第336話 民と王権の狭間に巣くう者

 有斗は日が落ちるまで心行くまで食べ散らかし、胃も心も十分に満たされてから王宮に帰還する。

 暗くなるにつれ昼間繁盛していた露天の多くは店を閉め、代わりに軒先に色とりどりの提灯をぶら下げた別の種別の露天や店が開店し、王都の特定の一角は猥雑わいざつさを増していく。

 王の格好はしていないものの身なりの良い有斗は、いい鴨であると見做されたのか客引きが競うように寄ってくるが、ことごとくアエネアスに叩き返されていた。

 有斗は酒にはまだそれほど興味は無いのだが、外見は来たときと変わってはいないものの、ここへ来てからの年月を足すと二十歳を超えることから、例え日本であっても酒を飲んでも許される年齢に達している。

 もちろんアメイジアには飲酒を年齢で禁じる法律は無い。だからそういった店に入ってみたいといった気持ちはあった。

 だが側にアエネアスが目を見開いて見張っている現状では、それが許される確立はゼロに極めて近い。

 仕方が無い。うっかりとぼったくりの店に入ったら大変だし、と自分で自分を慰めるしかなかった。

 王宮に戻るとちょうどラヴィーニアがアリスディアに中書の書類を提出しているところだった。もうほとんどの官吏はとっくに退朝しているというのに、こんな時間まで執務を行っていたということだ。

「やあラヴィーニア、今日も仕事熱心だねぇ」

 有斗は一秒も惜しいと独楽鼠こまねずみのようにてきぱきと処理しているラヴィーニアに感心し、声を掛けた。

「戦乱は終わったというものの、まだまだ課題は山積しているこの大事な時に、いったいどこへ行っていらしたのですか、陛下?」

 だが見るからに忙しさを表面に出しているにもかかわらず、ラヴィーニアに対して実に暢気のんきに声を掛けたことが気に障ったのか、ラヴィーニアは腰に手を当てて仁王立ちし、有斗を責めるように睨み付ける。

「いや、ちょっと気分転換に庭に出ていたんだ」

 有斗は慌てて口からでまかせの嘘を言って誤魔化そうとする。

「こんな暑い時に庭に何時間も出ておられたとは陛下も物好きですね」

 その嘘を見抜いたのだろう、ラヴィーニアが痛烈な皮肉で応える。もっとも見え見えの嘘ではあったが。

「そ、そうなの。陛下ってば庭の木陰で風に吹かれて涼みたいなんて言うものだから。あはははは」

 アエネアスが別にお菓子で買収したわけでもないのに、有斗を庇うようなことを言う。実に珍しいことだ。

「そうですか。その割にはお二人とも日に焼けたご様子は見られませんけれども・・・実に不思議ですねぇ」

「う・・・うぐぐ」

 ラヴィーニアの的確な指摘にアエネアスはぐうの音も出ない。アエネアスはこう見えて色が白い。宮中の女官がうらやむほどで、炎天下の中、半日も外をうろついていたら直ぐに日焼けして赤くなってしまう。買い食いの間も警護の為に有斗の側にいるよりも、日陰を選んで立っていたくらいだ。もちろんいざとなれば抜刀して届くくらいの距離からは決して離れはしなかったが。

「ええと、それは・・・その」

 アエネアスは視線を空中に泳がせてもっともらしい言葉を捜そうとする。その姿は小学生が見ても嘘をついていることが丸分かりだ。

「冗談ですよ。街にお出かけになられていたことは、尚侍ないしのかみ殿からきちんと聞いております。それにたまの気分転換くらい、あたしだって大目に見ます。でも明日はきちんと執務をしてくださいね」

 アエネアスをやり込めたことで少しは気が済んだのか、ラヴィーニアはそこであっさりと怒りの矛を収めた。どうやら仕事をサボったことに対しては、それほど怒っているわけではないようだ。

