第343話 権力闘争

 夏の日差しが二人を照らし、風が優しく二人を撫でた。

 二人以外、誰も言葉を発しなかった。

 その美しい静寂を有斗が破るまで、その時間はしばし続いた。

「いた・・・痛たたたたたた・・・」

 我慢に我慢を続けていたが、腹部に走る激痛に耐え兼ね、有斗はその場に膝をついてうずくまる。

「陛下・・・!?」

「陛下っ!!」

 アリスディアら女官たちが慌てて有斗に駆け寄った。

「とりあえず玉体を休めましょう。アエネアス、寝台を貸してくれないかしら?」

 アリスディアの提案に頷くと、アエネアスは小間使いの少女に準備をするように命じ、自らは有斗を支えた。


 アエネアスの寝室へと運ばれた有斗は寝台に横たわり、体を休める。がさつなアエネアスにしては思いのほか、その部屋は意外と綺麗に整っていた。もっとも小間使いが清掃しているだけの可能性も捨てきれなかったけれども。

「やっぱりまだ動くとダメだね。とても痛い」

 有斗は痛む腹部に手を当て、ひたいに脂汗を浮かべてアエネアスに苦笑いを浮かべた。

「当たり前です! 生死を彷徨うほどの大怪我だったんですから!!」

「でも無理を押してまでここに来て良かった。アエネアスはもう南部に帰るなんて思ったりしないよね?」

「もう陛下にお許しを頂くまでは、南部には帰りませんからご安心を。でもどうしてわたしの家に来ようなんて思ったんですか?」

「だから、アエネアスが南部に帰っちゃうかもって思ったら、いてもたってもいられなくなったって言ったじゃないか」

「そうじゃなくて、今は陛下にとって政治的に大変なときだっておちびちゃんが言ってました。陛下に正面切って戦おうとする諸侯は確かにいなくなった。今までは外の敵に向いて一枚岩の結束を誇っていた朝廷も、権力を求めて各人がこれまでとは違った動きを行う。これからは外でなく内での戦いを見据えて考えなくちゃいけないって」

「分かってるよ。僕の意見を朝議で通すために廷臣たちの争いを上手く利用しつつも、彼らの対立が決定的な破局を迎えないように注意を払わなきゃいけない、だろ?」

 それは王都に帰ってから刺されるまで、何度ラヴィーニアから耳にタコができるほど聞かされたことか。

「本当に? それは廷臣たち同士の権力争いに留まらないんだよ? 全ての時代で王が必ず廷臣の上に君臨しているわけじゃない、王を操って権勢を欲しいままにした悪臣はアメイジアの歴史でも幾人も存在するもの。きっとそれは特別なことじゃない。王を傀儡かいらいにしようと望む野心家はいつの時代にもきっと潜んでいる。きっとこの朝廷にも。だから陛下は廷臣たちに弱みを見せちゃいけない。付け込まれるだけだから」

「だから・・・アエネアスは自ら謹慎したの?」

「そうだよ。陛下は優しいんだよ

、優しすぎるもの。きっと今回のわたしの不始末も不問にしてくれる。でも、それじゃ朝臣たちが納得しない。そういった無理を押し通せば朝臣たちの反感を買い、朝廷運営に有形無形の妨害を受け、陛下が苦労しちゃうもの。かといって朝臣の一部を懐柔し、わたしの問責を引っ込めさせる代わりに彼らの出す要求を飲むというのはもっと問題があるじゃない。陛下はアメイジアを平和にするんでしょ? セルノアさんに誓ったんでしょ? その為には廷臣たちの知恵は借りても、彼らの我利を満たすような行動は許しちゃいけないんだよ。廷臣どもが国を食い荒らしたら、民は困窮し、王朝への不満が募ることになっちゃう。戦が無くなったかのように見えても、それは仮初かりそめ。政治の失敗から民は反乱を起こすんだから。いずれ兵火は燎原りょうげんの火のように広がり、再びアメイジアを覆いつくしちゃう」

「アエネアスは羽林を辞めて、南部に・・・帰りたいのかな?」

「ま、まさか! そんな訳ない!」

「良かった。だったら僕の立場だとか、朝廷のことだとかアエネアスが考える必要はないよ。それは王様である僕の仕事だ。僕が何とかする。帰ろう、アエネアス。王宮の執務室の僕の机の横の席で片膝を立てて行儀悪く座っていたかと思えば、食堂でベルビオたちと大声で笑っていて、廊下でセルウィリアと口喧嘩しているのがアエネアスだよ。いつまでも自宅に引きこもっているなんてアエネアスには誰よりも似合っていない」

