第314話 背後の蠢(うごめ)き

 光の差し込まぬ闇の底、いつもの仄暗い明かりが六つ浮かび上がる。

「さて、こうして皆が顔を合わせるのも久しぶりだな。だが再会を祝っている暇など無い。さっそくにでも話を始めることとしよう。オーギューガと王が争い始めたことにより事態はより流動的になった。今なら打てる手も、このまま指をくわえて眺めていては打てなくなる可能性もあるということだ」

 いつものように彼ら六人の中でリーダー格の男が本題に入ろうとすると、珍しく脇からさえぎるようにして声を出す影が現れた。

「その前に私から少しご提案があるのですが、よろしいですか?」

 珍しくガルバが手を上げて、真っ先に議題を発言する許可を求める。

 ガルバは年こそ、この中で二番目と長老格ではあるが、組織の中ではどちらかと言えば新参者だ。そんな自分の立場をわきまえてか、発言は控えめである。そして商人上がりに相応しく、組織内でも根回しと下工作を忘れない男だ。

 メッサ追い落としの時のように、相手の失態を待って周囲を味方につけて、反撃が無いと見極めてから攻撃を開始する男だった。

 それがこの中で指導的立場にある自分より先に議題にあげたいことがあるなどと言うものだからリーダー格の男は内心、心穏やかであるはずが無い。

 まさかとは思うが、自分以外の幹部全てに同意を取り付けて自分の追い落としを企んでいるわけではあるまいな、と疑いの心も起きようというものだ。

 リーダー格の男は平静を装ってはいたが、僅かに声がかすれた。

「・・・聞こう」

 だがガルバの口から放たれた言葉は彼が恐れていたような内容ではなかった。もちろんそちらのほうも到底無視できるものではない重要な案件だったが。

「私に任されている穀物の確保の件ですが、しばらく中止することを提案いたしたい」

「・・・? 去年の報告では穀物は目標の三割程度だったはずだが・・・全てを用意し終えたというのか?」

 彼らがその目的に必要とする穀物の量は半端な数ではない。とても一期二期の収穫分で確保できる数ではないはずだし、米価も高止まりだ。十分な量が確保できるとは思えないのだが・・・とリーダー格の男は首をひねる。

「いいえ、まさか! 目標の五割を超えたといったところです。ただ雑穀も入れての話ですが」

「ならばなぜだ?」

 今年は王師の出征があるとはいえ、規模はここ数年に比べたら小さい。オーギューガの動きも鈍く、全面的に豊作といったこともあり、双方兵糧を買いあさる動きは見られない。穀物を買い揃えるのに不自由はしないはずだ。むしろ今こそ買い揃える好機なのだ。

「ただ・・・少し手控えたほうがよいかと思いまして」

「どういうことだ!?」

 曖昧な表現で中止を申し出るガルバに一同顔を見合わせ困惑を隠さない。穀物の確保は彼らの遠大な計画に沿って大金を費やし、何年もかけて行ってきた大きな事業だった。

 ガルバ一人の思惑で左右されることなど許されない神聖なものなのだ。中でもメッサなどはあからさまな不満の意を示す。自分を関西地区の責任者から引き摺り下ろした私怨だけでなく、買い付けのために莫大な金を扱うことになった、すなわち巨大な権限を有したガルバに対する嫉妬があるのだ。

何故なにゆえだ。まさか何か失敗したというわけではあるまいな?」

 ガルバは取引に失敗して大損したとか、大事な資金を使い込んだなどではないかと疑われたのだ。

「ラヴィーニアに我らの動きを嗅ぎ付けられました。穀物相場の高止まりから私が穀物を買い込んでいたことを調べだしたようでして」

「あの中書令にか!」

 それは取引で失敗することよりも遥かに悪い知らせだった。彼らの優位性は王や朝廷にその存在を知られていないことにある。警戒されること無く勢力を拡大し、来るべき時に備えることができるということこそが彼らの強みである。

 敵はいなく自分たちのものだとばかり思い込んでいたアメイジアに、いきなり忽然と朝廷に匹敵するもう一つの影の帝国が現出し、彼らの不意を突く。それこそが彼らが持つ最大の優位性だった。

