第337話 荘園整理

 有斗が結論を言おうとする前に、それまでアリスディアと並んで黙って椅子に座っていたアエネアスが二人の会話に割って入った。

「あ、その前に不思議に思ったことがあるんだけど、質問していい?」

「・・・どうぞ」

 アエネアスの言葉に有斗が頷いて了承の意を伝えるのを見て、ラヴィーニアはしぶしぶといった感じで質問に応じる。それは羽林大将ではあるものの、本件には何の関係も無いアエネアスがこの会話に割り込もうとすることを、ラヴィーニアはあまり快く思っていない様子をありありと示していた。

「たしか朝廷では流民に耕作地を与え、支援をする法律・・・なんだったっけ?」

 考え込むアエネアスに有斗が助け舟を出した。

「屯田法かな?」

「そそ、それ。それがあったよね。あれはもう戦国が終わったということで、中止にしちゃったのかな?」

「いや、アメイジア全土にいる流民は数多い。戦争が無くなり逃げ惑う必要がなくなったから、一部は故郷に戻るとは思うのだが、多くは王都などの都市部に入り込んでいるようだ。戦後復興で様々なものの需要が伸び、好景気に沸いているからね。だけど都市部だってそうたくさん職があるわけでもない。彼らの多くは無宿の失業者にならざるを得ない。これを放置しておけば朝廷の沽券こけんにかかわる。治安だって悪くなる。少しでもその数を減らすためにもまだまだ続けなくちゃならない」

「もちろん、それは南部でもやるんでしょ?」

「当然だね」

 アエネアスの問いにラヴィーニアは力強く頷いた。南部であろうとどこであろうと、王都近郊で無いからと流民を放置しておくことは許されることではない。

「だったら、荘園は放置しておけばいいんじゃないかな。朝廷が流民に耕作地を与えて自立までの支援をしていると知れば、荘園で働いている人たちもそこに加わろうとするに決まってるし。そうやって荘園から働いている人がいなくなれば、荘園そのものが実質的に無くなり、国家が金銭を出して買い取るまでもなくなるはずだよ。荘園なんて、ぎりぎりまで搾り取るためにきつい作業させられている上に、与えられる物は全て最低限という最低の生活に決まっている。それなら土地だって自分のものだし、税を納めさえすれば後は自由に生きれる普通の農民のほうがいいと思うはずだよ」

 アエネアスにしては理屈が通っている、と有斗は感心する。たしかにそうだ。働き手がいなくなったら荘園が金を生み出すことは無い。ならば彼らとて朝廷の説得に応じ、土地を手放すことに同意する可能性が出るかもしれない。

「そう上手くはいかない。なにせ怖いからね、色々と」

「怖い? 何が?」

「そりゃあ荘園を管理している連中が、だよ。傭兵崩れだとか、いろいろと荒事が得意な連中がそういったところを取り仕切っているものさ。食べるために仕方がなく荘園で働きだした者たちも、そこで生活していくためと称して、連中が命令しやすいようにいろいろと叩き込むわけさ。当然、逃げ出したらどんな結末が待っているかを十分に身体に叩き込んでいることだろうね。ほとんどの者が逃げ出さないと思う」

「逃げようにも逃げる先が無いって事かな? 朝廷として彼らの保護はできないのかな?」

「もちろん逃げ出してきたなら朝廷は保護しますよ、もちろん。そしてその非道を追求だってする。まぁ地方官が丸め込まれてさえいなければの話ですけれども。だけど人は一度恐怖が身体に染み付いちゃうと奴隷根性から抜け出せなくなるもの。逃げるという行為に出ることすら難しい者が多いのです」

 かつて幼い頃、似たようなことを経験したアエネアスには、なんとなくラヴィーニアが言う彼らの気持ちが分かる気がした。

「それに何より、人は新しい生活に踏み出すには勇気が要ります。今までと違う生活、人間関係も一から構築しなければなりません。そして新しい生活が本当に国の言うように豊かな未来に繋がるか不安もある」

「それでも奴隷みたいな生活よりはマシだと思うけどなぁ・・・」

 有斗は尚も小作たちが荘園から逃げ出さないというラヴィーニアの主張にいまいち納得できなかった。行く場所が無いのなら仕方が無いかもしれないが、国家がそのための策を十分に講じているのに逃げ出さないという心理が理解できないのだ。

