第334話 不敗のガニメデ

 ラヴィーニアの決意に身が引き締まる思いの有斗は、その日より毅然たる思いで職務にさらに熱を持ってあたった。

 なにしろ一連の戦役によって諸侯を支配下に置くことには成功したものの、何よりも戦を優先したため、内政課題がほぼ手付かずのまま残っているのである。百年にわたる戦国の世の間に政治は現実と大きく乖離かいりしてしまっていた。これを適正な形に修正しなければならない。

 少しでも早くアメイジアから戦塵を収め、政権を安定させることこそが本当の意味での戦国の世の終結を意味することであろう。

 だがそれに取り掛かるよりも差し迫った急務が朝廷には存在していた。

 戦国の世が終わって命の危険がなくなった民が次に不安に思うのは日々の生活のことだ、何より食べていく手段についてである。

 元々の王領も、そして新たに王領となった地域も畿内もしくはその周辺だ。もっとも争いが激しく行われ、その結果として荒れ果てた荒野が広がっているだけなのだ。

 有斗は中書省、戸部省こぶしょうといったその問題に直接関わる省庁に命じ、まずは民力の回復に力を入れる。

 農地を開墾して戦で住んでいたところを失い難民となった民に給付する政策を引き続き推し進めていくだけでなく、定住策を拡充していくのだ。

 これは下手をすると今日にも行き倒れる命を救うと言う人道的な意味からも有斗も納得の政策ではあるが、朝廷の官吏がこれを積極的に行うという背景にはもっと切実な事情があった。何度も言う様ではあるがこの時代に人権という概念そのものが無いのである。

 流民、貧民問題を放っておくと容易に社会不安の一因となるからだ。盗み、強盗、殺人。あるいは彼らに対する蔑視から生まれる社会的な階層差別とそれにともなう社会の断絶、そういったものが最後には朝廷に対する不満につながり、大規模な反乱の火種になるかもしれない。

 せっかく手に入れた仮初かりそめの平和、これを永続のものとするためには、あらゆる社会不安は後世の為に少しでも刈り取っておかなければならない。

 今までは希望するものだけに行っていたそれを王領全土の流民全員に広げ、半ば強制的に土地を与え定住させようと試みた。

 何故なら彼らの存在をそのままの形で全て受け入れられるほど、都市も農村も国のどこにも余裕などなかったからである。

 もちろん彼らには国家挙げての手厚い支援を行い、一刻も早い生活基盤の確定を約束する。

 かといっていつまでも彼らだけに予算を割けるほど朝廷は豊かではない。

 だが彼らに強力な支援を行って自立を促せば、それはすなわち彼らを社会の一員に、下世話な言い方をするならば税を生み出す社会の歯車のひとつに変えるということである。

 回りまわって朝廷の財政基盤の強化に繋がり、そして朝廷を支える官吏の権力を増すことになるのだから反対する官吏はいなかった。

 それにきっと先んじて定住した彼らの先人たちの安定した暮らしを見れば、彼らとて前途に希望を持ち働く意欲が沸くに違いない。

 ある程度落伍者は出るだろうが、それでも大半は定住してくれるに違いない。

 戸籍に載っている人口が、戦国が始まる前の和帝の時代の人口の十分の一でしかない今の現状は異常と言ってよい。

 もちろん相次ぐ戦や疫病や貧困で人口は現実に激減しているが、この過大な数値はどちらかというと定住地からの農民の離農といった意味合いを表している。

 この政策はそれをある程度解消してくれることだろう。


 一方、その間も粛々しゅくしゅくと論功行賞は続いていく。

 なにしろ有斗にとって初の、そして出来うるならば最後にしたい大型の論功行賞だ。もしもう一度論功行賞があるということになると、それはもう一度大きな戦いが起こったからということなのだから。

 だから慎重にもなるし、剥奪、移封、加増を同時進行でやっているため進みも遅くなろうと言うものだ。

 諸侯に褒賞としてある土地を与えようとしたら、そこは既に他の諸侯に与えていたなどといった勘違いも度々起こる始末だった。

 この先百年の平和を得るためには諸侯の配置は熟慮の末に決定しなければならない。第二第三のカヒを生み出さぬように、大諸侯は背反する諸侯を隣接させ、小諸侯は逆にお互い助け合えるような形にするよう工夫を凝らす。

