第315話 転進

 有斗は殿しんがりをガニメデに任せて雪の降り積もる芳野を後にする。

 といっても再侵攻するときの一番の難所である河北との境の山岳地帯を放棄せずに、入り口にガニメデ隊を置き、河北にいる本隊との間の連絡を密に取りながら芳野への足掛かりを確保しておいた。

 おかげで王師の兵は冬営といってものんびりと休んでいるわけではなく、連日雪かきに追われる毎日で不満の声が聞こえるくらいだ。

 だからといって数日雪かきを中止しようものなら、山中の道は雪が降り積もり途絶してしまう。ガニメデ隊に補給できなくなる上に、孤立したガニメデ隊が敵の攻撃を受けても救援できなくなってしまう為、中止するわけにはいかない。

 河東にて翌春の雪解けに併せて侵攻を期す有斗は王師の士気が弛緩しないように、その日、全体会議を開いた。

 将軍たちもこの敵の予想外の戦い方に戸惑いを隠せないのか、妙策と言える意見はなかなか出ない。

 元々、将軍たちは芳野に兵を入れさえすれば、テイレシアは芳野諸侯の救援に出てくると目算していた。まさか持久戦術を使ってくるとは思わなかったのだ。

 そう思うのは、持久戦術に効果が無いからではない。持久戦術はこの時代においても有効な戦術のひとつである。

 もっとも銃器の無いこの時代、民間人の中に紛れて奇襲を行っても軍隊相手にそれほどの打撃を与えられない。

 しかも軍が民間人を攻撃すれば問題となるような時代ではない。国際社会もマスメディアも人権とやらも存在しないのである、当然だ。

 つまり怪しい動きをすれば王師であっても、ためらいも無く民間人を殺して何の問題も無い時代でもあった。

 だからそれが成功するには限定条件がつく。ひとつ、味方の援軍が来る。ふたつ、敵に時間的もしくは戦略的な何らかの足枷あしかせがあることである。例えば以前の王師のように兵糧に問題があって長期の遠征に耐えられないだとか、複数の敵を同時に相手にしていて、戦力を一つの戦線に長期間張り付かせておくことができない、などといった場合だ。

 つまり敵を何らかの条件で撤退させて、戦力を回復させることができるかが、この時代においての持久戦術の成功の鍵となる。

 優勢な敵相手に持久戦術を使用しても、例えある局面で優勢になったとしても長くは続かない。結局は何年かかけて磨り潰されるだけなのであるのだから。

 だが王にはもはや他に敵はいない。朝廷はアメイジアのほぼ全てを手中にし、国力も徐々に回復し、オーギューガに全力を投入できる。つまりはこのままでは芳野の戦力はいずれ壊滅してしまうのは目に見えていた。

 だとすると今の状況は芳野を生贄にオーギューガが時間を稼いでいるだけのように見える。

 そんな非情な戦術をテイレシアともあろうものが使ってくるとは思わなかったのである。

 もっとも芳野はデウカリオ率いるカヒの勢力が押さえている以上、オーギューガとしても彼らが望むのならともかくも、呼ばれてもいないのに兵を入れることに遠慮があったのだ。厚かましくも武勲を横取りに他人の茶碗に箸を突っ込むことをするなどと言われたくなかったのである。テイレシアにはそういう少女のようなうぶなところが多分に残る武将だった。

