回は完全に非はこちらにある」

「例え本当に彼らが言うとおり、官吏の横暴が今回の反乱を呼んだ原因だとしても、官吏を罰するのは民にあらず、朝廷です。私闘や私刑は惣無事令違反となります。そして例えどんな理由があったにしろ徒党を組んで人を殺害するのは立派な犯罪です。これを裁かなかったら、朝廷の威令は今後一切重んじられることがなくなるでしょう。しかも陛下が平和を求めて発布した惣無事令は形骸化してしまうことになります。それでもよろしいのですか?」

「その理屈は分かるけどさ。ここは正々堂々と朝廷にも非があったことを認めて謝り、事態の収拾を図るべきだよ。偉ければ白でも黒になるような世界だと皆が思ってしまったら、希望を持って明日を暮らしていけなくなるよ。もちろん彼らを無罪とするわけにはいかないけれども、労役程度に刑罰をとどめておけば朝廷としてもそれなりの格好がつくんじゃないかな」

 有斗はそう言って穏便に事態の収拾を図るように促すが、

「またそんな甘いことを・・・陛下は本当に人がよろしすぎます」

 ラヴィーニアはそう言って顔をしかめることで、有斗に反対の意思を示した。


 だが現状は有斗にその解決方法を取らす選択肢を許さなかった。

 次いで南部から入ってくる報告は全て凶報ばかりだったのだ。

 反乱の火の手は朝廷の予想を裏切って、何故か瞬く間に広がり、次々と南部一帯の国府、県庁が襲われる。首尾よく撃退できたところもあったし、健闘むなしく陥落したところもあった。

 ただ、辛うじて撃退したとしても周囲は見渡す限り叛徒の群れ、駐屯する兵も少なくこれからの見通しすら立たない有様だった。

 しかも元は諸侯の城とはいえ、諸侯は転封の際に家裁道具から武器から兵糧まで当然余さずに持って行っている。篭城しようにも長期の篭城に耐えられるだけの物資がなかった。

 彼らに出来ることは闇夜を突いて敵中を突破し、王都へと救援を求める使者を一縷いちるの望みを託して放つことだった。


 全ての使者が包囲を突破できたわけではなかったが、王都へと運よく辿り着けた使者は相当数に上った。

「ダルタロス、ロドピア、カルディリア、ソラリア、ハルキティア、ブリタニア、フォキス、プレヴェサ、マグニフィサ・・・やれやれ、これでは南部一帯が火の海ではないか」

 単なる農民の蜂起だと思って甘く見ていた。僅か一週間で燎原に放った火のように広がってしまった。

 しかし、何故こんなにまで拡大する・・・?

 確かに地方官の起こしたことは、非道なことだ。立ち上がるのに十分な理屈ではある。

 だがそれはあくまで当事者においてはという但し書きがつくはず。周辺の農民が揃って立ち上がる理由とはなりえないはずだ。

 ラヴィーニアには他にも気になることがあった。

「蜂起した期日だ・・・四日後にダルタロスはじめ四箇所、五日後にハルキティア初め二箇所・・・何故、反乱が起きてからしばらくの間、微妙に空白の日時が存在するんだ・・・?」

 説明がつかない。だが、さらに気になることまであった。

「それに何故、トゥエンクだけ蜂起する民がいない・・・?」

 トゥエンクの周囲では農民の蜂起が報告されているのに、トゥエンクだけ農民反乱の空白地帯になっていた。トゥエンクにも国府も県庁も荘園もあるというのに。

 もしマシニッサがこの場にいれば、ラヴィーニアのところに集まってきている情報を見ることで全てを悟り、ラヴィーニアの疑問を氷解させていたかもしれない。

『誰があんな胡散臭い連中に大事な土地など貸すものか』、と。


 それが起こったのはまだ夜も明けきらぬ早い時間の頃である。

 ようやく東の空に薄暮が広がり、鶏が鳴き声を上げようか上げまいかと悩んでいるような時間帯であった。

 有斗は遠くで起こった騒ぎに耳聡く起床する。

 素早く今日の朝議で着る予定の王服を羽織ると、扉を開けて廊下からしとみを開いて夜空を見回した。後宮の外、王城の内側で大きく火が上がっていることがそこからでも確認できた。