また関西にリュケネ、芳野にアクトール、越にウェスタ、河東にエレクトライ、七郷にエレウシス、坂東にマシニッサというふうに少なくとも有斗が生きている間は朝廷の手足となってその地域を監視する目となることが期待できる諸侯を配置した。

 移封を嫌った者や減封を納得できない者など二、三の諸侯の間で多少の揉め事はあったが、幸い大規模な反乱騒ぎにまでは至らなかった。


 そういった緊急を要する案件がようやく一段落付き、夏の暑さが王都に襲い掛かる頃、有斗は廷臣宅への訪問を再開した。

 これも大切な政治の一つである。王がその廷臣を大事に思っている、気に掛けていることを行動で示すだけでなく、後宮の女官も朝臣の耳も無いところで、政治に対する意見や本人の不満などを忌憚きたん無く話してもらうことで有斗が気付いていない真実に触れることが出来るかもしれない大事な機会だ。

 ラヴィーニアやアリスディアを信用していないわけではないけれども、彼女たちの耳の届くところでは話しにくいことだってあるに違いない。

 朝臣が息を潜めて見守る中、最初に選んだのは第十軍将軍のガニメデだった。

 なんと言っても王師こそが有斗のもっとも頼りにする支持基盤だ。王師は自分たちと共に戦場を駆けた有斗に好意を持っている。何よりも自分たちが命を掛けて戦場で働いたから有斗をアメイジアの覇者にしたと言う誇りがあり、有斗という王の政権と自身たち王師を一心同体のものとして考えていた。有斗という王に誰よりも愛着意識があったのだ。

 まだまだ朝廷内にも諸侯の中にも有斗に信服していない勢力は数多い以上、彼らに無形の圧力を掛けるためにも王師の将軍、それも衆目の一致するところ王師きっての名将軍であるガニメデを一番最初の訪問先に指定したことは理に適ったことだった。


 公式には王は突然思い立って、ひっそりとお忍びでガニメデ邸を訪問するという筋書きなのだが、実際は三日も前からガニメデには知らされて、当日はいつもにも増して街の辻辻に見張りの兵が目を光らせて立ち、怪しい動きが見られないか警戒を強めていた。

 特にガニメデの家がある一角は大勢の兵が配置されて、傍の民家を丸ごと一軒借り受けて兵を籠めるという念の入れようである。

 止めろ、民に迷惑を掛けるな、と言いたいところだが、もしそれで僕の身になにかあれば警備責任者の首がいくつか飛ぶのは確実で、もちろんアエネアスまでもその責任を負わされると考えれば有斗も迂闊に己の感情だけを言い出すことなど出来なかった。

 前後を商人の荷馬車に偽装された馬車に挟まれながら、有斗が乗った馬車は官吏街の外れ、落ち着きがありながらも王師の将軍に相応しい立派な門構えの家の前で止まった。

「へぇ・・・いい家だね」

 ちょっと前まで地方の城砦の司令官といえば聞こえはいいが、実態は何故そこに城砦が作られたかの理由すら今や誰一人分かっていないような、僻地の城砦の管理責任者だった男だ。

 妻子も当然王都に住まうような結構な身分ではなく、城砦の片隅にひっそりと暮らしていたという。それがいきなり王都にこんな大きな邸宅を構えるようになるとは夢にも思わなかったに違いない。

 ちなみにここはかつて有斗に反乱騒ぎを引き起こした亜相パウリドの館だったらしい。それを購入したという。

 王師の将軍の給料、数多くの戦いにおける勲功に対する報奨金を考えたら、格別に大きな邸宅であるというわけではなかったが、それでも曲がりなりにも旧亜相の館、ラヴィーニア邸に比べると遥かに豪華な門構えである。

 それを考えると己を律し贅沢など一切行わないラヴィーニアは本当に偉いな、と有斗は思う。

 だからといって高官が皆、ラヴィーニアの真似をして質素な生活をしてもらっても困るのだ。彼らにはその地位に相応しい贅沢をして散財してもらって、民間を潤してもらわなければいけない。己のふところに貯め込まれるのが国家としては一番困るのである。