 だからディスケスの部隊を援兵を名目に入れるだけができる精一杯のことといっても過言ではなかったのだ。

 というわけで芳野に入らなかっただけであるのだが、そんなことが王師の将軍たちに分かるはずも無い。

 だからオーギューガが出てこない以上、彼らが相手と考える対象が芳野勢だと考えても仕方が無いことであろう。

 例年だと越と芳野の国境の雪解けよりも早く、河東と芳野の国境は雪が解ける。

 将軍たちは春が北上するのに併せて芳野に素早く部隊を展開し、敵が迎撃体勢を整えるよりも早く旗尾岳城まで兵を寄せて攻めるべきという意見が多数を占めた。

 ところがその意見に真っ向反対を唱えた将軍が現れた。エテオクロスだった。

「各人の意見を聞くと、どうやら主敵を間違えておられるように思える。確かに芳野の敵は我らを散々翻弄し愚弄した。腹が立つ気持ちは理解できるし、誇りにかけて彼らを討ちたいという気持ちも分からないでもない。だが我々の真の敵はオーギューガである。雪に閉ざされ兵を進められない芳野だが、オーギューガには雪に閉ざされない土地があるではないか。私は越も芳野も兵を動かせないこの機会に、王師は先に上州を攻めるべきだと思う。冬の間に上州を制圧し、雪解けを待ち越へ向かう。何故か動きの鈍いオーギューガを戦場に引っ張り出すには、直接越に攻め込むのがもっとも有効では無いだろうか?」

 エテオクロスのその意見は閉塞していた王師の将軍たちの視界に新たな穴を開けたようだった。

「なるほど・・・それがあったか!」

 ザラルセンなどは不得手な城攻め、弓の威力が落ちる山岳戦が避けられるとあってか、一も二も無くその意見に賛成する。

「ですが雪が解けたら芳野の敵は河東へと進出し、我らの補給路を断ち切ろうとするのではないでしょうか?」

 もっともな懸念をガニメデは表すが、そこはもちろんエテオクロスだって対策は考えてある。

「もちろん押さえの兵は残す、それは大前提だ」

「だとすれば・・・極めて有効な作戦に思えるな」

 リュケネもその策に乗り気のようだった。

「芳野は越からの援助が無くなれば長期間戦えない。オーギューガを倒せば後はなんとかなる」

 将軍だけでなく有斗付きの幕僚や各隊の副官も次々と賛同の声をあげはじめる。会議の流れは完全に上州攻めに傾いていた。

「陛下、いかがでしょうか?」

 会議の流れを掴んだと感じたエテオクロスはここで有斗に奏上する。

 敵の分断を突き各個撃破し、なおかつ障害物のなくなった敵の本陣を突く。兵理上の問題は見られないし、このように味方からも反対は出ない。

 王の許可は直ぐにでも頂けると思っていたエテオクロスに有斗は意外な一言を発した。

「僕は上州攻めに賛同しない。それではデウカリオやバルカにいいようにしてやられたままだ。王師は見掛け倒しで張子の虎だという悪い印象だけが世間に残ってしまう。王師は王の権威を体現する存在でもある。こういった事態を放置しておいてはゆくゆく僕の権威そのものも揺るがすかもしれない。ここはまず芳野の敵を葬り王師の力を天下に誇示して、それから後にオーギューガと戦うべきだと思う」

 有斗の言葉に将軍も幕僚も皆一斉に困惑した。

 面子はもちろん大事なものであるかもしれないが、要は勝つことなのである。勝ちさえすれば正義だろうが理屈だろうが後からいくらでもついてくるのである。

 それに止むを得ない仕儀で王の御前で死ぬのはかまわないが、面子とやらの為に死なされてはたまったものではないといった思いも彼らの中にはあった。

 もちろん戦場で強敵とその技を競い戦うのは彼ら戦士にとってのほまれであったが、今回の芳野の戦いはちょっと通常の戦いと勝手が違った。敵に有利すぎる条件が整いすぎているのである。他に解決策があるのにあえて不利な条件でも戦うほど、彼らはマゾではなかったのだ。

「陛下、陛下はようやくこの乱世の終わりの始まりに手をかけたばかりです。天下はまだまだ戦国の気風を多く残し、落ち着いては降りません。このままオーギューガを長期間放置しておいては、いかなる不測の事態が起こるやも知れません。ここは芳野の攻略に長期間費やすよりも、一刻も早く越に攻め入り元凶を根元から刈り取ることこそ肝要かと思われます」

 エテオクロスはそう説得するが、有斗は自分をげようとはしなかった。

「まだ天下が落ち着いていないからこそ、王師の権威を見せなければいけないと思うんだけど」

 どちらかというと大人しく、アエネアスに対する態度から見ても内気で気弱と見られがちな有斗が、珍しく怒気を露に自説を押し通そうとする。

 将軍たちが賛同を示す作戦を感情論から却下したことに、その場にいたものは皆、困惑した顔を見合わせるばかりだった。

「しかし、芳野にいる敵は手強く、正面からの決戦を避けながら粘り強い戦をいたします。これを直ぐにどうにかすることは難しい」

 エテオクロスの案は妥当と思った幕僚たちは代わる代わる発言しては王に翻意を迫った。

「それでは何か。皆は敵が強いからといって戦線換えを望むということか。テイレシアはデウカリオやバルカ以上の戦上手と聞く。こんなことではテイレシアと戦うことになったら、いったい誰が僕と共に戦ってくれるというんだい?」

