第348話 替天行道

 その知らせは翌日の朝議で真っ先に取り上げられた。それに値するほどの重大事件であると朝廷としても認識していたということだ。

 さっそく有斗の眼前で活発な議論が展開され、この事件に如何に対処すべきかが話し合われた。

 廷臣たちの多くは書状の通りの事実であるならば国家に対する明確な反逆行為だとして、民に対して懐柔するような態度をとって甘い顔を見せるよりは、断固とした処置を取ることを主張した。

 だが、もたらされたものが取りあえずの第一報で、簡単な概略しか書かれておらずに情報不足ということもあり、事件の当事者たちである県令以下の者ではなく、その上の国司に命じて中立な視点から正確な報告書を作らせるということで廷臣たちの意見は一致し、有斗もそれを承諾する。

 執務室に戻った有斗はラヴィーニアを真っ先に呼び出した。

「これはいったいどういうことなのかな?」

 詳しい説明を求める有斗だが、ラヴィーニアからはにべもない返答が返って来た。

「わかりません」

「わかりませんって・・・ラヴィーニアは僕を支える中書令だろ、そんな無責任なことだと困るよ。こんな大事件、ちゃんと調べておいてくれなくっちゃ」

 中書令だからって王が諮問しもんすることに対して全てを答えられる訳じゃないんだけどな、とラヴィーニアは有斗のその理不尽な要求に愚痴の一つも言いたくなる気持ちだった。

「あたしの手元に届いた情報も陛下のところに届いたと一言一句同じ内容なのです。あの程度の情報で判断しろといわれても、あたしだって困る。県令の経歴も調べましたが、特に過去に問題を起こしたという様子も見られず、人柄から事件に結びつくような情報は得られませんでした。地方官にいたっては国官で無いため一切の記録が中央には無い、彼については判断しかねるといった状況です」

「・・・そっか、それじゃあ仕方が無いか。結局は追加の報告が来るのを待つしかないということか」

「そうですね。そういうことになると思います。ただ一つだけ分かったことが。あの荘園は我々が当初考えていた荘園の形態とは少し違うものだったようです」

「・・・どう違うんだ?」

「荒地を耕地にするのは人手と金銭が必要です。荒地を切り開くのは片手間では出来ないし、耕地から満足な生産物が取れるまで開拓する人間の食だけでも確保しなければなりませんからね」

「当然だよね。そして、それが一般では中々に難しいから屯田法という法律で農民を支援し、新たな耕作地を生み出そうと僕たちはしているわけだし、荘園と言う形態をとった商売が南部などで行われてきた理由の一つだよね」

「はい。ところが藍葉荘の荘園主はなんと現地を開拓した彼ら小作人たちの持ち物なのです」

「え・・・? でも荒地が立派な農地になるには何年もかかるんじゃなかったかな!? 確かそういった報告を受けているよ?」

 有斗が大河を渡って押し寄せてきた河北の難民を対象に屯田法を発布して丸四年。もちろん作付けは翌年の春からだから今年の秋が来たら三回目の収穫を迎えるといったことになる。

 だが彼らの中でもまだ今年も補助を行わないと暮らしていけない者がいるといった報告が入ってきている。つまり荘園開発事業は何年にも渡って初期投資が必要な厄介な事業であるということだ。だが普通の農民が何年にも渡って暮らしていけるだけの蓄えを持っているとは思われない。

「それとも官の効率が悪いだけで、民間でならばその年の秋には十分な量が収穫できるようなこつがあるということかな・・・」

 お役所仕事といった言葉があるくらいだし、効率が悪いのかもしれないと有斗は考えた。

「まさか! そんなことが可能ならば、今頃アメイジア中の土地と言う土地が耕地に変わっていなきゃ理屈としてなりたたない!」

「それもそうか。だが現実は違う・・・ということは彼らは最初のうちはどうやって暮らしていけたんだろう? 蓄えがあったか借金か・・・」

「あるいは援助してくれる者がいたという可能性もありますが」

 だがラヴィーニアの口調には迷いが見られた。それも当然のことだろう。有斗の二つの考えも、今ラヴィーニアが口にした考えもどれも真実とは考えづらいことである。

 蓄えを作れるような農民など極僅かだし、蓄えを作れるような土地を離れて新たな土地で一から農園を作るなど馬鹿のすることだ。そして失敗したとき回収の見込みの無い農民に貸す高利貸しなどいるわけも無いし、何の見返りも求めず農民に援助する、そんな善意の人がこの生き馬の目を抜く戦国の世で生き延びているはずも無い。

「とにかく結果として荘園の収公を推し進める朝廷と、荘園領主が対立した結果、五十名もの人命が失われたことだけは間違えようの無い事実だということです」

「そうだね。そして朝廷の権威の維持や正義が存在することを知らしめるためだけでなく、民心に悪影響を与えないためには、これを放置しておいてはならない」

「御意」

「どうだろう? 国司から報告書が届くのを待つだけではなく、国からこの事件を調査するために按察使あぜち(地方行政監督官)を現地まで派遣しては? 国がこの事態を重く見ていると現地の官吏にも南部の住人たちにも分かってもらえるんじゃないかな」