 お付の羽林の兵が門扉を叩いているのを横目で見つつ、そんなことを考えながら有斗は馬車を降りた。

 おそらく門の向こう側に早くから控えていたのであろう。叩いた門扉の響きが消え去る前に扉が勢いよく内側から開かれた。

 門扉が開かれると家族、家人勢ぞろいで一斉に地面に跪いて叩頭する。

「陛下の行幸を賜りまして、この不肖ガニメデ、身に余る光栄。一生の誉れであります」

 有斗はにこやかに笑みを作ると、ガニメデだけでなく平伏する家人に対してまでも立ち上がるように手で促した。

「今日はガニメデ卿の友人としてここに来たんだ。歓待は嬉しいけど、堅苦しいことは無用だし、嫌いだ。ささ、立って立って」

 そうは言っても王の御前である。うっかり立ち上がってから非礼だと言われてはたまらないとでも思ったのであろう。皆、伏せた顔を見合わせるだけで立ち上がる者はいない。有斗に促されてガニメデが立ち上がるとようやく彼らも立ち上がってくれた。

「さ、自慢の奥さんの手料理を食べさせてもらおうかな。実のところそれが楽しみでね。夕飯を取らずにここに来たんだ」

 有斗がおどけたようにそうお腹に手を当てて空腹をアピールすると、「まぁ」とガニメデの奥方と思しき女性が笑みを零した。

 ようやく家人も緊張が解けたのか、その顔には笑顔が戻ってきた。


「こちらが長男のテミストスでこちらが次男のコレスでございます」

 ガニメデの奥さんが料理の最終準備にかかっている間に、有斗はガニメデから子供たちの紹介を受ける。

 一人は小学高学年くらいで、もう一人は小学生になりたてか、あるいは幼稚園といった年齢に見受けられた。

「いくつになったのかな?」

「テミストスが十歳で、コレスが五歳です。ほら二人とも挨拶しなさい」

 ガニメデが興味津々といった具合に有斗を見つめていた二人の頭に軽く手をやると、二人とも元気な声で挨拶をした。

「テミストスです。陛下に拝謁を賜り、光栄に存じます!」

「コレスです。お目にかかれて光栄に存じます!」

 事前に練習をしたのだろう、しっかりとした受け答えだ。下の子供などは普段使い慣れない言葉、覚えるのも大変だったに違いない。

「僕も君たちに会うことができてとても嬉しい。これからも父君の言うことをよく聞いて、家族仲良く暮らすんだよ」

 有斗がそう笑いかけると、兄が意を決したかのように一歩前に歩み出て背筋をしゃんと伸ばして有斗に向けて宣言した。

「僕は将来、王師に入って父のように陛下の為に戦うのが夢です!」

 背伸びして難しい言葉を使う気持ちは分かる。有斗だって子供の頃、馬鹿にされたくない思いでよくそうしたものだ。であるから、それに対して大人が馬鹿にしたかのように笑いを返すことの非礼さは知っている。だけどその様はやっぱり有斗から見れば十分に微笑ましく、笑いを隠すのに必死で堪えねばならなかった。

「そっか、それは頼もしいね。是非とも父親に負けない活躍をすることを願っているよ」

 有斗はそう言うと緊張した顔で真っ直ぐ立ったままのテミストスの頭を撫でる。

「はい!」

 そこに準備が整った料理と共にガニメデの妻が部屋に入ってきて会話に加わった。

「父親は将軍としては少し情けないですから、この子にはもっと陛下のお役に立てるような兵士に育ってくれるといいんですけれどもね」

 ガニメデの将軍としての才能を否定するかのようなガニメデの妻の言葉には有斗はちょっと首を傾げざるを得ない。

「奥さんは辛口なんだね。これだけ活躍しているのに情けないだなんて。でも楽しみだな、ガニメデ卿以上の活躍をするような将軍がこの家からいずれ出てくれると思えば、王師は五十年は安泰だ」