 だが有斗が返したのは痛烈な皮肉だった。皆、唖然として開いた口が塞がらなかった。

 彼らは戦場で槍とって生きてきた男たちである。

 戦場で剣を振るったこともない柳腰の王に、まるで勇気が無いとまで言われてしまっては、これ以上何をいわんやである。彼らも口をつぐむしかなかった。


 気まずい空気の中、こうして会議は何一つ決めることなく終了した。

 有斗に好奇の視線が突き刺さる中、有斗は真っ先に退出して自分の天幕に戻ろうとする。

「陛下、どうしたの? 例え自分と意見が違っているからといっても、あそこまで否定することはないじゃない。満座の中で叱責するなど、エテオクロス卿に恥をかかせることになる。何か気分を害することでもあった? 陛下っぽくなかったよ」

 だがアエネアスの親切心からの一言にも有斗は一切反応しない。アエネアスは大きく溜息をついた。

「アエネアス」

 有斗は自分の天幕まで帰ってくると、共に帰ってきたアエネアスに向かって振り返り、ようやく口を開く。

「何、陛下?」

「エテオクロスを呼んでくれないかな」

「・・・わかった」

 アエネアスは先ほどのやり取りをその耳で聞いていただけに、一瞬怪訝な表情を浮かべるが、有斗がわざわざ指名して呼ぶからには何か考えがあってのことだろうと、アエネアスは心の中で納得して有斗の天幕を出て行く。

 しばらくしてアエネアスはエテオクロスを連れて戻ってきた。有斗の心配をよそにエテオクロスの表情からは気分を害した様子は窺えなかった。もっとも王である有斗に配慮して外貌を繕っているのかもしれないけれども。

 エテオクロスは有斗の心の底を見通してか、うやうやしく腰を折る。

「エテオクロス、陛下のお召しにより参上いたしました」

「エテオクロス、先ほどは王の権威を持ち出してまでその口を塞ぐようなまねをして悪かったね」

「いえ、陛下の言うことは絶対であります。こちらこそいらぬ差し出口を申し上げたようで申し訳ありません」

 エテオクロスは周囲に人がいないこの場でも、あくまで王として有斗を立ててくれる。この謙虚な気持ちを是非アエネアスにも見習ってほしいものだ、と有斗は思った。

「全体会議は第一旅長、副官、羽林から僕つきの幕僚など多数の人間が出入りする場で行われる。あそこで話したことはすぐに漏れると考えなくちゃいけない。だからエテオクロスの考えが正しくても、本当の考えを話すわけには行かなかった」

「では・・・陛下は私めと同じようにオーギューガの戦力を各個撃破することをお考えでおられたと?」

「うん。だけど少しエテオクロスの考えとは違うかな。もし今すぐ上州を攻めるというのなら何もエテオクロスの発言を否定する必要は無い。今なら芳野は雪で覆われ、彼らは上州へ行く僕らの邪魔をすることはできないんだからね。つまり僕が上州を攻めるのは今すぐというわけじゃない」

「なるほど」

「上州の諸侯の兵一万なんかは、いようがいまいがきっと大勢には影響が無いと思う。だけどリュケネらを軽くあしらったオーギューガの兵と、あの兵力で王師を恐れずにあしらうカヒの残兵は強い。彼らが一つになって向かって来られると非常に厄介だ。雪で分断されていることを利用してこの二つが結びつく前に各個撃破すべきだと僕は考える」