 だが有斗がそう告げた時には、すでに南部はそういった対策が手遅れであるほどに事態が悪化していたのである。


 村民全てを殲滅したと思い、引き上げた地方官たちだったが、その魔の手を奇跡的に逃れえた者もいた。

 死体の下に倒れて死んだ振りをしてやり過ごした青年と、積まれた藁の中に身を潜めて虐殺をやり過ごした少女の二人が生き残っていたのである。

 少女の手をとって青年は闇夜の中を近隣の同じような荘園地に逃げ込み、その住人に助けを求めた。

 彼らの口から惨劇の様子が事細かに語られると、その荘園の住人は皆一様に震え上がった。今は他人の身に起きた悲劇にすぎなくとも、そこも藍葉荘と同じ荘園だ。明日はわが身である。

 長老たちは慌てて顔を突き合わせて会合を持ち、同時にこの知らせを近隣の荘園へと知らせて回った。

 夜が明ける頃にはその県だけでなく、周囲一帯にはその凄惨な事件は知れ渡っていた。遠く南京南海府にまで知れ渡ったと書く文書も実在する。

 怒りと恐怖とが人々の心の深くに沈殿し、何が起きるか誰にも、もちろん当人たちにも、予測できない不穏な空気が流れていた。

 その沈殿した感情を腐葉土として、そこに二人の男が火をつけたことにより事態は一気に変動する。その二人の名をバラスとカレアと言った。


 その二人は荘園の間を説いてまわり、荘園に無理やり立ち入ろうとした挙句、住人の一人を殺し、それを怒って追い払ったら、兵を連れてきて一村全滅という暴挙を行った地方官の無道を、そしてそれを許した県令の失政を大いに責めた。

 二人のうちの一人、バラスは元々近辺の荘園の取り纏めを行い、商人との交渉、諸侯との交渉などを一手に引き受けていたことで古老たちの信頼を得ていたし、そもそもこの近辺の荘園にいた人々も路頭で迷っていた流民や焼け出された戦災民を彼が集めてきた人々だ。彼らは同じ絆で結ばれており、兄とも父とも慕っていた。

 その人の言葉を聞き入れないはずが無い。周辺の荘園一帯で働いている者四千が彼の一言で集結した。

 ちなみにもう一人のカレアもそうやってバラスが集めてきた人の一人である。カレアは食い詰めた傭兵上がりで、かつて道端で追い剥ぎまがいのことをしていたところをバラスが諭して連れて来たのである。

 だが仕事を与えてみれば追い剥ぎ稼業をしていたことが嘘のように真面目に働くし、何より統率力に長け、皆を動かして水路を修復したりと行動力があり、皆に一目置かれていた。

 何より長年の傭兵暮らしで兵を鼓舞することに長けており、朴訥ぼくとつな田舎の農民たちなど彼に口車に掛かれば、あっという間に心の中を敵意で満ちた戦士へと生まれ変わらせることが出来るのだった。

 カレアは立ち上がった農民たちを率い、県庁を襲撃すると、たちまち県令以下を血祭りに上げた。

 だが問題の地方官をどれだけ探しても見つからない。どうやら国府へと逃がしてしまったらしい。

 バラスもこれには頭を抱えるしかなかった。

 国府とはその地域一帯の地方行政を担うために設置された官職である国司が執務を執り行う場所である。

 サキノーフ様亡き後、任命した国司が世襲貴族化して伯へと変化したことは以前述べた。

 南部は長い間、その公や伯が支配していた土地、であるから王領になったことで新たに県令と国司が任命されてきたのだが、その彼らが役所として使うことになったのは諸侯が出て行ったことで無人となった諸侯の住まいである。なにしろ国庫は火の車、有斗から倹約せよとの厳しいお達しが出ている以上、新たに館を建設などするわけにはいかなかったのである。使い辛くても、あるものを利用するしかない。

 すなわち国府とは難攻不落の諸侯の城のことなのだ。

「肝心の悪人を打ち洩らすとは・・・! 守りの堅い国府に逃げられては我らでは手出しも出来ぬ! さすがに国府を攻めてはもはやどのような言い訳も許されぬ。我らは国家に逆らった大罪人となってしまう。あのような人の風上にも置けぬ男をこのまま見逃すしかないとは実に残念だ」

 そう言って落胆するバラスを励ましたのはカレアである。

「朝廷が任命した県令を殺したのが反逆でなくてなんであるというのか。もはやここまで来たら行ける所までいくしかない。それに今ならまだ逃げ込んだ地方官から報告を受けたとしても、事実をその目で確認するまでは国司は単なる農民と役人との間の揉め事程度と思っているはず。守りを固める前なら国府であってもなんとかなる。必ずやあのけだものの首を討ち取ってみせようぞ。どうか私に攻め込めと一言言っていただきたい」

