第344話 暗殺劇の舞台裏

 ガルバたち一行は一旦河北を北へと向かい、ラヴィーニア旗下の忍を完全に撒き、さらに念のために山中で二泊して足跡を完璧に消してから南下し、王都へと入った。

 王都に着いた彼らは、王宮からかなり離れた場所にある繁華街の路地裏に面したガルバの私邸にて潜伏生活を続けていた。

 屋敷は大商人のものに相応しく、邸内に池がある巨大なもので、その池の周囲に生えた五本の柳の巨木がえも言われぬおもむきを醸し出していた。もちろん塀も高く、防備という面でも完璧である。

 とはいえ王都は王のお膝元である、何があるか分からない、そこではガルバですら偽名を名乗るなど、警戒には念を入れて過ごしていた。

「面白い話を聞いてきましたよ」

 ガルバは商人と言う表の顔もある、一日のうちの大半を売り買いに費やし、屋敷にいないことのほうが多く、外で情報を集めてはバアルらに披露していた。

「面白い話?」

「覚えておりますか? この前、外出した時に明らかに貴人を警護するとおぼしき一向に出くわしたことに」

「ああ・・・そんなこともあったな。確か羽林将軍の自宅前だったが・・・」

 いざと言うときの為に王都の地理を知っておこうとバアルとデウカリオとガルバが連れ立って歩いているときに、偶然その騒ぎに行き当たったのだ。

 もちろん、二人とも口元を隠し、旅商人がかぶるような編み笠を目深にかぶって人の目に付かないようにしての外出だった。

 それがどうしたとばかりの気のない返事にガルバは悪戯いたずらっぽく笑いながら言った。

「あれは実は羽林将軍宅への王の御成りだったようですよ。いやはや王はよほど美貌と噂の羽林将軍のことが手放せぬようで・・・」

「・・・何!?」

「・・・なんだと!!!」

 さすがにあの地味な馬車の中に王がいるとは思っておらず、バアルもデウカリオもガルバの話に驚きを隠せない。

「あの馬車の中に王がいると知っていたら、例え組み付いてでも首を取っていたものを!」

 とデウカリオは右拳を左の掌に叩きつけて悔しがった。

 冗談ではない。いくらデウカリオが超人的な男であろうとも、あの場所には数百人の羽林がいたのだ、突破できるはずがない。

 そんなことで簡単に得がたい将軍に命を落とされては困るのだ。王がいると知らないで実に幸いだった、とガルバは思う。

 三日ぶりに来たガルバにバアルが最近抱いた疑問を一つぶつけた。

「一つ疑問がある。聞いてもよいか?」

「なんでしょうか、バルカ卿」

「そなたたちはこれまで慎重に気を遣って正体を隠して、あの女官を後宮に侵入させたはずだ。その為に費やした金銀とて少なくないはず。確かに羽林将軍の不在は王を襲撃する好機であったとはいえ、唯一絶対の好機とはいえない。現に襲撃は失敗した。羽林将軍は一年に一度、亡きダルタロス公の墓へ行くとのことだ。別に準備不足の今襲う必要はなかった。来年であっても構わなかったはずだ。むしろこれから後宮に新たにそなたらの手の者を侵入させる手段が無くなった事こそ憂うべきだ。私ならばもっと上手くやった。複数の女官を侵入させ、もっと王の信頼を勝ち得て側に寄れるようになってからことを行う。他の女官や羽林の兵を側から排除しておかねば、例え毒を使ったとしても効果はないかもしれない。今回のようにな。朝廷は暗殺や毒殺など日常茶飯事の世界だ。典医はあらゆる毒に対して知識を持っているのだから」

「確かに王を後宮で暗殺するだけを考えるならば今回取った手段は下策でしょうな。後宮に入って一年と立たないうちの行動は軽率と申せましょう。短剣一本、毒物を少々持ち込んでいただけで準備もままならなかった。もちろん私としても彼女の健闘を大いに期待していたところですが、結果はやはり失敗に終わった。非常に残念なことですがね」

 ガルバは残念さを表現するのに首を横に二度三度と大げさに振った。もっとも芝居がかったその仕草からはちっとも残念がってないガルバの内心がにじみ出ていたが。

「・・・ということはガルバ殿は今回の暗殺劇を失敗に終わると見越して、彼女に暗殺を決行するようにそそのかしたというのか?」

 それはバアルにはガルバの強がりにしか聞こえなかった。失敗を糊塗ことするための下手糞な弁明に思えた。

 暗殺に失敗すれば後宮に送り込んだ刺客本人だけでなく、注ぎ込んだ時間と金銭と後宮に人を送り込めるまでに築き上げた人間関係を失うのである。

 失敗を前提に行動を起こすにしては失うものがあまりにも多すぎる。

「そんな馬鹿なまねをしたのは何故だ? 我々にいったい何の得がある? 王の警戒心をあおるのが関の山ではないか?」

 それまで黙っていたデウカリオもたまらず二人の会話に割り込んでくる。

 デウカリオは王の身辺にまで手の者を侵入させるといった彼らの手腕に感心していただけに、その妙手をこんなくだらないことで台無しにしてしまった彼ら組織に大いに失望を感じていたのだ。

