終夢の章

第325話 残されしもの

 芳野に牧野が原の敗報が伝わったのは、芳野にようやく遅い春が訪れた四月三日のことである。

 諸侯は慌てて自城へと帰り支度をはじめ、潮が退くかのようにデウカリオらの下からいなくなった。男たちは己の夢がついえたことを知った。

 特に決戦の場に参加できなかったディスケスらオーギューガの将兵の落ち込みようは見ていて声をかけることを躊躇ためらうほどだった。

 デウカリオらカヒの旧臣も同じである。オーギューガの庇護を失ったということは、彼らにはこれでカヒの再興の望みを断たれたと同義であった。絶望感が蔓延していた。

 それだけでなく、彼らにはカヒが滅亡した後も王に膝を屈しなかったという事実がある。朝廷はカヒ滅亡後、カヒの有力者や協力者を罰しなかった前例はあるが、それは戦後の混乱をいち早く収拾しようと考え、あえて寛大さを強調したという側面が強いことくらい、彼らにも分かっていた。だがオーギューガを滅ぼし、アメイジア内に敵がいなくなった今、寛大にも王や朝廷が引き続き王権に対して剣を向けたという彼らの大罪を許すかといえばそうとばかりは言い切れないであろう。むしろ将来の反乱に対する抑止力が働くことを期待して、何らかの処罰を行う可能性が高い。

 バアルにとっても事態が深刻なことには変わりがなかった。いや、バアルのほうがむしろ深刻であろう。

 バアルは関西が降伏したとき、カヒが降伏したときと二度にわたる帰順の機会を足蹴にしている。それだけでなく、幾度にもわたる戦で王師の将士を葬ってきた。バアルを同輩の敵と狙う王師の将士は数多い。それに何より王の腹心だったアエティウスの命を奪った白鷹の乱の首謀者の一人である。

 王や、王の近辺に多数いるダルタロス出身者は決してバアルを許すことはないだろう。

 それを考えれば、良くて幽閉、普通ならば処刑といった暗い未来図しか想像できない。

 確かに身を隠し地下に潜伏し、時期を待つことは不可能ではないが、先の見通しの立たないそんな生活を送ってどうするというのだ。何らかの転機が訪れるならいいが、実際はその見込みは薄い。

 逃亡する不安定な生活、窮地に追い込まれ盗賊などに身をやつさざるをえなくなるかもしれない。それではバルカの名が泣くというものだ。

 そこまでするくらいなら、むしろ王の前に出て堂々と持論を述べて処刑されたほうがましかもしれないといった考えすら頭に浮かぶ。

 だが同時にまだ全てを諦めてしまうには早いといった想いも無くは無かった。

 何故ならここには少なくともカヒの兵四千とオーギューガの兵一千、合わせて五千の大兵が存在しているのだ。それだけの兵力があれば王師に一泡も二泡も吹かせてみせることだって不可能ではなかった。

 しかしいつまでも長々と考えているわけにも行かない。今現在、彼らが相手をしなければならないのは王師第十軍ガニメデ隊だけだが、オーギューガが大敗し、越を苦も無く手に入れることが出来るようになった今、王が余剰兵力を芳野に差し向けて来るのは既定事項と言って良い。

 さすがに王師全てを敵にして戦うには五千と言う数は少なすぎるし、そうなった時は芳野の諸侯とて裏切らないとも限らない。

 早く対応を決め、対策を講じなければ泡を吹くのはこちらということになりかねなかった。

 だがディスケス、デウカリオ、バアル三者三様の思惑と失意が渦巻く中、互いが互いを牽制し、何一つ決まることなく時間だけが過ぎ去っていった。

 それでも脱落者も、卑怯な振る舞いをするものも出さなかったことは、彼らの人間性によるものであろう。

 生まれも、育ちも、考え方も、徳の中で何を重んじるかも、仕えた主君までもが全て違う彼らだが、武人として、そして一人の人間として見事に生き抜きたいという渇望かつぼうだけは共通していたのだ。


