第345話 懐かしい顔

「ラヴィーニア殿、お久しぶりです!!!」

 寡黙を愛するラヴィーニアの性質もあって、中書省では無駄口を叩くものは少ない。陰気な中書令にならって省全体がまるで葬式のようだと陰口を叩かれる所以ゆえんである。

 その中書省に時ならぬ大声が響き渡り、沈黙で作業することに慣れていた官吏たちの首は思わず一斉に亀のように持ち上がった。

 ラヴィーニアも顔をしかめてその騒音の元を探ろうとする。

 と懐かしい顔がそこにはあった。

「おや、ヘイシオドスじゃないか。懐かしい顔だね。かれこれ・・・そう、四年ぶりじゃないか」

 ヘイシオドスはかつて有斗がアメイジアに来たばかりの頃、ラヴィーニアと共に中書侍郎を務めていた男だ。当時の内府エヴァポスの与党の一員でもあり、四師の乱ではラヴィーニアに習って反乱した側についた。その責任もあり、さらには中書侍郎は王の補佐を務める大事な役職、信用できない人物に与えておくわけには行かないと地方に飛ばされて以来だった。

 その後、アリアボネによって呼び戻されたラヴィーニアと違い、中央官庁の中書侍郎というエリート街道にいたにもかかわらず、ヘイシオドスは今も地方官としてドサ周りを続けていた。

「いや、懐かしいですな、ここは。しかしラヴィーニア殿は相変わらずお忙しいと見える」

 ラヴィーニアの机の前に高く積まれた書類を見てヘイシオドスは驚嘆の声を上げる。

 かつての彼ならともかくも、地方官となってからはこれほどの書類に囲まれて暮らしたことなどない。

 であるから関東朝廷屈指の才人であった彼の才をもってしたら地方官など一年のうち三分の一程度しか働かずともよい仕事量だった。

「で、どうしたんだい今日は? 確か今は南部の県令をしていたのではなかったっけ? 報告ならば戸部省に行うのが筋ってもんだろう。中書省に用があるとは思えないが・・・」

「懐かしくなって、かつての職場を訪れたかっただけです。いいではありませんか」

「部外者に出入りされると皆が迷惑する。作業効率だって落ちるんだけどな」

「それは酷い。そもそも私と貴女との仲、中央に呼び返してくれてもいいではないですか」

 まるで特別な仲ででもあるかのような物言いに、中書省の官吏たちは思わず興味深げに男の顔を覗き込み、ラヴィーニアは眉をひそめた。

「・・・・・・いつそんな仲になった」

「共に机を並べ、仕事をしたではありませんか。私の実力は知っているでしょう?」

 どうやらヘイシオドスは忙しいのならば自分の力を必要とするのではないかと言いたいらしい。

「あんたの実力は十分知っているが、とはいえかつて内府の腰巾着をしていたように直ぐに権力者に結びつこうとするし、迎合するにしてもその先の見通しも甘い。迂闊に推薦してヘマでもしでかされたらあたしの顔がつぶれる」

「それは酷い。私だって十分懲りました。中央政府に戻れるようにしてもらえませんか。田舎は退屈すぎましてね」

「そりゃあ夜な夜な色町に繰り出していたあんたからすれば田舎など味気ないだろうよ。だが今は国家の創設期だ。国家が永続するかはいかに最初の段階で堅固な組織を作れるかにかかっている。その為には地方にだっていい人材を置いておき、地方組織も再構成しておきたいんだ。だからしばらくは動かさない」

「そんな・・・! そこをなんとかお願いしますよ」

 ラヴィーニアのつれない返事にヘイシオドスは両手を合わせて拝みこむ。

「まぁ、だが・・・安心しな。地方官としてのあんたの実績は陛下もご存知だ。何回かあたしにこの優れた上奏文を書いた地方官は誰かと聞いたことだってある。もっともその度にそれが四師の乱で内府の腰巾着として高官の間を取り持っていた男だと聞くと残念そうな顔をなされてね・・・だがあれから四年、ヘイシオドスも問題を起こさずに地方官を務めている。陛下とてその功は認めることだろう。今の県令の任期が終わる頃にはきっといい話が聞けるんじゃないかな」

