第333話 中書令の矜持(プライド)

 腹に溜まるだけのものが毎食食べられれば満足と言う、金銭欲を持たないベルビオみたいな人間はともかくも、伯爵になるということは王に軍役の義務を負い、民に対して政治を施し、その安全を保障するといった義務も負わなければならなくはなるが、一番安定した職業であるはずの官吏でさえも浮沈が激しく、明日をも知れないこの世界においては、子孫の将来に至るまで暮らしていくことに心配が無いという点で一番嬉しい恩賞であろう。

 現に王師の将軍たち、特にガニメデなどは「貧民の、武芸だけしか取り得の無かった村の厄介者と呼ばれた私が、ついに諸侯の端に連なるまでに出世することになろうとは実に感無量です」と飛び上がらんばかりに喜びを露にしていた。でっぷりと太った今の姿からは想像もできないが、武挙に受かったというからには昔はそれなりに武芸も優れていたのであろう。

 さて有斗が戦争にかまけている間も政務を滞りなく進めてくれていただけでなく、後方で兵站を担ってくれていた宮廷の官吏にも同じように論功行賞は進められた。

 多くは官位を一階上げるだけに留まったが、有斗不在の宮廷を纏めていた内府、軍隊の遠征費用を捻出してくれた節部尚書や、流民に対する農地給付、またその定住支援の責任者として寝る間も惜しんで働いてくれている亜相など一部の高官たちも諸侯として封じられることとなった。

 ちなみに節部尚書は有斗のオーギューガ遠征中に終に腹痛が悪化して執務中に倒れ、今現在に至るまで病床から起き上がることも出来ず、朝廷に顔を出してない。

 おそらく胃潰瘍とか十二指腸潰瘍とかだろうなぁ・・・ガンとかじゃなければいいけど、とその原因のほぼ全てに関わるであろうにもかかわらず有斗は他人事のように思っただけだった。

 この時代の医学は程度が低いから、王といえども内臓疾患系の病気は一旦発病したら安静に過ごす以外にできることはないから仕方が無いのではあるが。

 だがその中で一人だけ有斗の内意を伝えたにも関わらず、即座に拒否の意を示した人物がいた。

「いりません」

 そう言って切りそろえた藍色の短い髪を横に振っただけで、ラヴィーニアが平然と莫大な加増の恩賞を断ったことに有斗は唖然とした。

 有斗は人が他人に施しをした時に、それも持つ者が持たぬ者に優越心を感じたいがためにくれてやるといった見下した感情ではなく、良いことをしたと本人が思った時にだけ思い浮かぶ、あの優しい感情に包まれていただけに、拒絶の言葉を聴いた時に胸中に湧き上がってくる感情は困惑でしかなかったのだ。

 有斗はアエネアスの時と同じように、多分に感謝の言葉が返ってくることを期待していた。

「何故・・・? 爵位は子々孫々まで伝えることが出来る、持っていて損をするものじゃない。誰でも欲しがるものだよ」

 現にあのベルビオだってこれで大好きな肉を毎日腹いっぱい食うことが出来ると喜んだくらいだ。その認識は諸侯としてどうなのかなと不安になるけれどもさ。

「確かに誰もが欲しがるものではあります。あたし以外はね。ですがあたしには必要ないものです」

 だがラヴィーニアはまるで迷惑そのものかであるかのように有斗の好意の印であるその恩賞話を断った。

「まずあたしは二親を殺されて天涯孤独の身だとお話したことをお忘れになりましたか? それに生理が来る前に成長が止まってしまったあたしには、この先どんなことが起きようとも子供が産まれてくることはない。そんなあたしに子孫代々伝えていく領土をくれるといわれても、極めて大掛かりな嫌味にしか聞こえません。従兄弟だとかはいるけど会話もろくにしたことがない。そんな連中に継がせるのも馬鹿馬鹿しい」

 げ、そうだった。すっかり忘れていたけどラヴィーニアが少女のままの外見で成長が止まったのには深くて悲しい過去があったのだった。

 普通に側にいるから、内心ではいつも口うるさいロリババァだくらいにしか思っていないけれども、ラヴィーニアはもはや王としての有斗にとっては欠くべからざる存在になっているのだ。機嫌を損ねて突然いなくなりでもしたら、それこそ有斗の王権が崩れ去るくらいの重要なポジションの人物なのだ。もっと気を遣わなければいけなかったと今更ながら反省する。