「わ、わ、わ、わ、悪かったですね!」

「で、アエネアスは僕と一緒に王宮に帰ってくれるのかな?」

「も、もう! へ、陛下がそう言うのならば仕方が無いけどさ! だ、だって王様の命令だもの、羽林将軍としては聞かないわけにはいかないものね! しょうがない、王宮に帰ります! 陛下がどうしても、と言うなら!」

「うん、どうしてもだね」

 どこのツンデレキャラだよと有斗が笑いを押し殺して真面目な顔でそう言った。

「な、なら仕方が無いわね。王の命令だからね。一緒に帰るしかないじゃない!」

 真っ赤になって強がるアエネアスの意地っ張りにアリスディアをはじめ女官は笑いを抑えるのに必死だった。


 アエネアスは平服から王宮へ行くための羽林の例の赤い服装に着替えている間に、先ほどの可愛らしい小間使いがお盆に洒落た茶瓶と茶碗を乗せて持ち運んで来てくれた。アエネアスの下で働いているとは思えない気の遣いようを見せた。

「陛下、お茶をどうぞ」

 女官が歩み出て受け取ると有斗にではなくアリスディアの前へと持っていった。アリスディアは茶碗になみなみと茶を注ぐと着替えを終えて戻ってきたアエネアスに説明とも言い訳とも取れるような弁明を行った。

「ごめんなさいね、アエネアス。あんなことがあった後だから、今は貴女相手であっても毒見をしなければいけないの」

「・・・気にしないで、それがアリスの役割だから」

 アリスディアは入れられたお茶の匂いをゆっくりとぎ、茶碗を取ると慎重に口をつけないようにゆっくりと少量を口中に注ぎ込む。

 口をつけてもいいんだけどな、と有斗はちょっとがっかりした。間接キスみたいなワクワクイベントはどうやら今日はないらしい。

「・・・うん、大丈夫です。当然のことですけれども」

 胃に収まっても異変が起こらないことを確認してからアリスディアはお茶碗を有斗へと渡す。

 喉が渇いていた有斗は二口三口で全てを飲み干すとそれでは足らずに、アリスディアに頼んで再びお茶を注いでもらう。

 と、先ほどお茶を運んできた少女がこちらをじっと見ていることに気が付いた。まぁ王様なんてそうそう見る機会も無いからな、興味津々なのだろう。

 有斗は感謝の意味も込めて少女に声をかけた。

「ありがとう、おいしかったよ」

 有斗がそう言うと少女はにっこりと喜びを顔一面で表現すると有斗に向かって一礼した。

「陛下に喜んでいただけたこと、とても嬉しく存知奉ります!」

 宮廷の下女と違って行儀作法的に正しいものではないお辞儀であり、後宮内ならアリスディアからお小言をもらいそうな不恰好なものではあったが、ここは後宮内ではない。

 アリスディアら女官らも少女の仕草をむしろ微笑ましげに眺めていた。

「驚いた・・・」

 少女がお辞儀する様を見て、有斗はアエネアスに驚いた顔を向けた。

「どうした?」

「アエネアスの家人なのに宮中にいてもおかしくないような礼儀正しさだよ。アエネアスはむしろ彼女に礼儀の何たるかを教えてもらうべきだ」

「陛下!」

 アエネアスは有斗にむくれて見せた。

 有斗は嬉しかった。王であろうと遠慮など見せないのがアエネアスなのである。その突拍子も無い行動こそがアエネアスが普段通りに戻りつつあるということを示していた。

 ちょっとしたミニコントを行う二人に小間使いは不思議な目をしながらも挨拶を続けた。

「陛下にお目にかかるのは二度目でございます。いつぞやは陛下とは知らずに失礼を働きましたこと、お詫び申し上げます」

「あれ? 以前どこかで出会ったっけ?」

 記憶の箱をひっくり返してみるが、会った記憶は何処にもなかった。そもそもアエネアスの家に来たことが無い。何回かアエネアスの家に行幸することを提案したのだが、いつも心底嫌そうな顔をして却下されたのだ。