 結局、彼らの思考に風穴を開けたのは、一人の部外者の男だった。

「どうなされました! まるでお通夜のようではありませんか!」

 その男はカヒの兵士が止めるのも聞かず、三人が集まって会合しているその場所に不躾ぶしつけに入り込んで来た。

 相手が他の者ならば問答無用に斬り殺していたであろうカヒの兵も、相手のガルバが元カヒの御用商人で、デウカリオやサビニアスとも旧知の仲であることを知っている以上、きつく制止するわけにも行かなかったのだ。

 普段ならばそういうことに人一倍怒りを示しそうなデウカリオも、今は意気消沈のあまりにとがめたてる元気も無いようだった。

「ガルバか・・・」

 もし彼らに余裕があれば、芳野と河東との国境はガニメデとウェスタが今も完全に封鎖しているのに、何故ガルバが通って来られたかということに不審を抱いたことであろう。だがその時、そこにいたアメイジアでも屈指の知恵者である三人も、そこに注意を払う気力は無かった。

「こうなった以上、仕方があるまい。王に逆らうことはもうできぬ。我らの夢は破れたのだ」

 デウカリオは自嘲気味に吐き捨てる。半ば全てを諦めたかのような口調だった。

 そんなデウカリオにガルバは容儀を正すとまずは深々と頭を下げた。

「・・・サビニアス様は戦死なされたと聞きました。お悔やみを申し上げます」

「ああ・・・サビニアスとそなたは永い宿縁があったのであったな・・・」

 思い出したようにデウカリオは力なく笑った。それはあの仲間想いのデウカリオがサビニアスのことをガルバが言い出す先ほどまで、ちらとも考えていなかったことを窺わせた。

 これはかなりの重症だな、とガルバは思った。だがそのほうがこちらとしてはむしろ都合がいいかもしれぬ。

「サビニアス様は死に、テイレシア様も戦場に倒れられた。ですが我々は生きています。生きている以上、今後のことを考えなければなりますまい? 死者について悔やむことはいつでもできるではありませんか。貴方様方はいったいこれからどうなさるおつもりですか?」

 ガルバの問いにデウカリオは言葉が詰まる。

「それは・・・」

「でしたら王にこうべを垂れますか? 幸い、芳野内はまだデウカリオ様たちが実効支配されています。これを王に差し出して、配下の兵を武装解除すれば、王は寛大なお方と聞きます、一命だけは助けてもらえるかもしれませんよ」

 そのガルバの提案はデウカリオに一蹴された。

「それはできぬ!」

 だろうな、とガルバは自分の思い通りにことが運んでいくことに満足した。

 カヒ家中でも一、二を争う誇り高い男であるデウカリオが、カトレウスの仇を討たず、カヒの再興もならないままで王に膝を屈することなど考えられないのである。

 それにガルバのためにも、そうであってもらわなくてはならない。

 だからその為に、話の中にわざわざ『頭を垂れる』だとか『一命だけは助けてもらえる』だとか、聞いたら屈辱とも取れるような単語を並べたのだ。

「ならば他にいかなる手段があるかお教え願いたい」

 その言葉は取り様によっては挑発とも取れる言葉であることに、その時になってやっとバアルが気付いた。

 いやむしろ挑発そのものである。ある一定の意図を持ってガルバが用意している正答にデウカリオを辿り着かすためのさかしい罠。それは戦場で敵を釣り込むための囮の兵を使う戦術に極めてよく似ていた。

 つまり、この目の前のガルバという商人は極めて有能な策謀家なのだ。

 バアルは注意深くガルバを観察する。その顔は商人らしいつくり笑顔の中にも、デウカリオらが置かれたこの悲劇的な境遇に大いに同情する表情を示していた。

 だがそれは擬態、偽者の感情だ。それが証拠にガルバの目だけは笑うことも悲しむことも無く、獲物を狙うような鋭い目でデウカリオを見つめていた。

 目の前の商人が、只の商人で終わる男でないことをバアルは薄々ながらも感じ取っていた。

 だがデウカリオはバアルと違い、それに気付かず、ガルバの作った陥穽かんせいに徐々に近づいていく。

「敵わぬも最期の一戦を挑むか・・・」

 デウカリオはそう言うと生唾を飲み込んだ。言葉としては華やかなその未来図も、現実的にどう行うかと深く考えれば、実際には不可能なことだとすぐに悟る。

 もはや王師とは圧倒的な戦力の差がある。王に戦を挑もうとも、彼らは王に辿り着く前に敗北する。いや、それどころか王は戦場にすら出てくることは無いだろう。もはや彼らは王にとっては自らの手で相手をする価値もない存在であるに違い。一顧だにしないに違いない。