「ですが朝廷から下される土地はもう何年も耕作放置されてきた農地、いやそれですら比較的いい条件であって、大半はつい昨日まで単なる草地でしたといった物件ばかり。しかも朝廷が派遣する役人に農業技術の専門家が少ないせいで、溜池を作り、水路を引いても、溜池の底が抜け干上がったり、水路の傾斜を間違えて水が末端まで行き渡らないなどといった問題が幾度となく発生する問題物件です。そこを解決したとしても、最初の数年は地味の貧しい土地はまともな収穫を農民に落とさない。それに絶望して、実際、耕作放棄された農地は後を絶たない。その姿を彼らだって見ることになる。自らの未来図を重ね合わせて不安にもなろうというもの。ならば最低限であっても今現在、生きていけており、この先も生きていける保障のある荘園での奴隷のような生活でも死ぬよりはマシだと考えてもおかしくはないでしょう」

「え? そんなことになっていたの?」

 有斗は屯田法がそんなに問題を起こしているとは知らなかったので、驚きのあまりにラヴィーニアに慌てて聞き返す。

「なかなかに全て上手く行くなどといったことは期待なさらないでください。それでも全体の八割は定着しつつあるのです。十分に成功といえるでしょう」

 ラヴィーニアはそれのどこが問題なのですか、といった表情で平然と有斗に返答した。

 確かにそうではあろうけれども、それで満足してもらっちゃ困るというのが有斗の心境だ。

 二割の定着しなかった民にも税金を投入していることには代わりが無いし、なにより定住しなかった二割の人間は再び流民となって彷徨さまようことになったのだ。

 社会不安の元となるといった王としての考えだけでなく、人としての哀れみの感情からも彼らを放っておくわけには行かなかった。

「もっと農業に詳しい人物を屯田法の中心人物にするとか、屯田法に関わる官吏を監督する官吏を置いたりしないと駄目なのかなぁ・・・」

 有斗は腕を組んで改善案を考える。もちろんラヴィーニアら、官吏たちも改善案を考えた結果、思いつかなかったから今現在の状況になっていることは有斗とて百も承知だ。

 だがそれでも考えずに入られなかったのだ。

「もちろん探してはおりますが、そういった有為の人物はなかなか・・・それに人材の問題と言うよりは、担当する官吏の数が足らないことが根っこの問題としてあるのです。今、全土に屯田で作られた開拓地は数知れなくあります。なにせあたしですらその数を知らないほどに。それを限られた数の官吏で監督していくには自ずから限度ってものが存在してしまいます。かといってこの先、縮小することが決まっている部署に大勢の官吏を割く余裕は朝廷にはありませんし」

「そうだねぇ・・・八割でも定着してくれるのなら良しとしなきゃだめかなぁ・・・」

 定着しそこなった二割の救済策は再度練ることにして、今は八割という数字をいかに増やしていくか考えるべき時だろう。

 王は神様じゃない。全ての人間を救うことなどできるわけがないのだ。


 話が段々と本題から逸れてきたことにラヴィーニアが注意を向けようと話題を変えた。

「話を戻しますが、それに例え荘園から人が逃げ出していなくなっても、きっと荘園はなくなりませんよ」

「どうして?」

 アエネアスの問いにラヴィーニアは簡潔に答える。

「あくどい連中は人を踏みつけることに良心の呵責かしゃくを微塵も感じないものさ。人がいなくなったとしてもまたどこからか新たな人を騙して連れてきて、荘園で働かせるだけのことさ。彼らはそうやって人を食い物にしてずっと生きていくだけ」

「・・・なるほどね・・・荘園というものを根本から消し去らないと問題は解決しないってわけか」

 ようやく説明に納得したアエネアスを見て、ラヴィーニアは肩から荷が下りる思いだった。

「そういうこと」


 その後、有斗が慎重に考えた結果、選択したのは三番目の選択肢である。

「節部の意見が最も僕の意図に沿っていると思う。アメイジア全ての土地は朝廷のもので、王が任じた諸侯以外に私的所有を認めさせるわけにはいかない。確かにそれは建前論ではあるが、ラヴィーニアの言うとおり、将来のことを考えると許すわけにはいかないだろう。かといって己の利益の為とはいえ、折角、荒地を耕地にした彼らから荘園を強制的に取り上げるのは非道だと思う。それに結果として流民を救済したことに代わりは無いんだし、彼らだって民だ。民に負担を強いるばかりが政治ではないと思うし」

