第347話 南部一揆

 男の声に次々に人が駆け寄り、周囲は一時騒然とする。

 少しばかり医術の心得がある者が歩み出て、必死に蘇生措置を試みるが、老婆は冥府より戻ってくることはなかった。

「駄目だ・・・!」

 悲痛な叫び声が蘇生措置が失敗したことを皆に知らしめた。

「戦争で身寄りを失って唯一人残されたって言っていた。流浪の末にようやくつい棲家すみかを見つけたと嬉しそうに話していたのに・・・」

「ようやく戦争が終わったって言うのに、こんなことで命を落とすなんて」

 小作人たちは口々に老婆の非業な死を嘆き悲しむ。そして一斉に老婆を死に追いやった偉ぶった地方官に非難の目を向けた。

「な、なんだその目は! そもそも官の仕事に対して邪魔をしたお前たちが悪いとは考えないのか? 天与の人である陛下に逆らうのか!」

 この時代、地下の民に権利などと言う概念は存在しない。国家が命じたらそれに従わなければならない、それが官吏である彼の考える秩序と言ったものだった。

 それに天与の人と言う信仰はアメイジアの民の心の奥深くに根付いている。その信仰心を利用してこの場を上手く収めようとした。

 だが王の威光まで持ち出して、彼らのほうに非があることを思い出させようとしたことは却って逆効果であった。

 仲間を殺したのに、それについて悔やむ言葉も謝る言葉も一言も吐かない官吏に、小作人たちは次第に敵意を募らせていった。

 地方官は思わず逃げ腰になる。まさかこんなことになるとは思わずに、連れてきた兵士は僅か五名しかいない。

 官の威光を持ち出して彼らを威嚇したり、邪魔をする者を排除したりするには充分な数ではあるが、この荘園の小作人たちは五十人近かった。もし本気で怒って一斉に襲い掛かられたら多勢に無勢、彼らに抗する術は何一つないであろう。

「出て行け!」

 彼らの中に膨れ上がった怒りがせきを切って溢れ出したかのように口をついて出、その手に握った土塊つちくれを思わず地方官に投げつけていた。

 固く握り締められた土塊は狙いをあやまたずに地方官の頭に命中し、砕け散った。

「痛っ! だ、誰だ! 無礼者めが! 捕らえよ! この私に無礼を働いた不埒ふらちな輩をひっ捕らえよ!!」

 地方官は随行の兵たちに怒りをぶつけるように強い口調で逮捕を命じた。

 単なる地方の一官吏でしかないその男でも兵たちにしてみれば十分に絶対服従の対象となる高官であったが、それでもその命令を聞くことを躊躇ためらった。

 小作人たちは手に手に鎌やすきくわなどを持って、対峙する姿勢を表したからだ。

「出てけ!」

「俺たちの土地から出て行け!!」

 小作人たちは地方官や兵士に農具の切っ先を向けて脅しつつ、包囲の輪を狭めていった。

 対する兵士たちは剣を構えつつ対峙姿勢を崩さない。相手は農民とはいえ、一対一ならともかくも四方から同時に掛かられては防ぎようがない。農具だって使いようによっては十分凶器になりうる。兵士たちは地方官を囲んで庇うような体勢を整えつつ、じりじりと退く。

 だがそこで普段は偉ぶっているが、官の威光に頼り切っているだけの気骨のない地方官はこの緊張に耐えられなかった。

「か、官に逆らうなど後でど、どうなっても知らんぞ! 退け、とりあえず退け!!」

 真っ先に逃げ出した地方官を見習って、兵士たちも後ろを向けて一斉に逃走を開始する。

 それを見た小作人たちは勝ちどきのように大きく叫び声を上げ、逃げていく男たちに向かって次々と石を投げつけていた。


 地方官はこぶし大の石を何個かぶつけられ怪我を負い、屈辱と怒りで顔を真っ赤にしながら上司に訴え出た。

「彼らは武器を向けただけでなく、石を投げつけて我らを追い払ったのです。朝廷の命を受けて荘園の調査に訪れたこの私にです! これは陛下のご意思に反したのも同じこと! これを放置しておけば、他の荘園においても同じようなことが広がることは必至です! 長く続いた戦国の世に慣れて、朝廷を軽んじる癖が付いているのでしょう。是非とも兵をもって彼らのその思い上がりを正さねばなりますまい!」

「いったいどうしたらそんなことになるのか。別に今すぐ収公するわけではない、今回は単なる土地調査だとは知らせたのであろうな?」

 簡単な調査を命じていた部下から、予測もしない結果を聞く羽目になった上官の県令としては顔に困惑を浮かべるしかなかった。

 私有地の単なる調査だ。しかもアメイジア全土を制圧した強大な統一政権が行うことだ。そこまで抵抗を受けるはずはないのである。だとしたら何か手違いでもあったのではないかと疑いたくなるのが人の常である。