 だとすると残された方法は・・・・・・

「自害する。そんなところでしょうな」

 そう冷酷に、なんの感情も表さぬ声で彼らの脳裏に浮かんだ非情な一言をガルバは代弁した。

「でしたら私めに一計がございます」

 本題が出たな、とバアルは思った。何が本当の目的かは知らないが、これで我々をどう利用したいと考えているのかがはっきりすることだけは確かだ。

 とはいえ、バアルはガルバが持ち出すその本題に興味があった。何故なら、バアルはある意味ガルバを信頼もしていたからだ。

 もしガルバが彼らを王に売り渡そうと思っていたなら、もっと早いうちに王に売り渡す適切な時期が数多くあったのだ。だがそれを今まで行わなかった。つまり、ガルバの目的が何であれ、その中に我らを王に売り渡すという選択肢は無いということだ。

 そしてガルバの行動は一貫している。関西と河東を結びつけ、バアルをカヒに連れて行き、芳野と越を結びつける。

 すなわち一貫して関東の朝廷に、王に従わないまつろわぬ勢力を結びつけ助力している。その方向性はバアルにとっても望むべき方向だ。

 だがガルバの提案をデウカリオは鼻で笑った。

「一介の商人ごときに何が出来るというのだ? またどこぞの諸侯に売り込もうという腹か? ダルタロスか? それともまさかトゥエンクか?」

 デウカリオはマシニッサの小憎らしい顔を思い浮かべて吐き気がこみ上げる。例え胴と首が離れ離れになろうともマシニッサの足下につくばることだけは御免こうむるといった心境だった。

「今の貴方様方を朝廷の追及からかばい守り抜く。そんな奇特な心と王の圧力をね退けられる力を持つ諸侯などアメイジアのどこにもおりますまい。そうではなく、我々をお助けしていただきたいのです。貴方様方のそのお力をもって我々に助力していただきたい」

 突然の不可解な申し出にデウカリオもディスケスも顔を見合わせるばかりである。動揺を見せなかったのはバアルだけであった。

「助けるだと・・・? 我らの力でと申すか・・・? しかし我らに何をしろと言うのだ? 算盤勘定など出来ぬぞ。まさか万の兵を指揮できる我らに商隊の護衛でもしろとでもいうのか!?」

「商隊の警護・・・結構ではありませぬか。死ぬことを考えれば、よほど結構な未来図だと思いますが」

 幾千もの兵を指揮して戦場を渡り歩いてきた一人の偉丈夫にそのような仕事をやらせようとするとは言語道断なことだと言わざるを得ない。しかもガルバは馬鹿にしたかのようにクククと笑い声を洩らす。言葉だけでなく、今まで見たことの無いガルバの無礼な態度にデウカリオは心から腹を立てた。

「貴様! 我々を愚弄するか!!」

 気色ばみ、詰め寄るデウカリオにもガルバはまったく冷静さを失わない。

「・・・いや失礼、失礼なことを申し上げた。ただまだ方々の戦意が失われていないか試させていただきました。失礼をお詫び申し上げる」

 そう言って深々と腰を折る。だがその芝居がかった大仰な態度からは、本当に心の底から謝っていないとバアルには思われた。

「・・・戦意は失われてなどはおらぬ。ただその機会が二度と与えられないということを嘆いているだけだ」

「それでは、まだ機会さえあれば王と戦う気概はあるということでよろしいでしょうか?」

「・・・当然だ」

「でしたら是非我々に力を貸していただきたい。我々は王と戦うために長年準備を行ってまいりました。だが長年求めて得られないもの、そして王と戦うのに必ず必要なものが、ひとつだけありました。それは戦場で兵の指揮を取る名将軍たちです。将軍方はその条件を全て満たしております」

