第324話 そして、牧野が原に陽は落ちた。

 テイレシアが腕を振り下ろすと同時にオーギューガの兵が一斉に槍を並べて王師の兵に襲い掛かった。

 将軍たちは慌てて周囲の旅長や百人隊長に短い指示を矢継ぎ早に出して、迎撃体勢を手短に整える。

 マシニッサなどは左側面はザラルセン隊に全て任せてしまえとばかりに思い切りよく切り捨てて、右側面に槍衾をあっという間に並べ上げ、戦国の梟雄きょうゆうかくあらんとばかりの水際立った指揮振りを見せた。

 リュケネなども僅かばかりの兵を持って滑り込むように壷中に入り込む形となってしまったヒュベル隊を取り込むような形で急造の陣を敷く配慮を見せる。

 もっとも十文字槍を前後左右に突き入れて『南部の兵は畿内の兵二人に相当し、カヒの兵はその南部の兵二人に相当するが、そのカヒの兵三人がかりでもオーギューガの一人の兵を打ち殺せぬ』とまでうたわれるオーギューガの兵を、片っ端から物言わぬむくろへと化していたヒュベルにとっては余計なお世話であったかもしれない。

 だがそこまで超人的な働きは出来ない、ヒュベル旗下の兵からしてみれば有難い話であっただろう。

 こうして一瞬、呆然とする瞬間はあったものの、手早く迎撃体勢を整え、オーギューガの兵の一斉攻撃にとにもかくにも耐え切ったことで、王師の兵は生き延びる望みを僅かばかりに繋いだといってよい。

 この攻撃でどこか一箇所でも王師が崩れ落ちていたら、この狭い壷中では兵を再展開させることも出来ず、将士たちの余命はあといくばくもなかったであろう。

 とはいえオーギューガの兵はこの好機を見逃してくれるわけではなく、岸辺に押し寄せる波のように次々と攻撃を加え続ける。

 二撃、三撃とオーギューガの兵は優勢に王師を圧している。壷中に閉じ込められた王師の将士は打開策を見出せず、目の前の戦闘に集中するしかなかった。

 例えこのまま戦列がもちこたえられたとしても、敵の攻撃に圧迫されている現状では、いずれ中央で王師の兵は圧死しかねない状況だった。

 だがそれにはオーギューガにはさらなる戦力が必要で、そして王師にとって幸いなことにオーギューガにはもはや逆さに振っても予備兵など一兵も出てくる余裕は無かったのである。

 この時、オーギューガは兵のほとんどを最激戦地である壷に注ぎ込んでいた。

 つまり、九十九谷川に王師を押し続けていた隊から多くの兵を割いていたのである。

 代わりにその方面の王師への圧力は段違いに弱くなり、川に叩き込まれる寸前だった兵士たちは息を吹き返していたのだ。

 それまでのようにもはや崖下の谷川に落とされることも、前後の兵に押されて身動きも取れぬまま圧死する心配も無くなった兵は、それまでの劣勢が嘘のように水を得た魚の如く暴れまわった。

 ここで、その時に至るまでベルビオが敵戦列を突破できなかったということが却って幸いした。

 味方の為に敵の包囲網を突破し、脱出口を空けようと奮闘していたベルビオだったが、後方でザラルセン隊やリュケネ隊が両面から攻撃し突破口を開いたものの、それが実は敵の罠で、味方が危機に陥っていると報告があると、もういてもたってもいられなくなり、前方の敵を放り投げ、大双戟だいそうげきを小脇に抱え、危機に陥った味方を救おうとその間に立ち塞がる後方の敵へと挑みかかった。

 ベルビオは一対一の武術の腕ならばヒュベルやバアルなど勝る人間はこのアメイジアにもいるだろうが、その巨体がもたらす圧迫感と突進力、そして多少の傷などもろともとしない肉体的、精神的なタフさは一般的な戦士の範疇はんちゅうを遥かに越えた怪物と言ってもいいレベルの存在である。

 そのベルビオが右に左に大双戟を振り回し、当たるを幸い薙ぎ倒し、旋風のように荒れ狂う。さすがのオーギューガの兵と言えども、その前進を阻むことは出来なかった。

 王師の兵もその後ろに続き、ベルビオを先頭として次第にオーギューガを逆に押し始めた。

 とすると、兵を割いて壷中へ回したことで兵が少なくなっていた九十九谷川沿いのオーギューガの戦列は一転して押され後退し、王師の圧力の前に遂に上越道を明け渡すこととなった。