 セルノアやアエティウスやアリアボネのように有斗の目の前から消えうせてから後悔するのはもう沢山だ。

「だ・・・だけど、領土からは租税が取れるし、持っていても損はないんじゃないのかな~って・・・思うんだけど・・・」

 有斗が見え見えのフォローを慌てて入れるとラヴィーニアは、はぁと溜息を洩らした。

「別に怒ったりしているわけではありませんので、陛下はあたしに気を遣わなくても結構です」

「あ、怒ってないんだ」

 怒っていないというその言葉を聞けただけで一安心だった。現金なもので有斗はぱっと顔を明るくする。

 なにしろ、もう有斗になんか仕えたくは無いなどと言って今すぐ出て行かれたら大変なことになる。明日から朝廷は大混乱するであろうことは火を見るより明らかだ。

 問題は解決したかとばかりにお気楽な表情を浮かべる有斗に、釘を刺すかのようにラヴィーニアは言葉を続けた。

「ただ陛下はもう少し朝廷におけるあたしの立ち位置ってものを理解していただきたいものです」

 ラヴィーニアの立ち位置など有斗の頭の中でははっきりしているだけに、それは不思議な言葉だった。

「立ち位置って・・・有能な中書令だって思ってるよ。僕が思い描いたことを法令や組織の実態に照らし合わせて、実現してくれているんだからとても助かっている。心の底から感謝してるよ」

 それはラヴィーニアに対してのおべっかだとかおためごかしとかではなく、有斗の偽らざる心情であった。

 だがそれを聞いてもラヴィーニアは喜ぶことも感心することもなかった。それどころかやはり正確に認識していないな、というふうにラヴィーニアは腰に手を当てると有斗から視線を逸らして、溜息を吐き出した。

 ラヴィーニアに見えている何がしかの真実に有斗が気が付いていないことに苛立っているのだ。

 たぶんラヴィーニアには僕が出来の悪い生徒にでも見えているんだろうなと、その態度に少々傷つきながらも、実際のところ頭の良さではラヴィーニアには逆立ちしても敵わない有斗はそう思った。

「陛下にとってではなくて、あたしが朝廷の他の臣下だとか、あるいは朝廷の外にいる人間、例えば民衆にどう思われているかと言うことです」

 有斗がもう一度考え直して出した結論は次のようなものだった。

「・・・有能な中書令じゃないかな?」

 つまり同じ結論だった。有斗にはどう考えても他の捉え方ができなかったのだ。

 それともあれか、今まで出会ってきた人間の中で見たことが無いくらい陰険で、悪魔の次くらいに邪悪なことを考えることができるロリババァとかいう本人の前では言ってはならない悪口を有斗に言わせる策略なのだろうか。

「違います。世間はあたしのことを陛下が一番信頼している側近で、陛下の政策を共に考えもし、政権を支えている片腕、良くも悪くも陛下の分身みたいな存在であると認識しているのです」

「え? その認識は違うんじゃないかな!? 側近って言うのは僕の意向に沿って政策を実現してくれたアリアボネみたいな人を言うんじゃないかなぁ」

「本来の意味からするとそのとおりです。陛下にとってあたしは決して側近ではないでしょう。それにあたしがいくら薦めても陛下は未だ未婚でいらっしゃるし、教育令だとかいう役に立つんだか立たないんだか分からない法律の研究に優秀な官吏を注ぎ込みますし、いくらでも効率よく物事を進められるのに迂回路ばかり選んでばかりおられますし、あたしにしてみれば厄介なご主人といったところです。ですが世間はそうは見ていない、ここが重要なところです」

「そうかぁ・・・そう見られているのかぁ・・・」

 有斗が肝煎りで力を入れて行った政策も、特に命じなかった通常業務なども、ラヴィーニアという能吏の手にかかれば、極めて淡々と事務的に処理されていく。それはややもすると仕事に対して情熱を感じられない冷たい感じにさえ見える有様だ。

