第338話 大浴場にて

 夏もすっかり盛りに入り、蝉の声が王宮の庭園の中から響いてくる。

 東京龍緑府にはモノウへと通じる河川が側を流れ、街中にその川へと通じる運河が縦横に流れているおかげか、夏の暑さと言ってもそれほどでは無い。三十度を超える程度じゃないかと思う。日陰に入れば快適に過ごせるし、それに夜には気温も下がるので寝苦しいといったこともない。

 それでも日本の夏に比べればということで、日中に暑いことにはなんら変わりは無い。

 執務室は保安上の問題もあり四方を廊下と部屋とで囲まれている。

 本来の王の執務室は四師の乱で焼け落ちていたから、廷臣の控え室であったその前室を今現在執務室として使っている分、建物の外側に近く、広く空け開いた回廊状の廊下に面している分だけ風が入りやすい。

 もっとも風通しが悪くとも、有斗は女官に扇いでもらえるからそれほど暑くはないのだ。暑いというのならば女官のほうであろう。

 有斗が着る着物は全て上質の絹織物だ。絹も風通しも吸湿性も決して悪くは無いが、さすがに夏場に大量に重ね着するのはちょっと・・・と思うのだが、王の威厳とやらの為に薄着でいることは許されないらしい。

 まぁ確かに王様が裸でパンツ一枚でうろつく姿を見たら、どんな忠臣でも革命を起こしたくなる気持ちは分からなくも無いから、仕方が無いのであろう。

 せめて肌触りが冷感な麻織物で作られた衣服を主張したのだが、あれは下々の着るものだとか言って反対された。

 どうせ派手に染めるんだし、遠くから見たらばれないと思うのだけれども、こういうことに関してはあの優しいアリスディアさえも有斗の味方をしてくれない。

 というわけで夕方にはすっかり汗でべとつくというわけだ。

 買い食いもろくにできない有斗の最近の一番の楽しみは、七郷攻めの間に遂に後宮内に完成した風呂に入ることである。

 ちなみに有斗が入るお風呂は縦が四間(七・二メートル)を超える超大型のお風呂だ。横だって一間(一・八メートル)以上はある。泳ぐことだってできるほどの十分な広さである。

 有斗の後宮は本来そこに住まうべき麗人がいないため女官の数は少ないが、さすがにそれでも宮廷であり、女官の数は馬鹿にならない数である。だから彼女たちが一度に入っても混雑しないように、こんなにも広いのかと思ったら、これは王専用の風呂なのだそうである。しかも王の子供や后でも許可無く入ってはいけない完全な王専用のお風呂なのだとか。

 ならば財政不如意の現在、こんなに大きくすることないと有斗は将作監ショウサクカンの官吏に軽く文句を言ったら、なんとこれでも当初の計画よりもかなり小さくしたとの事。開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。お風呂など足がのびのびと伸ばすことができさえすれば何の文句も無いはず。ジャグジーかジェットバスがついていれば更に言うことはないのだが、この時代では技術的に無理だろうから諦めておく。

 だがそれで空いたスペースに同時に女官たちが入る風呂も完成したとの事で、彼女たちも大喜びである。

 ちなみに彼女たちの浴場は王の浴場の手前、廊下を下っていった左側にあるとのことだ。

 ・・・別に覗きたいとか思ったから場所を知っているわけじゃないぞ。あくまでも偶々たまたま耳にしただけなのだ! ・・・本当だ! やましいところは無い!!


 ところで、王の浴室が独立した部屋で、女官の風呂と接して作られていないのは、当然、警備上の問題からで、有斗が覗こうとする行為を防ぐためでは決して無い。

 王の浴室が他の部屋と接していたりしたら、屋根伝いもしくは軒下伝いに忍び込んで、浴場と言うもっとも無防備な場所での有斗の殺害を計画する者が出ないとも限らないからだ。

 本来ならば浴室外四方に羽林の兵が複数警護に当たるだけでなく、浴室内にも身体を洗ってくれる女官の他に羽林の兵が控えていて警護をするのが普通であるから、そこまで厳重に王の浴場を設計しなくてもいいのだが、それはあまりに恥ずかしいからと有斗が浴室内に誰一人入れようとしないので、建築段階からかくも厳重に侵入者の排除を目的として建てられたわけである。

 ともかくも外は厳重に見張られており、中には有斗以外は誰もいないという、有斗にとって身も心も開放される数少ない空間である。

 すっかり普段の生活の一部になっているとはいえ、やっぱりアリスディアとかいつも周囲にいる女官には少し気を遣ってしまう。いいとこを見せたいという気持ちがどうしても働いてしまうから、馬鹿をしちゃだめだとか、失望されないようにしようとか考えた結果、疲れてしまうのだ。