「まぁ、陛下ったら、主人の前だからといって主人の顔を立てなくてもよろしいのに・・・これでも伊達にこの人の妻を二十年しておりません。王師の将軍方といえば右も左も武芸の達人と聞いております。本当のことを聞かされたとしても失望したりはいたしません、大丈夫です」

 どうやら謙遜とかではなく、本当にガニメデの将軍としての実力を評価していないらしい。

 まぁ有斗も最初見かけたときはこの男に王師の一角を担わせるのは無理かもしれないと思ったくらいだから仕方があるまい。まさに見かけだけで人を判断すると大変なことになるという何よりの証拠である。

「いや、ガニメデ卿は王師でも指折りの将軍だよ。韮山の敗戦の時といい、芳野での戦いといい、ガニメデ卿がいなければもっと大勢の者が命を落としていただろう。かくいう僕もその一人さ。僕も王師の他の将軍も幾度も辛い負け戦を繰り返している。だが彼だけはいかなる相手であろうとも一歩も引かなかった。王師の兵の間では『不敗のガニメデ』なんて呼ばれるくらいだよ」

 有斗がそう言うとテミストスが目を輝かせ、興奮したかのように大声で叫んだ。

「ほらみてよ、父ちゃんはやっぱり強いんだ!」

 テミストスは母親の言うことを信じずに、父親のことを尊敬し信用していたようだ。まぁそれは現実を正しく認識していたと言うよりは、自分の父親が尊敬できる人物であって欲しいという子供の願望であろうけれども。

「まぁ・・・それは本当で?」

 信じられないことを聞いたのかガニメデの妻は目を大きく見開いて驚く。

「本当だよ」

 有斗はガニメデの名誉を守るためにも、もう一度肯定してみせる。

「お前、いくらなんでも陛下の発言を疑うのは・・・不敬に当たるぞ」

 有斗はまったく気にしていないが、妻の発言自体が不敬に当たると気付いたガニメデが慌ててそれを指摘する。

「あ・・・これは失礼を!」

 彼女は慌てて有斗の前で地面にぬかづき許しを請う。

「ああ、謝る必要は無いよ。気にしないで立って欲しい。堅苦しい例は今日は無しだよ。ここは王宮じゃないんだし」

 そう言われてもなかなか立ち上がらず、有斗に手を差し出されて初めて、戸惑いがちに立ち上がる。無理も無い。有斗のようなフランクな王様などこの世界では今までいなかった。聞いたことも無いのだから。

「しかし・・・本当に夫は陛下のお役に立っているのでしょうか? 足を引っ張るのではなくて?」

 まだ心配なのか訊ねる念の入れように、ガニメデの家庭内での扱いは大丈夫なのであろうかと、有斗は他人事ながらも心配になる始末だった。

「うん」

 ようやく有斗の言葉を信じたのか、ガニメデの奥方はそこまでガニメデを評価しない理由をぽつりぽつりと話し出した。

「この人、武芸だけは得意だったんですけれども、戦場で失敗して上司と対立し左遷されてからは、すっかり不貞腐ふてくされてしまいまして・・・鍛錬もぱったりとやめてしまい、身体も豚のように太るばかり。今や馬に乗るのも一苦労です。ですから本当に将軍としてお役に立っているのか、他の将軍様方の足を引っ張ってはいないかと心配で・・・」

 それでも心の中にまだ何かひっかかるものがあるのか首を振りつつそう話すガニメデの奥方に、有斗はもう一度ガニメデを褒めて見せた。

「取り越し苦労だよ。安心して。ガニメデ卿は僕の自慢の将軍の一人だ」

 だがその有斗の言葉を聞いてもガニメデの奥方は半信半疑であろうことは、その表情からありありと伺われた。

 戦場で見るガニメデは周囲の王師の将軍が揃いも揃って歴戦の将軍の面構えであるから見栄えが劣るだけで、それでもそこそこの威厳があるのだが、甲冑を脱いだガニメデはこれはもう有斗が贔屓目で見ても、会社にとってお荷物の駄目な中間管理職にしか見えないのだから、奥方にしてみれば信じられないのであろう。

 有斗はガニメデに心底同情した。

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