 自身も同じように淡々と日々の仕事をこなしているだけの冷たい王だと思われているのだろうか。

 こんなにいろいろ考えて毎日睡眠時間まで削って政治を執っているのに、その扱いはあまりにも酷い話だと有斗は思う。

 かといって王はその怒りを民や官吏にぶつけるわけにもいかないのだ。すぐに横暴だとか、暴君だとか言われてしまう。

 ああ・・・王は孤独だ。

 有斗がそんならちも無い考えに取り付かれていると、いつまで経っても物事が進展しないことに業を煮やしたのか、ラヴィーニアはむりくりに話を展開し始めた。

「陛下は天与の人ですが、不老不死の存在ではありません。いつか次の者が王位を受け継ぐことになります」

「まぁ、いつかはそういうことになるんだろうねぇ・・・」

 それはつまり僕が死ぬって事を言っているわけだ。まだ若い有斗には戦場での死というのならばともかくも、老衰死や病死といったことに対して実感は無く、まったくもって縁起でもない話だが、人間である以上避けられない運命である。いつかはそういうことになるのだろう。

「さてさて革命や簒奪さんだつによらずに順当に王位に就いた新しい王は、立場や考え方がそれぞれ違うにもかかわらず、ほぼ全ての王が行おうとすることがあります。それが何かお分かりになりますか?」

 日本ではテスト勉強の対象として以外には特に歴史に興味を持たなかった有斗にそんなことが分かるはずも無い。

 それでも有斗だってもはや一人前の王様である。王様の素人ではもう無いのだ。しばし想像力を働かして様々な立場の王様が直面する問題の中に共通するものがないか、いろいろと考えてみたが、結局のところ思いつくところは何も無かった。

 何故なら王位を継いだその時の情勢によって、外交だったり内政だったり戦争だったり、一番優先すべきことはそれぞれ異なるはずだからだ。

「・・・わかんないなぁ・・・」

 でしょうね、と我が意を得たりとばかりにラヴィーニアは満足げに口の端を曲げて笑むと説明を始めた。

「先王の側近の排除です」

「え!? 何故!!?」

 先王の側近って事は、先王の治世を支えた功労者と言うことである。つまり国家に対して大功がある存在だ。

 それをいきなり排除するって言うのはむしろ失政に近いことではなないだろうか。

「例えどんなに賢明で偉大な王であり、熱心に政治に取り組んだとしても、その治世が長ければ民から飽きられた結果、最後は悪評だらけになるものです。すると新しい王は人気取りのためにも、先王の政策を否定して新しい政策を行おうとすることになります。人心を一新するためにもそうせざるを得ないのです。だが新しい王は前の王と血縁が近いと言うことで王位を相続しているのです。であるから完全に先王を否定することは出来ない。それは自身の血縁による王位継承の正当性をも否定しかねないことになりますからね。その時に代わりに犠牲の羊になるのが先王の寵愛深かった側近です」

「側近が・・・? どうして?」

「失政や偏りある政治からもたらされた民の不満など、先王に向けられる全ての悪感情の責任をその側近に押し付けることが一番合理的な解決方法なのです。先王は悪くなかった。悪かったのは側近のせいで、人の良い先王は利用されていただけに過ぎなかったということにしてしまうのです。まぁそれだって臣下に騙されているのですから王としては十分失格なのですけど、民はその程度の言い訳でも先王に同情を感じて、今まで感じていた怒りを側近へと向けることになるのです。そこに新王が上意をもってその側近を処断する。これで新王は自身の権威が揺らぐことなく、政権への不満を逸らし、民からの信頼を勝ち取ることが出来る」

「汚いなぁ・・・でも確かに王の権威を傷つけることなく、手っ取り早く政権への不満を逸らす手ではあるね」

 王様業に慣れてきた有斗は王や官吏が考えるこの手の『合理的な考え』も理解できるようになったし、考えることができるようにもなった。

 ただ、たまにそんなことを考え付くことができる自分は、以前と比べて心が汚く、薄汚れてしまったのではないだろうかと自己嫌悪に陥ることがままあったが。

「そして彼らに待ち受ける運命は良くて公職からの追放、まぁ普通は斬首か流刑ってところですかね。下手をすると一族皆殺しといったことも少なくありません。なにしろ側近として長年権力の座にあったということは、本人が意図したかしないかに関わらず、大勢の政敵を作るということですからね。権勢の座にあるというだけで嫉妬する小人は多いのです。さらには先王によって不遇に追いやられていた者たちも、それまでの憎しみを先王に代わってその側近にぶつけるでしょう」