「火事か」

 だがそこが騒ぎの原因だとするとちょっと遠い。そして方向が違う。

 よくよく首を回して周囲を見回せば他にも小さいながらも火の手が上がっていることが確認できただけでなく、騒がしい声はステレオのように両耳から聞こえてきていた。

「これは・・・」

 同じくしとみから顔を突き出して覗き込んでいた羽林の兵が息を呑んだ。

「反乱、だね。何者かの」

 後宮で失火騒ぎはよくあることだ。だが同日同時間帯に複数の場所から一斉に火の手が上がることは考え辛い。

 考えられるのは火で注意を逸らしている間に何者かが何かをしようと企んでいると言う事だ。

 有斗としてはその狙いが自分では無いなどといった楽観的な見通しはとても持てなかった。王城内で一番価値のあるものといえば、有斗の命なのだから。

「何者の仕業でしょうか?」

「何者かは今は問題じゃない。とりあえず、この急場をどうするかを考えよう。なにせ今は夜間の警備体制だ。アエネアスも自宅に戻っているし、後宮内の羽林の兵の数も少ない」

 もちろん敵はそれを承知で朝駆けを狙って仕掛けてきたんだろうけれども。

「あ、陛下、お喜びください。どうやら陛下を守りに援軍が駆けつけて来てくれたようですよ」

 羽林の兵が指差す先には、廊下をこちらへと向かってくる一団があった。

 有斗を認めるとわざわざ一礼してから再度こちらへと向かってきた。

「陛下、ご無事で?」

「幸いにしてね。ところで君たちは今いったい何が起きているか分かっているのかな?」

「我々もどうなっているのかさっぱり・・・とりあえずあちこちで火災が起きていることから反乱騒ぎではないかと思ってはおりますが・・・それよりも、まずはどこか安全なところへ向かいましょう。いつまでも寝所におられるのは危険です」