「もちろん知らせました。ですが彼らは一切こちらの話を聞こうとしないのです」

 それは本当である。最初のうちは彼も冷静に理非を説き、損得について考えるように親身になって話していたのだ。それにもかかわらず、彼らは自分たちの土地が取られてしまうと言って彼を一歩たりとも荘園に入れまいとしたのだ。

 ただ調査を妨害する老婆を振りほどいたときに誤って殺害してしまったという自らに不利になることは彼は上司に報告しなかった。

 であるから上司としては部下の言葉を信じて、向こう側が一方的に悪いと断じるしかなかった。

「・・・仕方があるまい。あまり陛下は乱暴な解決方法をお好みにはならないようではあるが、相手が強硬な姿勢で臨む以上、こちらもそれなりの姿勢で対峙するしかないであろうよ。朝廷の威信と言うものがある。毅然とした態度で民に接することも時には必要だ。ただ極力、騒乱は避けよ。朝廷の耳にでも入れば、こちらがどんなおとがめを受けるか分かったものではない。間違っても殺したりするんじゃないぞ」

「肝に銘じます」

 しおらしく頭を下げる部下を見て県令は安心して自らの仕事に戻った。

 部下の地方官は科挙を受けるほどの学才は無かったものの、地元では秀才で知られ、すこしばかり居丈高だが、これまで民に対しては公平な政治をしていて、県令の前では従順な顔しか見せておらず、温和で便利で扱いやすい理想の官吏として県令は捉えていたからだ。だから今回も無難に処理すると思ったのだ。

 だがそれだけにここまで大きな失敗をしてきたことがなく、まずまずの成功をもって人生を過ごしてきただけに、一旦誇りを傷つけられたら、どれほど傷つくか、そしてどれほど怒るのかを上司だけでなく誰一人として知らなかったのだ。

 そう、本人でさえもその段階ではまだそのことに気が付いていなかった。


 一方、荘園では地方官を追い出し老婆の葬儀を行うと、誰からともなく集まっては小さな集団を形成し、密やかに今後の対応について話し合った。

 冷静になってくると自分たちがしでかしたことの大きさに気付き、今頃になって恐ろしくなったのだ。

 相手は自分たちから生活の糧を奪おうとしているだけでなく、人の命を奪うという暴挙まで行ったのだ、これに対する怒りは簡単には消えない。

 だがどんなに非合理で非情であっても相手は朝廷の官吏の一人なのである。そして彼らがしでかしたことはまごうことなき朝廷への反逆であった。

「今日は引き下がったが、このままで済むとは思えない。」

 暗い顔で黙り込みがちな年嵩の者たちに対して、若い者たちは概して楽観的だった。

「いや、逆に罪もない老婆の命を奪ったことを訴え出て、処罰してもらってはどうだろう? 新しい王様は民にも慈悲深い方だと聞いているぞ。向こうは人を殺しているんだ。お咎めなしと言うわけにはいかないだろう。そしてその場でここが我らが血と涙を流して開墾した土地であることを訴えれば、取り上げることだけは許してもらえるんじゃないか」

 王とは国を維持するために存在し、国は民を慈しむために存在する。そんな建前を本気で信じているかのような言動は若者たちの間でだけ力強い説得力を持った。

「何を甘いことを。訴えても無駄だ。官吏は官吏の味方しかしない。罰されるのはいつも民だけさ。我々の言葉など誰も取り上げてはくれないだろう」

「きっと我らにはきついお咎めがあるであろうよ」

 だがその暗い未来図の言葉こそが真理であるとばかりに合いの手が入る。若者の楽観的な考えを支持する大人は誰もいなかった。

「だとしたらどうする!? 今度も農具を手にして戦うのか? それとも捕まることを恐れて逃げ出すのか!?」

「戦うなど・・・無理だ。逃げるしかない」

 そう呟いて力なくうつむくだけの大人たちに若者たちは歯がゆい思いを感じていた。言葉よりも行動すべき時なのだという思いだったのだ。

「尻尾を巻いて逃げる? こちらに非はないのに? それにここは我らが一から作り上げた農地だ。官から給付された土地じゃない! それを何の関係もない人間にくれてやってもいいのか!?」