「そんな・・・!」

「ダルタロス家のことを思い出してください、陛下。アエティウス殿が死んだ途端に家内は反アエティウス派に乗っ取られ、あの赤毛のお嬢ちゃんやベルビオらは影響力を排除されて、家内の非主流派に転落してしまった。それは何故か? 簡単です。非主流派は表面上はいかにも今の主の忠臣であるかのように装いながら逆転の機会を窺い、言葉巧みに次の世代、あるいは次の次の世代の主へと近づいて歓心を買い、寵愛を得ようとするものだからです。十分に成熟し、既に寵臣のいる主よりは若くてまだ世間の苦労を知らない次世代の主のほうが付け込みやすいですからね。反アエティウス派の者はそれに成功した。そしてそれまで彼らを不遇に扱っていたダルタロス家を牛耳っていた者たちを端へと追いやった。きっとそれはいずれこの朝廷でも起きる。何故なら今まで高祖神帝より二十四人の王(関西方式で数えると二十六人)が即位するたびに毎回起きていたことだからです」

 ラヴィーニアは一気にまくし立てるように言うと、そこで自嘲したかのような皮肉げな笑みを浮かべる。

「つまり陛下、あたしはいずれ処分されることになるのですよ」

「そんな・・・!」

 有斗はまた憤慨した。これだけ国家に尽くしているラヴィーニアがそんな目に遭わなければならないなど理不尽すぎる。

 そして同時に驚愕した。ラヴィーニアがそれに気付いていながら、やがて来る非業の運命を受け入れていることに。

「当然、その時には伯位も剥奪されるでしょう。ですからいらないと申し上げたのです。それに、もしあたしが伯位を受け入れたとしましょう。確かに領土は金銭を生み出しますが、その為には伯爵領をきちんと管理し、運営しなければなりません。大勢の家人を雇い入れなければならないのです。その者たちと家族はあたしが伯位を剥奪されると同時に路頭に迷うことになるのですよ。下手をすると兵を寄越してあたしを館ごと焼き払うことだって無い話ではない。何も将来不幸が訪れることが分かっている道に無関係の人を招き入れることはありますまい」

「それじゃあ・・・ラヴィーニアはそうなると分かっているのに僕に仕え続けているのか・・・?」

 それでは将来不幸が訪れることが分かっている道に有斗はラヴィーニアを巻き込んでいることになる。

 知ってしまったからには有斗は、ラヴィーニアをその運命から解き放つべきではないかと思い立つ。それが人としての正しい道だろう。

「大丈夫ですよ。あたしはそうなることを十分覚悟して陛下の中書令をやっているのです。あたしがあたしの運命を受け入れたのは、あたしという存在が天下統一と言う陛下の大事業には必要だと自負しているからです。陛下はきっとこのアメイジアに安定した平和をもたらす。そしてその陛下を支えた臣下の一人として、あたしの名は史書に刻まれ不朽のものとなるのです。人として産まれ、官吏として朝廷に仕えた身としてはこれ以上の誉れ決して他にはありますまい」

 ラヴィーニアはそう言うと眩しげに笑った。迷いの無い、心に沈鬱なものが無い澄み切った笑みだった。ふと有斗はその顔をどこかで見たことがあると思った。

 あれはどこだろう・・・と有斗は頭の中でちかちか瞬くおぼろげな記憶の中を掻き分けて探す。思い出したのは懐かしい、柔らかで麗しい顔だった。

 ・・・そうだアリアボネだ。死ぬ前のアリアボネがこういった顔をしていた・・・人は己を捨ててもいいほどの大事なもののことを話すときは同じ顔をするのかもしれない、と有斗はそう思った。だって二人の顔つきはまるで違う、それにも関わらず二人の顔が同じに見えるのだから。

「それに何も陛下よりもあたしが長生きすると決まったわけではございませぬ。幸いにして先に死ぬことになれば、いくらあたしに意趣を持っている者でも墓石を蹴倒し、死者を鞭打つことくらいしかできませぬ。あたしを冥府より現世に引き戻すことなどできないのですから。ですから陛下が気に病むことはございません」