 だとすると、南京南海府にいた頃に廊下で出会ったとかそういうのかな、と有斗が不思議な顔で首を捻っていると、

「以前は私、アリアボネ様のお屋敷で働いておりました」と小間使いが言ったことで有斗の疑問は氷解した。

「あ! 確かにアリアボネにお見舞いに行った時に小さな小間使いがいた!」

 まだ有斗がラヴィーニアを許しておらず、そしてアリアボネがまだあの世へ旅立つ前の話だ。

 この小間使いももっともっと小さく、幼かった気がする。今ももちろんまだ若い。そう、だが幼いというよりは若いのだ。

 あの頃は、確かアエネアスが目線を揃えるために膝を曲げて話し込んでいた。今ももちろんアエネアスより背は低いが、その差は以前ほどでは無くなっている。

「大きくなったなぁ・・・」

 有斗が感慨を込めて述懐すると、少女は王が覚えていてくれたことがよほど嬉しかったのであろう、

「そうですか、えへへ」と少し頬を染めながら無邪気な笑顔を見せた。

「確か名前はテプル・・・テルプ・・・」

 有斗が記憶の底をひっくり返して名前を思い出そうとしていると、「テルプシコラです、陛下」と、少女が自分の名前を告げた。

「そうそう、そうだったね。懐かしいなぁ」

「えへへ」

 そうか、アリアボネは死んだんだもんな、と有斗は今更ながら己の不明を恥じる。突然、職を失った家人は大層困ったに違いない。

 本当ならばアリアボネは彼らのことも有斗に頼みたかったに違いない。アリアボネは家人にも優しい女性だったのだから。だけど頼めなかった。それは些細な望みではあるが、臣下として王に自ら要求するなど分を超えた行動でもある。王である有斗に少しでも迷惑をかけまいと頼めなかったのであろう。きっと有斗が気付いて言い出さねばいけなかったのだ。

 だが代わりにアエネアスがそれを見てそっと手を差し伸べた。

 優しいな、アエネアスは・・・有斗は無邪気に笑うテルプシコラを見てそう思った。

 幸せそうな笑みだった。アエネアス邸で働くことになんの文句も感じていない、本当に柔らかな笑みだった。


 王暗殺未遂事件の責任をとって自ら謹慎したアエネアスを、有斗が王宮に召し出したことに公卿たちは大きく反発した。堀川宰相が未だ自宅で謹慎しているのに、一方だけ出仕を許しては片手落ちすぎるというのである。

 おかげで有斗と廷臣たちの間に溝が出来、官吏たちは面従腹背といったサポタージュ手段をとって、再開したばかりの執務にさっそく支障が出ている。

 有斗は頭を抱える羽目になった。

「堀川宰相の謹慎は失脚するのを恐れた堀川宰相が自主的に取った行動だよ。公的に下した処分じゃない。しかもそうなったのは彼らたちが堀川宰相を追い込んだからじゃないか。政敵は一人でも少ないほうがよいからって、ね。それなのにこれでは堀川宰相の処分が厳しすぎる、それに比べてアエネアスへの処分が甘いと今更言われても説得力がないよね。なんだろう、なんだかんだ言っても同じ朝臣、いざとなれば仲間意識が芽生えるものなのかな。それでアエネアスの扱いに納得がいかないのか・・・でもアエネアスだって彼らから敵視されているといったこともないと思うんだけど、どうしてこうなるのかなぁ・・・不思議だなぁ」

 有斗がそう言って考え込んでいると、執務を再開したと聞いてさっそくたまった書類を持ち込んできていたラヴィーニアがその疑問に答えた。

「彼らが急に堀川宰相をかばい立てしはじめたのは、同僚愛に目覚めたからと言うわけでも、赤毛のお嬢ちゃんが憎いからでもありませんよ」

「ならどうして? 羽林将軍という官職をアエネアスから取り上げたいのかな?」

「羽林将軍はなかなか魅力的な職ではありますが、三公のように誰もが執着するような職とまでは申せません。その程度の職を得るためだけに、陛下のお気に入りである赤毛のお嬢ちゃんを排斥しようと言うのはどうでしょうかね。いくら処分の不公平さという大義名分があると言っても、寵臣の排斥を訴えることは王の怒りを買いかねないことです。官職ほしさに陛下に喧嘩を売る程度の人材であると陛下が廷臣たちを見積もっているのなら、いささか彼らの器量を低く見積もっていると言わざるを得ません。廷臣たちが歩調を合わせて陛下に迫ってきたのにはそれなりの理由があると考えておくべきです」