 たしかにそうだった。彼らは財を持ち寄り領主に交渉し、領土の一角を借りて、不毛の台地を見事な作物が実る農園へと変えたのだ。

 だが彼らにそれを認めたのは前の領主の話だ。朝廷が認めてきたわけじゃない。

 彼らが逃げれば抵抗のなくなったことを幸いに朝廷は土地を収公し、そ知らぬ顔で見知らぬ誰かに支給するだろう。

「それよりも上の方に訴え出たらどうだろう?」

「上の方?」

「ああ、上の方にだ。我らは非力でも上の方々ならばそうではない。それに朝廷に顔の利く偉い方もおられるという話ではないか」

「しかしな、果たして間に合・・・・・・」

 その時、大きな物音と共に金切り声が村中に響き渡った。彼らは慌てて声のしたほうへと目を向ける。

 そこには右手に刀や槍を持った兵士たちに追い掛け回されている村人たちの姿があった。

 彼らは慌てて手に鋤や鍬を持って、追われている仲間を助けに行こうとした。だがそれがさらなる惨劇への扉を開くことになってしまった。

 当初、荘園内の村に押し入った兵士たちは村人を見つけ次第捕縛しようとしていた。何故なら兵士たちは地方官から彼らを強制排除することを命じられていたからだ。

 もちろん殺害を全面的に許したわけではない。暴力を使ってもいいが、そこそこで辞めておけよといったことは言葉の中に含ませていたはずだ。

 彼らを指揮する地方官は朝廷の権威を彼らに思い知らしめ、周辺の民に周知させようと思っていただけだったのだから。

 だがここに来て、彼らをその目で見、そして彼らの目から敵意の籠もった視線が向けられ、武器を持ち出す向かって来られると、先ほどの光景が脳裏に思い浮かぶ。不快と恐怖とが脳内を瞬く間に支配した。

 思わず地方官は生来の臆病と虚勢を張る心がない混ざり「殺しても構わぬ!」と言った。言ってしまった。

 兵士たちは命じられたことを命じられたまま実行した。先ほどと違い百人からの兵士だ。小作人たちの逆襲など反撃のうちには入らなかった。

 抗う相手を捕縛することは手間が掛かるが、殺すというのならそうでもない、相手は満足な武器もなければ身を守る鎧も無い。兵士たちは手際よく次々と死体を生産した。まるで家畜を屠殺とさつするかのような手際の良さだった。断末魔と助命をこいねがう声だけが響き渡る。

 地方官が我に返ったときには、荘園内には彼と彼が連れてきた兵士以外の命は残っていなかった。


 藍葉あいば荘の虐殺は南部中を駆け巡った。それと同時に早馬が王都に向けて出発し、伝馬を伝って迅速に王都へも届けられた。他から王の耳に入るよりも自らの口でいち早く注進したほうがよいと県令たちは判断したようだった。


 その知らせは当然中書令であるラヴィーニアの元にも届いていた。

「何を考えたら一村全滅なんて真似をしでかすことになるというのだ!」

 ラヴィーニアは届いた報告書をちらと読むと、怒りで思わず書簡を机に叩きつけた。

 もちろん手を汚した本人である地方官が罪を逃れようと様々なことをでっちあげて弁明し、上司である県令も、さすがにここまでの大事は自分の権限で揉み消すのも、部下を切り捨てるだけでことを収めることは無理だと思い、部下に歩調を合わせるようにして口裏を合わせたことにより、民の反乱騒ぎのような形の報告書が上奏されていた。

 だがそんなことが嘘であることはラヴィーニアは一瞬にして見破っていた。互いの証言が微妙に食い違っているからである。

 もっとも、そのラヴィーニアも南部で何が起きたのかは真実が糊塗されたその報告書を読んだだけでは分からない。

 だがともかくも人心を考えたら放っておけない事態であった。何があったかはともかくも、結果として官が一村まるごとこの世から消し去ったことだけは確かなのだから。噂として広がった時に、それが単なるよくある小さな民の反乱騒ぎで終わるのか、それとも朝廷の横暴が引き起こした悲劇として広がるのかは誰にも分からないことである。

 今ならば直接手を下した官吏を処分するだけでことは収まるかもしれないが、放置しておけば朝廷の、いや王への不満へと昇華しかねない。

「しかし南部・・・また南部・・・いや、またまた南部、か」

 最近、南部にまつわる問題が立て続けに起こっている。それがラヴィーニアには気にかかった。

 短期間に一つ二つ問題が重なるということはままあることであったが、三つともなれば偶然といった言葉で片付けることができぬ重みを持つ。

 幸運の女神は後ろ髪が無いと言われている。すり抜ける一瞬を掴んだものだけが成功を手にすることが出来るのだ。

 自分は今、何かしらそういった好機を前にしているのではないかといった、漠然とした不安がラヴィーニアを支配していた。

 だとしたらそれは何か、刮目かつもくして慎重に周囲を見て逃さないように発見しなければならない。

 幸運の女神をその手からすり抜けさせたものには不幸だけがその手に残るのだから。

「何か嫌な予感がする」

 そう言うと、処分予定の書類の山の底の方に追いやっていたヘイシオドスの報告書を引っ張りぬき、この前みたいな斜め読みではなく、今度は真剣に読み始めた。そこから何かが読み取れるのではないだろうかと言う一縷いちるの望みを託して。


 だがラヴィーニアがそれに気付くよりも早く、そして有斗がその事件へ対処するよりも早く、事態は急速に動き出していたのである。


 それに関わるものは全て、もう後戻りは出来なかった。

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