 さすがにその申し出を直ぐに受け入れることはバラスには出来なかった。

「しかしこれ以上ともなると、さすがに上の人たちと相談せねば・・・私の一存だけではこれ以上事を荒立てるわけにはいかない」

 上の人と言った瞬間、バラスを見るカレアの目に一瞬、軽蔑の色が浮かんだ。

「ならば、その上とやらに好きなだけ確認を取るがいい。で、その方々はどこにおいでだというのだ? その方々に知らせている間、国府の連中は、いや、王都の連中が我々を黙って見過ごしてくれると思っているのか? 上の方々とやらの結論がもたらされる頃には、我々も、共に立ち上がった農民たちも一人残らず磔刑たっけいに処せられているであろうよ」

 カレアの言葉にバラスは大きく狼狽し、泣きそうな顔をしてカレアに顔を向ける。そのバラスにカレアは一言言い放った。

「これは我らと朝廷の生存をかけた戦いなのだ。もはや後に退くことなどできぬ。それに上の人たちとやらもそれを望んでいたんじゃないのか?」

「まさか・・・そのことが分かっていながら、私をけしかけて皆を立たせたのか!?」

 その口ぶりは何故、挙兵を持ちかける前にその危険性を知らせてくれなかったとカレアを責めるようであった。

 だがカレアはその刺々とげとげしい雰囲気を意に介さず、むしろその覚悟の無さをあざ笑う。

「それを覚悟せずに立ち上がったというのか。私にとってはそちらの方が驚きだ」

 カレアは頭が痛くなる思いだった。


 結局のところ一旦蜂起した彼らに途中で止まるという選択肢は無かったのである。

 行ける所まで戦って、朝廷から彼らが何かを勝ち取るか、彼らが朝廷に押しつぶされるか、その二つのうちの一つしか彼らには道は残されていなかった。

 このまま戦ってどうなるのか、そういった先行きの見えない不安を極力見ないようにしながらバラスはカレアに国府攻撃の許可を与えた。

 国府を攻めるに先立ってバラスはカレアを荘園の奥の倉庫、その床下にある彼しか知らない秘密の倉庫へと連れて行った。

「これを使うがいい」

 そこには刀剣、槍、鎧などおびただしい数の武具が整然と並べられていた。

「ほう・・・ただの農民の集まりでは無いと思っていたが、まさかこんなものまで集めていたとはな。何に使うつもりだった?」

「聞かぬ方がよい。それに私とて上の方の考えは知らされていない。だがなんにせよ、国府に攻め込むには必要になるのではないか?」

「違いない」

 数こそ多いものの、農民たちの手にあるものは農具が関の山だ。それでは国府にいる本物の兵士相手には勝利をするには苦労することだろう。

 攻略に手間取れば近隣の県や隣の国府などから援兵が来、厄介なことになる。

 だが多少なりとも武器を持てば話は変わってくる。圧倒的な数の差をもって被害を省みず我攻めすれば短期間で勝利を得ることが出来るであろう。

 武器を手にした農民たちはカレアに率いられて、すぐさま国府目指して出発した。

 思ったとおり、国府では農民の襲撃に備えた様子は見られなかった。国司は前日に地方官と荘園の小作人たちが揉めた報告を受けており、それの延長線上にあるいざこざであると思ったようだった。

 全ては官の威光を無視した小作人たちが悪く、自分はその被害者に過ぎないと力説する地方官が胡散臭く見えたことも原因の一つだったかもしれない。

 国府は堅固な要塞であったが、突然、四千人もの武装した民に強襲されてはひとたまりも無かった。逆らうものは次々と容赦なく殺害し、降伏したものは武装を解除して命だけは助けた、ただ一人を除いて。

 そのただ一人とは事件のきっかけを作ったあの地方官である。ようやく捕まえた憎き地方官を縛り上げると、皆が見守る中、縛り首にして大いに溜飲を下げる。

 だが彼らにとってここからが問題である。とりあえず騒動のきっかけとなった張本人を殺したことで、怒りでいっぱいになっていた頭も落ち着きを取り戻しつつある。

 そうなると将来についての不安が頭をもたげてくる。彼らの気は済んだが、朝廷に対して大きく弓を引いたという事実は残る。例えここで武装を解除し家に帰っても、朝廷は彼らを決して許さないであろう。

 この戦、ここでやめるわけにはいかない。例えやめるにしても戦った末に有利な条件で和睦すべきだ。

 そこでまず各地に檄を飛ばし、味方を募った。

 とはいえこのまま味方を集めようとしても、他人は大いに同情はしてくれようが、力を貸すまでには至らないだろう。

 それどころか今味方している者の中からも離脱者を出しかねない。

 王と言う大きな権威に立ち向かうには、それなりのお題目がいるのである。

 そこで彼らは『替天行道』を旗印にし、非道を行った役人とそれを放置していた朝廷の権威を否定した。つまり天に替わって自分たちが正しい道を行っただけなのであると自己弁明したのである。

 裏を返せば、それだけでなく天与の人として天に替わって道を行うと信じられている有斗の権威をも否定したことになる。

 天与の人が光臨し、アメイジアを統べるというシステム自体を誤ったものであると述べることによって、自分たちの反乱が正当なものであると訴えたのである。

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