 内心は官吏たちの目的をそれじゃないかと疑っていた有斗は自身を馬鹿にされたかのように感じてちょっと気分を悪くした。

 といってもラヴィーニアのこの手の忠言とやらで気分が悪くならなかった試しは一回も無いのだが。

「・・・それなりの理由とは?」

「この一件はもはや暗殺未遂事件に対して、誰をいかに処罰するかといった法律論や筋目論では無くなっているのです。寛容を掲げて行われた陛下の処分と、法律を盾にして公正な処罰を求める廷臣の処分、どちらが最終的に選択されるか、その結果こそが問題となっているのです。陛下が自分の意見を押し通せば、朝臣たちは大義名分があっても陛下の意見には逆らえないという先例が確立するし、陛下が廷臣の意見の正しさを認めたら、大義名分があれば王は朝廷の統一した意見には逆らえないと言った前例を確立することになる。これはこの新しい朝廷の、それ以降の政権運営に大きく関わってくるのです。つまり陛下と廷臣たちの権力闘争と言ってよい」

「だったら有斗は何が何でも引いちゃ駄目だよ。もしここで折れちゃったら、廷臣たちは今回のことを例に挙げて、自分たちの思い通りの政策を実行しようとこれからは大義名分をでっちあげて陛下に圧力をかけてくるようになるに決まってるよ。・・・あ、そうそう、わたしが羽林将軍の地位が惜しくて言ってるんじゃないからね」

「赤毛のお嬢ちゃんが羽林将軍の職を惜しんでいるかいないかといったことはともかくも、言っている内容は間違っていない、その通りです。ことは王権と言うものの根底を揺るがしかねない大事、陛下は決して朝廷の圧力に屈してはいけません」

「でも政治ってのは利益調停だよ。僕としてはアエネアスが羽林将軍から罷免されなければいいから、多少は折れてもいいと思うんだけどな。例えばアエネアスは一ヶ月の謹慎と二ヶ月の給与返上くらいで手を打つとかさ」

 それならば堀川宰相への処置が片手落ちだなどと言ってくることもなく、大半の廷臣は引き下がるんじゃないだろうか、と有斗は思った。

「政治とは確かに利益調停です。王と言えども折れることもあれば、諦めなければならないこともあるでしょう。ですがこれは政治の範疇はんちゅうの問題ではなく、その大元となる政治権力が何処にあるかといった問題、すなわち権力闘争です。政治の延長線上にある戦争が妥協も交渉も受け付けない殺し合いであるのと同じように、権力闘争も自ら敗北を選ぶことはできても、妥協や譲歩といった中途半端な状況は許されません。なぜなら権力闘争とはどちらが権力を保持しているのか不明な時に互いが確認する為の検証作業を意味します。権力は分かつことが出来ぬもの、つまり勝つか負けるかしかない」

 権力とは相手に望まない行動を強制する能力である。必ずどちらかが上で、どちらかが下なのだ。そこには平等などといった概念は介入する余地が無い。

「朝廷として陛下に一定の影響力を保持しておきたいといった彼らの野心が垣間見える以上、陛下は断固としてそれに立ち向かわなければいけないのです。ここで彼らに遠慮して、彼らに王が本来所持するはずの権力の一端でも分け与えてしまえば、王は飾り物になる危険性だってある」

「なるほど・・・確かにそうだ。権力は本来一つで分けることが出来ないものだ。二つに分裂したら、かつて関西と関東が争ったように乱の元になる。それでは僕が戦国を治めた意味が無い。確かに僕は譲歩するべきじゃないな」

「御意」

「・・・でも、少し不思議だな・・・」

 有斗は目の前の小さな中書令を見て首を傾げる。

「何かご不明な点でも?」

「ラヴィーニアは堀川宰相や出入りの商人に対する僕の処罰に不満を言ってなかったっけ? 刑罰が軽すぎる、それでは王の暗殺をもくろむ者に対する警告となりえないとか言っていたような・・・それに法の公平な施行を強調してたじゃないか。同じようにアエネアスの刑罰も軽すぎると考えてるんじゃないの? それなのにこのままラヴィーニアの言うとおりにすれば、アエネアスの処分は変更されない。前後で言っていることが矛盾するじゃないか。それにラヴィーニアだって廷臣の一人だよ。いつも僕にいろいろな提言を行っているが、僕に拒否されて自説を引っ込めることも度々たびたびだ。自分の意見を僕に通しやすくするために、彼らと組んで僕に圧力をかけたほうが後々やりやすいだろうにと思ってさ」