 自分たちと大して認識の差がないことに、有斗だけでなく、有斗の寝室の扉を守っていた元からいる羽林の兵たちもがっかりした。

 だが有斗はその会話を交わす僅かな時間の間に、ある重大なことに気が付いた。

「ちょっと待って」

 有斗は新しく駆けつけて来てくれた兵士たちの鎧を指差して訊ねた。

「その鎧、羽林じゃなくて金吾だよね。何故、反乱が起きたと分かっているのに、門を侵入者から守る金吾が持ち場を離れて、僕を守りに駆けつけてくるのかな?」

 有斗はそう言うと半身体を開いて、いつでも逃げ出せるように体勢を整えた。

 有斗の前で彼らとの間に立ち塞がる形になっている羽林の兵もことの重大さに気付き、素早く剣を抜いて構える。

 反乱なり侵入者なり盗賊なり、何かことが起きたら宮門を固めて怪しげな人の出入りを防ぐのが金吾の役目である。

 ここに来ているということは、彼らにとって門を守るより重要なことがここにあるからだということだ。

 つまりそれは有斗の命、目の前の味方面をした兵士たちは反乱を起こした者の一味であるに違いない。

「・・・・・・」

 事が露呈したことに気付くと、彼らはそれまでの温和な顔をかなぐり捨てて、剣を抜いて敵意をむき出しにした。

 敵は十、味方は四。ちょっとばかり、いや圧倒的に味方不利の状況だった。

 それでも少しは救われる材料があった。王宮の通路は広いと言っても、ここら辺りはさすがに横に三人広がるのが精一杯。数の不利は少しは緩和される。

 だが敵は数を利用して一気に片をつけようと、一斉に襲い掛かってくる。

 斬りかかった先頭の一人を挟撃し、羽林の兵は左右から剣を突き出して簡単に一人を料理してしまう。

 倒れこむ死体の首から何かが外れて転がり、有斗の靴先に当たって止まる。

 それは三角形をした首飾りだった。有斗は思わず叫び出しそうになった。

 有斗はその三角形に見覚えがあった。そう、あったのだ。

 そして再び剣を向けている金吾の兵士たちの胸元を見る。全ての兵士の胸元に同じものがあった。

「陛下! お逃げを!」

 ただでさえ羽林は人数差に苦戦する。有斗を守ろうとすればそれだけ取れる手段も限られることとなる。この場にいたら足手まといだ。

 有斗はその三角形を掴むと、廊下を反対側に向かって走り出した。


 有斗が後宮内を走っていると、扉が開いて中から手を差し出された。

「陛下・・・こちらへ!」

「あっ・・・アリスディア!」

 有斗は慌ててアリスディアの手を掴んだ。いつもの彼女からは信じられない力で扉の中にひきこまれた。

 そういえば昔もこういうことがあったな、と有斗はふと思い出した。

 四師の乱の時のことだ。あの時もアリスディアが有斗に襲い掛かろうとした羽林の兵の頭に壷を叩きつけて、窮地きゅうちの有斗を助けてくれた。

 普段はおしとやかで大人しいアリスディアもいざとなれば男顔負けの根性を発揮する。

 有斗にとってもっとも近しい存在であり、もっとも頼りになる存在、それがアリスディアだ。

「・・・ご無事でしたか」

「うん。アリスディアこそ大丈夫だった?」

「はい。おかげさまで」

 アリスディアはにこりといつもの笑みで有斗に微笑んだ。

 有斗はアリスディアの机の影に隠れることにした。外の喧騒が収まるまでは油断が出来ない。そんな有斗の緊張を解そうと、アリスディアはお茶を入れて持ってきてくれた。

「陛下、どうぞ」

 香ばしい新茶のいい香りが有斗の鼻腔をくすぐる。

「ありがと」

 感謝の言葉と引き換えに有斗はアリスディアの手から茶碗を受け取った。程よい熱さの美味な新茶が有斗の喉をうるおす。

「アリスディア」

「はい」

「王宮で今、反乱を起こしている連中の正体が分かったよ。おそらく南部の一件も彼らが関わっていると思う」

「・・・はい」

 少しばかり緊張しているようだった。無理も無いことだ、と有斗はアリスディアの内心をおもんばかった。

「この三角形・・・襲撃者が持っていたものなんだけどさ、見覚えあるよね? そう、南部へと逃げ延びたとき僕を助けてくれた巡礼者が持っていたものと同じものだ。そう、確かソラリア教といったっけ・・・」

「・・・そう、ですか。知ってしまわれたのですね」

 アリスディアは目を伏せた。

「そして君もその教徒だった。間違いないよね?」

「はい」

 それならば・・・アリスディアならここまでこじれた王権と信仰を取り持つこともできるかもしれない、と有斗は思った。彼女は有斗と彼等の中間に位置するはずだから。

「しかし、こんなに信徒が宮廷内にいるなんて思わなかった」

「・・・・・・そうですね。長年にわたって侵食しましたからね。気付かれぬように、ゆっくりと」

 その声はいつものアリスディアとは違う声色だった。有斗はぎょっとしてアリスディアの顔を見る。

 にこやかに笑うアリスディアのその見慣れた顔も違和感があった。いつもとは違う。どこか冷たく感じられた。

「アリス・・・ディア?」

「ふふふ、いつも思っておりましたが、ほんに陛下はお人がよろしいですね」

 そう言うと、困ったような、あるいは人のよさを馬鹿にしたかのような表情を浮かべた。

「反乱を起こしたものの正体を気取りながら、信徒であるわたくしが入れたお茶を疑いも無くお飲みになるなんて・・・それに警戒も無くわたくしの部屋に入るなどと・・・アエネアスが聞いたら怒りますよ? 何故そのような無防備なまねをなされた、と。それともわたくしが信徒と陛下を取り持つとでもお思いになられましたか?」