 その開いた空間には前を塞がれて上越道上で立ち往生していた後続の王師が続々と牧野が原へと入ってき、戦場へと馳せ参じる。

 その先頭に立ったのはアクトール隊である。アクトール隊は牧野が原に兵を入れるに際して、特に命じて角笛を鳴り響かせ、攻め太鼓を叩かせた上で兵にときの声を三唱させた。

 これから攻撃を始める自隊を高揚させる為だけでなく、今現在も牧野が原で苦闘を続けている味方の諸隊と敵兵に援軍の到着を知らしめる為だ。

 それは勝鬨かちどきに該当するものだった。戦の趨勢すうせいは大きく変動する。

 テイレシアにもその大喚声は届いていた。

 確認のために反射的に目線をそちらへと送る。だが見る前から何が起きたかは十分予測はついていた。

 オーギューガがこの戦で目論んだことは敵を半数ほど牧野が原に誘い込み、進入口が狭いために長くなった戦列を側背から奇襲し、一気に九十九谷川に追い落とすことである。

 絶対的に数が少ないオーギューガが王師に勝つためには、先手を取ったままの勢いが続くうちに勝負をつけるしかなかったのだ。

 戦力の半数を無効化すれば王師も戦略の練り直しをせざるを得ない。さらにはもし、その中に王がいれば・・・といった不確実な要素頼みの戦いだった。

 だがその目論見は早い段階で崩れ去っていた。さらには敵に背後に回られるという不測の事態も起こった。

 そんな各種のイレギュラーにもすべて即応し優勢に戦を押し進めた。オーギューガとしてはここまでよく粘りを見せていたが、ギリギリの線で戦っていたというのが本当のところであった。

 だがそこに一万五千もの、疲労も無ければ傷一つ無い新手が現れたのだ。現状で手一杯のオーギューガにはこれ以上、手の打ちようがない。もはやどうこうしようとも戦は負けなのである。

 こうなるとまずは上州諸侯の兵が一斉に崩れた。正確に言うと逃げ出した、だが。

 上州諸侯は葦原を挟んで王師と戦うことで包囲網の一角を担っていた。数も少なく、戦意も高くなく、兵としての実力も王師よりも随分と格下の上州諸侯が王師の突破を許さなかったのは、ひとえに葦原という特殊な地形に布陣したおかげである。

 だが葦原は攻め込むのも難しいが、同じようにそこに布陣した兵が葦原から出るのも時間がかかる。

 万が一、オーギューガ全軍が崩壊した時に、まだ葦原の中にいたままでは逃げ遅れてしまうことを恐れた上州諸侯が、王師との交戦を放棄し逃げ出したのだ。

 エレクトライは追撃しつつも深追いを禁じた。エレクトライはむしろ葦原を抜けてオーギューガの背後に回りこむことを期したのである。

 この時、オーギューガの中で最も苦戦を強いられていたのは、カストールが指揮する兵団だった。

 カストール隊は元々相手をしていた正面のエテオクロス、ヒュベル隊、背後のザラルセン隊、さらには壷の中に閉じ込めた王師各隊も盛り返すことで、いまや三方から押し込まれる形となった。

 その上、牧野が原の出入り口に近く王師の新手部隊の攻撃を真っ先に受けることになってしまったのだ。

 カストール隊はテイレシア隊と一手になろうと、脱出を図った。それを少しでも援護しようとテイレシアも懸命に呼吸を合わせて王師を攻撃する。

 だがカストールが一番手薄なマシニッサ隊、ザラルセン隊を分断してテイレシア隊に合流したときには四千いた兵はもはや一千を切っていた。

 もちろん混乱の中逃げた兵、逃げている兵も多くはいての数ではあるが、どれだけの激戦が繰り広げられたか想像できようというものだろう。

 テイレシアの前に現れたカストールも満身創痍まんしんそういだった。

「御館様、鎧兜を脱がれませ。雑兵に混じって越へ逃げて再起を計りましょう」

 オーギューガ全軍は刻々と王師に半包囲されつつある。テイレシアやカストールのような兜首は只でさえ目立つ格好をしている。このまま逃げおおせる可能性はもはや無いといっても言い。