「確かに法律の公平な施行という面では堀川宰相に対する処遇はぬるいですし、赤毛のお嬢ちゃんを不問にするなど言語道断です。それに陛下にあたしの政策をより広範囲に採択させるには、廷臣たちと歩調を合わせて陛下に圧力を掛けて権力を一部でも握っていたほうがいいでしょう」

「・・・じゃあ何故そうしないの?」

「それは手段と目的を混同しています。あたしが法の公平な施行を望むのも、陛下に諸々の政策を提言しているのも、戦国乱世を終わらせ、確固とした政権をアメイジアに樹立し、平和を永続させんが為です。法の公平な施行のため、またあたしの政策を陛下に飲ませんが為に、政権の基盤を揺るがしかねない事態をあたしが引き起こすなどと思われるなど、あたしに対する大いなる侮辱です。陛下はあたしをそんな小さな人間だとお思いでしたか」

「悪かったよ、怒らないでいよ」

 有斗がそう言うと、さすがに王に対する言い草ではなかったと気付いたか、ラヴィーニアは溜息をつくと一礼した。

「別に怒ってなどおりません」

 とはいうものの、ラヴィーニアの顔は十分仏頂面だったが。

「とにかくこうなったからには赤毛のお嬢ちゃんに追加で処罰を与えることなどもってのほかです。権力は天与の人として、そして戦国乱世を終わらせた覇王としての権威を持っている陛下だけのものであることを彼らに思い知らせなければなりません。朝廷は陛下の手足となって働き、陛下に助言を行う諮問機関ではありますが、そこが陛下の命令を拒否できるほどの権限を手に入れてはならないのです。人間、脳が二つあっては体だってどっちの命令を聞いて動けばいいか分からないでしょう」

「わかった」

 ラヴィーニアの提言に有斗は頷く。

 しかし今まで一貫して遠征中の有斗を支えてくれた朝廷すらも、諸侯と言う外の敵が無くなった途端に権力を求めて主君である有斗にさえ牙を剥く。

 彼らだって朝廷の高官として十分すぎるほど権力も持ち、収入もあれば財産だって所持しているだろう。

 それなのにさらに追い求める。それが人が持つ向上心だといえばそうかもしれないが、共に天下統一の為に働いていると思っていただけに少しショックだった。彼らにとってはそれも自身がより大きな権力を手に入れるための手段に過ぎなかったというわけなのだろうか。

 あまり我欲が無い人間である有斗にとってはそれは永遠の不可解と言うやつだった。


 その朝、朝議が始まるや、有斗は霜台そうたいの長である御史大夫ぎょしたいふヘベリウスを指名して、昨日命じておいた今回の暗殺事件の関係者への処分を発表させる。散々反対意見を述べたにもかかわらず、自分の意とは食い違う結論を皆に発表しなければならない御史大夫ぎょしたいふは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「調査の結果、刺客は単独犯であったと結論付けた。刺客を後宮に入れた原因をつくった堀川宰相は本来ならば死罪なれども、それは本人の与り知らぬ事だったこととして罪一等を減じて、禁錮三ヶ月、贖銅しょくどう百斤とする。ただし除籍(じょじゃく)処分とし、宰相の位を剥奪する。同じく堀川宰相に刺客を紹介した商人も与り知らぬとして、店舗を二ヶ月の営業停止を申し付ける。また贖銅しょくどう五十斤とする。羽林将軍については事件当日外出していたにも関わらず、王の危機に駆けつけ刺客を倒す功績ありとして罪には当たらずと判断される。尚侍ないしのかみについてもお構いなしとする」