「デウカリオ殿の言うとおりだ。彼女を無意味に殺さずに王の身辺にあのまま置いて置けば宮中の動きも把握できる。刺客でなくとも如何様にでも利用価値はあった。だがそれも生きていてこそだ。全て水泡に消えてしまった」

 あまりデウカリオとは意見の一致することの少ないバアルだったが、この件に関してはまったくもってデウカリオと同じ意見だった。

 王のすぐ傍に近侍するという貴重な駒を考えなしに失うなどあってはならないことだ。これからの協力についても考え直さなければならないかもしれない。少なくとも事前の協議くらいはしてもらわないと、危なくて共に手を組むことなどできはしない。

「分かりました、説明いたしましょう。今回のことを何故起こさなければならなかったかをね。我々の組織は大きく分けると二つに分かれていると説明いたしたことをおふたがたは覚えておられますか?」

「それは確かに覚えている。しかもガルバ殿のような強硬派よりも、穏健派に属する人間のほうが多いということもな」

「残念なことにその通りなのです。幹部のほとんど全ては王に対して挙兵することに反対していない。なにせこの挙兵は何年もの時間をかけて計画を立ててきたことですからね。今更白紙に戻すなど馬鹿げている。だがただ一人、それに反対の意を唱えている者がおります。その者は組織が王権と並立できないものかなどと考えておるようでしてな。そのおかげで組織は今後を巡って対立して何一つ決まらず、おふた方をお迎えしたというのに丸三ヶ月進展がない。申し訳ないことです。ですからその者をこちらの立場へと、つまり王と戦う立場へと追いやるためにあの娘には刺客となって王を襲って死んでもらったというわけです」

「・・・いまいち全体像が見えぬな。何故、刺客が死ぬことで、その者が王と戦うべき立場に追いやられるのだ?」

「王は殺されかけたのです。当然怒り心頭でしょう。裏に何者かがいないか血眼になって探すことでしょうね。身辺まで探索の手が伸びれば、その者とて覚悟を決めなければならなくなるでしょう。それに我らとしても王に敵対するという意思を組織全てに示したことになる。我ら組織もいつ王に嗅ぎつかれるかと不安におののきき、生き残りをかけて主戦論へと傾かざるをえない。もはや組織は後戻りが利かない立場に追いやられたのです」

 ガルバは強硬派と穏健派の狭間はざまで揺れている組織を、もはや後戻りの許されない崖のふちにまで追いやったのだ。

 自らの野望のために自ら属する組織を危険に晒す芸当をしてみせたのだ。その冷徹さと非情さはバアルやデウカリオといった歴戦の武人をも震撼させるほどのものだった。

「・・・」

 思わずガルバの迫力に推されてバアルは息を呑んだ。

 だがいつまでも呆然としているわけにはいかない。先ほどの言葉には到底見逃すことのできぬ情報が含まれていた。

「確かにそうだが、それはすなわち我らの存在を王朝が知るということと同義だぞ。それは非常に拙い」

 その拙さは後宮に忍び込ませた手の者を一人失った比ではない。

 ガルバら組織が朝廷と言う巨大機構相手に勝つ見込みがあるとするならば、それは不意をついての奇襲、そこでいかに多くの戦果を上げるかにかかっている。

 挙兵する為とはいえ、その手法を失うというのは自殺行為に他ならない。ぼやぼやしていると直ぐに全国に触れが回って、挙兵する前に組織は壊滅してしまうだろう。

「大丈夫ですよ。誰がそんなへまをするものですか。女官を後宮に入れたのは堀川宰相、堀川宰相に女官を紹介したのは堀川宰相の御用商人、そして堀川宰相の御用商人に女官を紹介したのは私の配下です。ですが後宮が堀川宰相の御用商人を知らなかったように、堀川宰相も私の配下の者の存在を知りません。女官が暗殺未遂事件を起こしたと知って仰天して堀川宰相の御用商人が逃走した今、我々が表沙汰になることは決してない」