「ありがたい!」

 ラヴィーニアの言葉にヘイシオドスは思わず感謝の言葉を洩らす。だが感謝を示すヘイシオドスに対してもラヴィーニアは冷淡だった。

「用がないのなら、そろそろ出て行ってくれないかな。仕事を続けたいんだ」

 この人は変わらないな、とヘイシオドスは半ば呆れ、半ば感心した。

 高官どもがいがみ合い、足を引っ張り合うあの腐りきった朝廷でも、新王の元、心気一転、活気溢れるこの朝廷であっても、己の職分を全うする。まるで黄金で出来たゆがまないはかりのようであると思った。

「それはもう、言われなくても」と、言って出て行こうとしたヘイシオドスだが、途中で立ち止まり、戻ってくると懐より書簡を取り出してラヴィーニアに差し出した。

「あ、そうだ。忘れておりました。これが頼まれていた南部の報告書です。ついでにここに置いておきますよ」

「なんだい、これ?」

 ヘイシオドスが置いた書簡をさっそく広げて見て、ラヴィーニアが言った最初の一言がそれだった。

 いくら暇とはいえ、その報告書を作るのに県外にまで出かけて実地調査をしたヘイシオドスを憤慨させるのにはそれだけで十分だった。

「ラヴィーニア殿が戸部に命じておいた南部における荘園開発の現状とその規模についての報告書ですよ」

「戸部・・・? 荘園・・・?」

 確かに荘園についてつい先日、有斗と一時その処理を棚上げして時間を稼ぎ、荘園主から荘園を買い取る方式で決着を図る方向で進んでいくことに決めた。

 その買い取り金額を決めるために各地の官吏に調査を命じたが、その結論を持ってきたにしては早すぎる。

 荘園を買い上げる金額は各種農産物の取高を全て計算して慎重に判断しなければ争いの元になる。いくらヘイシオドスが有能と言っても、この短期間でそれを成し遂げるのは拙速というものであろう。そしてその危険性に思い当たらないほどヘイシオドスは馬鹿ではない。ということはそれではないはずだが・・・

 ラヴィーニアはすっかり忘れ去っていたらしく目を白黒させた。ヘイシオドスは仕方なく更に細かい内容の説明を行う。

「荘園を開墾している事業主は誰なのか、荘園で働く人員の数、そしてそこで消費される米穀の量などを調査させたではないですか。何故そんなことを調査させたかはまったく理解できませんが」

 そこまで言われてようやくラヴィーニアは思い出す。どこかの商人が米穀を買い占めたおかげで米価が上昇して困ったことがあった。

 丁度オーギューガ攻めの前で兵糧が必要だったし、米価が高いままでは民の反乱も招きかねないと危惧したため調査を依頼したのだ。

 オーギューガとの戦いとその後始末で忙しかった上、米価が落ち着いたことからすっかり忘れていたが。数字を見る限り問題ない数値であるように見える。新規荘園も非常に多かった。確かにこれほどの荘園を開発しようとすれば米穀を相当数必要とすることだろう。あの何とかとか言う商人は本当のことを言っていたんだなとラヴィーニアはそう結論付けた。

「ああ・・・そんなことも頼んでいたな」

 そういえば荘園ではそんな問題も起きていたんだな、その時にもう少し考えておいて、諸侯の移封を発表する前に対策を打っておくべきだった、とラヴィーニアは今更ながらに思った。

 そんなラヴィーニアの後悔を浮かべたような顔を見て、ヘイシオドスは渋い顔をする。

「まさかもう不要になったとか言うのではありませんよね?」

「まさか! 後でじっくり読ませてもらうよ」

 あまりもう必要だとは思えない報告書ではあったが、そこはさすがのラヴィーニアも気を遣った。

「南部は荘園が多いというが、荘園領主と小作人の間とか、荘園領主と近辺の自作農との間に争いごとなどは起きていないのかな?」

 ついでに気になった一事を聞いておく。諸侯同士の争いや官と諸侯、官と民との争いだけでなく、民と民との争いも放っておけば一大反乱に繋がることもありうるのだ。警戒しておくにこしたことはない。

 それに中書にいるラヴィーニアには南部のことを直接肌で知っている官吏から直に言葉を聞く機会などそうはないことだ。何か有益な情報を得れるかも知れない。

「あまり揉め事は聞きませんね。あくどい荘園領主はそう多くはありませんし。まぁご多分にもれず水争いはどこにでもありますが。それよりももっと深刻な事態があります。放っておくと何か起きるかも」