 議場は一瞬、凍りついたかのようにしんと静まり返り、ついで風にあおられたあしの葉のようにざわめく。

 自分たちが主張した意見が王を全く動かさなかったことに動揺し、とりわけ自分たちの同僚である堀川宰相にだけ重すぎる処分であると不服だったのだ。

「これは理不尽です!」

「陛下、これでは片手落ちすぎますぞ!!」

「陛下、是非ともご再考ください!」

 朝臣たちから口々に言葉が躍り出る。どの口からも出てくるのは否定的な言葉だけだった。

「どう理不尽で片手落ちだというんだい?」

 有斗の人を食った質問に口々に諸々の言葉を叫びだした百官を右手で抑え、内府が一歩正面へと進み出る。内府が皆を代表して有斗と対決しようというわけだ。

「まず、商人と堀川宰相の罰が同じでないことが納得できません。もちろん商人には官位はありませんから、まったく同じと言ったふうにはいかないでしょうが、二人の罪は騙されて紹介したということだけのはず。でしたら少なくとも贖銅の数は同じにするべきなのでは?」

 まったくもってその通りと言ったふうに何人かが頷いて賛意を表した。そんな彼らに有斗は用意しておいた返答をすぐさま返した。

「それは公人と私人の違いだよ。宰相と言う高い地位についているのだから、それだけ責任は重大だったはず。より慎重に彼女のことを調べるべきだったんだ。それとも君たち官吏の言う国家を背負う重責とやらは、公でなく私を重視し、利をもてあそぶ商人と同じくらい軽いものだったのかな?」

「それは・・・」

 官吏は一気に沈静化する。小さな反論はあったものの、多くの者は官吏の背負う国家への重責が商人と同じだなどと言われては口を開くのは躊躇ためらわれたのであろう。彼ら官吏の存在意義は国家を支えているということにあるのだから。

「で・・・では、羽林将軍と尚侍を罪に問わなかったことは如何ですか? おかしいとは思われませぬか? 彼らとて堀川宰相と同じ官吏ですぞ!」

 形成悪しと見た内府は矛先を変えてきた。内府の声に素早く同調する声が上がるあたり、彼らにとってはこちらのほうがより重要なのであろう。

「まずアエネアスはあの刺客を後宮に入れるのに何の役割を果たしたわけじゃない。それに羽林の長として僕の警護に最善を尽くしている。元より罪などどこにもない」

「しかし刺客は羽林将軍の不在を狙って陛下を襲いました。何かと言い分はあろうかと思いますが、これは羽林将軍の大きな失態かと」

「確かに刺客があの日を選んで襲い掛かる決意をしたのは、アエネアスが側にいないということを知っていたからだろう。だが刺客はいずれ隙を見て必ず僕に襲い掛かったはず。その時が今回よりももっと確実に命を落とすような危険な状況であることも十分考えられるじゃないか。ならば命が助かった分、今回でよかったとも言える。それにアエネアスは僕の危機を察して墓参を切り上げ帰って来た上に、刺客を切り倒すという手柄を立てた。彼女を罪に問えば朝廷は功罪をどう見ているのかと民に不審を持たれるだろう」

「・・・では尚侍はいかがですか? 後宮に新たに人を入れるのには最後に尚侍の許可が必要です。それに彼女は刺客と毎日接する機会があった。いくらでも見抜く機会があったとさえ言えます。罪に問われない道理はないはずですぞ」

「確かにアリスディアにも責任の一端はある。だがアリスディアは堀川宰相に無理に頼まれ、彼女を後宮に入れざるを得なかったという事情がある。朝廷の高官に頼まれてはアリスディアと言えども断ることは難しいことはここにいる皆ならば誰でも分かることだろう。それに堀川宰相ほどの人物の紹介ならば信じてしまうのも仕方がないことだ。疑うほうが失礼に当たると考えても、なに一つおかしくない。そうそう、後宮に縁者を入れるようにアリスディアに頼んだのは堀川宰相だけではないらしいよ。いっそのことそういう不届きなことをする連中をまとめて処分してしまおうかとさえ考えているところだ」

「・・・!」

 二人も後宮に捻じ込んだ内府としては声すら出ない攻撃だった。

「それに後宮に女官を入れる最終決断をするのは僕だ。全ての書類は僕の印璽が押されるからね。最終責任は僕にある。ということは内府の言葉を借りるとするならば、僕も罪を背負っていることになる。刺客を見抜けなかった責任をね。つまり僕も王を辞めなければならないと言っているのかな? そうだとすると内府は王権を転覆しようと企てていることになるんだけどな」

 有斗の嫌味が含まれた舌峰に内府をはじめとした廷臣たちは沈黙するしかなかった。

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