「え・・・?」

「わたくしとて信徒の端くれ、この反乱劇に加担して無いと何故陛下はそう思われませぬ?」

「まさか・・・まさか!」

 驚愕の事実に有斗は思わず茶碗を落としてしまった。

 茶碗は床に当って中身をぶちまけると、今の有斗の心のように砕け散った。

 ・・・いや、違う。うっかり落としたのではない。手に力が上手く入らないのだ。

「だ、誰か! 誰かいないか!?」

 有斗は叫んだ・・・つもりだった。だが肺腑はいふの全力をもって叫んだはずのその声はか細くかすれていた。

「陛下、それで大声を出されているおつもりですか? そんな蚊の鳴くような声では衛兵どころか廊下にすら届きませんよ?」

 立ち上がって逃げようとする有斗をアリスディアが上からその体からは想像できないほどの怪力で押さえつける。

 いやアリスディアのか弱い力でも苦も無く抑え込まれるほど、今の有斗には力が入らないのだ。

「まさか・・・薬を・・・?」

 アリスディアはいつもと変わらず涼やかな微笑を浮かべていた。

「だからお人がよろしいと申し上げたのです。四師の乱を思い出してください。当日反乱が起きていると陛下に知らせたのは誰でしたか?」

「たしか・・・アリスディアだった」

「私がいちはやくその情報を掴んでいたことに不審はいだかれなかったのですか? ラヴィーニアたちは極秘に進めていた。新法派だって旧法派の動きは探っていたはずなのにそれでも洩れなかった。だのに後宮に篭って毎日陛下にお仕えしているだけの私がどうやってそれを知りうるのか、と陛下は疑問に思うべきでしたね。そして、それを何故陛下に知らせたのか、ということまでもね」

 そうだ。アリスディアは確かに有能な尚侍ないしのかみではあるが、万能の神ではない。

 それにいくら朝廷の大半を味方につけたとはいえ、王に逆らうというのは相当な覚悟の要ること。機密は厳守するに違いない。しかもその中にはラヴィーニアがいたのだ、めったなことでは尻尾を出すはずがないではないか。

「思い出してください。あの時、後宮で最後までお側にいたものの顔を覚えておりますか?」

「セルノアと背の高いあの掌侍、そして・・・」

 そう、アリスディアだ。

「陛下に南部行きを薦めたのは誰でしたか?」

 ・・・そう、それもアリスディア・・・だ。

「セルノアと別れ、一人きりになった陛下は運よく巡礼団と出会い、南部までの危険な旅路をやりすごすことができた。そして巡礼団と別れねばならないモノウで、同じように南部に逃れていたわたくしに出会う。さらには陛下がモノウに辿り着いた日と同じ日に、偶然薬草を買いにわたくしが南京南海府よりモノウに来る。そして南部きっての大豪族ダルタロス家の当主とわたくしは幸いにして顔見知りだった・・・そんな偶然が運良く全て重なり合うとでも?」

 それは誰にだって分かること。そんな偶然などありえない。南部まで有斗が無事に生き延びるために行動を共にする巡礼団が用意され、モノウで巡礼団と有斗が別行動を取る以上、その役目を引き継ぐ人間が必要で、そして有斗だけでなくダルタロス家と顔見知りだからこそ、その役目はアリスディアでなければいけなかった。そう考えるほうが実にしっくり来る。

「更に言うならば、あの時、陛下はどの道を通って南部に向かうかは誰にも分からない。時間だって不明です。昼通るのか夜通るのか・・・陛下とセルノア以外には誰も知ることはできません。もちろん我らにとってもです。現に陛下は王師の厳重な探索の網をすり抜けました。王師と朝廷が全力を挙げても発見できなかったものを発見するにはどのくらいの人数が必要かわかりますか?」