 だが雑兵ならば、敵兵も無理には追跡してまで首を刈ろうとはしない。逃げおおせることは大いに可能である。

 とは言っても、可能ではあるものの、おそらくはテイレシアはそのような手段は選ばないであろうともカストールは思っていた。

 彼の知るオーギューガの現当主は、生に執着し、いかなる手段を用いても生き延びるよりも、最後までオーギューガの当主として白銀の鎧を身にまとって戦場に立つことを望む、誇り高き女性なのである。

 かといってこのままではテイレシアは捕まってしまう。その際、いかなる雑兵から辱めを受けるやも分からない。

 それだけは避けるべきだ。負けることよりも、滅びることよりも、それこそがオーギューガにとって最も忌避すべき恥辱だった。

 残る手法は自害であるが、さすがに敬愛する主君に自害を薦めることなどカストールには出来ない相談だった。

 だからテイレシア自身の口からその言葉を言い出して欲しかったのだ。

「いや・・・それはできない」

 そのカストールの想いはテイレシアにも痛いほど分かったが、それを選択するという考えは彼女にはついぞ思い浮かばなかった。

「自害は誇りの為に戦うという当初の意志を放棄することに他ならない。それができるならば最初から王師と戦うなどという無謀は行わなければ良かったのだ。そうすれば兵士たちは死んでいくことなど無かった。私が自害すれば、今ここで死んでいった兵士の、そして今こうして死んでいく兵士たちの死が無意味なものになってしまう。かといって越に逃げてどうなるというのだ。今、この地で、私の誇りの為に、私の命に従って、私の目の前で越の子弟が物言わぬ骸と成り果てている。彼らの帰りを待っている越の家族にどのような顔で相見あいまみえようというのか。たとえ彼らが私を許し、何も言わずに再び共に王と戦うために立ち上がってくれるとしても、どうして私一人が恥を感じずに生きていられようか」

「しかし・・・」

 では他にどのような道があると言うのか、といぶかるカストールにテイレシアは真っ直ぐな笑みで笑った。

「私はオーギューガの皆と同じ場所で死にたい」

 テイレシアは最期の戦を挑もうとしているのだ。そのことに気付いたテイレシアの周囲にいる戦場往来を重ねた古強者たちの鬼のような目に涙がにじんだ。

「・・・泣いているのか?」

 テイレシアは鬼をも退けるオーギューガの宿将たちが垣間見せたその感情に不思議そうな表情を浮かべた。

「無念です・・・オーギューガがここで滅んでしまうことが」

 戦国の世に彼らが築き上げていた全てが崩れるような気持ちになって気落ちする彼らを、テイレシアは明るく笑い飛ばした。

「何を泣くことがあろう。我らに勝利した王は天下を全て手中にすることになるだろう。だがその王にオーギューガがこうして天下分け目の戦いを挑んだことは、未来永劫語り継がれるのだ。何を悲しむことがあろうか」

 その言葉に彼らはようやく気が付いた。

 テイレシアは限りある生を既に超越していた。人々の記憶の中に、歴史の中に刻みこまれることで永遠の命を得ようとしているのだ、と。

 ちょっと格好の付け過ぎではないか、一家の棟梁たる者、付き従う下の者のことも考えてくだらない誇りなぞ捨てて、泥にまみれてでも一家が成り立つようにすべきだったなどと歴史家からは陰口を叩かれることになるかもしれないと越の諸将は思ったが、同時にこうも思う、それでこそ彼らの御館様であると。

 そしてそのテイレシアの我侭わがままを許すことこそがオーギューガの将士にとって無上の喜びであり誇りなのである。

 負け戦に意気消沈していた彼らの憂色はテイレシアの厳然たる決意一つ聞くことですっかり吹き飛ばされた。

「いかなる権力であろうと屈しない越の者の心意気、気骨の無い畿内の奴輩に見せ付けてやろうではないか!」

 テイレシアが明るくそう宣言すると、カストールが戻ってきたのを見てどのような命が下されるかと集まってきていた周囲の将の顔にも生気が戻る。

「急ぎそれぞれの持ち場に戻り、最期・・の決戦に備えよ」

 将はテイレシアの命に応えて次々と別れの挨拶を行う。

「それでは御免!」

「御免!!」

 これが今生の別れになると分かっているはずなのに、いたってさばさばした明るい別れの言葉だった。

 嬉々とした様子で兵を指揮するために去っていく、そんな彼らをテイレシアは柔和な笑顔で誇らしげに眺めていた。喜んで共に死んでくれる部下を持っただけで彼女は満足だったのだ。