「・・・なんだ?」

 ヘイシオドスの今一番の希望が中央政府への復帰である以上、中書令であるラヴィーニアの気を引くために、些細な問題をさも大きな問題ででもあるかのように報告してくることも考えられるが、本当に見過ごせない大問題だったら後が怖い。ラヴィーニアは念のために聞いてみることにした。

「職を失った傭兵のことです。いや傭兵だけではない。諸侯が抱えていた元兵士もです。それも取り潰された諸侯、減封された諸侯の兵だけでなく、移封、加封された諸侯の中でも解雇された兵は多い。なにせ皆、戦国の世を生き残るために必要以上に兵を抱えていました。ですが平和になった今、彼らを抱えておいても諸侯にとってなんら得はない。よってアメイジア全土で大勢の兵士が一斉に解雇されました。職を失った彼らの中には自暴自棄になり犯罪に手を染めるものも出始めています。盗み、恐喝、強盗、殺人、重犯罪を犯すものもいる。しかも彼らは武器を持つだけでなく、その扱いに長けている。地方の捕吏ではとても手に終えない」

 ヘイシオドスは南部において最近治安を悪化させる原因となっている元兵士たちについて述べた。

「何が彼らを犯罪に走らせるのか・・・人口の大きく減ったアメイジアにはまだまだ彼らの暮らしていけるような土地はあると思うんだけどさ」

「土地があっても彼らにとって満足のいくような仕事がないのでは? 彼らの誇りを満たすような仕事が」

「誇りが何さ。生きていくのが何よりも一番大事なことじゃないか」

 ラヴィーニアは鼻を鳴らす。戦国の世は終わったのだ、もはや兵士と言う職業はそれほど必要とされるわけではない。別の職業につけばいいではないかというのが彼女の考えだった。

「そうは思えない者も大勢いるということですよ。今までは兵士といえば領土とそこに住む民を守るために剣を手にして肩で風を切って歩いていたのですから、商人や農民など馬鹿馬鹿しくてやっていけないと考える者が多いのです。戦国の世では花形ですからね。兵を指揮していた有能な部隊長でも他の諸侯に召抱えられたのは一部で、さらには元諸侯などであっても旧家臣からの仕送りでなんとか細々と暮らしていっているものもいるって話ですよ。彼らの不満は日に日に膨れ上がっている」

「ふぅむ。厄介だね・・・そして確かに重大な問題だ。わかった、何らかの対策を検討しよう」

「お願いします」

 頭を下げるヘイシオドスにラヴィーニアは真っ白な何も書かれていない紙と筆を差し出した。

「せっかく来たんだ、上奏文を書いていけ。現地の官吏の言葉があったほうが何かといいだろう。陛下にはあたしが責任を持って提出する」

 それは王に自らの存在をアピールするまたとない好機であった。ヘイシオドスは思わずラヴィーニアにもう一度、深々と頭を下げて感謝の気持ちを表した。


 特に大諸侯であるオーギューガとカヒとが相次いで潰れた河東において職を失った将兵は多かった。

 とはいえ、やはりある程度の大物になると、就職活動などあえて行わなくても向こうから仕官の誘いを受けるものである。

 例えばディスケスのようにアメイジア全土にその名を知られている将軍であるならば、抱えて置いて損はないとばかりに諸侯の使者が日替わりで訪問するほどだった。

 その全てをディスケスは断り続けていた。年老いて多病だというのがその理由だった。

 だが年齢はともかくも、若い者に混じって野良仕事をし、月に一度は山上にあるテイレシアの墓参りを欠かさないその姿からは、そこらの若い者など寄せ付けないだけの体力を感じさせたし、顔色も良く、健康そのものに思えた。

 彼は待っていたのである。どこかへと消えたバアルやデウカリオらから知らせが届くその時を。王と戦うときに自分が必要になるその時を。

 だがオーギューガ残党中、最大の大物である彼を見張る目は多い。新たに越に封じられた諸侯も、朝廷も彼の監視を続けていることはディスケスも薄々気付いていた。越の民を焚きつけて反乱を起こすのではないかとでも考えているのだろう。

 その目をごまかすためにもしばらくは大人しくしておかねばならないな、とディスケスは考えていた。

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