 王師の兵が近づけば有斗とセルノアは当然のことながら身を隠した。だから王師の格好をしていない教徒の方が有斗たちを発見することは容易であろう。だが向かっている方角こそ分かっていても、日時も場所も分からないでは探索に大人数を必要とするに違いない。

「それに、よく考えていただきたい。あの混乱の中で陛下は行方不明になられた。だとすると反乱を起こしたほうとしては、後宮で一番事情を知る人物に問いただそうとするでしょう。つまり陛下の次に狙われるのはわたくしということになります。それこそ血眼になって探すことでしょうね。その網をどうやって逃れることができたのか、そして陛下よりも先に南部にたどり着くことができたのか、不思議だとは思いませんでしたか?」

「まさか・・・その全てに教団が・・・!?」

アリスディアからそれに対する答えは無かった。ただにこやかに笑いながらゆっくりと首を縦に振っただけだった。

「南部は平穏だった。仮初めの平穏でしたが。だから王が南部諸侯と組めば、再び南部まで戦乱に包まれる。王師は強いが、南部諸侯も弱くは無い。戦国の世はますます終わりの見えない混沌とした状態になるはずだった。そうなれば民は王も諸侯も信用しなくなる。天与の人でもこの戦国は終わらせられないと絶望に打ちひしがれることでしょう。代わりにその乱世に民がすがりつく絶対の存在が必要となる。それこそが教団であるはずだった」

アリスディアはそう言うと何故か悲しげな瞳をして有斗を眺める。何故だか、とても悲しげだった。

「まさか陛下程度の人がアメイジアを統一してしまい、その地位を占めるなど誰も思わなかった。でもその間違いも今、こうしてここにようやく訂正される」

 だがその憂色は一瞬、一瞬だけでアリスディアの顔は見る見る冷淡さを増していった。

「乱世を統一せんとした覇王は消え去り、後には再び混乱した世界、そして教団だけが残る。この世に残された最後の希望、たった一つの光り輝く存在として、ね」

 アリスディアは少し演技がかった仕草で眩しげな目をし、太陽を見つめるように虚空を見上げる。

「陛下」

 そしてアリスディアは再び冷たい目をして有斗を見下ろすと、最後に別れの言葉を告げた。

「さようなら」


 [第九章 完]


朝廷、関西、カヒ、オーギューガ。それらは有斗にとって大敵、まさに宿命の敵と呼べる強敵だった。

歯を食いしばり、幾つもの死線を潜り抜けることでやっと退けた難敵だった。

だがそれらは天与の人の敵ではない。

それは王と言う存在の前に立ちはだかった単なる障壁に過ぎない。

有斗が乱世を終わらせようとするならば、青い髪の少女が望んだような天与の人であろうとするならば、有斗が戦うべきは人ではない。

故に有斗は自らの真の敵と巡り会う。

有斗が敵にするのは人の心。

他人を虐げてでも己の得たいものを得ようとする悪しき心。

それは戦国乱世という怪物が人の心に食い入って残した病巣。

その病巣を秩序という名医が取り除いて初めて、国家は健全な体となり戦国と言う病から解放されるのだ。

だが秩序というものの内枠を決定し、それを民に押し付けるのは天与の人と言う名を被った人。

どんなお題目を唱えようとも、所詮はただの一人の人間の正義に過ぎないのである。

それがいつも正しいとは限らない。誰もが正しいと考えるとも限らない。

それに抗う者たちもいる。

己が信じる正義を万民が揃って実現するにはこのアメイジアという国は狭すぎるのであろうか。

ならば、と決着を望む声が双方を同じ場所へといざなってゆく。

望むと望まざるに関わらずアメイジアに未来を求めるものはその地に集い、そこで運命は一つに交差することになるだろう。

兵士たちが戦場を駆け抜けた後に残るものは果たして何か。


次回 第十章 疾駆の章


「この疾駆は歴史に残る一駆となろう」

彼はそう言って、澄み切った笑みを浮かべた。

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