「しかしこのままと言うわけにはいかないだろう!? なんとか今のうちに対策を練って将来の危機に備えるべきだよ!」

 有斗の必死の言葉もラヴィーニアには届かない。軽く肩をすくめるだけだった。

「あたしが助かるための方法ならいくらでも考え付きますよ」

「なんだ、既に方策はあるんじゃないか、だったら・・・!」

「ですがそれはどうでしょうか。陛下がなさろうとしているアメイジアに平和をもたらすという高潔な理想は素晴らしいことですが、何かを変革するということは常に変革される側からの反発を招くものです。戦国と言うのは朝廷が機能しないことによって、ある意味自由な世界でした。その自由を奪われるものたちからは不満が生まれましょう。その不満をぶつける相手が必要です。ですが、もしそれが新王になってしまったら大変です。新王は即位早々に反乱の鎮圧に追われることでしょう。下手をすると政権は転覆してしまいます。国家は軌道に乗るまでが大変です。特に建国の父から後を継ぐ二代目がいかに組織を安定させるかにかかっているといってよい。先王の頃と違い王にも家臣にも戦場と言う実力を証明する場が無くなり、諸侯にも民にも睨みを利かせ難いという欠点がある以上、なるべくなら立ち上げ時の混乱は避けたいところです。国家がつつがなく永続していくという観点からも、陛下の後を継がれる新王の為にも、陛下は犠牲者をあらかじめ用意しておく必要性があるとは思いませんか?」

「国家のためという考えは立派だよ。だけどその為にラヴィーニアが犠牲になる必要なんて無いんだ! 人間が群れて国家を作ったのは、個人がより暮らしやすい世の中にするためだよ。人間が国家を作ったんだ。国家が人間を作ったんじゃない!」

 その有斗の言葉にもラヴィーニアは、陛下は本当にお優しいと笑みを返しただけだった。

「それにあたしの屋敷に若い家人が一人もいなかったことを覚えておりますか? 今、あたしの館にいる者たちは戦争で村を焼かれ、親兄弟あるいは子や孫を亡くして行き場を失った者たちです。このままでは明日どころか今日を生きていくことすらできなかった者たちです。それまでの奉公で構わないと言ってくれた者だけしか、今のあたしの館にはいません。ですから大丈夫です。あたしは陛下にアリアボネの代わりという大任を任せられたその日から、それまで長年勤めてくれていた家人たちの多くに暇を出しました。ちょうど陛下が戻られて朝廷の官吏は増員していた。官吏の家人としての仕事に慣れた彼らの引き受け手は幸い多くいて、誰一人職に困ることはありませんでしたよ」

 そういうとラヴィーニアは満面の笑みで有斗にラヴィーニアの身の上については何の心配も無い、大丈夫だと伝えようとしていた。

 だがその時、有斗の心を捉えていたのは別の感情だった。

 ラヴィーニアは有斗のために、そしてその後を継ぐ者のために犠牲になろうとしている。それだけラヴィーニアは平和を、そして乱世を終わらせる英傑を渇望していたのだ。例え自身が引き裂かれようとかまいやしない、引き換えにそれが得られるというのなら。それだけの決意を胸に秘めて、恐怖にも怯えず、日々政務をこなしていたのだ。

 それを有斗は問題ごとが起きるたびに呼び出しては、投げ出して押し付けていた。

 その影でどれほどラヴィーニアが苦悩し、苦闘していたかなども考えもせず。

 まるでお金を入れてボタンを押したら望んだジュースが出てくる自動販売機のように便宜的に扱っていた。厄介な問題を投げては解決策だけを有難りもせずに受け取っていた。

 有斗はラヴィーニアという一人の人間をこれまでまるでもののように扱ってきていたことに気が付いてしまったのだ。

 どうやったらその間違いを正すことができるのだろう。どう言えば今までの過ちをラヴィーニアに上手く伝えられるのか分からず、有斗は憂悶した。

 ただ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「ごめん・・・」

 ようやく紡ぎ出した一言、それだけが今の有斗に言える精一杯の言葉だった。

 もっともそれだけでは当然ラヴィーニアには伝わりきれるわけは無かった。ラヴィーニアはその謝意を爵位という有斗の好意が要らぬお世話だったことに気付いた有斗の落胆であると受け取ったようだった。

「・・・ただまぁ・・・あたしが喜ぶだろうと思って爵位の話を持ち出されたことはあたしも理解しています。感謝しています。その気持ちこそがあたしに取っては何よりもの褒美。陛下にお仕えしてきた甲斐があるってものです」

 ラヴィーニアはそう言って有斗に深々と拱手した。

 有斗は初めて目の前のこの小さな少女のような中書令が、歴史に残る偉大なる傑人の一人であることに気が付いた。

 そしてそれ程の人物が自分が夢見る未来に同じように希望を見ていることを誇りに思った。

 ならば有斗はラヴィーニアが有斗に見た夢、託した想い、それに全力で応えなければいけないであろう。そう強く思った。

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