 だがその存在を朝廷に知られてしまっては元も子もなくなる。そして朝廷は朝廷を脅かす力を持つ、彼らの存在を決して許そうとはしないであろう。

 全ての主導権を向こうに握られて、こちらは防衛一辺倒となることであろう。そうなれば地力で劣る彼らのほうが不利なのは子供でも理解できる理屈だった。

 だといって今すぐに行動を起こすことは不可能に近い。合戦にはそれなりの準備が要るのだから。

「まさか・・・我々のことまで知られたのではあるまいな!?」

「いえ! そんなことになったら我々とてこのような場所でのんびりと座ってなどおられないでしょう。今頃は我らは王師と戦っているか、牢獄に囚われているかの二択です」

「ではあるが・・・」

 そう言われればそうなのだ。こうして彼らの近辺にまで探索の魔手が伸びて無い以上、まだ彼らの全てを中書令に知られたというわけでは無いらしいと推察できる。

 だが真実を求めて探索の手を伸ばしてくることは容易に想像がつく。このままにはしておけない。

「しかしあの女に嗅ぎ付けられたとしたら厄介だ。どう切り抜ける気だ?」

「私的に不浪人を集めて開墾地を広げている豪族や商人などがいるので、彼らが人を食わせるのに使うのだと、もっともらしく申しておきました」

「それは現実に行われていることだ。我々も似たようなことをしていなかったわけではない。調べても我々の真の姿まで探索の手が伸びる危険性は低いな」

「ですがあの中書令は何事にも細かい、幾人もの官吏の不正を些細ささいな帳簿の記載から見破るといいます。我らがこのまま同じ動きをしていると、いずれ現実との乖離かいりに気付くやも知れません」

「ありうるな」

 だが方法はある。中書令に余計な情報を与えないことだ。さすがの中書令といえども、我らの動きが加わっていない数値の報告書から我らの存在を察知できるほど全知全能であるはずがない。

「・・・だが、急に手仕舞いにすると急激に市場での取引量が減りすぎる。それが原因で事が露呈するという危険は無いか?」

「もちろんです。ですので徐々に縮小していくつもりであります。抜かりはありません」

 ガルバの言い分はどこをどう取っても正当であるように思えた。リーダー格の男はガルバの提言の正しさを認め、採決に入る。

「よし、では採決を取る。ガルバの言うように糧食の確保を一時中断すべきと思う者」

 六つの手が一斉にあがった。反対は見られない。普段小さないさかいを起こしても組織の危機ともなればさすがに足並みを乱さず行動するのであろう。

「よし、ではガルバ、悪いが尻拭いを頼むぞ。なんなら難民を使い、そなたが開拓の真似事をしても構わない。とにかく中書令に我々の存在を気取られるなよ」

「はっ!」

「しかし・・・だとすると我らの計画に大きな齟齬そごが生じる・・・これは大事だ」

 言外に計画の見直しを他の影が求めるような発言をしたが、リーダー格の男はそれを拒んでみせた。

「いや、このまま進めよう。計画に多少の狂いは生じても大差はあるまい」

 当初の計画でも王の想像を上回る天下統一の動きについていけていないのだ。ここで再修正をして計画をさらに後戻りにはさせられない。

 王がこれ以上アメイジアをがっちり手中にする前に我々もなんとかしないと、といった思いが彼の中にも焦りを生み出していたのだ。

「ガルバの確保した糧食は五割とはいえ、二十万の兵を一年半食べさせていけるだけの量ではある」

 さらりと恐ろしい数を口にした。一人一年間に食べる米の量が一石だと規定されている。二十万の兵が一年半食べる米の量だけで三十万石ということだ。

 だが食べる対象が兵ということならば、実際はもう少し多いということになる。三十五・・・いや、四十万石は下らないであろう。

 だが彼はこう言った。二十万の兵を一年半食べさせていける、と。つまりその中には米以外の食品と交換するための分も含まれていると考えてよい。

 つまり六十万石以上の穀物を積み上げるだけの予算があったという事でもあった。

 租庸調といった言葉こそまだ残っているが、実際のところ夫役である庸はともかくも、調という名の特産品納付は長い戦国の間に有名無実化していた。

 それに東京龍緑府との距離によって民への負担が異なること、またその特産品の内容や数を決定するのは派遣された官吏に一任される為に、官吏の腐敗の巣窟となっていたこともあり、ラヴィーニアの考えで代米で納付されることになっていた。

 結果としてアメイジアで朝廷や諸侯が税として得られる米は三百万石。そこから官吏や王師、諸侯が生きるために必要な食べる分を引くと二百万石前後は市場に出回る計算になる。

 だが兵糧こそが最大の武器ともなる戦国乱世、諸侯も朝廷も戦時に備えて米は備蓄する。他にも商人、傭兵などの食料を自給する術を持たぬ職業のものもいれば、農民だって米以外の農作物や特産品を売った金で米を買い戻さなくては生活できない。米価が上がれば私蔵する商人も増えて、市場に流通する米は極僅かだ。

 それだけに一年で数十万石単位で備蓄を増やすなど朝廷でもできぬ荒業だった。

 しかも米は金と違って扱いを気をつけないと腐りもすれば、燃えもし、そうでなくても劣化する。それを考えれば普通の精神ならばそれを金に代わって貯蓄するなど二の足を踏むところであろう。