「しかしいつまでも逃げるわけにもいくまい。また、王は商人への罰を罰金刑だけで済ますつもりらしい。それを知った商人が戻ってきて朝廷に真実を話せばいずれガルバ殿の存在まで辿り着くのでは? そうでなくても、どこかでうっかりしゃべってしまう危険性も・・・」

 そう心配を露にするバアルに対してガルバは不思議と平然としていた。余裕すら見られた。もちろんそれには十分な彼なりの理由があったのだ。

「やれやれ、バルカ卿はずいぶんと心配性ですね。それともあらゆる手を考えねば気が済まない策士とでも申しましょうか。大丈夫、ご安心を。堀川宰相の御用商人は二度と王都に現れることはありません。王の権威を恐れて、捕吏の手の届かぬアメイジアのどこかを永遠に彷徨さまよい続けることでしょう」

「何故そう言い切れる? もう逃げる必要などどこにもないのに?」

「なぜなら死体さえ見つかることがないからです。馬鹿な官吏や家族の者はいつまでもアメイジアを当て所なくさ迷っていると勘違いすることでしょう」

 その言葉は暗にガルバが彼を殺して死体まで完璧に処分したと告げていた。

「つまり実際に探索の手が我らに伸びることはありえない。ですがそれをわざわざ他の者に知らせてやるほど私はお人よしじゃない。組織の他の者たちは王の魔の手が今にも伸びてくるんじゃないかと怯えて暮らすことになるでしょう。恐怖から逃れる術は、恐怖の対象をこの世から消してしまうしかない。彼らはきっと一刻も早く王と戦いたいと思うことでしょう。それまでの間、彼らには大いに眠れぬ日々を過ごしてもらおうではありませんか」

 そう言うとガルバは人を食ったかのような意地の悪い笑みを浮かべ、クククと喉の奥からくぐもった笑い声を立てる。

 それはめったに人に見せぬガルバの本性を垣間見せるようで不気味であった。

 自身の野心のために有力な手駒を一つ失い、自らが属す組織を売り渡しても、同僚を主戦論へと行かざるを得ない立場に平然と追い込む。

「そなたは稀代の策士だな」

 バアルは感心半分、嫌味半分でそう言った。


「だがな、幹部のほとんどが賛成を表しているのならば、一人や二人が、がたがたぬかしても方向性を変える事などできぬであろうよ。放っておけばよい。どうしても邪魔になるというのなら始末してしまえばよかろう」

 王とさえ戦えれば組織内部のことなど知ったことではないデウカリオはさらっと手っ取り早い解決策を提示する。

「それが中々、一筋縄でいかないのです。普段は我々も迂闊うかつに手が出せない場所にいる上、心酔する部下を多く抱えている。なにより幹部の誰よりも信望が篤い。それに核となる人物を失った穏健派が組織から離脱したり、敵対することがもっとも恐ろしい。そうなれば我らの力は半減する。我々の正体だって露呈するやも知れません。王と戦うことはさすがに難しいといわざるを得ないのです」

「厄介だな」

「ええ、まさに」

「王と戦うのに反対しているということだが、裏切って朝廷に真相を告げるという心配はないのか?」

 確かに今までガルバが述べてきたことは納得できるだけの理由では合ったが、まだ確認すべきことは残っている。

 覚悟を決めたはいいが、それが組織を裏切る覚悟であってはやぶへびになるのだ。それにその人物が身辺に探索の手が伸びているという恐怖に耐えかねて裏切るような弱い人物であっても困る。

「ありませんね。何故なら組織から未だ離脱していないのがその証、その気があるならとうの昔に裏切っているはず。それができないのは組織に大きな借りがあるからでしょうな。ですから組織が王と戦うと決定できさえすれば、最後には王と戦うことに反対はしないと私は踏んでいます」

「一種の賭けか・・・」

 とはいえ組織のことはガルバに任せるしかない、所詮は外の人間であるバアルやデウカリオでは内部のことは分からない、組織をどうこうすることはできない話だった。

 それに王と戦うことに比べたら、このようなこと賭けの範疇はんちゅうに入らぬ些細なことであろう。

「確かに女官と言う剣を無くしたことは私にとっては痛手と言えます。ですが組織はその気になれば、それに代わる剣は直ぐに用意できるのです。それも複数、もっと鋭い剣を、ね。これは強がりではありませんよ?」

「よかろう、ガルバ殿の手腕、是非とも見せてもらおうではないか」

 これこそ強がりの最たるものだと皮肉げな笑みと共にデウカリオは言い放った。デウカリオは戦場で人を騙すのも殺すのも平気な男だったが、戦場外では人を騙すのも殺すのも嫌うという不思議なタイプの男だった。

 だがそれくらいで気を悪くするガルバではない。デウカリオの言葉にも悠然と優雅に腰を折った。

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