「ただし、あたしの目算では今の国庫にその余裕は・・・」

 ラヴィーニアはそう言って目線を逸らす。彼らに土地を納得して手放させるだけの金銭は、巨額の戦争費で破産寸前の有斗の朝廷には今は無いことは誰の目から見ても分かりきっている。関西遠征のときに発行した軍票の支払いのために、新たな軍票を発行するという緊急手段をとらざるを得ないほどだ。

 もし格付け会社がこの世界にあったら有斗の朝廷はたぶん最低ランクのB-に分類されることだろう。

「わかっている。今すぐに彼ら全てにお金を払って土地を接収するのは無理があるだろうね。だけどまだ諸侯の移封、減封は全て終わったわけでもないし、そもそもこちらが決めたと言っても、まだ通知だけだ。諸侯が家人と家裁道具一式を持って引っ越すには時間がかかる。しかも今度の諸侯の移封はアメイジア始まって以来の大規模なものだ。連れて行くもの、残るもの、家臣の意見を取りまとめて、アメイジアの西から東へ大移動だ。馬借ばしゃく、車借などの運送業者の手も足らないに違いない。旧領主から新領主への引継ぎ移管作業だってあるだろう。数日どころか何週間、いや何ヶ月かかっても終わらないんじゃないかな。つまり南部の土地は、今はまだ王領ではないとみなすことができると思うんだ」

「つまり一時的な棚上げですか」

 ラヴィーニアの口調には非難する色合いがありありと表れていた。先送りは問題解決とは違うとでも言いたげなようだった。

「ぶっちゃけるとそうだね。だけど彼らにどのくらいの金銭を出せば妥当かいったことも調べてみなければ分からない。それが終わるまではこの件は棚上げに出来るんじゃないかとも思うんだ」

「それで当面乗り切ろうとお思いで?」

「汚いと思うかい? 問題の先送りみたいで」

「いえ・・・確かに筋道論としても陛下の考えておられることは正しいと思いますし、現在の朝廷に彼らに支払う金銭が無い以上、取りうる手段として適当であるとは思います。・・・だけれども棚上げと言ってもそう何年も塩漬けにしておくことはできませんよ、その時は如何いかがなさいます?」

「その時はラヴィーニアの方式をとらざるを得ないだろうね・・・大きな反発が出ることを覚悟の上でもそうしなければならないだろう。財源の確保は国家にとって至上命題だもの。お金がなければ社会秩序を継続的に維持し、社会的安定を担保する為の軍や官吏を保てなくなる。将来的にその財源を減らす要素となりかねない荘園はどうあっても廃止しないといけない」

 有斗が一時的な棚上げはするものの、最終的な決着は付ける気でいることに安心したのか、それとも自身の意見も中に取り入れられたことに満足したのか、ラヴィーニアは急に有斗の意図に沿うような提案を始めた。

「それだけの覚悟がおありならば、節部と調整して毎年、どのくらいの支出が可能かどうか協議してまいります。例えば一括でなく分割で支払うなどの手法をとれば、可能かもしれませんし」

 ラヴィーニアはその場で考えることなく具体的な手法を、それも問題を改良した案を提案して見せた。おそらく前もって検討していたに違いない。

 ラヴィーニアとしてはやるべきことが多すぎて朝廷が財政不足であることや、王の権威を広く知らしめるためには当然、自身の案が最適と思っていたのであろう。

 だから節部の案を改良すれば実行に移せる可能性が上がると気付いていても、有斗にそのことを言わなかったに違いない。

 だが自分の意見以外でも常に最善手を探し模索していた。そこはさすがはラヴィーニアだといったところであろう。

「頼むよ」

 有斗は苦笑しつつも、一番頼りにしている彼の中書令にこの件を一任した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る