「・・・龍旗を」

 突然、テイレシアの口から思わぬ単語が出たことにカストールは怪訝な顔を向ける。

「?」

「龍旗を持ってくればよかったな・・・」

 王師に攻められた上州諸侯からの救援要請が急だったために、普段は神社に奉納しているオーギューガ秘蔵の軍旗、龍旗が手元に無かったのだ。

 冬の間は兵を動かすことは無かろうと、神社においておいたのが間違いだった。迷った結果、上州諸侯を救出することを優先し、軍旗を取りにいくことを諦めたのだ。

 やはり今になって思う。それは間違いであったと。

「オーギューガが滅ぶ最後の戦に龍旗を掲げることが出来なかった。それだけが心残りだ」

 龍旗はオーギューガの魂の象徴なのである。オーギューガの家の運命を左右する大戦のたびに戦場に翻ってきた旗なのである。

 それがオーギューガの滅亡の、そしておそらく戦国最後となる戦に掲げられていない。テイレシアはそれだけがただ悔しかった。

 この人は・・・とカストールは今更ながらに驚嘆する思いで己が主君を眺めた。

 この人はまもなく死ぬ。それは間違いない。だがそれを少しも惜しいことだとか残念だとか感じていない。そして己が掲げたオーギューガの義が王の権力の前に潰されることも、もはや気にしていないようだった。それだけでなく己が愛したオーギューガの家が滅びることも何とも思っていないようだった。

 この世界のいかなることも、もはやテイレシアを執着させることなどできないのであろう、そう思った。

 だが、それほどの人が龍旗を掲げて死んでいくことが出来ない。それだけを悔やんでいる。

 それはオーギューガ累代の主に申し訳ないという想いなのか、己が死に場所を少しでも華やかにしたいという願望なのか、華やかに兵たちを死出の旅へと送り出してあげたいというせめてもの償いなのか、そこまではカストールといえども分からない。

 ただ、いかにもこの人らしい稚気ちきだとだけ思った。稚気ではあるが不快ではない、むしろとても立派だとさえ思った。

 そしてこれほどの人を受け入れることが出来なかった王が果たして天与の人であるだろうかと、ふと思った。


 その時、オーギューガは既に全面で王師に押し捲られ、極度の苦戦に陥っていた。

 戦場に新たに投入されたアクトール、ステロベ、プロイティデスの三隊だけでなく、リュケネ、ヒュベル、エテオクロスらも息を吹き返し、今やオーギューガを正面から圧す立場に回っていた。

 さらにはエレクトライ隊が退路をやくすように展開すると、ベルビオ隊もその動きと同調するように側面目掛けて襲い掛かる。

 ザラルセンの兵は後背へと回り込みながら騎射を行い、多くの兵を負傷させた。マシニッサの兵は戦場を落ち延びようとする兵を狩り立てていた。

 戦闘に参加していないのは有斗を守る羽林の兵だけといった有様だった。

 周囲は全て敵。尋常の兵ならば勇を挫き、後ろを見せて敗走するその状況でもオーギューガの兵は歯を食いしばって耐えていた。

 テイレシアの命を受けて、旗持ちが九曜巴の大旌旗を掲げ持つと、大きく戦場に突撃の鼓が打ち鳴らされる。

 本陣旗本が、陽光に輝く白金の鎧のテイレシアを先頭にして、目の前の分厚い王師の戦列と激突した。突いて、突かれて、突き返す。テイレシアの旗本は王師の精鋭と激闘を繰り広げる。馬蹄に踏み砕かれるもの、槍の一撃で粉砕されるもの、組み付かれ首を取られるもの、様々な人間悲劇がそこかしこで展開された。