 確かに現実として翻弄されたことは事実だが、それでは自分たち王師の将軍たちがテイレシアやデウカリオやバアルに劣るといわれているも同然だ。

 そこまで酷い状況ではないと思うのだが、とエテオクロスは思わず苦笑した。

「そこで雪が解ける間際に上州を襲う。上州の諸侯はきっとテイレシアに救援を求めるに違いない。急がなければ間に合わない。きっと芳野の兵を待たずに雪が解けぬまま上州に駆けつけるだろう。テイレシアは数倍のカヒの兵を手玉に取った経歴がある。野戦には自信があるようだし、きっと兵数の差にも恐れずに野に布陣する。芳野の敵より強敵ではあるが、篭城や遊撃戦を行わない分だけ組しやすい。もちろん芳野の出口には部隊を置くことで芳野の部隊を牽制して、敵が芳野から河東に侵入し、補給線を寸断することだけは防がなければならないだろうね」

「なるほど・・・そうでしたか。確かに理にかなっておりますな」

「オーギューガという巨木を倒せば、芳野という枝は自滅するしかない。戦わずして勝利することになる」

「まさにその通りです。実に素晴らしい良策ですな。しかしそれでは冬の間、芳野にわざわざガニメデ卿をおいておく必要は無いのでは? 彼らも寒いところでは何かと大変でしょう。河東へ呼び戻してはいかがでしょうか?」

「全ての王師が一斉にいなくなれば、芳野の敵は不審を抱く。僕たちの計画に気付くかもしれない。彼らまで上州に行かれてはせっかくの作戦が台無しだ。だがガニメデが芳野の入り口にいる限り、彼らはそれを来春、王師が再侵攻する時の橋頭堡とするために居座っていると思うだろう。彼らに僕たちの思惑を知られぬように、少し苦労をかけるけれどもガニメデには目くらましの役を果たしてもらうのさ」

「なるほど了解しました」

「その時には是非とも先鋒を務めてもらう。それまでの間はこのことは内密に」

「了解したしました!」

 エテオクロスの顔は先ほどと違って随分晴れ晴れとしていた。


 エテオクロスが退室すると、今度は有斗は椅子をちゃっかり確保して部屋に居座っているウェスタに声をかけた。

「ウェスタ」

「はい?」

「河東に退却してきた僕らの行動は芳野の連中に全て把握されていると思うかい?」

「・・・そうですね・・・おそらくはそうかと。芳野にはサビニアスがいます。当然、王師の動向を探るためにいく人もの細作を出しているものと思われます。旅商人、猟師、流人・・・わたしの手の者もそれらしい影を幾度と無く見かけております」

「・・・ウェスタもそういったことには長けているよね? つまり彼らの手口もある程度は分かるってことだ。彼らのその動きを妨害することができないかな? つまり彼らから河東にいる王師本体の姿を見えなくすることは可能かな?」

 ウェスタは頭の中で考える。河東に通じる道を王師で全て塞ぎ、関所を作って全ての交通を遮断する。山中を越えてくるものは雪中の足跡を見つけて追跡し、始末する。

 大河を使って越えてくる者だけは対策の立てようが無いが、密偵は漁師、旅人とは動きが異なる。それで判断すればある程度の目星はつけることは可能だろう。

 ウェスタは慎重に考えた結果、情報統制は十分可能と結論付けた。

「そうですね・・・完全ではありませんが、ある程度なら可能かと思われます」

「そうか、冬の間だけでいいんだ。なんとか越と芳野の境の雪が解けるまでは芳野に王師の行動を知られずにいられないようにしてほしい。これが成功するかしないかで上州での戦いが上手く行くか行かないかの分かれ目になると思う」

「陛下がそうおっしゃるのなら努力してみます」

「頼むよ」

 有斗が拝むように頼むと王直々の依頼にウェスタも乗り気になったらしく、胸を叩いてやる気をアピールする。

「わかりました! 陛下の頼みとあらば、このウェスタ、身命に代えましても必ずや実行して見せます!」

「ありがとう。大変だと思うけどよろしく頼むよ」

「・・・ですから、上手く行った時は必ずやご褒美をくださいましね」

 ウェスタは近寄ると、甘えるように頬を染めて有斗を上目遣いに見上げる。

「え・・・何か望みがあるの?」

 との有斗の問いに、さらに近づいたウェスタは顔を赤らめて、

「もう! わかってるくせに! 陛下ったら意地悪なんですから!」と言って肘で有斗を突いた。

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