 王と戦うために力を貸して欲しいという申し出、それはそこにいる三人にとっては甘美な誘惑であった。だがさすがにすぐに肯定の言を上げるものはいない。

「・・・そなたはアメイジアでも指折りの大商人で、商人にしてはやり手なのは存じておる。だが王と戦うにはちと非力ではないかな?」

 デウカリオは先ほどまでとはガルバに対する認識をすっかり改めている。だがまだ信じ切れていないのだ。

 無理も無い。商人ごときが国家と戦うなど現実味が無いのだ。確かにガルバは少しばかりの金は持ってはいよう。それこそ一代では使えきれぬほどの金を。そして使用人たちも持ってはいよう。だが金で傭兵を雇い、その使用人を加えても万にすら届かぬことは容易に想像がつく。それに軍隊が恒常的に活動するには武器の補充や兵糧の供給などの兵站だって必要だ。それをどうするというのだ。さらには寄せ集めの軍は士気が低い、王師と向かい合ったら兵力差に怯えて、戦うどころか逃げるのが関の山であろう。

 つまりどう考えてもガルバが王と戦うことは現実的ではないのだ。誇大妄想狂の戯言に付き合うほど彼らは暇ではないのである。

「確かに私一人では王と戦うなどお笑い種です。ですが我々は違う。我々が持つ力は朝廷をも凌駕りょうがする可能性を秘めているのです」

「我々・・・我々、か。だが得体も知れぬ存在に迂闊うかつに手を貸すことは出来ぬことくらい、知恵の回るガルバ殿なら分かるだろう? それに正体を明かしてもらわないとその実力を推し量ることは出来ぬ。まず正体を明かしていただこう、話はそれからだ」

 バアルのその言葉にデウカリオもディスケスも同意するかのように視線をガルバへと集める。

 だがガルバは首を横に振って、その求めに対して拒絶を示した。

「正体はまだお教えすることは出来ません。貴方様方の承諾を得るまでは、ね。そのときにいたるまで、我々はあくまで影の中に隠れていなければならぬのです」

「それでは協力は出来ぬな」

 ディスケスのにべも無い撥ねのけにもガルバは動じず、ならばこれを聞いて判断なされよと彼の属する組織について少しだけ情報を小出しに話した。

「ですがこれだけは言えます。我々はこのアメイジアに残された、最後の朝廷と戦える実力がある存在であると。我々は来るべき時の為に長年準備を行ってきた。我々は今や四十万の兵となりうる民を抱え、幾つもの諸侯に手を伸ばし、朝廷に幾人もの官吏を送り込んだ。各地に貯めた兵糧は五十余万石、鎧は五万領、槍は十万槍、軍資金は黄金にして四十万斤ございます。それも日毎に着々と増えて行っております。今、この瞬間においてもね。どうでしょう、これを聞いても我々が王と戦えない貧弱な存在であるとお思いですか?」

 その数にそこにいる三人は圧倒されて身じろぎ一つすることが出来なかった。

 バアルですらそうだ。ガルバの正体はせいぜいが天下に不逞な野心を抱くどこぞの諸侯か、王位の転覆を狙う宮廷内の実力者、あるいはそれらの複合体程度であろうと想像していた。

 だが、もしこの数字が本当だとすると、その存在はそんな規模を遥かに超越する。カヒやオーギューガですら足元にも及ばない規模の存在だ。

 あるいは諸侯を省いた今の王朝本体の力に匹敵するかもしれないと思わせるだけの数字だった。

 もちろん彼らを味方につけようと、ガルバが数字を誇大に盛っている可能性もないわけではない。だがガルバのその態度はまるっきり嘘を言っていると切り捨てられぬだけの説得力を持っていた。

「どうでしょう、悪い話だとは思いませんが?」

 もはや勝負あったな、と凍りついたように固まったままの三将軍を見てガルバは心の中で大きく笑みを浮かべた。

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