「御館様が危ない!」

 数に勝る王師の前に次々と兵が倒れ、最前線にて剣を振るうテイレシアを見たオーギューガの将士は、我先にと競ってテイレシアの前へ出て盾になろうとする。

 オーギューガの兵と王師の血が大地を伝って九十九谷川へと注ぎ込み、川面を赤く染めた。

 時間と共にオーギューガの兵が倒れる割合が増える。それと共に一塊だったオーギューガの部隊は細切れに小さな複数の塊へと変わっていく。そして磨り潰されていった。

 その中で一番大きな塊だけは今だ王師の分厚い戦列を破壊しつつ、前へと進んでいた。前へ、すなわち王旗のある方向へと。

 テイレシアの前後左右、何処を見てもことごとくが敵であった。

 その状態に陥っても、まだオーギューガの兵は王師の中を掻き分け、三町(約三百メートル)も前へ進んだ。

 だが王旗まで後六町まで迫ったところで遂にその歩は止まり、壊乱する。

 そこがオーギューガという戦国を彩った高名な諸侯の墓標となった。

 激しい激戦にカストールはじめ、オーギューガの高名な武将の幾人かは死体すらも見つからなかった。


 戦闘は終わった。

 もはや人とも見当すらつかぬ肉塊が転がる中を有斗は歩いた。どうしても、もう一度会っておかねばならぬ人がそこにいる。

「これがテイレシアの亡骸です」

 エテオクロスの指差した先には白銀の鎧に身を包んだ女性の亡骸が横たわっていた。

 刀瘡で傷き、片腕がもげ、騎馬にでも踏まれたのか足先も潰れていた見るも無残な遺体だったが、有斗の興味を引いたのはそれとは別のことだった。

「こんな顔だったかな?」

「まさか影武者とお疑いで? しかし複数の者に確認させましたので間違いはないかと・・・」

 だがそのエテオクロスの言葉は有斗の耳には入ってきていなかった。

 正直言うと有斗は遥か昔、一回だけ見たテイレシアの顔など忘れていた。有斗がテイレシアの顔を見て驚いたのはその表情のせいであった。

 有斗はちょっとした食い違いがテイレシアが王師に兵を向けた原因であることを知っている。そして朝廷の面子を優先し高圧的に出たことで、テイレシアが立たねばならなかったことも知っている。

 ならばもっと恨み骨髄で、憎しみだけ抱いて死んだような表情をしてもいいのではないかと思っただけなのだ。

 だがその女性は恨み一つ現世に残さぬような安らかで満足そうな顔で死んでいた。

 こんな顔で死んでいく、それほどの人を切り捨てた。

 それは平和にするには、王権の確立には必要なことだと皆がいうけれども、有斗がこのアメイジアを平和にしようと決めた裏には、セルノアの為だけでなく、彼女のような純粋な人が他人に踏みにじられることなく暮らしていける世界を作ることだったはずだ。

 だが現実にはテイレシアのようなこの戦国の世には珍しい、稀有な清い女性が犠牲になってしまった。。

 だとしたら・・・彼女の死は、この戦いはいったい何の意味があるのであろう。

「・・・こんな顔だったかな」

 有斗はもう一度呟くと、しばらくの間一言も発しなかった。

 夕闇が迫っていた。


 戦の後片付けを終えると、王師は上州の攻略を進める一方、ベルビオ、リュケネ、ヒュベル隊を先遣隊として越に派遣する。

 牧野が原の戦いで戦力のほぼ全てを損耗したオーギューガにもはや抗する力はなく降伏することとなった。

 上州の諸侯もテイレシアが戦死したことを知り、次々と槍を投げ捨て投降する。

 ここに有斗の前に正面切って立ちはだかる諸侯はアメイジアより姿を消した。

 有斗はアメイジアの唯一無二の真の主となったのである。


 [第八章 完]


偉大な王は敵対する全ての諸侯を滅ぼし、絶対的な王権をアメイジアに打ち立てた。

御伽噺おとぎばなしならばきっとここで、めでたしめでたしで〆られるに違いない。

だがこれは御伽噺などでは決して無い。そしてこの長き戦国という名の悪魔が人々の心の中に瑕となって残したものが残っている。

有斗が真に戦うべきもの、それがようやく目に見える形となって眼前に現出しようとしていた。


次回 第九章 終夢の章


「さようなら」

そのひとは最後に悲しくそう言った。

有斗がアメイジアにて見た夢は終わりの時を迎えようとしていた。

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