「う、うん」

 有斗がそう気の無い返事を返すと、ラヴィーニアはアリスディアとの書類のやり取りを既に終えていたらしく、

「それでは失礼いたします」と頭を下げて有斗に一礼する。

「あ。ちょっと待ってよ。ラヴィーニア」

 有斗は用件を終えて執務室から出て行こうとするラヴィーニアを呼び止めた。

「なんでしょうか?」

 ラヴィーニアは有斗の呼び止めに応え、扉の前で立ち止まると振り返る。

「今日さ、王都内で戸部侍郎(戸部省の次官)の館前で大勢で地方の人たちが税について陳情に訪れている姿を見たよ。最近ああいうのが多いって聞いたけど本当なのかな?」

「ああ・・・その件ですか」

 珍しくラヴィーニアの口調に切れが無い。語尾を濁すようにして口ごもる。

「ラヴィーニアが歯切れが悪いって事はやっぱり多いんだ・・・」

 有斗が溜息混じりにそう言うと、ラヴィーニアはそれまでの歯切れの悪さを振り払って、開き直ったように大声で返答する。

「ええ、そうです。多いか多くないかで言ったら多いです」

「で、朝廷としてはどう対処する予定なのかな」

「陛下はあれがなんであるか正確にご存知なのですか?」

 有斗の質問に答える前に、有斗が正しい認識で問題を理解しているか確かめようとラヴィーニアは逆に訊ね返す。

「うん。国家が定める税が重いせいだとか、官吏が不正に重い税を取り立てているといったことではなく、荘園で働いて小作料を取られている農民がさらに税金を課されることを恐れて陳情に来ているって聞いた。しかも本当は諸侯と請負契約して荘園を運営している人たちが収入が減ることに危機感を覚えて、荘園で働いている人たちをけしかけて、国家に陳情と言う名の圧力を掛けているってことも知ってるよ」

「その通り、それが真実です。毎日毎日、館前に陳情に訪れられれば外聞も悪い。解決できない戸部の責任問題にも発展する可能性だってある。つまり放置しては置けない。だが以前と違って今の陛下は官吏に厳しく民にも優しいと評判のお方だ。陳情に訪れた民を叩き返しでもしたと伝われば逆に己の首が飛びかねない。だから戸部の人間も適度なところで決着を付けざるを得ないのではないかと黒幕どもは考えているのです。要は利権を守りたい人々が、無垢の農民を操って利を得ようとしているだけの騒ぎです」

「だがこのままでは陳情に訪れている彼らの生活が苦しくなるといったこともまた事実だ」

 彼らは土地の所有者でなく耕作者だ。本当に所有権があるかどうかは法的には微妙なようだが、少なくとも荘園を現在所有している。

 彼らの雇い主は今までほどではなくてもそれなりの利益を得るためにも、税金分以上に彼らから搾り取ることは確実だろう。かつかつの生活に追いやられるに違いない。

 彼らの生活に哀れを催し、小作料を少なくするような、そんな良心に溢れる経営者がこの労働権のない時代にいるとは思えない。

 何しろ各種法律取り揃えた今現在の日本でも法の抜け穴を探し、盲点を突き、法を無視して利益を得ようという者が後を絶たないのだから。

「ええ。それでも戦国の世の中では命があり、食っていけるだけでもマシと小作人は考えていたはずです。しかし今までは下を見ることで通用していたそれも、これからもそうであるとは限りません。貧困や格差は彼らの心に不満を降り積もらせ鬱積うっせきさせるでしょう。いざこざやいさかい、荘園領主に対する抵抗など様々な厄介ごとを引き起こすでしょう。あるいはなんら対策を行わない朝廷に対する大規模反乱に繋がる可能性もあるのです」

「かといって彼らに税を一切課さないというのは逆に他の人たちに不公平だしなぁ・・・いっそのこと荘園領主と話をつけて、国も税の総額を減らす代わりに彼らも小作料を減らして、小作の手元に暮らしていけるだけのものを残すようにしてみるとか?」

 政治は利益分配であるということを正しく認識しだした有斗は、全てが納得できそうな手っ取り早い解決案を提示してみた。

 朝廷は税金全てが手に入るわけではないが、それでも税収が増える。荘園領主は荘園からの上がりは少なくなるかもしれないが、税金を完全に課されるわけではない。小作人だって税金を全額課されるよりはマシだろう。

 ほら、あれだ。なんとかとかいう時代劇の三方一両損とかってやつだ。

 だがその考えはラヴィーニアを納得させるにはいま少し足らなかったようだ。

「その約束を荘園領主が正しく守るとお思いで? 税金が減ったと喜んで、その条件を受け入れるだけ受け入れて、減らされた税金の分だけ小作から更に搾り取る姿が目に見えるようです。もし彼らを国家との約束違反でその後、一斉に逮捕して荘園を没収するという深い御思慮があるのならば反対はいたしませぬが。ただしぼり取られた小作はその年、大いに困窮こんきゅうしますし、国家が荘園領主から土地を取り上げるために、周到に罠にめたと陛下に悪評判が立つことは免れませぬことをお忘れなきよう」

「・・・」

 戦争という誰にとっても分かりやすい悪があるからこそ有斗を無条件に支持していたアメイジアの民たちも、平和になれば朝廷に求めるものはそれぞれ違ってくることだろう。職あるいは食、安全保障、新たな秩序の確立、厳格な法の支配などなど個々人の状態によって優先して欲しい課題は異なるに違いない。