 やっぱりみんな揃いも揃ってハイレベルに綺麗だってのがいけないのだと思う。男なら誰でも女の人の前で、それも美人の前では格好を付けたがるものなのだろう。きっと遺伝子レベルで刻み込まれているに違いない。男ってのは悲しい生き物だねぇ、などと有斗は身体を湯船の中で伸ばしながらぼんやりと考える。

 そして誰も見ていないことをいいことに、ばしゃばしゃと湯船の中を無邪気に泳ぎまわるのだった。

「楽しそうですね、陛下」

 と、プールで泳いだときよろしく、反対側の湯船の端にタッチするとほぼ同時くらいに有斗に声が投げかけられた。

 あれ? 少しばかり長湯しすぎたかな、と顔を上げてみると、そこには有斗の長湯に体調を心配して入ってきてくれた女官ではなく、宮廷で見ない顔の美人が少し眉を吊り上げて立っていた。下から見上げると普段見慣れている真正面から見た顔でなく、下から見上げた急角度で変形した顔になるし、湯煙でよく見えやしなかった。

 この顔は見覚えが無い、と一瞬思った有斗だったが、よく見ると、どこかで見た顔・・・いや、どこかで見た胸だな、と大きく盛り上がった胸部に有斗は記憶を刺激するものを感じた。

「実に楽しそうなご入浴、ご機嫌そうでよろしゅうございますね」

 機嫌の悪さを表すような、少しばかりドスの利いた低い声で有斗に話しかけたのはウェスタだった。

「げげぇ! ウェスタ!! なんでここに!!?」

 まず、ウェスタは河東南西部ツァヴタットから越南部のベルメットに封建しなおされた。

 普通の家の引越しでも大変なのだが、ましてやこれは諸侯の引越しである。

 旧領土の新しい領主への引継ぎを行って、新領土へ入りオーギューガの支配を長年受けてきた民との融和を計らねばならないし、新しく家臣を雇い入れ、臣下に役目を割り振って、早急に前領主の滅亡に揺れる越の地の動揺を抑えなければならない。それがウェスタに与えられた一番の役割だった。

 民心の掌握、家内の統率、問題は山積みのはず、とてもしばらくは領主たるもの本領から離れることなど出来ないはずである。

 それが越を離れた王都、しかも許されたものしか入れない王宮の内側、その中でも一番警備の厳しい後宮の奥、それも有斗しか入れないはずの浴室の中にいたのである。驚くなと言うほうが無理な話であった。

 まぁどうやってここに入ったかは、もはやおおよそ見当は付くのだが・・・


 ところがウェスタは有斗のごく当たり前とも言えるその反応に気に障るものを感じたのか、

「わたしがここにいたら、何か不都合なことがある、というわけですね!?」と、実にご立腹な様子がありありと分かる表情で立ち尽くしていた。

「いや、ウェスタがいたら不都合があるとかいうわけじゃなくってね、ただ越に国替えになったばかりで忙しいはずのウェスタが、なぜ今ここにいるのかな~ってちょっと不思議に思っただけで・・・」

 神出鬼没にも程があると、有斗はしっかりと前を隠しながらウェスタから距離を取ろうとすると、

「忙しいですよ! もちろん!! ですが陛下にお礼と文句を言わねばと、家政をひとまず棚に上げてこうして参った次第です!」

 何故かウェスタは切れ気味に、ざぶんと着物のまま湯船に入り込んで有斗に近づいてくる。

 詳しくはまだ分からないが、口調からするとどうやら国替えに対して文句があることは薄々感じられた。

「ちょ・・・ちょっと、ウェスタ、何で怒ってるのさ?」

「ご自分の胸に聞いてみたらいかがですか!?」

「ウェスタには感謝しているよ。僕が上州へ攻め込んでいる間、ガニメデと共に芳野の敵を繋ぎとめておいてくれた。だから僕としてはその感謝を表す意味で、領土を倍増したんじゃないか!」

 もちろんそれは単に感謝を表すためだけの褒美といった意味合いだけではない。そこでしっかりと越の地に善政を敷いて、王土に組み入れる働きをしてもらいたいというのが有斗の願いだ。

 なにしろ出兵こそ多いものの、軍神の名は重い。他国から一歩も領内に踏み入らせなかったこともあいまって、領民からは捧げられる感情は信仰に近いものがあった。

 そんな土地では誰が新領主になったとしても、なかなか難しいであろうことは目に見えている。

 ラヴィーニアなどはとりあえず気に入らない大諸侯を封じ、あえて失政させて反乱した民を根絶やしにした上で、失政を犯した諸侯から領土を剥奪すれば一挙両得です、などと言う非人道的な意見も出たが、有斗としてはそういった手段は天与の人と呼ばれる王としてはどうだろうと思って却下した。