 なぜなら金銭は人間誰にとっても価値を持つという、世界で稀有な存在である。その悪魔的な魅力は凡人には抗い難いものだからだ。

 それに大量の金銭を得るには大量の労苦が要るはずである。だが目的のためにそれら全てを一切考慮せずに、投げ捨てるように金銭を兵糧に代える。

 そこに彼らの恐ろしさが見え隠れしていた。

「一年半あれば・・・アメイジアの各地を押さえ、近畿と地方との繋がりを断ち切り、干上がらせることも不可能ではない」

 リーダー格のその男の言葉は実に甘美で魅力的だった。アメイジアを手に入れる。今まで目指していたこととはいえ、あくまで夢物語の一つに過ぎなかったものが、その言葉によって突如として彼らの前に現実的なものとして現れたかのような感覚すらもたらしたのだ。

「そうなれば朝廷は王師を保つことさえできなくなるだろう。朝廷や王師内からも王に対する不満が噴出し、内紛が起こるに違いない」

 めったに感情を表さぬ彼らも興奮を隠せない。場がざわめいた。

「さて、本日の議題だが・・・思ったよりもオーギューガは善戦し、王はかつて無いほど苦戦を強いられているように思える。そこでだ、計画を大きく前倒しし、王師が河東に行って畿内ががら空きになっている今こそ、我らが事を起こすのには絶好の機会に思える。オーギューガと王師は戦機が熟すのを待って睨み合い、軽々しく動けないだろう。そこで我らの動きに慌てて王が兵を返そうとすれば、テイレシアは良くも悪くも一流の戦術家だ。その隙を逃すことなく追撃をかけるだろう。王師は大損害を負うことは疑いない。もはや我らと戦うだけの余力は無いかも知れぬ」

 それは希望的観測であったが、十分な説得力を持って彼らの心を揺すぶる。

「確かに・・・! しかも畿内を素早く押さえられば我らは大河を守りに使用することができる」

「それどころか朝廷の官吏と切り離された王師は兵站を失い自壊するのではないだろうか?」

 肯定的な不規則発言が並ぶ中、一本の手が真っ直ぐ上げられた。

 今日は意外なことばかりだ、とリーダー格の男は思った。

 ガルバが発言したこともそうならば、どちらかといえば穏健派で朝廷と争うのに消極的なこの者が、積極的に何かを主張するということも珍しいことだ。

「その議、反対いたします」

「何故だ?」

 一身に集まる視線にも怯みもせず、発言者は堂々とした論戦を張った。

「我らは長期的な展望に立って計画を進めてきました。今いる我らだけでなく、多くの賢人も関わってこの計画は練り上げたのです。ここは王者のように他者の動静に惑わされること無く、計画を粛々と進めていくべきではないでしょうか。それに末端の者は我らの計画を知らない。突然、挙兵をしてもそれに心から協力してくれるかは不明です。大義なき挙兵は支持を得にくいのです。挙兵するならば天与の人に逆らうだけの明確な理由があるべきです」

「大義など・・・いくらでもでっちあげればいいではないか」

 何を青臭いことをとばかりにガルバは小馬鹿にしたかのような薄ら笑いを浮かべた。だがその者はそれこそが大事なことであると主張を続ける。

「ですが、急に作るとなると完璧なものは作れないでしょう。どこからか矛盾を突かれて、自作自演を疑われかねません。内部だけでなく外部にも協力者を作るにあたっては慎重に万全を期すべきです。それに王やオーギューガにとって我らは体制を根本から揺るがす危険な存在です。そのことにまさか両者が気付かないほど愚かであるというわけではないでしょう。当面和睦し、王師は槍を逆さにして我らに襲い掛かってくるのではないでしょうか? そうなれば準備不足の我々は不利になる。むしろここは王師とオーギューガを争わせて、双方傷ついてもらうほうが良いと愚考します」

「敵の敵は味方。オーギューガが我らと手を結ぶのではないだろうか?」

「・・・テイレシアが我らに正義があると見てくれると本気でお思いで?」

「それは・・・やってみなければわからない」

 やってみるまでもない。誰がどう考えてもオーギューガが彼らに手を貸すことは無いだろう。

 テイレシアは頼まれると嫌と言えない性格ではあるが、それはあくまでテイレシアの正義に反しない限り、といった付帯条件がつく。

 彼らの考えはきっとテイレシアにとっては王に対する、いやアメイジアに対する重大な裏切りと捉えられるに違いない。

 王が畿内を不在にしている時を狙って挙兵するというやり方もテイレシアの好みに合うとは思えない。

 その後も疑問や反論の声があがるたびに、感情的にならずにひとつひとつ理性的に応えていくその姿に、いつの間にか会議の空気は変わっていた。


「・・・では採決を取る」

 結局、大勢を大きく覆すことができず、時間が来たためリーダー格の者がしぶしぶ採決を行う。

 採決は二対四だった。挙兵は見送られることとなった。

「・・・わかった。では当面計画通りに進めていくことにしよう」

 その声は少し残念そうな色合いがにじんでいた。

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