 だがその全てを朝廷が民に与えることが出来ているとはとても言いかねる。

 そのような不安定な時期である今、有斗への、ひいては朝廷への民の信頼を失うのは得策で無い気がする。

 それに朝廷が大した理由もなく民から物を取り上げるのはいつの時代であっても許されることではないだろう。

「だとしたらこの状態を解決するにはどうしたらいいと思う?」

「それが官吏の中でも意見が割れておりまして、意見を集約することができておりません。このままでは埒が明かないから、陛下に直接決めていただこうかと話しているところでございます」

「とりあえず意見を聞かせてよ」

「あたしの意見はそもそもの原則に従うべし、です。アメイジアの土地はことごとく王のものであり、各地を支配する権利を王が諸侯に分与していると捉えるべきです。諸侯が配下に与えている土地は諸侯が移封された時に全て公に召し上げになるように、彼らの土地も彼らに荘園を作る許可を与えた諸侯がいなくなったことで消滅したと考えるべきでしょう。それに、もしもこのまま彼らに土地と民を支配させたままでいると大変なことになります」

「どう大変になるの?」

 さっぱり大変さが想像できない有斗は鸚鵡おうむ返しに問い返した。

「彼らは国家に対して勲功が無いにも関わらず、土地と人民を支配することができる小さな諸侯のような存在となります。しかも諸侯と違って彼らは王に対する数々の義務も無い」

「でも諸侯と違って、納税の義務はあるよ」

 ラヴィーニアのいうことは極めて正論だが、元々荒野だった土地を開墾した彼らにだって、少しは土地を使用する権利を主張する根拠らしきものがあるだろう。

「ですが、もしこのままの状態で彼らの存在を許せば、つまり諸侯に納めていた僅かばかりの税を国に納めるだけでいいとするならば、毎年一定の収入が得られる諸侯でもないのに土地と人を支配する新しい層がアメイジアに誕生することになります」

「・・・そういうことになるね」

「何を暢気なことをおっしゃっているのですか。一つの例外が後の世への先例となるのですよ。悪臣たちはそのうち、この先例を盾に各地に似たような荘園を作って、それを所有することを企むに決まっている。荒地であったと言いがかりをつけて、王領を次々と自らの荘園に変化させるに違いありません。せっかく中心部に王領を纏めたことが無駄になるのですよ。いずれ王領は次々と荘園に侵食され税収は落ち、臣下だけが肥え太り、朝廷は何も出来ない非力な存在へと転落します。そうなればいつまた戦乱の巷へと逆戻りしてもおかしくない。平和とは政権に力があるから反旗を翻す者が出ないだけの状態のことを言うのです」

「なるほど。確かにそうだ」

「国家と国民の間にいかに中間搾取層を置かないかこそが王権の維持には大切なのです。ただあたしの意見は論理としては正しくても、せっかく作った荘園を取り上げられることになりますから、それなりの反発を覚悟しなければならないという難点があります。まだ統一政権として生まれたばかりの陛下の政権は不安定です。ここでいらぬ不安要素を呼び起こすことは、せっかく眠りについた、豺狼さいろうのような諸侯の野心を呼び覚ますことに繋がる懸念があります」

「他の人の意見は?」

「十年ないし二十年といった期限を区切ってその権利を認めたらどうかという案が、内府殿をはじめとした朝廷の一部高官の間から出ております」

「なるほど。苦労人らしい内府らしい意見だね」

 少なくとも投資した分くらいは取り返させることで相手の面子を立てて、土地の所有権は王にあることを明確にして、朝廷の面子を損なわないようにするということなのだろう。

「ただし時間を区切るとはいえ、例外措置を認めることには変わりはありません。いつか将来、この先例を持ち出して王が寵臣に欲しいままに領土を与える嚆矢こうしとなることでしょう。やがてそれは例外では無くなり、いつしか区切られたはずの期限も撤廃され、王領をむしばんでいく危険性があります」

「・・・なるほど」

 ラヴィーニアの提案よりは穏健で妥当かとも思ったけど、危険性もはらんでいるというわけか・・・

「他には節部を中心として、例外を認めるわけにはいかないといった強硬な建前を表向きは主張し、彼らの土地を収公する代わりに、荒地を開拓したことを別個に褒賞して、彼らの損害をつぐなってはどうかといった意見も出ています。これならば将来における禍根は無い。ただどうやってその金額を策定するか、そして荘園領主を納得させられるだけの金額を国が用意できるかといった問題もあります」

「なるほどなぁ・・・」

 それぞれに一理ある、そして欠点もある、と考え込む有斗にラヴィーニアは決断を促した。

「・・・で、陛下いかがいたしましょうか」

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