 であるならば有斗としては足元で反乱騒ぎが起きても最後まで有斗の側に立って行動してくれる臣下を封じたほうがいい。

 そういった計算もなかったとは言い切れない。それをウェスタは怒っているのかと有斗は考えていた。

「でしたら何故、河東南西という王都にいつでもいける場所から、越と言う僻地へきちへと追いやったのですか!」

「・・・へ!?」

 あたりをつけていただけに、ウェスタの怒りの原因がそうじゃないと分かったときの有斗はより一層混乱した。

 諸侯領と王都との距離がなんだって問題になるというのだ・・・? 江戸時代じゃあるまいし、参勤交代とかみたいな厄介なものなんてないはずなのだが・・・

 するとウェスタは有斗を見下ろすと悲しげな表情を見せた。

「これでは陛下のお情けを賜りたくても、逢瀬すらままならぬではありませんか」

 どうやらウェスタは領土と王都との距離が離れたことで、有斗に簡単に会えなくなったことに怒っていたようだ。

 なんて女の子らしく、いじらしいんだ・・・と有斗はおもわず感涙にむせびそうになった。

 しかし数々のウェスタの告白めいた言葉・・・あれは冗談じゃなかったのか、と有斗は今更ながらに気が付いた。日本ではまっっっっつたくもてたことなど無い有斗は、それが本当であるかいまいち実感が沸いていなかったのだ。

 それにそういった言葉や態度を迂闊に信じて手を出したことで、セルノアの時に十分に痛い目にあっていたし、王という存在に向かって機嫌を損ねるような言葉を言うのはラヴィーニアとアエネアスくらいのもので、ほとんどの人が王に気に入られようと耳障りの良い言葉だけを言うもので、簡単に信用してはいけないことくらい、もう有斗は十分理解している。

 もちろんウェスタがそういう下心がある人物だと言っているわけじゃない。ただ王の心構えとしてそうでなければいけないというだけだ。

 しかし・・・これはひょっとして、有斗が手を出しても何の問題にならないのでは・・・とむくりと邪な考えが浮かび上がる。

「もう・・・もう・・・ウェスタは用済みになったと、捨てられてしまったのですね」

 そう言うとしくしくとウェスタは両てのひらを顔に埋めて泣き出してしまう。

 ・・・

 なんだか僕が女を騙して利用しては捨てる極悪人みたいな表現になってきたぞ、と有斗は居たたまれない気持ちに包まれる。

 慌てて有斗はフォローに入った。

「用済みだなんてとんでもない!! ウェスタを越のベルメットに封じたのは、ウェスタを遠ざけようとしたとかそういうのじゃなくて・・・むしろ信用してるからこそ、越と言う難しい土地の統治を任せたっていうか・・・その・・・」

「では・・・わたしを捨てたのではないのですね?」

 その言い方はないと思う。捨てるとか捨てないとか以前の関係だぞ、僕とウェスタは。だが今は二人の関係を明らかにすることよりも、事態の収拾を図るほうが優先すべき事項である。

「も、もちろんだよ。ウェスタを捨てるとか、とんでもないことだよ・・・!」

「わたしのことが嫌いではないのですね・・・?」

 ウェスタはすすり泣きながら有斗にか細い声で訊ねる。

「も、もちろんだよ!」

 泣く女の子に勝てる男がいるはずがない。有斗はウェスタをなだめようと大声で肯定する。

「よかった♪」

 すると明るい声でそう言うや否や両手を離すと、その下から満面の笑みのウェスタの顔が現れる。涙跡など一切無い綺麗な顔だった。

 うわ、汚い! 完全な泣きまねだ!!

 青少年の純情な心をもてあそばれたことに痛く傷ついている有斗とは裏腹に、ウェスタは実に嬉しそうに笑みを浮かべる。

「では、さっそくいたしましょうか♪ ちょうどするのに都合がいい場所ですしね」

 何がちょうどいいのかは分からないが、ウェスタは両手をにぎにぎと開いたり閉じたりして、やる気をアピールしつつ有斗に近づく。

 だがそれはどちらかというと男がやる気を出した時にする行動だと思うのだが・・・


「こらぁっ!! こんなところに入り込んでいたのね!!!」

 その時、浴室の扉が開くとアエネアスがヤクザの殴りこみよろしく怒った表情のまま抜き身を手にして、闖入ちんにゅうしてきた。

 どうやらウェスタが王宮に入り込んだことを察して、今まで探索の網を広げて王宮中を探していたらしい。汗だらけで紅潮したアエネアスの顔がそのことを物語っていた。

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